2016年10月16日日曜日

福島原発事故が起きて3年経過した2014年10月16日から10月20日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事 その1

2014年10月20日(月)
再稼働の話をすると福島事故の検証が後回しになってしまう,BLOGOS
BLOGOS編集部2014年10月16日 18:28

「再稼働の話をすると福島事故の検証が後回しになってしまう」泉田裕彦・新潟県知事が会見

 「原発立地県の首長」として積極的な言動が目立つ新潟県の泉田裕彦知事が10月15日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見をおこない、原発の新しい規制基準について、住民の安全を十分に確保できるものになっていないと指摘した。

また、新潟県内に立地する柏崎刈羽原発については「再稼働の議論をする段階にない」との認識を示した。(取材・高橋洸佑)


日本の規制基準は「世界最高水準ではない」
会見で泉田知事は、原子力規制委員会が策定した新しい規制基準について「福島事故の検証・総括がなされていない中で作られていることに懸念がある」と述べた。

具体的な問題点として、欧米では設けられているメルトダウンへの対策が日本では求められていないことや、事故が起きた際に高線量下で誰がどのように作業するのかという運用面でのルールが十分でないことなどを指摘した。

また、事故が起きた際の安定ヨウ素剤の配布について、原子力規制委員会が5キロから30キロ圏内の住民を対象にしていることに言及。「柏崎刈羽の場合は44万人の人がいる。すべてを配ることは難しい」と指摘し、「指針が不可能を求めている」と話した。

そのうえで、原子力規制委員会の田中俊一委員長が「世界で最も厳しいレベル」だと胸を張る日本の規制基準について、「IAEAの深層防護の基準の第5層がそっくり抜けていたりする。世界最高水準の規制ではないと考えている」と断じた。

問題に口をつぐむのは「歴史に対する冒涜」

また、原発再稼働の是非に関して記者から問われると、「新潟県知事という立場上、日本全体として、どうするのかということを答える立場にはない」と回答。そのうえで、新潟県にある柏崎刈羽原発の再稼働に関して、次のように答えた。

「再稼働の話をすると福島事故の検証が後回しになってしまうことを懸念している。東京電力はメルトダウンを2か月以上隠し通した。メルトダウンという大変重要な情報を隠す組織が原子力安全上、原発を運転する資格があるのかどうか。この議論が先にあるべきだ」

このように「再稼働の議論をする段階にない」という認識を示した泉田知事は、他の原発立地自治体の首長に比べ、積極的な発言が目立つ。

この点について記者から質問が飛ぶと、「私自身、地震に伴う原発火災を経験している。それから3.11の原発事故の模様を日本政府・福島県と並んで東京電力からヒアリングをしながら、事故を同時進行的に経験した。そういうことから何が起こるかをイメージすることができる」と述べ、2007年に起きた新潟県中越沖地震のときの経験が背景にあることを明かした。

2007年の中越沖地震が起きた際、柏崎刈羽原発はホットラインのある部屋のドアが地震で歪んでしまい、県庁と柏崎刈羽原発が直接連絡することができなくなったという。

この教訓から新潟県は「免震重要棟」の建設を提言。福島第一原発の免震重要棟が完成したのは東日本大震災のわずか8か月前だった。泉田知事はその経験を踏まえて次のように話した。

「もしあのとき、新潟県が求めなければ、福島に免震重要棟はなかったし、いま東京に人が住めていたかどうかも疑わしい」「私自身は、2007年の中越地震のときに問題だったところを直したことが、結果として、日本のためになったと確信している。

問題があるところに口をつぐむのは歴史に対する冒涜ではないか」

引用元
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / 東日本大震災・原子力発電所 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3079/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

川内の「帰村率」56% 若年層への環境整備が課題、福島民友
(2014年10月19日 福島民友ニュース)

 川内村は18日までに、1日現在の帰村状況をまとめた。避難先から村内に生活の拠点を戻した村民の割合は9月1日現在に比べ2.4ポイント増え、約56%となった。村内生活者のうち、65歳以上の帰村率は7割を超える一方、65歳未満は3割を下回っており、若年層の帰村に向けた環境整備が課題となっている。

 村人口は2758人で村内の生活者は1543人。また、避難先の仮設住宅や借り上げ住宅を返却した帰村者は516人だった。避難者の内訳は、最も多い郡山市が1170人で、いわき市369人、田村市131人と続いている。その他の県内市町村が289人で、県外は219人だった。
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原子力発電所 / 新聞・テレビのネットサイトから |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3078/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

九州川内原発、途中で質疑打ち切り
質疑打ち切りに反発/(上)住民説明 内容限定不安消えず/再稼働の行方・九州川内原発ルポ

2014年10月20日月曜日 河北新報

川内原発の安全審査に関する住民説明会。会場では安全性への不安の声が相次いだ=9日、鹿児島県薩摩川内市


 鹿児島県薩摩川内市にある九州電力川内原発が国の新規制基準適合性審査(安全審査)に合格し、国内第1号となる再稼働に向けた手続きが着々と進む。福島の事故で増幅された地域の不信と不安に、自治体はどう向き合おうとしているのか。住民説明会が開かれた現地を訪れ、東北での課題を探った。(原子力問題取材班)

<「何のため」>

 1時間の質疑を終えて残ったのは反発と不満だった。
 薩摩川内市で9日夜にあった住民説明会。「何のために開催したのか。もっと丁寧に市民の声を聞くべきだ」。

終了後、原発から12キロの地域で自治会長を務める川畑清明さん(58)が吐き捨てるように言った。

 説明会は再稼働への同意、不同意の判断を迫られる県と市が共催した。地元住民への説明は法的に定められていないものの、理解促進を目的に独自に企画された。

 2013年7月施行の原発新規制基準は、自然災害やテロの対策、放射性物質の拡散防止を求めている。福島の事故を踏まえて基準が厳格化されたとはいえ、住民の不安解消は容易ではない。

 「絶対安全には到達できない。できるだけリスクを抑える審査をした」。原子力規制庁担当者の発言に、満席の会場がざわめく一幕もあった。

 質問に立った女性の一人は「福島の事故が収束しておらず、説明に説得力があると思っているのか」と詰め寄った。

 住民が原発再稼働と向き合う貴重な機会のはずが、質疑は途中で打ち切られた。内容は原則、審査結果に関するものに絞られた。避難計画や地元同意の範囲など、住民の関心が高い事項は受け付けられなかった。

 開催は原発30キロ圏を含む5市町で各1回限り。薩摩川内市の場合、出席できたのは約1000人。全人口の1%にとどまった。

<市長は評価>

 十分な対話が尽くされたとは言い難いものの、行政サイドは再稼働に向けた地元手続きを着々と進めている。川内原発をめぐる焦点は、既に首長や地方議会の判断に移ろうとしている。

 一夜明けた10日、記者会見した岩切秀雄市長は「規制庁は細かく説明してくれた」と評価。次は「市議会の意向を聞く」と語り、住民説明会の追加開催は否定した。

 現在、東北電力の女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)と東通原発1号機(青森県東通村)も安全審査を受けている。基準を満たしていると判断されれば、地域で原発の是非をめぐる議論が再燃するのは必至だ。

