2016年10月4日火曜日

福島原発事故が起きて3年経過した2014年08月16日から08月20日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事 その1

2014年08月20日(水)
東京と大阪に広島型の原爆が落とされたらここまで被害が広がる、ハフポスト
もしも東京と大阪に広島型の原爆が落とされたら【地図】
The Huffington Post | 執筆者: 伊藤大地

2014年08月13日 16時01分 JST Print Article

1945年8月6日。人類史上初めてとなる核兵器、「リトルボーイ」と名付けられた原子爆弾が、広島に投下された。

あれから69年、もしも東京駅に広島型原爆が投下されたら、どの範囲にまで影響が及ぶのか。ネブラスカ大学の資料をもとに、Googleマップに描いた。

北は神田あたり、南は東銀座の周辺まで完全に破壊される(黒塗り)。それより少し広い範囲が深刻な放射線被害が及ぶ地域(赤塗り)だ。建物が倒壊、もしくは燃える範囲は赤色線で描かれた半径3.5kmで、東は木場、西は四谷、北は上野、南は浜松町にまで及ぶ。爆風で窓が割れる範囲は黄色線で描かれた半径7.4km。品川、新宿、南千住、東大島あたりまでこの範囲に入る。

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大阪の南北の繁華街を結ぶ、心斎橋駅付近に投下された場合も制作した。

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第1原発、トレンチ凍結は失敗 止水材投入へ、東京新聞
2014年8月19日 20時47分
 東京電力福島第1原発2号機の海側で、トレンチの凍結に向け準備を進める作業員。地中にトレンチが通っている=7月29日(東京電力提供)

 東京電力は19日、福島第1原発2号機の海側トレンチ(電源ケーブルなどが通る地下道)からの高濃度汚染水抜き取りに向け、タービン建屋との接続部でこれまで実施してきた凍結方法だけでは水の流れを完全に止められないとの見解を示し、追加対策として止水材を投入する方針を明らかにした。

原子力規制委員会の廃炉作業に関する会合で説明した。

 東電は止水材の材質選定などを進めているが、一時的な発熱で氷を溶かす恐れがあることや投入後のやり直しがきかないことから、規制委は東電の模擬実験を踏まえ、9月の次回会合で投入の是非を判断する。
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<原子力規制委>川内原発審査書案への意見1万7000通、 毎日新聞
8月19日(火)19時19分配信

 原子力規制委員会は19日、全国の原発で初めて「新規制基準に適合している」と判断した九州電力川内原発1、2号機の審査書案に対して意見公募を実施した結果、約1万7000通の意見が寄せられたことを明らかにした。1通に複数の意見があるものもある。規制委は内容について「精査中」として明らかにしていない。

【川内原発「合格」】国は再稼働を判断しない

 意見公募期間は15日までの30日間だった。規制委は、必要な意見を反映させた上で正式に審査書を完成し、九電に「合格」の許可を出すが、件数が膨大で作業に時間がかかり、許可は9月になる見込みだ。反映させるのは科学的、技術的な意見に限るとしている。

 再稼働には、合格の許可以外に、工事計画認可と運転管理を盛り込む保安規定変更認可の二つの補正が必要だ。

九電は、書類の提出が大幅に遅れて9月末にずれ込む見通しを示している。川内原発の再稼働は越年する公算が大きい。【酒造唯】
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「県産米」輸出再開 原発事故後初、シンガポールへ,福島民友ニュース
(2014年8月19日 )
 全国農業協同組合連合会(JA全農)は18日、東京電力福島第1原発事故後に途絶えていた県産米の輸出を再開すると発表した。

再開初の輸出先はシンガポールで、須賀川市で収穫された昨年産米300キロを出荷する。22日から現地の日系スーパーで販売する予定。アジア圏経済の中核を担う同国で県産米の販売実績を築き、規制や風評で輸入を控える他国への輸出再開に向けて足掛かりとする考え。

 全農や県によると、原発事故後に収穫された県産米の輸出は初めてで、同国への県産米の輸出は原発事故前を含めても初。

同国は6月以降に本県を含む日本食品の輸入規制を緩和し、全農は既に他県産米を現地で販売している。こうした実績や販売先の意見などを踏まえ、本県産のコメも需要が見込めると判断した。
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2度の強制避難/開沼幸一さん/伝える 戦後69年の夏、河北新報

