2016年10月31日月曜日

福島原発事故が起きて4年経過した2015年01月01日から01月05日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事 その2

2015年01月03日(土)
福島県 人口減少が喫緊の課題、NHK福島放送局
01月02日 12時39分

福島県の人口は、震災と原発事故以降、8万8000人以上減っていて、人口減少の対策が喫緊の課題となっています

福島県が、住民票の転入や転出、それに、出生や死亡の届け出をもとにまとめたところ、県内の人口は、12月1日現在で193万6008人でした。

震災と原発事故の前の平成23年3月1日時点の人口は、202万4401人で、3年と9か月の間に、8万8393人、率にしておよそ4.4パーセント減少したことになります。

減少の内訳を見ますと、転入から転出を引いた『社会減』は5万2662人で、死亡から出生を引いた『自然減』の3万5731人を大きく上回りました。

避難先に住民票を移していない人は数字に反映されませんが、市町村別では▽郡山市が震災前より2.9%減ったものの32万9066人と最も人口が多く、次いで、▽いわき市が4.5%減って32万6175人、▽福島市が3%減って28万3246人、▽会津若松市が2.5%減って12万2704人などとなっています。

また、今も広い範囲が避難区域となっている双葉郡の8町村の人口は、あわせて6万5613人で、震災と原発事故の前と比べ、7066人、率にして9.7%、減少しています。

こうした状況を踏まえ、県は12月知事をトップにした対策会議を設け、今月20日には、有識者による会議を立ち上げるなど、人口減少に歯止めをかけるための対策を講じることにしています。
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天皇陛下は今年も新年のご感想に『放射線汚染』という言葉を使われた。
1月1日 5時38分 NHKNEWSweb

天皇陛下は、新年にあたって文書で感想を表されました。
その全文は次のとおりです。

昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また、東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。

昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。

多くの人々が亡くなった戦争でした。

各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

この一年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります。
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天皇陛下の年頭所感を読む,YAHOOニュース
江川 紹子 | ジャーナリスト
2015年1月2日 21時16分

毎年、年の初めに発表される天皇陛下の所感。戦後70年となる今年は、戦争がもたらした多くの犠牲に触れ、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と述べられた。

過去にしっかりと向き合い、そこから教訓を学び、2度と悲惨な戦争の当事国とならないよう、この機会にしっかり考えていこうという呼びかけと、私は受け止めた。

ただ、新聞によっては、なぜか「歴史を学び」という言葉を見出しから割愛し、「日本のあり方考える機会」(読売)「日本のあり方考えていくこと極めて大切」(産経)としたところもあった。

ふと思い立って、今上陛下が天皇となられて最初に迎えた平成2年(1990)から今年に至る26回の年頭所感をすべて読んでみた。

これまでの26回で「経済」という言葉が15回も使われているのは、意外だった。「厳しい経済状態」を案じ、人々を励ます発言が多い。陛下のお言葉から、その時々の社会状況が思い起こされる。

特に多いのは災害への言及。言葉としても、「災害」19回、「被災」11回、「震災」10回のほか、「台風」「豪雨」「雪」なども5~6回出て来る。

2012年以降は、3年連続で「放射能汚染」という言葉が使われている。原発事故に対する陛下の強い関心と被災者を案じるお気持ちが伝わってくる。

戦争と平和に関わる言葉も多い。「平和」は12回、「戦争」6回使われ、世界各地の戦争や紛争にも言及されている。戦後の節目となる年については、必ず日本の戦争について語られている。

戦後50年となった平成7年(1995)には「この節目の年にあたり、過去を振り返り、戦争の犠牲者に思いをいたすとともに、今日の繁栄を築いた人々の労苦をしのび、改めて世界の平和を祈りたい」と述べられた。さらに翌年にも、前年に印象深いこととして戦後50年を挙げられた。

戦後60年については、翌年の平成18(2005)年の所感の中で触れられた。ほかに、平成10年(1998)には「昨年は、日本国憲法施行から50年、沖縄返還から25年の節目に当たり、我が国の歩んできた過去を振り返った」と語られている。平成15年(2003)には、平和条約発効50年に言及された。

そうした発言での、過去を「振り返り」、犠牲者に「思いをいたす」という表現に比べてみると、今年の「歴史を充分に学び」という言葉に、陛下がどのような思いを込められたのかがうかがわれる

特に、「満州事変に始まる戦争の歴史」と具体的に述べられたのは、対米戦争だけでなく、アジアにおける日本の戦争の歴史を学び、そこから教訓を学ぶことの大切さを、あの戦争を知る者として伝えたい、という強いお気持ちゆえではないだろうか。

新年に発せられたお言葉を通して読んでいくと、折に触れて過去を顧みて、今と未来を考える、という陛下の姿勢や、今回のお言葉に込められた思いもお気持ちが理解できるように思う。

以下に全文を引用するが、お言葉の後の〈〉内は、その年の状況を思い起こす手がかりとして、主な出来事をいくつか江川がピックアップして紹介した。

平成2年(1990)

昭和天皇をおしのびして、日々の務めを果たし、国民の幸福を心に思いつつ過ごしてきました。昭和天皇の崩御に始まるこの一年は、誠に事多く、感慨深い年でありました。

新しい年を迎えるに当たり、国民生活の一層の充実と、わが国が、国際社会の一員として、謙虚に、世界の平和と繁栄に貢献していくことを願いつつ、務めを果していきたいものと思います。

〈この年2月第2次海部内閣発足、11月に即位の礼。10月に東西ドイツが統一〉

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サザンオールスターズ - ピースとハイライト  動画
サザンオールスターズ - ピースとハイライト 「SUPER SUMMER LIVE 2013 "灼熱のマンピー!! G★スポット解禁!!" 胸熱完全版」【期間限定公開】
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倒錯した金融政策が日本経済の体力を消耗する、JBPress
原油安の「神風」を止めたアベノミクス

2014.12.30(火) 池田 信夫

2012年末の総選挙で、自民党の安倍晋三総裁が「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」と宣言したことが、アベノミクスと呼ばれる経済政策の原点だった。彼によれば、日銀がお札を刷れば日本経済は「デフレ脱却」し、経済は一挙に回復するはずだった。

 それから2年たち、日本経済は改善したのだろうか。11月のコアCPI(生鮮食品を除く消費者物価指数)上昇率は0.7%と10月より0.2%下がり、日銀が目標としている2015年3月にはゼロに近づくだろう。貿易赤字は史上最大を記録し、2014年度の実質成長率はマイナスになる見通しだ。何が間違っていたのだろうか?

アベノミクスの目的は円安誘導による「日本売り」

 2年前に安倍氏が経済を理解していたとは思えないが、側近にはリフレ派と呼ばれる奇妙な経済理論を信じる人々がいた。それに乗って彼は「デフレ脱却議員連盟」の会長になり、リフレを政策の看板に掲げた。

 彼のブレーンになった浜田宏一氏(内閣官房参与)は「日銀がエルピーダをつぶした」と公言し、円高を放置したことがデフレの原因であり、金融を緩和すれば日本経済はよみがえると主張した。

 翌年4月に黒田東彦氏が日銀総裁に就任して「2年で2倍」の量的緩和を約束したとき、その狙いは物価ではなく為替レートだった。かつて財務省で「円高ファイター」として活躍した黒田氏にとって、1ドル=80円台の過剰な円高が景気回復の障害になっていることは明らかだった。

 しかし政府が為替レートの操作を行うことは通貨の切り下げ競争を招くので、「2%のインフレ目標」という暗号で、世界の投機筋に「日本を売れ」というシグナルを出したのだ。日銀が際限なく円を供給する政策は円売り介入のようなもので、1年半で1ドルは120円まで50%近く上がった。

 日本株が割安になったため、株式市場の主役である海外投資家が株を買い上げ、日経平均株価も2倍近くまで上がった。これによって輸出産業は競争力を回復し、日本経済は一挙によみがえるはずだった。