 先行する鹿児島の動向は参考事例となる。深刻な原発災害が今も続く中、どんな対応が東北で求められるのか。より丁寧な住民説明が欠かせないのは明らかだ。

 立地自治体となる宮城県の担当者は「(放射性物質の飛散など)福島の事故の影響が及んでいる。手続きを慎重に検討したい」と話している。

[川内原発]加圧水型軽水炉(PWR)の1号機が1984年、2号機が85年に営業運転を開始した。出力はともに89万キロワット。東日本大震災後、2011年9月までに2基とも運転を中止した。運営する九州電力は13年7月、原子力規制委に適合性審査を申請。ことし9月に全国で初めて適合が認められた。
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原子力発電所 / 新聞・テレビのネットサイトから |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3077/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

「深刻汚染」でもマラソン 北京で強行 棄権者続出、東京新聞
2014年10月20日 朝刊

 深刻な大気汚染でかすむ北京の天安門。北京国際マラソンが行われ大勢の参加者が走り抜けた=19日(共同)

 【北京=新貝憲弘】毎年恒例の北京国際マラソンが十九日、北京市内で開催されたが、重度の大気汚染にもかかわらず強行したため「いったい健康のためなのか、無鉄砲なだけなのか」と批判が出ている。

 北京では十八日から大気汚染がひどくなり、大会が始まった十九日午前には微小粒子状物質「PM2・5」濃度が日本の環境基準の十倍ほどと、中国の基準でも最もひどい「深刻汚染」状態となった。

中国メディアによると、大会には約三万人が登録したが、棄権者が相次いだほか、なかには防毒マスク姿で走る人も。ネット上では参加者たちを「空気清浄機」と見立てて皮肉る書き込みもあった。

 主催者は、参加者の半数近くが海外を含めた北京以外のため延期は難しいと説明。

ただ参加時の注意として出された「できるだけ鼻呼吸で」との通知は、非現実的な対応としてネットで笑いものにされた
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビのネットサイトから / 中韓との関係 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3076/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

「エボラ熱見誤った」 WHO、初動失敗と猛省
2014年10月19日 東京新聞朝刊

【ワシントン=共同】世界保健機関(WHO)は、エボラ出血熱対策について「関与したほぼ全員が(流行拡大の)簡単な予兆を見誤った」などと指摘し、

無能な職員や官僚的な組織体質から初動に失敗して感染拡大を食い止められなかったと猛省する内部文書をまとめた。米AP通信が報じた。 

 APによると、文書は、医療システムが機能していない西アフリカのような地域では、伝統的な感染症の封じ込め対策は通用しないことをWHOの専門家は当初から認識すべきだったと指摘。

 アフリカ各国にある出先事務所のトップは、地域を統括するアフリカ地域事務局長による「政治的な動機」で人選されており、地域事務局長とWHO本体のチャン事務局長との意思疎通もないとした。

 エボラ熱ウイルスの発見者の一人である外部の専門家はAPにアフリカのWHO事務所は「何もしておらず、全く無能だ」と一蹴。今年7月には緊急事態を宣言し、兵員の派遣などをするべきだったと批判した。
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビのネットサイトから / 世界各国 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3071/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

エボラ出血熱に関する三つの記事

エボラ出血熱、スペインとフランスで拡大か

エボラ出血熱:「アフリカ」を一括りにするなかれ

まるでゾンビのように…「エボラ出血熱」報道されない恐怖のディテール
 
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3070/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

禅の悟りと関係する? 「幸せ脳」

脳卒中を克服した脳科学者が教えてくれた、"幸せ脳"の作り方
2014年10月16日 17時03分 JST

脳科学者としてハーバード大学の第一線で活躍していた37歳の時、ジル・ボルト・テイラー博士は脳卒中に襲われ、左脳の機能を失ってしまいました。

歩くことも読むことも書くこともできず、自分が歩んできた人生のことさえ記憶から失われてしまい、身体機能と思考能力が完全に回復するまで8年を要しました。

まさに"奇跡の回復"を遂げたテイラー博士ですが、興味深いのが、脳卒中を起こし、助けを求めようと電話をするまでの4時間、自分が何をすればいいのか分からなくなってしまったり、文字や音声が認識できなくなるなど、左脳の機能が失われつつあった時に起きた不思議な現象。

そんな異変が起きた時、人間は自然とパニックに陥りそこから抜け出せなくなるのでは、と想像しますが、博士は全てのストレスから解放され、平穏な幸福感に満たされたと言います。

一体なぜこのようなことが起こったのでしょうか。そこには、左脳と右脳の機能の働きが大きく関係していました。

左脳には言語中枢や論理的な思考を司る機能、右脳には感性・感覚を司る機能があります。左脳の力をフルに活かし、医学会でエリートとして生きてきたであろうテイラー博士、競争やプレッシャーの多い環境で、相当強いストレスを受けながら日々過ごしていたはずです。

でも脳卒中を起こし、一時的に右脳が左脳から解き放たれた時、自分の周りにあった境界線がなくなり、宇宙との一体感、静かで平和で解放された幸福感、過去も未来もなく、「今、ここ」の感覚、そういったものを全身で感じたそう。

テイラー博士が教えてくれたのは、私たちには皆このような平穏な幸せを感じる力があるということ。でも「ああしなければいけない」「こうしなければいけない」とコントロールする左脳が優位に立ってしまった時、その幸福感はブロックされてしまうのだとか。

だからと言って、決して右脳がよい、左脳が悪い、というわけではありません。左脳には言語、計算、分類、区別、分析、 判断、記憶など様々な機能があり、私たちが常識や社会のルール、仕組みなどを理解して生活するために大切な役目を果たします。でも時に左脳は私たちの心にちょっとしたトリックを使います。

なんと左脳には言語中枢に「物語」を作る部分があり、外の世界を理解しようと最小限の情報を使って勝手に物語を作ってしまうのだとか! この「物語」を他の言葉で表すなら、「思考パターン」や「思い込み」がそれにあたるかもしれません。

テイラー博士は著書『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき』の中で、実際に自身の回復の過程でどのように「物語」が作られたのか、こう説明しています。

続きを読む
 
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3075/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

大新聞の記者に取材力はなくなった
小渕氏政治団体報道に見る「取材力」の低下

 小渕優子氏の政治団体関連報道を見ながら、それが新聞だろうがテレビだろうが、フリーのジャーナリストの方であろうが、「取材力」という点で政治報道の質が落ちていることを実感する。

例として、読売新聞さんの本日の配信記事を貼り、引用する。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141018-00050007-yom-pol

⇒実費が当たり前、どうして差額が・・首ひねる議員
読売新聞 10月18日(土)9時16分配信

 国会議員の後援会などの政治団体が、支持者を対象に国会見学などのためのツアーを企画すること自体は珍しくない。「うち解けた雰囲気で議員の人柄を知ってもらえる」(自民党議員秘書)といった狙いがある。ただ、参加者から費用に見合った会費を徴収するのが通例だ。