国策の果て 終わらぬ苦難/(8完)
開墾作業中に一休みする豊栄集落の開拓者=1950年ごろ、福島県飯舘村

 資源獲得とエネルギー政策。二つの国策に翻弄(ほんろう)され、居住地から2度も強制的に追われた人々がいる。

 福島県飯舘村の農業開沼幸一さん(75)もその一人。旧満州から引き揚げ、戦後入植した同村の豊栄(ほうえい)集落は福島第1原発事故で避難区域になり、離郷を余儀なくされている。

 山形市出身の父は満州開拓団に加わった。開沼さんは現在の中国黒竜江省ジャムス市で生まれ、敗戦の時は6歳。大連の日本人収容所で1年間過ごした。

 「収容所では、一日に黒パン一つしか配給されなかった。中国北東部の冬の寒さはものすごかった」

 幼子の心に記憶が焼き付いている。

 旧満州から逃れる途中、体力のない者が次々脱落した。5歳の弟と、生まれたばかりの妹も命を落とした。父はシベリアに抑留され、1946年12月、長崎県の佐世保港で日本の土を踏んだときは母と2人きりだった。

 48年秋に帰国した父は、山形県の仲介で豊栄集落に入植し、開拓団の団長になった。開沼さんは翌年春、山形市の父の実家から母と共に同集落に入った。

 当初はジャガイモや大豆の栽培が中心。旧満州に比べて土地はやせ、冷害に見舞われることも多かった。独立するまで5年ほどかかった。

 入植者の間で「100円貯金」が始まった。当時、コメ一升が300円。各世帯が月100円ずつ出し、生活が困窮した際に融通した。物価が上がっても積立額は変えなかった。「団結の象徴」として続いた。

 開沼さんは村の中学校を卒業後、酪農を始めた。最盛期には乳牛70頭を飼育したが、生乳価格の下落で葉タバコ栽培も手掛けた。

 「タバコは(専売公社の)全量買い上げ。努力がそのまま金になった」

 結婚し3人の子どもに恵まれ、85年には自宅を新築した。子どもが独立し、夫婦2人の穏やかな暮らしが2011年3月、突然、原発事故で暗転した。

 「もう戻って来ることができるか分からない。避難の足しにしよう」

 全村民が避難することになり「100円貯金」を解約することになった。約30万円が残っていた。

 伊達市の仮設住宅に入居し、もうすぐ3年。飼い犬に餌をやるため週に3日、村に通う。「人生で2回も避難した。こんな不幸せはない」とため息をつく。

 父がよく聞かせてくれたシベリア抑留の苦労話。記憶をたどり、国情に思いをはせると、集団的自衛権をめぐる性急な動きが「当時に回帰している」と映る。

 中国の動きも「資源獲得と食糧増産のために旧満州に進出した日本の姿と重なって見える」と言う。

 開沼さんの自宅付近に入植25周年を記念した石碑が立つ。

 <筆舌に尽くし難きこの百難を克服し今日に至る>

 開沼さんの苦難は終わらない。

[豊栄集落] 福島県飯舘村は1956年、飯曽と大舘の二つの村が合併してできた。約20カ所の開拓地があり、農家の3分の1以上は戦後入植した。豊栄集落には48年11月、山形県出身の旧満州開拓団の引き揚げ者やシベリア抑留者ら18人が入植。

当初は小屋で共同生活を送り、約70ヘクタールの松の国有林を開墾した。福島第1原発事故前は12世帯が暮らしていた。現在は伊達市の仮設住宅などに分散している。


2014年08月20日水曜日
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【劣化し破れる除染袋】中身が漏えい ずさん管理や規格外品 、王同通信
 原発事故から3年半

福島県双葉郡内の仮置き場で、野ざらしのまま劣化し、破れ始めた除染袋。雑草が生えていた=7日

 東京電力福島第1原発事故に伴う除染で出た汚染廃棄物を保管する「フレコンバッグ」(除染袋)などが各地の仮置き場で劣化して破れ、中身が漏えいするケースが相次いでいる。