 ところが株価以外のマクロ経済指標は、ほぼ全滅だ。政府はあわてて「円安対策」の補正予算を組んだが、日銀が円安誘導しておいて円安対策とは、笑止千万である。それなら最初から、円安に誘導しなければよかったのだ。

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戦時体制の入り口に立った日本、日刊ゲンダイ
日本経済一歩先の真相/高橋乗宣

2014年12月12日

 この国は、いよいよ戦時体制の入り口に足を踏み入れたことになる。10日午前0時、特定秘密保護法が施行された。

 問題は多岐にわたる。安倍政権は、昨年の法案成立から1年間をかけ、運用基準に対する意見を公募した。国民からは、当たり前のように数多くの懸念や疑問が寄せられたようだが、不安を解消するような抜本的な変更はされていない。聞く耳を持っているというのはポーズに過ぎず、しれっとして運用をスタートさせている。傲慢で独善的な安倍政権らしいやり方だ。

 普段は政権批判をしないメディアですら、さすがに危機感を抱いているらしい。安倍自民党を応援する論調が目立つ日経新聞も、10日付の社説で「知る権利を守れ」と書いていた。マスコミの多くは、報道の自由が侵されることを恐れているのだろう。知る権利を踏みにじり、頭から否定するような法律は容認できない。運用に目を光らせるのは当然だ。

 そもそも国の情報は、主権者のものである。国民が知りえない情報が存在することは許されない。情報は公開が大原則であり、わずかに、例外的に、慎重に扱うかどうかを検討するというのが妥当である。

特定秘密を保護する前に、すべての情報を公開するという前提を徹底しなければならないはずだ。たとえ慎重が必要とされる情報であっても、時間が経過すれば必ず公開される。それが担保されない限り、権力者が恣意的に秘密をつくれる余地を残してしまう。主権在民が今以上に有名無実となってしまう恐れは強い。

 国民のプライバシーも危機にさらされる。最近は無差別に人を切りつけたり、ドラッグを服用して他人の命を奪う若者の事件を目にすることが多い。治安の悪化を危惧しない人はいないだろう。

ただ、だからといって、怪しい若者を「テロの可能性がある」と秘密裏に調査し、行動を確認するような社会は息苦しい。

政権を批判する意見を持っている人のプライバシーを内緒で丸裸にし、あの手この手で口封じすることも可能だ。特定秘密保護法は、国民全員を同じ方向に向かせる道具として有用なのである。

 そこに集団的自衛権の行使容認だ。自衛隊を戦地に送ることができるようになる。安倍政権によって戦時体制は整ってきた。それにどうやって歯止めをかけるのか。戦争へ向かう流れを変えられるかどうかは、今回の選挙の重大な争点でもあるはずだ。
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国家安全保障会議という名の「秘密会議」が日本を動かすらしい。
1月3日付神戸新聞朝刊
画面クリックで拡大。
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米国の”政治人材”は、日本とここまで違う!、東洋経済
ビジネスと政治を行き来する強者たち

桑島 浩彰 :青山社中CFO 2014年12月31日

ジョージ・ワシントン大学のマーク・ケネディ教授

今、日本企業が世界で勝てない理由のひとつに、各国政府への「ロビイング不足」があります。そもそもロビイングとはどのようなもので、日本企業が今後、身に付けるべき技術とは何か。

今回は世界でも珍しい、ロビイング人材の育成プログラムを設けたジョージ・ワシントン大学のマーク・ケネディ教授にお話を伺います。
ビジネスと政治を行き来するケネディ教授

桑島:今回はアメリカからジョージ・ワシントン大学のマーク・ケネディ教授に来ていただきました。この大学にはロビー活動の専門家であるロビイストや、政策のPRができる人材を育てるための、「グラジュエイト・スクール・オブ・ポリティカル・マネジメント」という珍しいプログラムがあります。

そこでどんな教育が行われているかを知ることは、日本企業や日本政府が、ほかの国の政治家と付き合っていくときのヒントになるはずです。

実はケネディ教授は、かつてアメリカの連邦議会の議員を6年間務めた経験をお持ちです。その前はメイシーズというアメリカの大きな百貨店の幹部だったこともある。つまりビジネスと政治の両方を経験されているんですよね。

ケネディ:私はミネソタで生まれて、大学を出るまでは人口500人以上の街に住んだことがありませんでした。日本の上智大学ともつながりのある、セントジョーンズ大学というカソリックの大学を出て、そのあと公認会計士として3年間働いたあと、ミシガン大学のビジネススクールに進みました。

大学院のときに妻と出会い、オランダのアムロ銀行というところでインターンをすることになり、そこで初めて世界に対する目が開かれました。私の母は生涯アメリカから出たことがありませんでしたから。

桑島:アメリカにはアメリカから出たことのない人が意外と多い。それどころか、自分の生まれた州から出たことがない人も多いと聞きます。

ケネディ:それくらい保守的な家庭に育ったわけです。だからこそ大学時代は世界中から集まってきた学生と話すのがとても楽しかった。

次ページ⇒ケネディというファミリーネームの宿命
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C-2輸送機の輸出構想は、「画に描いた餅」、東洋経済

事実を踏まえない空虚な政策は止めるべき


清谷 信一 :軍事ジャーナリスト 2014年12月31日

2010年に初飛行を行ったC-2輸送機の初号機(写真:航空自衛隊岐阜基地)

現在、航空自衛隊は国産機として現在使用しているC-1輸送機(川崎重工業)の後継である「C-2輸送機」を開発中だ。ただし相次ぐ不具合の発生により、その実用化は大きく遅れており、調達予定単価も大きく高騰している。

そんな中で、政府はC-2を民間用輸送機へと転用し、海外の航空市場で売ろうと画策している。政府の予算によって日本航空機開発協会が海外マーケットの調査を実施。その調査結果によると、2026年までにロシアなどのCISや中国を除くマーケットで現用の旧ソ連製アントノフ-124、イリューシン-76、ロッキード社製のL-100などの機体の後継機が230機ほど必要となり、そこには大きなマーケットが存在すると報告している。

これらの機体は、いずれも後方にランプドアを有しており、通常の航空コンテナだけではなく、ヘリコプターや航空機のエンジン、美術品など、大型貨物を搭載できる。同様の能力を持っているC-2の民間転用機は、充分に海外マーケットで戦えるというのがレポートの趣旨だ。

日本のマスメディアも、あたかもC-2輸送機の輸出プロジェクトは有望であるかのような報道をしている。2015年に入ってからも、おそらくこうした防衛産業の輸出に関する、未来への希望に満ちた報道が次々に表れるはずだ。

だが、賢明な読者はそうした報道を鵜呑みにしないでほしい。C-2輸送機の輸出構想の実態を見ていくことで、日本の防衛産業の非常識ぶりを明らかにしていく。

耐空証明を取ることができるか

まず、踏まえなければならないのは輸出をするための規制をクリアできるかどうか、だ。民間市場で売るならば欧米の耐空証明を取る必要がある。

このためエアバスはC-2とほぼ同じサイズの新型輸送機A400Mの開発にあたっては開発と平行して耐空証明をとる作業も行ってきた。耐空証明を取るためには巨額の費用と多くの試験が必要であり、開発と同時に耐空証明取得の作業を行うのはコストを削減するためだ。

次ページ⇒耐空証明だけでも莫大な支出
 
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世田谷一家殺害事件、捜査長期化のなぜ 「否定し難い初動ミス」 、落合洋司
[刑事事件]世田谷一家殺害事件、捜査長期化のなぜ 「否定し難い初動ミス」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141230-00000000-san-l13

なぜ捜査はここまで長期化しているのか。事件は30日で発生から14年。原因について「初動捜査に問題があったという見方が根強くある」との指摘もあり、警視庁関係者は「残念ながら、否定はできない」と話している。

 私が平成元年に検事任官した頃に東京で発生した殺人事件で、複数の少年が犯したとされ家裁に送致された後に、犯人性に重大な疑問が生じて不処分(実質無罪)になったという事件があり、その後、検察庁内の研修で、その事件について、ベテラン検事の解説講義を聴く機会がありましたが、