 自民党の中堅衆院議員の秘書は「国会見学ツアーは旅行会社に任せており、後援会は支持者から代金を集めて旅行会社に渡すだけだ」と話す。このため、収支が食い違うことはないという。また、同党参院議員の秘書は「旅行会社を通さずに後援会で1000人規模のツアーの面倒を見るというのは考えにくい」と指摘する。

 閣僚経験のある民主党衆院議員の後援会の政治資金収支報告書では、支持者からの国会見学ツアー参加費収入が396万円計上され、旅行会社に支払った「国会見学旅行代金」391万円とほぼ同額だった。この議員は「実費負担が当たり前で、小渕氏の場合はどうして巨額の差額が出るのか不思議だ」と首をひねっていた。
・・・・・・・引用以上。

前のブログで書いた通り、ちょっと取材をしたならば「首をひねる」どころか、ある種政治の世界ではありがちなこととされていることがわかるはずだ。

続きを読む
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / メディア・ジャーナリズム |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3073/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

香港市民の動き、アメリカの一つの見方
香港市民の反抗、中国共産党の困惑

英国統治下との明確な違い

イアン・ブルマ :米バード大学教授/ジャーナリスト 2014年10月19日

香港では何万人もの人々が民主的権利を要求し、催涙ガスの充満するセントラル(中環)地区の道路を「占拠」している。

中国政府は香港市民に対し、2017年の行政長官選挙は自由選挙だと約束していた。ところが実際には、候補者になるためには、選挙によらずに選ばれた親中国派の指名委員会による慎重な審査が前提で、香港市民には選択肢がない。「親中国派」、つまり共産党寄りの人物にしか、候補者となる資格が与えられない。

中国の指導者たちが香港の反抗になぜ困惑するのかは、何とか理解できる。香港が英国の植民地であった当時、香港総督は英国が一方的に任命したが、誰もこれに抗議しなかった。

植民地時代は政治に口を挟まなかった

実際に植民地時代の香港人たちは、安全で秩序の保たれた環境で物質的繁栄を追求するのと引き換えに、政治に口を挟まないことで納得していた。この姿勢は、現在の中国で教育を受けた階層が共産党支配を甘受する姿勢と違わない。

しかし、英国統治下の香港と、中国支配下にある現在の香港との間には著しい違いがある。香港は民主制を経験していないが、英国統治下では報道の自由、誠実な政府、司法権の独立が存在した。

ほとんどの香港市民にとって、香港が1997年に英国から中国へ主権移譲されるシナリオは、満足できる取り決めではなかった。しかし実際に香港の政治に火をつけたきっかけは、89年の天安門事件だった。

香港では大規模なデモが行われ、その後も毎年6月には、天安門事件を記念する大規模な行事が催されている。中国のほかの地域では抑圧され薄れかけている記憶が、香港では今も健在だ。

当時の人々は、香港が中国の支配下に置かれれば、自由を守る制度を保証するのは真の民主制だけだと認識していた。

続きを読む
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / 中韓との関係 / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3072/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

東京大行進 2014 呼びかけ 動画
2014年10月20日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3068/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

2014年10月19日(日)
千葉県松戸市出身の和田豊監督、おめでとうございます。

千葉県松戸市出身の和田豊さん、巨人を倒してのクライマックスシリーズ優勝おめでとうございます。

 松戸は13年間、南柏と取手から神田への通勤時に常磐線でなじんだ街です。

そして取手に移ってからは和田さんが卒業した我孫子高校の我孫子も毎日通勤時に電車が停まった駅です。

あの常磐線沿線は甲子園のある阪神間とは風土人情は異国に近いほど違います。その下総の国から摂津の国へ移って阪神球団一筋に30年。

ボケとツッコミの関西の普通の会話はついに身につかず、関西のメディアの受けはいいとは言えないけれど、寡黙で飾らず偉ぶらずプレーヤーと等身大の闘将として戦ってきた。

 元の常磐線沿線仲間として心からお祝い申し上げます。

Wikipediaから部分引用。

和田豊

阪神タイガース 監督

2012年8月17日、神宮球場にて

出身地 千葉県松戸市
生年月日 1962年9月2日(52歳)
身長  174 cm
体重 72 kg

プロ入り 1984年 ドラフト3位
初出場 1985年7月11日
最終出場 2001年10月1日

経歴
選手歴
千葉県立我孫子高等学校
日本大学
阪神タイガース (1985 - 2001)

和田 豊(わだ ゆたか、1962年9月2日 - )は、千葉県松戸市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。現役時代は阪神タイガースに所属し引退後は同チームのコーチを務めた。2012年シーズンよりタイガース監督に就任。

現役時代

松戸市立常盤平第一小学校、松戸市立常盤平中学校から進んだ我孫子高校では、1年生で夏の甲子園に出場。

日本大学へ進学。東都大学1部リーグ通算78試合出場、288打数94安打、打率.326、4本塁打、22打点。ベストナイン2回。1983年春季のリーグでは首位打者になる。

1984年のロサンゼルスオリンピック野球日本代表として出場し、金メダルを獲得した。この年、阪神タイガースにドラフト3位で指名され入団。同年限りで引退した藤田平の後継者として期待され、藤田がつけていた背番号6を与えられた。

1年目の1985年、山脇光治と入れ替わる形で一軍に昇格(プロ初打席は四球だった)。新人選手ながらチーム初の日本一達成に控え内野手として貢献した。1988年に就任した村山実監督より、大野久・中野佐資と共に“少年隊”と命名され、同年に遊撃手としてレギュラーに抜擢されると、当時の日本記録を更新する56犠打を記録した。

翌1989年にも最多犠打となり、小技と堅実な守備でチームの中心選手となった。1988年にはスイッチヒッターにも挑戦した。

1990年には、自身初の打率三割を記録。本塁打8本は生涯最高の本数となった。長打率も生涯唯一4割を超えた。また同年の三振わずか59個が生涯ワーストの数字ともなった。

当初、打順は2番が多かったが、勝負強く三振の少ない打撃を買われて徐々に1番に定着し、暗黒時代の阪神をチームリーダーとして引っ張った。守備にも定評があり、1992年から3年連続で二塁手としてゴールデングラブ賞を受賞した。

特に1992年は入団した年以来となるチームの優勝争いに貢献し、ベストナインにも選ばれた。芸術的な流し打ちや、追い込まれてからの勝負強さを武器に「安打製造機」として活躍し、通算1739安打を記録した。特に通算安打は、1993年にリーグ最多安打(当時はタイトルではない)となるなど、好守の内野手として活躍した。

一方、極端に長打の少ない打者として知られ、1991年から1993年まで、規定打席に達していながら3年連続で0本塁打であった。1994年5月25日の巨人8回戦(甲子園)で打った2点本塁打は1930打席ぶりに出たものであって、走者を置いての本塁打はプロ入り3673打席目で初めてだった。