環境省の規格外品が使われたり、管理がずさんだったりするのが原因。放置し続ければ住民の不安を招きかねず、除染の進展にも影響しかねない。

 原発事故から間もなく3年半。国は来年1月までに中間貯蔵施設への搬入を始める予定だが、福島県や候補地の双葉、大熊両町との交渉が難航し建設のめどが立っておらず、今後さらに破損が増える恐れがある。

 同県双葉郡内の仮置き場の一つでは8月上旬、除染袋が複数破れて砂利などが漏れ出していた。昨年9~12月の除染の際に使われた除染袋が野ざらしで保管されており、業界団体によると規格外の袋だという。

 また、別の仮置き場では防水性のない除染袋の周りに雨水がたまり、遮水シートを越えて外部に漏れ出し、近くの用水路に流れ出ているケースも見つかった。

 除染袋は1~2トンの汚染土壌などを保管。福島県内では約720カ所の仮置き場に置かれるほか、自宅庭先などに「現場保管」される事例が5万カ所以上に上り、これまでに川内村や相馬市でも袋の破損が環境省に通報されている。

 だが環境省は劣化による破損を例外的な事例として扱っており「破れた袋は随時、詰め替えるなどの対応をしているはず」と釈明している。

 除染袋について環境省は2011年に業界団体の協力で放射性物質を3年間保管できる規格を設定。規格に準じた耐久性のある袋を使うよう求めているが、安価な粗悪品で代用するケースも多いとみられる。

 福島県内の自治体で除染などのアドバイザーを務める独協医大の木村真三准教授は「除染が始まり3年以上たち、袋の劣化が目立ち始めている。長期的に見れば健康や環境への影響がないとは言い切れない」と警鐘を鳴らしている。

一機百億以上と言うオスプレイを17機も買っている場合か?

一機分の金でもいいから福島県民の生命の安全確保のために使って欲しい。くにたみはその金の使い方に誰も文句を言わないです。
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日本の雇用は「身分制」、ブログ「文人商売」から
一部引用・・

 だが現状、日本のメンバーシップ制がうまく機能しているとは言いがたい。

まず、正社員という地位自体が特権階級になってしまった。

福祉制度はいまだに「正社員」を前提としていて、正規と非正規の間で大きな格差がある。

(ある種のブロガーなどに蔓延する宗教の一つとして、大企業は糞でこれからは好きなことを仕事にできるという類のものがあるが、将来「無難」に結婚して子供を持ちたいと思うなら、社会保険や公的扶助の制度をあまり軽視しないほうがいいと僕は思う)

 欧米諸国の福祉政策は、年金や医療だけでなく、育児、教育、住宅なども保障する再配分を大規模に行うという指向が強い。一方、日本の福祉はほとんど家父長制であり、男性の正社員に支払う生活給を高くすることで事実上支払われてきた。

 年功序列の男性正社員の賃金上昇は、子供の成長と共に支出が大きくなる時期とも合致し、その制度がうまく功を奏した時代もあった。

だから現在適切な処置が遅れているというのもある。いまだに正社員以外の福祉制度が整っておらず、子ども手当や大学無償化なども、かつて上手くいっていた(幻想があった)時代に生きた人たちには理解されにくい。

・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・

メディアなどでは世代間格差ばかりが言われるが、世代間と階層間の格差を混同するべきではない。日本の主要な格差は、正社員という「身分」にうまく入ることができた人と、そこから漏れた人の格差だ。

1990年半ばの就職氷河期に漏れ落ちた人のほうがむしろ悲惨かもしれない。職業教育は企業の内部でおこなわれるし、高い賃金で働くという前提の高年齢になるほど再就職は難しい。非正規労働者は賃金も著しく低く、福祉制度も整備されていない。

全文はこちら
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美濃加茂市長の問責決議 議会、辞職求めず、中日新聞
 岐阜県美濃加茂市のプール水浄化設備導入をめぐる汚職事件で、市議会(定数18、欠員1)は19日に開会した9月定例会で、事前収賄などの罪で起訴された市長の藤井浩人被告(30)=勾留中=に対する問責決議案を賛成多数で可決した。

決議は「市政の停滞と混乱を来し、対外的な信頼を損なう事態を招いたことに深く反省を求める」とするにとどめ、辞職は求めなかった。法的拘束力はない。市長は辞職の考えがないことを明らかにしている。