警視庁捜査1課、東京地検刑事部の本部事件係(これは昔から花形ポストで捜査経験豊富で優秀なベテラン検事が充てられるのが通常です)が取り組んでいながら、なぜこのような杜撰な捜査になってしまったのかと大きな疑問が生じてきたことが思い出されます。

人間のやることですから、優秀な集団が担当すれば確実にミスなく結果が出るというものでもありませんが、実施したことについて早期に見直し、検証がされ是正すべきは是正されるという態勢が取られていることも(そういったバックアップ態勢が機能しているということですが)重要であり、

上記の事件について、今になってあの点はそうではなくこうだったかも、などといった話がぽろぽろと出てきているのを見ると、素朴にどうなっているのかという疑問を感じずにはいられません。

犯人は必ずどこかに存在していたのであり、膨大な捜査資料に取り組むのは大変なことであるとは思いますが、全くの白紙の状態から取り組むチームを1つ投入して、

既存の捜査とは全く別の視点でこの事件を洗い直してみる、ということも、本格的に行われてよいのではないかという気がします。

引用元
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ついに日本は新規貯金より取り崩しの方が多い国になった。
ニッセイ基礎研究所

マイナス貯蓄率の時代
2015年01月01日 11時59分 JST ハフイントン ポスト


家計貯蓄率がマイナスに

内閣府が発表した2013年度の国民経済計算確報によると、低下傾向にあった日本の家計貯蓄率はついにマイナス1.3%となった。

日本の家計貯蓄率は1970年代半ばには20%以上もあったが、2000年代に入る頃には5%程度に低下していた。日本の家計貯蓄率が低下してきたのは、人口の高齢化によるところが大きい。

日本の高齢者は年金をもらっても貯蓄してしまうという誤解があるが、引退して仕事をしなくなった高齢者は、公的な年金に加えて自分が蓄えた貯蓄を少しずつ取り崩すことによって生活しており、貯蓄率はかなりのマイナスだ。人口の中で貯蓄を取り崩す高齢者の割合が高まることで、日本の家計貯蓄率は徐々に低下してきた。

我田引水でお恥ずかしいが、筆者はかつて「貯蓄率ゼロ経済」という本を書いている(*1)。2020年頃には日本の家計貯蓄率がゼロになり、日本経済は大きな変化を経験するという趣旨だった。

出版当時は、日本の貯蓄率がゼロになり経常収支の黒字が消滅するという筆者の予想に対して懐疑的な反応が多かった。しかし現実は、筆者の予想を上回るスピードで家計貯蓄率が低下して、2020年を待たずにマイナスに突入してしまった。

経常収支の黒字がほとんどなくなっていることは以前に述べたとおりである。

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「子どもの貧困」 どう可視化・共有化するか
ニッセイ基礎研究所

絶対的貧困と相対的貧困
2015年01月02日 12時36分 ハフィントンポスト

「子どもの貧困」 どう可視化・共有化するか

貧困の概念には、「絶対的貧困」と「相対的貧困」のふたつがあることはよく知られている。

世界銀行によると、前者は2008年時点の購買力平価換算で一日あたりの生活費が1.25ドル未満の状態を指し、世界中で約14億人が該当するという。主として途上国にみられる貧困である。

後者は、OECD等では各国の等価可処分所得(*1)の中央値の50%以下で暮らすこととされ、主に先進諸国における経済格差に基づく貧困だ。

ここではふたつの貧困状態における「子どもの貧困」について考えてみよう。

絶対的な子どもの貧困では、安全な水や栄養のある食糧の確保、基礎的な教育環境の整備などが喫緊の課題だ。貧困に苦しむ世界の子どもを支援しているNGOのWorld Visionのホームページには、『ソマリアでは、5000円で5歳未満の栄養不良の子ども3人に、栄養価の高い食料を1カ月分支援できます』と、具体的な支援効果が記載されている。

ある意味、その貧困の状況は、多くの人にとって直感的に理解でき、支援の手も差し伸べやすいかもしれない。

一方、相対的な子どもの貧困は、その状況があまり知られてはいない。

たとえば日本の場合、国民一人当たりの平均年間所得は275万円(2012年実額)で絶対的には豊かだが、2012年の相対的貧困率は16.1%、子どもの相対的貧困率(17歳以下)は16.3%と先進諸国の中でも極めて貧困率の高い国だ(*2)。


はたして日本の子どもの6人に1人が貧困状態にあるとの国民全体の認識はあるだろうか。

先日、一人の中学生が私を訪ねてきた。学校の社会科の自由課題で「日本の子どもの貧困」について調べているという。

彼になぜそのテーマを選んだのかを聞くと、『日本は子どもの貧困率が高い国だと本で読んだが、それが実感できない。その理由を考えてみたい』と話してくれた。

この中学生の感想は、おそらく日本で暮らす多くの人が抱く感覚に近いだろう。そこにこの問題解決の難しさがある。

日本社会では高校生が家庭の経済的事情で学校を中退した場合、将来的に安定的職業に就くことがとても難しくなる。それが世代を超えた貧困の連鎖を招くことにもつながる。

相対的貧困とは経済面にとどまらず、いじめや虐待など社会の中に潜在化している場合も多く、教育、雇用、福祉等のさまざまな社会制度に基づき発生する複合的な精神的・文化的な窮乏状態だ。

問題の所在や実態、因果関係、経済支援の直接効果などの把握は難しく、豊かな国ゆえの貧困問題とも言える。

その解消のためには、まずは貧困の実態を可視化・共有化し、絡み合った課題を丁寧に解きほぐしつつ、一つひとつの支援策の改善効果を具体的に示す取り組みが求められているのではないだろうか。

引用元
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2015年01月02日(金)
福島、原発事故から4度目の新年 「一日も早く元の生活に」、【共同通信】
2015/01/01 15:54

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から4度目の新年を迎えた1日、避難区域となっている福島県富岡町で、避難先から集まった町民らが初日の出を拝み、早期復興を祈った。

 震災前、初日の出の名所だった富岡漁港には、日が昇る前から十数人の町民らが車で来訪。津波に遭い鉄骨だけになった建物が残り、コンクリートの破片もそこかしこに転がる中、有志が振る舞う豚汁を味わったりして水平線を見つめていた。

 避難先の同県いわき市から震災後初めて富岡漁港に来たという無職男性(47)は、朝日が昇る様子を写真に収めた。「一日も早く元の生活に戻れるよう願いを込めた」と話した。
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被災地に学ぶ、旺盛な独立心と政府に媚びない逞しさJBpress、

ロンドンから被災地に赴任した内科医は見た~愛想笑いをしない人々


2014.12.02(火) 越智 小枝

先日、東京の友人が訪ねてきました。福島駅から霊山を越え相馬市に入った時、町の風景を見て彼女がつぶやきました。

東日本大震災、未曾有の被害を数字で振り返る
2011年3月11日に起きた津波で建物に乗り上げたバス〔AFPBB News〕

 「こんなに普通に人が住んでいると思わなかった」

 この友人は、相馬に遊びに行く、と言ったところ、東京の知人に、

 「え?あそこまだ人が住んでるの?」

 と言われたとのことです。

 ごく普通に起きて、寝て、仕事をして、学校に行っている人々がいる。おそらく今の相双地区で一番世間に知られていないのは、その現状なのかもしれません。

 「マスコミは自分の欲しい画だけ撮りに来る」

 「期待通りに不幸そうにしてないと、つまんなそうな顔して帰って行くね」

 世の中に等身大の相双を知ってもらえていないことに対する、あきらめや焦りの言葉もよく聞きます。

「不幸な画」にならない被災地

 確かに私の目から見ても、今の相双地区、特に相馬市を「被災地」として報道することは難しいだろうな、と思います。その理由の1つは、苦難が「画」にならないことです。

 例えば震災直後、ある高台の旅館には津波から逃れた人々が多数避難していらっしゃいました。停電で冷凍庫・冷蔵庫が機能しないため、女将さんは冷凍庫の中身をその場ですべて避難者に振る舞ったそうです。