1994年に自己最高の成績を残し首位打者争いにも加わり、シーズン終了後の契約更改で阪神の生え抜き選手としては初の1億円プレーヤーとなる。この年の打順は前半戦は1番、後半戦はロブ・ディアーの不振に伴い3番を任されていた。この年のシーズン147本単打は、それまでの1988年の新井宏昌の144本を上回ったが、同年オリックスのイチローが151本を記録した為、このシーズン終了時点はセ・リーグ新記録と日本プロ野球歴代2位となった[1]。

翌1995年は前年最終戦で自打球を足に当て骨折した影響から不振に陥り、関川浩一に1番を譲り2番を打つことが多くなった。 1996年は開幕スタメンを7番でスタートするが、5月下旬には1番に戻り成績も復調。11月に行われた日米野球にも出場。特に甲子園での試合では野茂英雄から三塁打を放ち5打点を挙げる活躍をみせた。

1997年はシーズン当初から好調を維持し、開幕からの連続安打としては日本記録となる24試合連続安打を放つ。しかし7月の対中日戦で死球を受け左手人差し指と中指を骨折、9月まで2か月間戦線を離脱する。 1998年には結膜炎にかかり、一時期眼鏡をかけて出場していた。

1999年に野村克也が阪神の監督に就任した際「監督が変わっても僕達は変わらない」と発言したため、初めてのミーティングの際に野村から「変わらないからチームが低迷したままなんだ」と叱責を受けた。

2001年に選手兼任で打撃コーチに就任。しかし選手との両立は困難であり、1988年以来続けていた開幕スタメンも途切れる。開幕から7月まで20打席以上ヒットの出ない日々が続き、初ヒットが出たのは7月11日であった。選手としては二度の二軍落ちを経験する一方、コーチとして一軍に帯同したため練習時間の確保ができず、特にビジターの球場ではそれが顕著であり感覚がずれないよう一般のバッティングセンターに通うこともあった。9月21日に現役引退を表明し[2]、10月1日が引退試合となる。

この年唯一のスタメンとなった試合で、右前ヒットと四球で二度出塁、二度ともホームを踏み最後まで自分の役割を果たす。この日が最後の指揮となった巨人の長嶋茂雄監督(同じ千葉県出身でもある)への花束贈呈式の後、和田の引退セレモニーが行われた。

スピーチの際、球団関係者・同僚への感謝の言葉に続き「…日本一の球場で、常によいコンディションで試合をさせていただいた、阪神園芸(甲子園のグラウンドや蔦の整備を担当する阪神電鉄の子会社)の皆さん。そして、いつも影で支えてくれた裏方の皆さん、マスコミ関係の皆さん…」という裏方への感謝の言葉が語られ、球場は一際大きな歓声に包まれていた。

続きを読む
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 忘れられない人 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3058/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

1994年(昭和19年)の今日、神風特別攻撃隊が編成された
神風編成 きょう70年 特攻の無念 語り継ぐ

2014年10月19日 東京新聞朝刊

予科練平和記念館で戦争体験を語る戸張礼記さん=茨城県阿見町で

 太平洋戦争終盤のフィリピンで、体当たり攻撃に若者の命を投じる神風(しんぷう)特別攻撃隊が編成されてから、十九日で七十年を迎える。各地の戦争記念館では、体験者らが「戦争を風化させない。後世に伝えなければ」と訴えている。 (土門哲雄)

 戸張礼記(とはりれいき)さん(85)=茨城県阿見町=は、二〇一〇年に開館した予科練平和記念館(阿見町)で、歴史調査委員として来館者に戦争体験を語っている。

「このまま死んでしまったら、家族や国の平和を願い、命を落とした先輩たちに申し訳ない。戦争体験を語り継がないと歴史から消えてしまう」と危機感を持ったからだ。

 一九四四年六月、十六歳で土浦海軍航空隊に飛行予科練習(予科練)生として入隊した。だが、飛行機に乗らないまま、翌年七月から青森県の海岸で、爆弾を抱えて戦車の下に潜り込む特攻作戦「土竜(もぐら)」の訓練を繰り返した。

「体を隠すため、砂浜に掘った『たこつぼ』が自分の墓穴になるのかと悲しくなった」と振り返る。

 終戦後は約四十年間、中学の理科教諭を務めたが、戦争体験を語る機会はなかった。退職後に語り始め「まず戦争の事実を知り、平和のためにどうすべきかを考えてほしい」と訴える。

 川野喜一さん(88)=大分市=は不動産業を営みながら、八八年に自宅の一部を改造して「予科練資料館」を開館。特攻隊員の遺影や遺品、文献などを公開し、体験を伝えている。

 四五年七月、千葉県の木更津基地で特攻隊に編入された。「最初から覚悟はできていた。日本が助かるために身を投げ出すことしか考えていなかった」

 八月十三日、特攻に行く先輩から「新しい服で死なせてくれ」と頼まれ、飛行服を交換した。十六日に出撃するはずだった川野さんは終戦で生き延びた。「死に損なった。戦友に後れを取った」と感じた。

 「戦友を慰霊し、国を平和な方向に導く仕事をすることが生き残った者の務め。もう二度と、戦争や特攻で命を落とすことがあってはいけない」と訴える。

 茨城県笠間市で陶芸ギャラリーを経営する金沢大介さん(44)=水戸市=は、地元有志が営む「筑波海軍航空隊記念館」の事務局長を務める。映画「永遠の0」のロケ現場となったことをきっかけに、解体の危機にある旧司令部庁舎を残せないかと考えた。県との協議で戦後七十年となる来年八月までは使用できる見込みだ。

 長女(14)の誕生時に妻を亡くしており、戦争での人の生死に強い関心を持った。遺族らからも話を聞き、「若い人たちに戦争や特攻を伝える場所にしたい」との思いを強めている。

◆各記念館の連絡先

 問い合わせは予科練平和記念館(茨城県阿見町)=029(891)3344、筑波海軍航空隊記念館(同県笠間市)=0296(73)5777。入館料は予科練平和記念館が一般500円、小中高生300円。筑波海軍航空隊記念館は一般500円、小中高生350円。いずれもホームページあり。予科練資料館(大分市)は入館無料で、詳細はホームページ参照。

神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい、かみかぜとくべつこうげきたい)は、大日本帝国海軍の航空機による特別攻撃隊である。

太平洋戦争の末期に資源・人材に困窮して追い詰められた大日本帝国海軍で、1944年10月20日大西瀧治郎海軍中将によって編成された艦船を目標とする航空機による特別攻撃隊であり、開始時こそ戦果を挙げたが、アメリカ軍の対策により一時的なものに終わり、戦局を覆すことはなかったが、1945年8月15日の終戦まで続けられた。最も有名な特別攻撃隊である。

「しんぷう」が正式な読み方であるが、訓読みの「かみかぜ」が定着する[1]。神風の名称は、一航艦首席参謀猪口力平中佐が郷里の道場「神風(しんぷう)流」から取ったものである[2]。「神風特攻隊」「神風」と略されるほか、アメリカなどでは特攻全般を含めて「カミカゼ」と称されることもある。

続きを読む

近代国の軍隊で歴史上初めて、兵士が自分の死と引き替えに敵船に当たって自爆攻撃をした。

特攻隊のゼロ戦が突っ込んで行った軍艦は全てアメリカ軍の艦艇だったが、今はそのことはあまり口に上ることはない。
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ほんの前にあったこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3069/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