 自衛隊が乾パンや非常食を持って駆けつけた時、人々がカニ鍋をつついていた・・・このような光景は、被災地として期待される画ではなかったことでしょう。

 それほどの極端な例でなくとも、似たような状況はあちこちに見られます。表面だけ見れば、相双地区の人々は明らかに東京よりも美味しい物を食べているし、空気の良い所でゆったりと暮らしているからです。

 次のページ⇒「ホッキ貝なんて、船が全部やられちまったからね。試…
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原発事故から丸4年 燃料取り出し開始へ 一層効果見える対策必要、福島民報
2015/01/01 10:22

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から丸4年を迎える平成27年が始まった。国と東電は福島第一原発の汚染水対策を本格化させるとともに、困難な作業が想定される高線量下の燃料取り出しを開始する。完了まで30~40年かかる廃炉工程の中、効果が見える一層の対策と着実な作業が求められている。

 1日約400トンの地下水が原子炉建屋に流れ込み汚染水となっている。1~4号機建屋周囲の土を凍らせる凍土遮水壁は3月から凍結運転を予定。建屋への地下水流入を大幅に減らす能力がある。ただ、前例のない大規模工事に実現性を疑問視する専門家もいる。

 建屋周辺のサブドレン(井戸)でくみ上げた地下水を浄化して海に流す計画は、汚染水となる地下水の建屋への流入を半減する効果が期待される。だが、漁業関係者らの理解を得られておらず運用時期は不透明だ。

 敷地内の地上タンクに貯蔵された汚染水の浄化に向けた処理では、62種の放射性物質を取り除く多核種除去設備(ALPS)に加え、放射性ストロンチウムの除去装置を稼働し、3月末までの浄化完了を目指す。

 3号機では、27年度前半に使用済み核燃料プールからの燃料取り出しに着手する。昨年12月に完了した4号機と異なり、周辺の放射線量が高いプールから初めての燃料取り出しとなる。作業環境の確保に向けた線量低減やトラブル防止策、遠隔操作での技術開発などが急がれる。
2015年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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過ち繰り返さぬために 「火垂るの墓」高畑監督に聞く、神奈川新聞
2015.01.01 11:30:00

 いたいけなきょうだいの死から戦争の悲惨さを描いた不朽のアニメ映画「火垂るの墓」。監督を務めた高畑勲さん(79)は語る。「あれは反戦映画ではない」。戦後70年を迎え、いつか来た道へ向かう足音がその耳に届く。言葉が熱を帯びる。惨禍を嘆き悲しむのではなく、いまこそ自らの愚かしさに目を向けよ、と。

■愚かしさ省み歯止めを

 火垂るの墓は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか。そう言うと大抵は驚かれますが。

 1988年公開。太平洋戦争末期、空襲で母と家を失った14歳の兄清太と4歳の妹節子の物語。食糧事情悪化につれ、身を寄せた親戚からうとましがられ、2人は防空壕(ごう)で暮らすようになる。周囲の大人も手を差し伸べることはなく食料が尽き、やがて命も尽きる。原作は野坂昭如さん。高畑さんは「人は悲惨な目に遭うと人情というものが働かなくなるということを伝える話だ」と語る。

 -原爆をテーマにした「はだしのゲン」もそうですが、日本では平和教育にアニメが用いられた。もちろん大きな意義があったが、こうした作品が反戦につながり得るかというと、私は懐疑的です。攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。

 なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる。

 -「戦争をしたとしても、あのような失敗はしない。われわれはもっと賢くやる。70年前とは時代が違う」とも言うでしょう。本当でしょうか。私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです。

 再び戦争をしないためには、あの戦争がどのように進んでいったかを学ばなければならないと思うのです。

 私が戦争中のことをどれだけ知っているかと聞かれれば、大したことはない。でも、安倍晋三首相よりは知っています。

 35年生まれ。岡山市で空襲に遭い、焼夷(しょうい)弾の雨の中、家族とはぐれながら辛くも逃げのびる。敗戦当時9歳。東大仏文科を出て東映動画入社。テレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などを演出し、宮崎駿さんとスタジオジブリ設立後は映画「おもひでぽろぽろ」「ホーホケキョとなりの山田くん」「かぐや姫の物語」などで監督を務めた。

 集団的自衛権の行使を認めるということは、海外では戦争ができない国だった日本が、どこでも戦争できるようになるということです。政府は「歯止めをかける」と言うが、あの戦争を知っている者にとっては信じられません。ひとたび戦争が始まれば歯止めなどかかるものではありません。

 そもそも日本人は戦前から米国が好きだった。ジャズや野球、映画といった文化に親しんでいた。その国と戦争をするとは誰も思わなかった。やっても勝てないと思っていた。

 ところが、真珠湾の奇襲作戦が成功して戦争になってしまったら、あとは日本が勝ってくれることだけを皆が願い始めた。それはそうでしょう。負けたら悲惨なことになるに決まっているんですから。

 息子の兵役を逃れさせたり、戦争に反対して逮捕されたりした人もいたが、ごく少数。始まってから反対の声を上げるのは難しい。いやいや戦争に協力させられたのだと思っている人も多いけれど、大多数が戦勝を祝うちょうちん行列に進んで参加した。非国民という言葉は、一般人が自分たちに同調しない一般人に向けて使った言葉です。

 「空気を読む」と若者が言うでしょう。私はこの言葉を聞いて絶望的な気持ちになります。私たち日本人は昔と全然変わっていないんじゃないか、と。周りと協調することは良いことですが、この言葉は協調ではなくて同調を求めるものです。歩調を合わせることが絶対の価値になっている。

 日本人は昔から意見の対立を好まない。皆を仲間内にして、和気あいあいとして争いを避ける。寄り合いも全員一致主義で、どうしても駄目なら村八分にする。個を確立し、意見が異なっている人との違いを認め、その上でうまくやっていくという努力を好まない。議論を戦わせない。古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。私はこれを「ズルズル体質」と呼んでいますが、「空気を読む」なんて聞くと、これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。

 だからこそ憲法9条の存在が大事だと思うのです。これこそが「ズルズル体質」を食い止める最後の歯止めです。

 戦後の平和をつくってきたものは何かといえば、9条です。基地の負担を押し付けられている沖縄の犠牲を忘れてはなりませんが、米国が戦争を繰り返す中、9条のおかげで日本人は戦争で命を落とすことも人の命を奪うこともなかった。政権の手足を縛ってきたのです。

 これを完全にひっくり返すのが安倍政権です。それも憲法改正を国民に問うことなく、憲法解釈の変更という手法で、です。

 消費増税を先送りし、アベノミクスの是非を争点に据えた昨年暮れの総選挙で圧勝した自民党。安倍首相は集団的自衛権の行使容認に踏み切った昨夏の閣議決定を踏まえ、安全保障法制の整備にも「国民の信が得られた」と意欲をみせる。自衛隊法の改正などの審議が国会で始まる。

 隣国との対立が深まり、不穏になっているからといって不戦の理想の方を変えるのはどうかしています。9条を大事にしているということは、武力で解決するつもりはない、というメッセージになる。東アジアに戦争の記憶が残る中、戦争をしないというスタンスはイニシアチブになるはずです。「普通の国」なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。

 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。

 あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった。「最小限の武力行使」「戦争をやるとしてもうまくコントロールしてやる」なんて、そんな能力を私たち日本人が持っていると思わない方がいい。安倍首相だけが特別無自覚というわけではないと思います。私たちはこの70年で基本的な体質が変わることはなかったのです。

【神奈川新聞】
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「星条旗」重大ニュースに翁長氏当選、沖縄タイムス
2014年12月31日 06:15

 【平安名純代・米国特約記者】米軍準機関紙「星条旗」は2014年に起きた重大ニュースの一つに翁長雄志氏の県知事当選を選んだ。

 同紙は23日付(電子版)の記事で「翁長氏は選挙期間中、米軍基地は島の経済発展の最大の阻害要因だと主張し、米軍の縮小だけではなく、オスプレイの撤去も求めた」と伝える一方、仲井真弘多氏は在職中に「数十億という補助金と引き換えに(辺野古新基地建設)計画を承認した」と両者の相違を対比し、翁長氏の大差勝利を伝えた。

 翁長氏に敗れた仲井真氏が選挙後に工法の一部変更など沖縄防衛局からの申請を承認した点も言及。翁長氏は埋め立て承認の検証継続を表明しているが、米海兵隊と日本政府は知事選後も名護市辺野古移設を堅持していると指摘。

 こうした流れについて「法律の専門家らは、翁長氏が動きを阻止できる可能性はあったとしても低いだろうとの見方を示しているが、民意に対する防衛と集団利益といった疑問を呈している」と紹介。「地元住民の総意を無視することは民主主義の精神に反するものであり、政府が民意を無視することは言語道断だ」との識者の見解を伝えている。

 重大ニュースには、退役軍人らが長期にわたり適切な医療が受けられずに死者が出ていた問題やイスラム国と米軍との戦闘など約23のニュースが選ばれている。
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天皇陛下の新年の感想 全文,NHKNEWSweb

1月1日 5時38分

天皇陛下は、新年にあたって文書で感想を表されました。
その全文は次のとおりです。

昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。

また、東日本大震災からは四度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。

昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。

多くの人々が亡くなった戦争でした。

各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

この一年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります。

 
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4000人が死んだ「神風特別攻撃隊」、毎日新聞
第2回 神風は吹いたのか?

70年前の1944年10月25日、日本海軍の「神風特別攻撃隊」が初めて、米海軍艦艇に突入した。

国力で10倍以上の差があると言われた米国に戦争を挑んでから、既に3年目。数と数がぶつかり合う近代の消耗戦は、日本の限りある人的・物的資源を消耗し、連合国との戦力差は開いていくばかりだった。

こうした状況の中、採用された特攻は、生きては戻れない「十死零生」の作戦のため「統率の外道」とされながら、日本陸海軍の主要な戦術となっていく。

航空機だけでも、約4000人が戦死したとされる特攻戦術。命中率(成功率)11%とされた中で、どのような戦果を上げたのか。データをひもといてみた。【高橋昌紀/デジタル報道センター】

※特攻は戦死を前提として攻撃する戦術で、航空機以外にも高速艇や魚雷を使った作戦も実行されました。ここでは航空機を使った作戦にしぼっています。

・・・・・中略・・・・

機材も命も、すべてを失う「十死零生」の消耗戦

本土決戦に備える海軍は太平洋戦争末期、特攻機の予期命中率を算出している。沖縄戦を戦訓に、対機動部隊で9分の1、対上陸船団で6分の1と見積もった。本土南西部に来攻する米上陸軍第1波(約10個師団)の輸送船を約1000隻と予測し、作戦を頓挫させるためには半数の撃沈が必要と判断。予期命中率などに基づき、航空機5000機の整備が必要とされた。

命中率が9分の1、すなわち約11%に落ちた理由は

搭乗員の技量低下
特攻機材の性能低下
米軍の対策向上

などが挙げられる。ただし、仮に命中率が2割台を維持できたとしても、「九死に一生」もない「十死零生」の特攻戦術においては、出撃した搭乗員・機材の全てが失われることに変わりはなかった。それは戦力の消耗でしかなく、その先にあるのは戦争遂行能力の破綻でしかなかった。

・・・・・・・・中略・・・・・・

「体当たりなんて…日本は終わり」特攻1号の関大尉


全軍の模範となる「特攻第1号」として、海軍兵学校出身の関行男大尉は特に選抜された。戦死後は2階級特進し、「軍神」となった。一方で、出撃前にこう慨嘆していたという。

「通常攻撃でも爆弾を命中させる自信がある。そんな僕に体当たりを命じるなんて、日本は終わりだ」

・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・

劣勢で次々失った熟練パイロットたち

日本軍(海軍)パイロットの技量
技量A:飛行教程終了後
6カ月以上
技量B:飛行教程終了後
4-6カ月程度
技量C:飛行教程終了後
3カ月以上
技量D:飛行教程終了後
3カ月未満・要錬成
16.3%
14.4%
44.3%
25%
技量C:飛行教程終了後 3カ月以上
664 (25%)
種別 数
技量A:飛行教程終了後 6カ月以上 435
技量B:飛行教程終了後 4-6カ月程度 382
技量C:飛行教程終了後 3カ月以上 664
技量D:飛行教程終了後 3カ月未満・要錬成 1180
出典:戦史叢書 / 1945年3月10日時点

速成の搭乗員がほとんどに 技量不足で特攻採用

特攻戦術が採用された背景として、熟練の航空機搭乗員の減少がある。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)をはじめとする日本機は戦果を上げる一方で、その防弾性能の低さから、損害も増加させた。

太平洋戦争は1942年8月にガダルカナル島の戦いが始まると航空消耗戦となり、逐次投入で貴重な戦力を消尽させていった。42年10月の南太平洋海戦では出撃216機のうち、約6割の130機を失ったとされる。

連合艦隊は翌43年4月の「い号作戦」終了後の研究会で、戦闘機の日米の実力差は開戦時には6対1とリードしていたが、同作戦では1対1くらいとほぼ並んだと判定した。戦史叢書によると、開戦時の海軍搭乗員約7000人のうち、44年3月時点では既に6割近く、約3900人が戦死していたという。

主力である第一、第三、第五の各航空艦隊に所属する搭乗員(偵察員を含む)計2661人について、沖縄戦直前の45年3月10日時点でまとめた技量の資料が表である。

約4割の1180人は要錬成の「技量D」で、飛行教程を終えて3カ月未満の技能では、作戦可能とはいえなかった。

このクラス分けも44年9月1日に改正されたもので、開戦前までは「技量A」と認定されるのに飛行教程終了後2年9カ月程度の期間が必要だった。「技量C」も、飛行教程終了後9カ月とされていた。

この開戦前の基準を当てはめると、沖縄戦当時の搭乗員の実態は、ほとんどが「技量D」だったことになる。実際に当時の事故統計によると、計139件のうちの計101件が「人員ニ起因スルモノ」であり、技量の未熟さが関係するものと思われる。

戦力を埋めるため、錬成途上の搭乗員を逐次投入する
技量未熟の搭乗員は生還率が低く、戦果も上げられない
損害ばかりが多くなり、搭乗員も不足する
海軍は自ら、そうした消耗戦の悪循環に陥っていった。「海軍特攻の父」とされる大西瀧治郎中将は「通常の攻撃では米機動部隊に損害を与えられない」と特攻戦術を正当化した。ただし、そうした戦況を招いた責任は、作戦指導を誤った軍当局にあると言えるだろう。

全文を読む


第1回 230万人はどのように戦死したのか?

日中戦争から太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属の数について、日本政府は230万人(1937~45年)という数字を公式に採用してきた。だが、彼らがどこで、どのように亡くなったかについては不明確な点が多く、「6割が餓死した」との学説もある。

神風特別攻撃隊を題材にした小説、映画が話題になっている今。約4000人とされる航空特攻による戦死者以外の、229万人余はどのような最期を遂げたのか。そんな疑問から、データをひもといてみた。【高橋昌紀/デジタル報道センター】


第3回 真珠湾攻撃は米国を砕いたのか? 国力4分の1 日本の大ばくち

1941年12月8日、日本は戦争に踏み切った。「短期決戦による早期講和」を独善的に夢想し、ハワイ・真珠湾の米太平洋艦隊を奇襲攻撃。

しかし、「宣戦布告前のひきょうなだまし打ち」と憤激した世論を背景に、“世界の工場”米国は戦時体制に速やかに移行する。国民生活を犠牲にした動員をかけても、国内総生産(GDP)では米国の4分の1以下。