詳細な空間放射線量計測の無人飛行船を公開 福島大、福島民報
福島大は17日、NTTデータ、イバラキ・エアポート・エンタープライズと共同で、国内で初めて開発した自動操縦の無人飛行船を報道陣に公開した。上空から空間放射線量を詳細に計測できる。

 飛行船は同大環境放射能研究所の渡辺明特任教授が考案。全長約15メートル、最大幅約5メートルの大きさで、バッテリーやガソリンエンジンにより約2時間の連続飛行ができる。予定したルートを自動で飛行し、地上から高さ1メートルの空間放線線量を計測する。

 従来のヘリコプターや航空機を使った計測に比べ、低空をゆっくりと飛行するため精度の高い観測ができる。船体に穴などが開いた際にもゆっくりと降下していく仕組みを採用し、重さは10キロ程度と住宅街などの上空を飛行する際の安全性も高い。

 飛行船は今後、これまで詳細な放射線量が観測されていなかった森林域の計測や、高線量地域からの放射性物質の飛散状況を分析するために活用する。
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原子力発電所 / 新聞・テレビのネットサイトから |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3059/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

SVCF通信第56号を発行しました、福島原発行動隊
こちら
 
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / 東日本大震災・原子力発電所 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3067/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

慰安婦問題:朝日報道 メディアで飛び交う「売国・国賊」、毎日新聞
10月17日 17時53分

 ◇田原総一朗さん「メディアが使うのまずい」 渡辺治さん「右翼が攻撃に使った用語」

 売国、国賊、国辱……。21世紀、平成ニッポンとは思えない言葉が飛び交っている。従軍慰安婦問題などを巡り、誤報記事を取り消した朝日新聞に浴びせられるこのフレーズ、インターネットの匿名掲示板などではなく今やメディアが乱発している。さすがにおかしくないか?

 外国人観光客も多い築地市場を望む朝日新聞東京本社(東京・築地)。ここで週2回、保守系団体による抗議集会が続いている。

 10日昼の集会に参加したのは十数人。植え込みに日の丸やプラカードを林立させ、朝日新聞不買を訴えるTシャツを着たメンバーが「『従軍慰安婦』は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」と記されたビラを配っていた。「こんなことは言いたくないが、朝日新聞は地獄に落ちろと言いたい!」。スピーカーを使った演説に、メンバーから「そうだっ」と合いの手が入る。

 向かいのブロックには国立がん研究センター中央病院がある。病院前でのスピーカーの音量は気になるが、その言葉遣いについて、もはや驚かない自分がいる。

 何せ、朝日新聞が記事を取り消した8月上旬から「朝日新聞 『売国のDNA』」(週刊文春9月4日号)、「中国共産党に国を売った」(同9月18日号)、「1億国民が報道被害者」(週刊新潮9月4日号)、「売国虚報32年」(同9月25日号)、「廃刊せよ! 消えぬ反日報道の大罪」(月刊誌「正論」10月号)、「言い逃れできぬ『慰安婦』国辱責任」(同11月号)……といった文字・記事が書店やら電車の中づり広告やらにあふれているのだ。

 例に挙げたのは、いずれも大手出版社や新聞社が発行する媒体だ。誤報は批判されて当然だが、このおどろおどろしい言葉遣いは何なのか。

 時に朝日新聞以上のバッシングを浴びてきたかもしれないジャーナリストに聞いてみた。討論番組の司会でおなじみ、田原総一朗さん(80)だ。

 「僕は朝日新聞を『売国奴』とは思いません。当然、彼らは日本を愛していますよ」とストレートに切り出した。

 「朝日が主張したのは戦時中の日本の軍隊は決して良くなかったんだ、ということです。その要因の一つに慰安婦問題があり、追及する過程で『吉田証言』を報じた。でもそれは虚偽だった。それは『売国』行為なのでしょうか」

自身も左派からは「体制の犬」、右派からは「売国奴」などと言われ続けてきたという。「一番すごかったのは靖国神社参拝問題かなあ。『A級戦犯がまつられている以上、首相参拝はダメだ』と言ったら、『田原は国賊だ』という視聴者からの電話やらファクスやらがじゃんじゃん来て。ま、あえて波風を立てるのがジャーナリストの仕事ですからねえ」

 自身への批判はさほど意に介する様子はないが、話題が朝日新聞批判に戻ると声色が沈んだ。

 「売国、国賊、ですか。本来、決してメディアや言論人が使ってはならない言葉です。視聴者からの批判と違って、メディアがこの言葉を安易に使うのはまずいな、と心配しています……」

 それはなぜか。

 「今起きているのは、戦後70年で初めてと言える、重大な社会現象と捉えるべきです」。日本政治史に詳しい一橋大名誉教授、渡辺治さん(67)を訪ねると、嘆息しながら想像以上に重い言葉が返ってきた。渡辺さんは、売国、国賊という言葉がこれほど“市民権”を得たのは、ごく最近だと見る。

 戦前でいえば、例えば1918年、シベリア出兵など当時の国策を批判した大阪朝日新聞を政府が弾圧し、さらに右翼が襲撃する事件(白虹事件)があった。この時、社長は右翼に縛られ、首に「国賊」と記された布を巻き付けられたが「右翼の活動家の世界でのことで、今の『朝日バッシング』のような社会的な広がりはなかった」という。

 なぜなら、戦前は新聞紙法や治安維持法などの言論弾圧法があり、政府が危険視する言論は国民の目に触れる前に封殺されたからだ。法律で取り締まれないリベラル派政治家に対し、右翼団体が使ったのが「売国」「国賊」という言葉で、現在のようにちまたに氾濫する言葉ではなかった。

 「状況が一変するのは30年代の満州事変以降、政府が国民を戦争に引っ張る時代です。政府は戦争に反対・批判する言論を容赦なく取り締まり、『非国民』『売国奴』というレッテルは、戦争に消極的な言論や言論人に向けられ、マスメディアをより積極的な戦争協力に駆り立てるために使われたのです」

 戦後、言論への弾圧法はなくなった。自民党政権も軍事力による海外進出は志向せず、安定的な高度成長を目指した。売国、国賊という言葉は、国策面で必要とされなかった。

続きを読む
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビのネットサイトから / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3065/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

1号機の建屋カバー解体、22日着手、TBSニュース 動画あり。
福島第一原発の事故で爆発した1号機を覆っている建屋カバーについて、東京電力は、今月22日から解体作業に着手することを決めました。

 1号機の建屋カバーは放射性物質が飛び散るのを防ぐために事故後に設置されたもので、使用済み核燃料をプールから取り出すため、昨年度中に解体される予定でした。

しかし、3号機のがれき撤去作業で放射性物質が飛び散ったことで、1号機のカバー解体についても懸念の声が上がり、計画が遅れていました。

 その後、東京電力は地元の自治体に対し、連絡体制を強化するなどの対策を説明し、了解を得たということです。

 今月22日からカバーの屋根に穴を開けて、放射性物質の飛散防止剤をまく作業に取り掛かり、安全を確認したうえで、来年3月から本格的にカバーの解体を始めるとしています。(16日00:07)
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原子力発電所 / 新聞・テレビのネットサイトから |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3064/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