一流国とは名ばかりの日本にそもそも、総力戦に耐えるほどの国力があったのか。データをひもといてみた。【高橋昌紀/デジタル報道センター】
 
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半澤健市さんの「総選挙結果をみて兆民を読む」

「考えざるべからず」

 中江兆民(なかえ・ちょうみん、1847~1901)は幕末に生まれ明治時代に活躍した政治家・思想家である。

若くして岩倉具視の米欧回覧使節団に同行したがフランスに残り西洋近代からギリシャ文化までを学んだ。自由民権運動の精神的支柱の一人であり東洋のルソーとも称された。

咽頭ガンで1年半の余命と知って書いた『一年有半』、『続一年有半』や『三粋人経綸問答』で知られる。兆民が、死の前年、明治33年10月に書いた「考えざるべからず」という文章がある。その一部を次に掲げる。(***から***まで。カッコ内は半澤が付記、「/」は中略を示す)。

*************************
 内閣政府は我儕(わがせい=我々、儕は「ともがら」)人民の給料にて生活する人物の集合体なり。

我儕人民の用向(ようむき=用事、要求)即ち法律、経済、軍備、教育等我儕人民に必要なる用向を任じ居る庸人(ようにん=雇われた人)なり。

/唯それ我儕人民考へず、故に彼れ内閣政府は唯天皇陛下に隷属するを知りて、我儕人民に対して債務者たるを忘れて、勝手に休業し勝手に遷延(せんえん=引き延ばし)し、我儕人民の財布を掠取(りゃくしゅ=奪い取ること)して平然たるなり。

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地方の一等地にビルを構える官僚組織、JBpress

地方活性化に自治体は必要か?
致命的に欠けている「経営」の概念


2014.12.22(月) 雑賀 憲彦

地方で最も建物が大きい組織とは

現在の日本の地方都市を概観すると、たいてい一番大きな建物が県庁や市役所で、一番大きな収入と支出をしている事業体も県庁か市役所であるという。当然、従業者が一番多いのも県庁か市役所であるという。

 つまり、市民の下僕たる公務員が一番大きなビルで仕事をし、一番多くのお金を扱い、一番多く税金から給与をもらっているのである。こんなことで地方活性化なんてできるのか、と思うのは当然だろう。

 そもそも民間企業が稼いだ利益の一部を税金として預かり、公共に費やすのが公務員の本来の仕事である。それが民間企業を差し置いて地方で最大の事業体であること自体、本末転倒ではないか。

 筆者は地方活性化の主役は民間企業であると考えている。企業の利益向上が第一であり、次いで雇用増大となり、賃金の向上という循環になり、最後に公務員が税金を徴収し、それを公共のために効果的に配分するということではないか。それなのに、自治体が前面に出て一体何ができるというのであろう。

官との関わりが深い組織は衰退する

 数年前に日本航空の経営破綻があった。負債総額は2兆円を超えていたらしい。なぜ、日本を代表する歴史ある航空会社が経営破綻したのか、当時は疑問を感じる人も多かったと思う。大きな理由として、労働組合が強く、年金を含めた人件費を柔軟に削減できなかったことが挙げられた。また、歴代の経営トップの放漫経営も理由に挙げられている。

 次のページ⇒しかし、根本的な原因は、官との関係が深い企業だった…
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5000万件データからみる雇用実態、NHKNEWSweb
12月26日 21時50分

有効求人倍率は、11月まで13か月連続で1倍を超え、雇用情勢は改善しているといわれています。一方で物価の上昇分を差し引いた実質賃金は、11月まで17か月続けて前の年の同じ月を下回っています。

NHKは、全国のハローワークに寄せられた、昨年度(平成25年度)までの3年間ののべ5000万件分に上る求人や就職件数などのデータを独自に入手し、年代別、職業別、男女別、地域別などさまざまな視点で分析するとともに、現場を取材しました。そこから見えてきた雇用の実態とは。

・・・・・中略・・・・

私たちが訪れた介護施設では、高齢のアルバイトが入所するお年寄りを介護するほど、人手不足に悩まされていました。この介護施設では、去年(平成25年)1年間で124人いた職員のうち、21人が退職していました。

の仕事は介護報酬が決まっているため長く働いても賃金が上がりづらく、少しでも条件のいい職場を求めて短期間で仕事を辞める人が少なくないというのです。

職員が辞めた施設では、欠員を埋めるため求人を出します。短期間で転職を繰り返す人が多ければ、それだけ求人の数が増えます。

さらにハローワークに出した求人の有効期限は3か月となっているため、採用できなければ繰り返し求人を出すことになります。取材した施設でも、1人を採用するために何度も求人を出していました。

長崎県のハローワークの担当者は、「欠員の割合が増えることで、玉突き式に求人数が絶対数よりも多くなるということは否めない」と話していました。

離職率が高く、人手が不足している仕事では、実際以上に求人が膨らんでいる実態がありました。

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2015年01月01日(木)
恭賀新年


本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
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日本初!アジアで働く日本人の『HAPPY』動画 カンボジア、ベトナム編
初めまして! アジアで働く日本人のリアル情報サイト『週刊アブローダーズ』編集長の濵田です。
2014年9月に、カンボジアとベトナムで働く日本人の方たちのインタビューをしてきたのですが、日本を出る1週間前に、ふと「アジアで働く日本人の様子を映像で発信したら、より現場の様子が伝わるのではないか」と思い立ち、ビデオカメラを持っていざ現地へ行ってきました。
インタビューが終わった後、お一人おひとりに突然「何か踊って下さい!」とお願いしたにも関わらず、みなさんノリノリでご協力していただきました。練習時間をとってからの本番撮りや、何パターンも撮影させて下さるほど、全力のご対応。さすが、アジアで働く日本人の方たちはとても寛容でした!

みなさんにこの動画を見ていただくことで、カンボジアやベトナムなどのアジアの国々に、「こんなにイキイキと働く日本人がいるんだ!」ということを知っていただけたら嬉しいです。
動画は、ファレル・ウィリアムスの楽曲『Happy』に合わせて作成しました。今年、この曲に合わせてさまざまな土地の人々がダンスを踊る動画が世界中で流行りましたが、カンボジア、ベトナムで働く日本人バージョンも、ぜひお楽しみ下さい!!続きを読む
 
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「自然死」のすすめ(中村仁一著)読後感想、ブログ「薬屋のおやじのボヤキ」から。
一部引用・・

「自然死」のしくみとは

 自然死の実態は…「餓死」(「飢餓」「脱水」)です。

一般に、「飢餓」「脱水」といえば、非常に悲惨に響きます。空腹なのに食べ物がない、のどが渇いているのに飲み水がない。例えば、砂漠をさまよったり、海を漂流したりする状況は、非常に辛いものと想像されます。

 しかし、同じ「飢餓」「脱水」といっても、死に際のそれは違うのです。いのちの火が消えかかっていますから、腹もへらない、のども乾かないのです。

 人間は、生きていくためには飲み食いしなくてはなりません。これはあたりまえのことです。ところが、生命力が衰えてくると、その必要がなくなるのです。

 「飢餓」では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるといいます。

 また、「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりとした状態になります。

 以前、病院勤務の頃、独身の息子のところに身を寄せていた寝たきりの母の様子がおかしいと、病院に運び込まれてきたことがあります。会社員の息子が、朝の出がけに老母の枕元にお茶と握り飯を置いて出かけていたのですが、夏の暑い盛りで老母が充分に飲み食いしなかったため、3日目には昏睡の一歩手前まで意識レベルが落ちていました。

 そこで、薄い(浸透圧の低い)食塩水をじゃんじゃん点滴して、濃くなった血液を薄めたところ、3日目に意識が戻りました。

 意識が普通になったところで尋ねると、直近の数日間のことは何も覚えていないとのことでした。つまり、苦痛を全く感じていなかったということになります。

 もし、あのまま手当をしなければ、何の苦痛も感じないままあの世に移行していたということになります。

 それから死に際になると、呼吸状態も悪くなります。呼吸というのは、空気中の酸素をとり入れて、体内にできた炭酸ガスを放出することです。これが充分にできなくなるということは、一つには酸素不足、酸欠状態になること、もう一つは炭酸ガスが排出されずに体内に溜まることを意味します。