日本で増加するヘイトスピーチの本質、The Economist
2014.10.02(木)
(英エコノミスト誌 2014年9月27日号)

厄介なことに排外的な辛辣な発言が増えている。

韓国色の強い大阪・鶴橋地区では昨年、14歳の日本人の少女が街頭に立ち、拡声器を通して韓国人・朝鮮人の大虐殺を呼び掛けた。

 在日コリアンが最も集中している地域の1つである東京の新大久保界隈では、多くの人が、街頭やインターネットで外国人排斥を訴える発言が近代では例のない域に達していると話している。人種差別主義者は「日本から出て行け」や「韓国人を殺せ、殺せ、殺せ」といったスローガンを繰り返している。

高まる排外感情、東京オリンピック控え対応が急務に

 これは日本の政治家やスピンドクターにとって恐らく初めて問題となりつつある(哀れな韓国・朝鮮人については言うまでもない)。2020年の東京オリンピック開催に向けてカウントダウンが始まっており、国会議員は外国人――特に韓国・朝鮮人――に対する暴言やあからさまなヘイトスピーチを封じ込める必要に迫られている。

 日本には、帰化していない在日コリアンがおよそ50万人いる。一部には過去20~30年の間に日本に渡った人もいるが、その多くは20世紀前半の日本の帝国時代に家族が移住してきた人たちだ。彼らは長い間、敵意の標的となってきた。1923年の関東大震災の後には、東京の住民たちが、水道に毒を混入させたとして朝鮮民族を虐殺した。

 いまのところ、暴言は暴力沙汰にまでは至っていない。攻撃を受けた人たちを擁護する日本人による対抗デモも起きている。だが、警察はこうした言葉の攻撃を前にして、受け身の姿勢を続けている。そして明らかに、こうした攻撃がいつか暴力に発展する恐れがある。

 そのため、政府は対応を講じる必要に迫られている。国連人権委員会は7月、人種差別を禁止する法律にヘイトスピーチを加えるよう日本に求めた。東京都の舛添要一知事は、オリンピック開催に先立って法律を成立させるよう安倍晋三首相に要請した。

 裁判所も動き始めた。7月に大阪の高等裁判所は人種差別を巡る裁判で、日本全国でヘイトスピーチの集会を先導している極右のグル―プ「在日特権を許さない市民の会(在特会)」に京都の朝鮮人学校に対する街宣活動について賠償金1200万円を支払うよう命じた一審判決を支持した。

 少なくとも、反米主義で日本の帝国主義の過去を郷愁する「一水会」という1つの右翼団体は、韓国・朝鮮人への人種差別を拒絶している。一水会の創設者である鈴木邦男氏は、これほど大きな排外感情は見たことがないと述べている。

続きを読む。
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / 中韓との関係 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3061/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

牛骨の放射性物質測定作業を公開 福島で飼育、蓄積調査、共同通信
東京電力福島第1原発の半径20キロ圏内で飼育の続く牛の健康状態を調べている「家畜と農地の管理研究会」が18日、青森県十和田市の北里大獣医学部で、牛の骨に含まれる放射性ストロンチウムの測定作業を報道陣に公開した。

 研究会は岩手大や北里大の研究者を中心に構成。ストロンチウムは動物の骨に蓄積しやすく、体内に長く残って影響を与える可能性があるため、原発周辺の牧草を食べた牛の調査に昨年から取り組んでいる。

 この日は牛の骨を焼いた粉末と、農地の汚染度合いを調べるため採取した土壌に、化学的な処理を加え、測定機器に入れる様子を見せた。

2014/10/18 17:46 【共同通信】
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原子力発電所 / 新聞・テレビのネットサイトから |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3060/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

証拠品窃盗 何のための改革だったのか 大阪府警「恥ずかしい」、産経WEST

 18日発覚した大阪府警曽根崎署の窃盗事件は、今春新設されたばかりの証拠品係の巡査長が証拠品の現金に手をつけていた。過去3年間、証拠品の紛失や捏造が相次ぎ、府警を挙げて適正な管理に努める中で起きており、府警幹部は「恥ずかしい。言語道断だ」と怒りをあらわにした。

 府警の証拠品の取り扱いをめぐっては、平成24年3月、福島署の警部=当時=が強盗強姦事件で押収したたばこの吸い殻が紛失しているのに気づき、無関係の吸い殻を捏造していた不祥事が発覚。25年6月には堺署で薬物事件の証拠品として保管中だった注射器がないことに気づいた警部補=当時=が、無関係の注射器を代用していたことが分かり、大きな問題となった。

 証拠品の適正な管理をめざし、府警は全署で総点検を実施。さらに今年4月、刑事課など各課で管理していた手法を改め、総務課に新設した証拠品係で一括管理する体制を整えていた。

 この「改革の象徴」ともいえる証拠品係に、今回の不祥事を起こした巡査長は所属していた。「高い倫理観を持って働いていたはずだった」。ある府警幹部はショックを隠さない。

 再発防止に向け、府警は証拠品の現金を保管する袋を密閉するなど新たな対策を検討する。しかし、どれだけ改革を重ねても、新たな制度を運用するのは一人ひとりの警察官。別の府警幹部は「不祥事の防止は個人の資質に頼る部分も大きい。普段から倫理観を高める努力を続けていくしかない」と本音をもらした。

 府警では証拠品係の新設後も、過去の不祥事が次々と明らかになっている。

 5月には、池田署で保管していた20年に起きた性犯罪事件の遺留物の紛失に気づいた男性警部補が、無関係の代用品を証拠として扱っていたことが判明。7月には、50代の男性警部補が8~24年にかけて、担当した事件の捜査書類など計3千点以上を自宅に隠し持っていたことが発覚した。
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビのネットサイトから / 可視化・裁判所・検察・警察 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3066/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

TPP問題。オバマ大統領に間もなく寄り切られる懸念が深まる
予断許さぬTPP情勢

一般には、年内の大筋合意はないと報じられるTPPだが、山田正彦氏は警鐘を鳴らし続けている。

先日も、山田氏すら持たれないと予想していた閣僚会議が、首席交渉官会合(19日から23日)に続き、10月25日から開かれる運びになったことから、重大な政治決断がなされる可能性があるという見通しで、ケルシー教授と見方が一致したと言っておられた。

今朝のNHKで、オバマ大統領が安倍総理との電話会談で、直接、歩み寄りを求めたことが報じられた。

NHK10月16日 5時38分
米大統領 TPPで日本に歩み寄り促す

アメリカのホワイトハウスは、オバマ大統領が安倍総理大臣との電話会談で、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の交渉妥結に向けて「大胆さが必要だ」と強調したことを明らかにし、日本側に歩み寄りを促したものとみられます。

続きを読む

日本の国益を守るよりも宗主国の機嫌をそこねないことが行動原理になっている外務防衛経産省の幹部官僚たち。それを読んでいるオバマとそのブレーン。情けないがいつも辿る道だ。大手新聞は幹部官僚の機嫌を損ねないように当たらず障らず。
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / アメリカとの関係 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3063/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

大新聞社が弱小メディアを差別排除する図式が明確に見えた
2014/10/14

官邸前デモなどの撮影で国会記者会館屋上の使用を求める請求が棄却「メディアがメディアを排除する」構図が浮き彫りに

 インターネットメディア「OurPlanet-TV」は2012年9月29日、国および国会記者会に対し、損害賠償を求めて提訴した。しかし、東京地裁は2014年10月14日に請求を棄却。この判決を受けて同日、「OurPlanet-TV」代表の白石草氏らが記者会見を開いた


日時 2014年10月14日(火) 14:30~
場所 司法記者クラブ(東京都千代田区)
原告の請求が全て棄却

 2012年7月、大きな広がりを見せていた脱原発を求める抗議行動を、官邸前にある国会記者会館の屋上から撮影しようと「OurPlanet-TV」が試みたところ、「記者クラブに所属していない」ことを理由に記者会館から排除された。

 その後、「OurPlanet-TV」が撮影を求めた仮処分申請を東京高裁が却下し、衆議院事務局に対しても撮影を求める行政処分を申請したが、再び却下されたことから、国および国会記者会に対して提訴した。代理人の小松圭介弁護士は、この日の会見で、原告の請求は全て棄却されたと報告した。

矛盾する国会記者会館の使用条件

 「OurPlanet-TV」代表の白石草氏は、「不当な判決だと感じている。最大の問題は、メディアがメディアを排除する」ことにあると述べ、この5年間でインターネットメディアは大手メディアと肩を並べて取材ができるところまで進んできている現状を伝えた。

 しかし、判決はこうした現状に目を向けず、実態とは離れた判決になっていると、遺憾の意を示した。白石氏は控訴すると断言し、「この裁判を通じて、国が言っていることと国会記者会が言っていることが相反していることがわかってきた」という。

 矛盾点について国は、各建物の部屋だけ貸していると言っているが、国会記者会は屋上も含めて借りていると言っているという。

国会記者会館をインターネットメディアが使う基準とは?

 小松氏は「国会記者会館の在り方を世間に問うことと、使用基準について、世間、マスコミに問うことが原告の問題意識であった」と語る。

 当時、インターネットメディアやフリー記者が国会記者会館を使う基準がなかったというのが国会記者会の主張であるが、判決は、白石氏を不当に排除し、基準を全く作ろうとしなかった実態から目を背ける判決だと小松氏は説明した。現在もネットメディアやフリーの記者の使用基準はできていない。

 弁護士の井桁大介氏は、判決文中の報道機関の区分が、「新聞」、「通信」、「放送」各社と「インターネットを使用するジャーナリスト」とされていたことを指摘。「インターネットを利用するジャーナリストという特定の仕方は、前近代的判断。ほぼ全ての大手メディアが利用している。区別が不明確で曖昧になってきている」として、既存メディアとインターネットメディアやフリー記者との垣根がなくなってきていることを示唆した。

 白石氏らは、今回の判決が不服であるとして、控訴する方針だ。(IWJ・松井信篤)

引用元
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| メディア・ジャーナリズム / 官僚国家日本・公務員天国日本 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3062/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

日本版のウィキリークス 大学専任講師が12月にも 、東京新聞
2014年10月18日 05時02分

 駿河台大の八田真行専任講師は17日、日本記者クラブで講演し、内部告発サイト「ウィキリークス」の日本版を12月に開設する計画を明らかにした。

 八田専任講師によると、内部告発者はインターネットを通じてサイトに文書を送り、あらかじめ登録したレシーバー(受信者)が受け取る。匿名化ソフト「Tor(トーア)」を使い、内部告発者の素性は分からない仕組みにする。

 八田専任講師は「ジャーナリストがレシーバーになり、受け取った情報を検証していただきたい」と発言。「公務員でも文句を持っている人はいっぱいいる」として、内部告発者の需要はあるとの見方を示した。
(共同)
2014年10月19日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビのネットサイトから / 日本社会の今 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3057/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

2014年10月18日(土)
再生可能エネルギー買い取り制限で意見相次ぐ,NHKNEWSweb
10月15日 18時48分

電力会社の間で再生可能エネルギーで発電した電力の買い取りを制限する動きが相次いでいる問題について、経済産業省は有識者による会議を開き、委員からは何らかの制度の見直しが必要だという意見が相次ぎました。

経済産業省は再生可能エネルギーに関する有識者の会議を開き、このところ電力会社が太陽光などで発電した電力の買い取りを制限するケースが相次いでいる問題を議論しました。

この中で多くの委員は、日本はエネルギー資源のほとんどを輸入に頼っており、中長期的に再生可能エネルギーが重要だというのは国民の間で異論はないという考えを示しました。

一方で、委員からは、電力の買い取りが制限されたことで太陽光などの発電事業者にとって事業の先行きが見通せなくなっているという問題点を指摘する声や、再生可能エネルギーの買い取りにかかる費用は一般家庭や企業が電気料金で負担しており、将来どのぐらい負担が増えるか分からないといった批判が出ました。

そして、電力買い取りの申し込みが急増した太陽光発電を抑制するべきだという意見や、一般家庭や企業の負担に上限を設けるべきだという意見など委員からは何らかの制度の見直しが必要だという意見が相次ぎました。

経済産業省は有識者の会議での議論を踏まえて年内をめどに制度の見直しに向けた対応策をまとめることにしています。

有識者会議の委員を務める名古屋大学大学院教授で高村ゆかりさんは「今回の問題は太陽光発電の導入のスピードが想像以上に進んだことが要因で、今起きている問題に対処しながら中長期的に普及を拡大させていく方法を国民全体で考えていくべきだ」と話していました。

また、経団連の小野透委員は「買い取り制度は、再生エネルギーを何とか早く導入したいという気持ちに引っ張られて作られたため、こうした事態に陥っている。制度全体を見直すような抜本的な対策が必要だ」と述べました。

電力買い取り制度の仕組みとは

再生可能エネルギーの電力買い取り制度は太陽光など自然エネルギーの普及を促すため、政府が2年前の平成24年7月から導入したものです。

太陽光や風力、地熱などの再生可能エネルギーは一般的に火力発電などに比べてコストが高く、そのまま発電しただけでは普及が進まないことから、政府は発電事業者が発電した再生可能エネルギーによる電力を電力会社が固定の価格で20年間買い取ることを義務づけています。

買い取り価格は経済産業省の委員会で毎年見直されますが、再生可能エネルギーの発電にかかるコストよりもかなり高く設定されており、発電事業者にとっては収益を見込みやすく、新規参入を促す効果がありました。

一方、この制度の下では、電力会社は再生可能エネルギーの電力買い取りにかかった費用を電気料金に上乗せして一般の消費者や企業に広く負担してもらっています。

一般家庭の毎月の負担額は政府の試算では制度導入時の平成24年には平均して毎月87円でしたが、ことしは平均で毎月225円になるとしており、再生可能エネルギーの利用が増えれば増えるほど現状では一般家庭の電気料金は値上がりすることになります。