 酸欠状態では、前述のように脳内にモルヒネ様物質が分泌されるといわれています。柔道に絞め技というのがありますが、あれで落とされた人は、異口同音に気持ちよかったといっています。酸欠状態ではモルヒネ様物質が出ている証拠だと思います。

 一方、炭酸ガスには麻酔作用があり、これも死の苦しみを防いでくれています。

 このように、死というのは自然の営みですから、そんなに苛酷ではないのです。痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行することだと思うのです。

 年寄りの“老衰死”には、このような特権が与えられているのです。
 だから、無理をして傍についている必要はありません。大声で呼びかけたり、身体をゆすったり、手を握っているなど無用です。たとえ傍にいたとしても、何もせずに、じっと見守るだけで充分。“そっとしておく”のが一番の思いやりです。

 “看取る”とは“見とる”ことなのです。

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訪日旅行が中国人の反日意識を変える、ダイヤモンドオンライン
日本と向き合おうとする上海市民たち

姫田小夏 [ジャーナリスト] 【第169回】 2014年12月29日

 上海では「論じても結論の出ない日中間の政治問題」を割り切る傾向が強い。政治関係に拘泥していてはチャンスを失うと見切りをつけたのか、上海市民は日本と向き合う積極姿勢に転じている。

 11月、筆者はある上海庶民の自宅を訪ねた。この初老の女性は開口一番「東京の宿はどこが安いだろうか」と乗り出してきた。彼女の関心はもっぱら「訪日旅行」にあった。

 息子が日本を訪れた。聞けば日本はいいところだという。今度は一家で東京に行こうということになった。行ってみたいのは日本の農村だ――などその訪日計画を打ち明けた。

 しかし、この一家はもともと日本が好きではなかった。かつて、「一度日本に遊びに来て」と誘ったことがあったが、「とんでもない」と真顔で答えた。「行けば中国人はバカにされる。政治関係も悪いからきっといじめられる」というのが理由だった。

彼女もまた心のどこかで「日本人は怖い」と思い込んでいたのだろう。だが、それも仕方のないことだった。なぜならば、彼女の耳にはその手の情報しか入ってこないからだ。

 昼はラジオを聴き、夕方は「新民晩報」に目を通す。日本の情報は政治・外交を除けばほとんどなく、この2年余りはネガティブな報道が続いた。インターネット上ではブロガーの発信もあるが、デジタル世代でないためアクセスはできない。

情報そのものが共産党政府により操作されるのがごく普通の世の中、そんな環境で「日本の本当の姿」など彼女たちは知る由もなかった。だが、息子の日本への渡航が「知られざる日本」を彼女にもたらした。

 訪日旅行から帰国した息子は、興奮気味に個人旅行で訪れた日本体験を両親に話して聞かせた。恐らく自分の眼で見た日本・日本人は、中国国内の報道とは相当かけ離れていたのだろう。その話しぶりに、60代の初老の夫婦は「今度は私たちも行ってみようか」と、態度を180度転換させたのだった。

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「日本人が生み出した製品」!中国メディアが「苦労・努力・工夫の物語」を紹介
こんなとこにも「日本人が生み出した製品」!
2014-12-22 06:06

 中国のニュースサイト「瓜遊控」は17日、「日本人はなぜ、透明な雨傘を好むのか?」と題する記事を紹介した。同記事は、ビニール傘を開発したことで知られるホワイトローズ(本社・東京都台東区)9代目社長の須藤三男氏が、さまざまな困難に直面しても工夫と努力で乗り越えた「半生記」であり、日本人が生み出したビニール傘が世界に受け入れられるまでの紆余曲折の「サクセス・ストーリー」だ。

 記事はまず、ホワイトローズについて、今の社名は洋風だが、創業は1721年で、雨具製造の専門業者になったのは1825年と「悠久の歴史を持つ会社」と紹介。

 次いで、第二次世界大戦期には須藤三男氏がすでに社長だったが、従軍させられ、敗戦後は酷寒のシベリアで奴隷的な強制労働に従事させられたことを伝えた。

 中国では、旧日本軍兵は徴兵により従軍させられた場合でも、悪逆非道を尽くした極悪人のようにみなされる場合が多いが、記事は須藤氏の従軍については事実を並べただけで、むしろ「奴隷的な強制労働」、「1949年になりやっと釈放されて戻ってきたが、社長がずっと不在だったため、会社は業績不振で破産直前の状態だった」と、同情的にあつかった。

 記事は次に、「当時の傘は布製で、濡れた際の色落ちが問題だった。衣服に傘の色が移ってしまうこともあった」と紹介。さらに、商売を立て直すために新機軸がほしいと懸命に考え続けていた須藤氏の頭に、米軍が使っていたビニール製のテーブルクロスで傘袋を作るとという「霊感」がひらめいたと記した。

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14年の出生数100万1千人 大台割れ目前、自然減最大、共同通信
2015/01/01 05:00

 2014年に生まれた赤ちゃんは100万1千人とみられ、過去最少だったとする人口動態統計の年間推計を厚生労働省が31日、公表した。亡くなった人は126万9千人、死亡数から出生数を引いた人口の自然減は26万8千人で、減少幅は過去最大。

 出生数は100万人の大台割れ目前だが、千人程度の誤差も想定され、15年6月公表予定の人口動態統計(概数)では出生数が大台割れとなる可能性もある。厚労省は「出産世代の女性人口が減っている」とし、今後も少子化が進むのは避けられないとみている。

 14年に結婚したカップルは13年から約1万2千組減の64万9千組で、戦後最少。
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1946年(昭和21年)の今日、天皇陛下が私は神様ではなく人間ですと宣言された。
新日本建設に関する詔書

1946(昭和21)年1月1日

茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、

1.廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
1.上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
1.官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
1.舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
1.知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、舊來ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民擧ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豐カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ圖リ、新日本ヲ建設スベシ。

大小都市ノ蒙リタル戰禍、罹災者ノ難苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ眞ニ心ヲ痛マシムルモノナリ。然リト雖モ、我國民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、旦徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、獨リ我國ノミナラズ全人類ノ爲ニ輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。

夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ガ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ致スベキノ秋ナリ。

惟フニ長キニ亘レル戰爭ノ敗北ニ終リタル結果、我國民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ヲ長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、爲ニ思想混亂ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
 
然レドモ朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、當ニ利害ヲ同ジクシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ組帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ。

朕ノ政府ハ國民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ爲、アラユル施策ト經營トニ萬全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我國民ガ時難ニ蹶起シ、當面ノ困苦克服ノ爲ニ、又産業及文運振興ノ爲ニ勇徃センコトヲ希念ス。我國民ガ其ノ公民生活ニ於テ團結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ能ク我至高ノ傳統ニ恥ヂザル眞價ヲ發揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ實ニ我國民ガ人類ノ福祉ト向上トノ爲、絶大ナル貢獻ヲ爲ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ。朕ハ朕ノ信頼スル國民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ自ラ奮ヒ自ラ勵マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
 
御名御璽

  昭和二十一年一月一日






1946(昭和21)年1月1日に発せられた詔書のなかで昭和天皇は、天皇を現御神(アキツミカミ)とするのは架空の観念であると述べ、自らの神性を否定した。

これは、後に、天皇の地位に根本的な変更がもたらされる布石ともなった。

同日、マッカーサーはこの詔書に対する声明を発表し、天皇が日本国民の民主化に指導的役割を果たしたと高く評価した。

今となれば、まさか天皇陛下を神様にするなんてと思うが、当時は真面目に天皇を神に祭り上げるという洗脳が平然と国を上げて行われた。

 天皇様は人間やのうて神様なんやて!、そんなアホな、と思う人も当然いたが、口に出してそれを言ったことが特高や憲兵の耳に入ると、非国民として拘束され、厳しい訊問や拷問を受けて牢屋にぶちこまれた。

 現在の北朝鮮はこの時代の日本の国民コントロールのすべを、自国で忠実に模倣しているようだ。

 当時の新聞・雑誌もお上の指示と検閲を受けて、天皇は人間ではなく天上から降下された神様であるという記事を日々流していた。

今の大手新聞テレビはお上の指示に忠実に従う伝統をしっかり受け継いで、原子力ペンタゴン旦那衆の指示通り、放射能を恐れて福島県から避難する人たちを、非国民と呼ぶように仕向けている。
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60年代、親米派も監視 米陸軍CIC、琉球の共産化警戒、琉球新報
2015年1月1日

(左から)儀間昇さん、西岡康成スタンリーさん

 沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成されるなど復帰運動が高揚した1960年代の沖縄で、反米的な活動を防ぐため、政治活動や大衆運動に関わる住民を監視対象にして諜報活動(防諜(ぼうちょう))などをしていた米陸軍対敵諜報隊(CIC)の実態について、元所属兵らが琉球新報の取材に応じ、当時の詳細な活動を初めて証言した。

応じたのは沖縄に駐留していたCIC526分遣隊の元米兵、西岡康成スタンリーさん(88)=ハワイ州=と儀間昇さん(87)=宜野湾市=の2人。

西岡さんは「(米軍が共産主義とみなした)人民党だけでなく、親米的な政党や企業も総ざらいに資金の流れなどを調べた」と答え、当時の米軍が反米活動家だけでなく住民全体に疑いの目を向け、監視対策していたことを明らかにした。

 尾行や尋問を受けたという監視対象者の証言は報道などで知られるが、防諜活動に携わった当事者の実名の証言はほとんどない。

 2人は共にハワイ移民の2世で、当時は1等軍曹。西岡さんは62~66年、儀間さんは58~64年、沖縄に駐留した。62年のキューバ危機で東西冷戦の緊張が高まった一方、沖縄では米軍が沖縄と日本の隔離政策などを徹底した時期だった。


証言によると、CIC526分遣隊は約30人が所属し、うち防諜活動に当たるエージェント(諜報員)は約15人で本島内を中心に活動した。諜報員は政治や経済、労働組合など情報収集の対象で各班に分かれた。

 西岡さんも諜報員として政治、経済を担当。「(国場組創業者の)国場幸太郎さんや当時の那覇市長だった西銘順治さんと親交を持った」と証言した。監視対象者の尋問もしたという。

 政党の資金源を確認するため政党の収支、政治資金も調べた。「表向きは親米的でも、裏で人民党の協力者であることも想定し、銀行口座や税務署などで調べた。公的資金が共産主義へ流れることも警戒し、公共事業の受注企業も対象だった」と明かした。

 本部は60年代、当時の在那覇米国領事館(現在の陸上自衛隊那覇駐屯地内)の近くにあった。西岡さんと渉外官の儀間さんは那覇市東町の事務所を拠点に活動。西岡さんは「任務は治安を守るためだ。住民をいたずらに処罰することはなかった」と語った。

 県文化振興会の仲本和彦公文書主任専門員は「米軍統治下時代の沖縄に関する米軍の公文書で、直接行動していた諜報員の名前は記されていない。彼らの身を守れないとオペレーション自体が成り立たなくなるからだ。実名の証言は貴重だ」と語った。(島袋貞治、梅田正覚、島袋良太)
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あり得ない数字、河野太郎のブログから。
2014年12月29日 20:30

電力会社による事実上の再生可能エネルギーの買取拒否を受けて、経産省が対応策なるものを出してきた。

この対応策そのものがいい加減で話にならないのだが、対応策の前提として、経産省と電力会社が出してきた「再生可能エネルギーの受け入れ量」なる概念がめちゃくちゃだ。

少なくとも再生可能エネルギーの導入が進んでいるヨーロッパや北米で、人工的な「受け入れ可能量」なる考え方はない。

ヨーロッパや北米では自然エネルギーによる優先的な給電が行われる。そして、もちろん、再生可能エネルギーの導入が進んでいるので供給が需要を追い越せば、出力抑制はおこなわれる。

しかし、365日24時間のなかで出力抑制が行われた時間の割合は、スペインで0.46%(2010年)、イタリア1.24%(2012年)、イギリス1.6%(2013年)にすぎない。

ヨーロッパは相互につながっているから融通しあえるのだという人もいるが、スペイン、イタリア、フランスの発電量の合計が日本全体と同じぐらいの大きさであることを考えると、日本の電力各社も相互に相当融通しあえることになる。

自民党のエネルギー政策議連でイギリスから招いた専門家は、ヨーロッパよりも再生可能エネルギーの導入が遅れている日本で、物理的な受け入れの制約は起きるはずがなく、受け入れに問題が起きるのは制度からくるものだと論理的に説明していた。

今回の受け入れ量は、「ベースロード」と称する原発や地熱をフルに利用し、その残りに「ベースロードではない」再生可能エネルギーを受け入れ、差分を火力発電で調整するという前提で、再生可能エネルギーを受け入れることができる量だという。

そのベースロードである原発は、老朽原発を含め全ての原発を最大限に稼働させるという前提だ。

自民党の公約である「原発依存度を可能な限り低減させる」とそもそも考え方が食い違っている。

しかも2021年度までは完成しない大間原発や再稼働は難しい日本原電の東海第二まで計算に算入されている。東北電力は、東京電力の柏崎刈羽の電力まで算入している。

それでいて、電力会社間の連系線の利用は無視されている。

太陽光や風力の発電量は、過去の実績値でも何でもない想定出力を使い、過大に想定されている。

やはり電力改革をきっちりと推し進めなければ。自民党のエネルギー資源調査会やその傘下の再生可能エネルギー小委員会の幹部会でもこのままの受け入れはできないという結論に達している。

年明けに、きっちりと自民党案が議論されることになる。

引用元
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ベネッセはどこで間違えた?、ダイヤモンドオンライン
なぜ、ホンダフィットはリコールを5回も繰り返した? 
――2014年、日本企業で起きた不祥事の背景を探る
ダイヤモンド・オンライン編集部 【第1回】 2014年12月29日

一部引用・・

内部者の不正から企業を
どうやって守るか?

 そして、今年を代表する不祥事と言ってもいいのがベネッセ・コーポレーションの情報流出事件だ。ダイヤモンド・オンラインでもこの問題をさまざまな角度から取り上げた。

 内部不正のに対するセキュリティシステムの甘さや、重要情報を扱う社員の待遇の悪さが不正を助長するという意見、さらに流失発覚後の企業の対策や広報対応の悪さなど、多くの専門家が意見を寄せた。(『ベネッセは本当に他人事か?企業を出し抜く新たな情報漏洩の手口と裏側』『ベネッセ事件の対応はどこで間違えた?法的対策と広報対策の要点はここだ』)

ベネッセから全国の顧客に送られた「個人情報漏洩についてのお詫び」

 ベネッセが情報流出を最初に発表したのは7月9日。この時発表された流出件数は2070万件だったが、最終的に事件発生は6月27日、流出は推計約2895万件としている。

 犯人は業務委託先企業のもと社員で、スマホにコピーして持ち出した全国規模の子どもとその家族の「ビッグデータ」は「名簿屋」に売却されたが、この業界では前代未聞の量と質だったため、またたくまに多くの業者へコピペ転売された。ベネッセでは今も、流出データを追跡してそのデータを使うダイレクトメール事業者へ、利用停止を申し入れている。

 同社の2015年3月期の最終利益は、情報が漏えいした顧客への「お詫びの品」(500円相当の金券または電子マネー)の費用260億円を特別損失として計上するなどため、上場後初めて最終赤字に転落する見込みだ。

 ベネッセ事件について、連載【組織の病気~成長を止める真犯人~】の著者である秋山進氏は、「事件当初、原田泳幸新社長は、犯人が業務委託先の社員だったことから『ベネッセは被害者』というスタンスでした。

しかしこれが世論の猛反発を招きました。その後も流出被害者宅へ送った『お詫び』の文面がかなりわかりづらく、さらに、謝罪として用意された500円分の金券を選択する以外に、『ベネッセこども基金』なる急ごしらえの一般財団にお金が行く仕組みを作り、これが世間から不審がられるなど、社会とのコミュニケーションミスを連発して信頼をさらに落とす結果になりました」と、事件発覚後の対応のまずさを指摘する。

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