電力会社はこの制度によって、再生可能エネルギーの電力を買い取ることを義務づけられていますが、電力の安定供給に支障が出るおそれがある場合には、すでに契約した事業者に対しては年間で30日間に限って金銭で補償しなくても買い取りを制限できる規定が設けられています。

太陽光発電目標の約3倍に

おととし導入された国の再生可能エネルギ-の買い取り制度によって飛躍的に導入が進んだのが太陽光発電です。

ことし6月末の時点で買い取りの認定を受けた太陽光発電はおよそ6900万キロワットで、国の当初の目標の3倍近くとなっていて、認定を受けた再生可能エネルギー全体の96%を占めています。

この背景には、太陽光発電は一定の土地を確保し、太陽光パネルを設置すれば、大規模な設備でもおよそ1年で事業を開始することができるほか、国の買い取り制度によって事業者は最初の3年間は導入にかかったコストよりとりわけ多くの利益が得られる仕組みになっていることがあります。

また、この買い取り制度では国に事業計画を提出すれば、実際に発電設備が整っているかどうかに関係なく、認定が受けられます。

このため、太陽光パネルを設置するための土地を確保して、パネルの価格が値下がりするまで発電事業を始めないという業者が数多く現れたため、経済産業省では認定から半年たっても設備を確保していない計画については認定を取り消す方針をことし3月に決めました。

2014年10月18日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原子力発電所 / 新聞・テレビのネットサイトから |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3049/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

【エボラ出血熱】日本でエボラ患者が見つかっても、ウイルス検査ができない?、ハフポスト
The Huffington Post

2014年10月17日 08時20分 JST EBOLA

エボラ出血熱の感染者が西アフリカから世界に広がりつつあるなか、日本では感染が疑われる患者が見つかっても、国内では確実な診断を行う態勢が整っていないとの指摘が出ている。

厚生労働省によると、国内でエボラ出血熱に感染した疑いがある患者が見つかった場合、千葉県の成田赤十字病院や東京都の国立国際医療研究センター病院など国が指定した全国45の医療機関が治療にあたることになっている。

その後、血液検査などを行いエボラ出血熱かどうかを確定しなくてはならないが、日本では検査施設周辺の住民から反対があるため、ウイルスかどうかの確定診断を行う施設が稼働できない状態になっている。

続きを読む
2014年10月18日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3055/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

「日本の司法は腐っている」!?、ダイヤモンドオンライン
【第53回】 2014年10月16日
鎌塚正良 [ダイヤモンド社論説委員]


ノーベル賞受賞者が語る青色LED訴訟の舞台裏
『ごめん! 青色LED開発者最後の独白!』

今回ご紹介するのは、先般ノーベル物理学賞を受賞した中村修二教授による『ごめん! 青色LED開発者最後の独白!』です。いわゆる「青色LED訴訟」で勤務先だった日亜化学工業と和解した中村教授ですが、この事実をもって「裁判に負けた」と自ら評しています。日本の司法や企業社会に対する教授の思いを赤裸々につづった衝撃作の一部をご紹介します。

中村教授は
何に謝っているのか?


中村修二著『ごめん! 青色LED開発者最後の独白!』
「ごめん!」の文字が、力強さを感じさせます。

 青色発光ダイオード(LED)の開発により、赤崎勇・名城大学教授、天野浩・名古屋大学教授とともに2014年のノーベル物理学賞受賞が決まった中村修二・米カリフォルニア大学教授。

本書『ごめん! 青色LED開発者最後の独白!』は、その中村氏が05年7月に出版し、氏をして「最後の自著」と言わしめた作品です(実際、それまで中村氏は10タイトルほどの単著を上梓していましたが、『ごめん!』以降は一冊も刊行していません)。

 まず、理系の研究者が著した書籍とは思えない書名が目を引きます。

本書は、ひとことで言えば中村氏と彼の古巣である日亜化学工業の特許訴訟をめぐる裁判の克明な記録です。

裁判所に提出した「準備書面」や東京高等裁判所が出した「和解勧告書」などの写しも所収し、それらを引用しながら高裁裁判官による判断の「間違い」を証明していく一人称のノンフィクションとも受け取れます。

併せて日本の司法制度や企業社会に対する告発の書であり、さらにはマスコミ報道への不信の気持ちも露わにしています。また日本の技術者・研究者に対しては、「文系支配に風穴を開ける」べく、熱い思いやエールを送っています。

 それにしても、なぜ『ごめん!』なのか。誰に対して、何を謝罪しなければならないのでしょう?

続きを読む
2014年10月18日 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3052/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません

香港:民主主義に甘やかされた駄々っ子、The Economist
2014.10.16(木)

(英エコノミスト誌 2014年10月11日号)

香港の学生たちは、長く気高い中国の伝統に名を連ねている。

民主化を求める香港の抗議行動を主導する若者は、自分が誰なのか、概ねはっきり分かっている。第1に香港人であり、2番目に中国人だ。

 1997年に香港が中国の主権下に復帰してから大人になった若者たちにとって、これは奇妙なことに思える。中国とのつながりがこれまで以上に緊密になることが、実は自己の特異性に対する香港市民の意識を研ぎ澄ましているのだ。

 だが、香港の歴史家フランク・ウェルチ氏の言葉を借りれば、香港は1世紀半にわたって英国に統治された領土とはいえ、常に「中国の植民地」だった。そして、学生たちが反中デモで担った役割と、学生に対する一般市民と政府の態度ほど、香港の中国らしさを力強く示すものはほとんどない。

学生たちが主導するデモの歴史

 香港庁舎の外で10車線の高速道路の至るところで小さな塊になって大の字に寝そべる学生たちは、ユニークなサブカルチャーの一部のように見える。彼らは、その行儀良さや清潔さ、公共秩序の尊重(「芝生立入禁止」の看板まである)、自制、スマートフォンとの絶え間ない接続などで名を上げた。

 スピーチに耳を傾けたり、非公式の講演に参加したりする者もいる。また、ギターを弾いたり、キスを交わしたりする者もいれば、市民的不服従の一方で夜遅くまで勉強する従順さを見せる者もいる。

 だが、なぜそこにいるのかと聞かれたら、多くの人は「義務」と「責任」という言葉の両方、あるいは片方を含んだ答えを持っている。これは、学生であることがどういうことかを示す非常に中国的な解釈だ。

 中国史の歴史家、ジョン・デルリー氏によると、近代初の学生主導のデモは1895年に起きた。中国が日本との戦争に敗れた後に結ばれた講和条約の屈辱的条件に対して北京で抗議行動が起きた時のことだ。

 そのデモを率いたのは、2人の先駆的な知識人、梁啓超と康有為だった。2人は官吏としての快適なキャリアを保証する試験「科挙」を受けるために北京を訪れた。これは何世紀もの間、学識に特別の名声を与えてきた制度だ。

続きを読む

2014年10月18日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 気になるネット情報から / 中韓との関係 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei2/trackback/3051/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません


0 件のコメント:

コメントを投稿