 同日朝、保守系最大会派・新生会(8人)が臨時の会合で各議員の意思を確認し、議案を提出した。

 6月24日の市長逮捕後、初めてとなる市議会は市長不在で開会。

片桐美良氏(新生会)が「行政の最高責任者の長期不在で市政に混乱を来し、対外的な信頼を損なったことに深く反省を求める」と提案理由を説明。

市長支持の柘植宏一氏は反対討論で「従来の贈収賄事件と違い、市民は『確かな証拠がない』と感じている。

だから(早期釈放などを求める)2万1千筆の署名が集まった。一審判決の日を待つのも議会人としての度量」と主張した。


 一方、前田孝氏(共産)は「事件がいつまで続くのか市民も不安に感じている。無罪を勝ち取ってから再挑戦しても十分間に合う年齢」と述べた。

 市長は無罪を主張しており、片桐氏は「無罪を信じている」と説明。「市長として認めないということではない。保釈後も刑事被告人であり続ける点については、あらためて市民の声を聞きたい」と説明した。

 採決では新生会と共産(2人)が賛成し、賛成9、反対5で可決。公明の2人が退席、議長(新生会)は採決に加わらなかった。

 藤井市長は7月下旬、市議会からの進退を問う文書に対し「現金を受け取った事実はなく潔白だ。復職を待ってくれている多くの市民のために働きたい」と書面で回答。


逮捕以来、勾留が続いているため、美濃加茂市は市長不在の異常事態が長期化している。
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違った見方を嫌う日本の旦那衆が教科書の選別を押し付けだした
校長指示で選定覆る」 実教教科書 広がる自主規制
2014年8月19日 13時55分

神奈川県立高校で来年度使用されないことが決まった実教出版の「高校日本史A」の教科書

 神奈川県教育委員会は十九日、二〇一五年度の県立高校教科書を採択し、国歌斉唱に「強制の動きがある」などと記載した実教出版(東京)の日本史教科書を選定した高校がなかったと公表した。

複数の学校の教諭が「実教出版を選定したが、校長の指示で覆された」と証言しており、特定の教科書を自主規制する動きが進んでいる。 (皆川剛)

 問題の教科書は、実教出版の「高校日本史A」と「高校日本史B」。昨年、国旗掲揚や国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」との記載を県教育委員が問題視。

県教委が、一四年度の使用を希望した二十八校に「教委の方針と相いれないため不採択の可能性がある」と再考を促し、全校が他の教科書に変更した。

 県教委は今年四~五月、全校の校長や教頭らが集まる会議でこの経緯に触れ、「考え方は変わらない」と口頭で伝えた。県教委高校教育指導課は「特定の出版社の教科書を避けるよう指示はしておらず、あくまで留意事項を説明した」としている。

 一方、複数の高校教諭によると、社会科の教諭が実教出版を選定した県立高で七月、校長が「先生方が選んだ教科書を使うわけにはいかない」と職務命令で変更させた。別の県立高では、教頭が「実教出版はダメ」と書いた会議のメモを教科担当者に渡したという。

 ある男性教諭は「実教出版の教科書は新しい研究成果を取り入れ、本文は端的で注が豊富。生徒の興味に応じた勉強ができる」と評価。「校長ら管理職は現場の実態に合った教育を守ってほしいが、実際は教委と一体となり規制を進めている」と批判する。

 実教出版の日本史教科書をめぐっては、東京都教委も昨年、国旗国歌の記述を理由に「使用は適切でない」との見解を都立高に文書で通達し、全校が選定を見送った。一五年度に使用する教科書の採択は今月中に行われるが、都教委は既に「考え方は変わらない」と各校に伝えている。

 埼玉県教委は昨年、八校で実教出版の日本史教科書を採択したが一部県議が異議を表明。今年は希望校がゼロになった。千葉県教委は昨年、五校で実教出版の日本史教科書を採択した。

 <実教出版の教科書採択問題> 同社ホームページによると、教員経験者や歴史研究家らが「国際社会で通用する歴史認識を育てるため、東アジア、とりわけ朝鮮・中国との関わりを重視」して執筆。

国旗掲揚や国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」との記述がある。文部科学省の教科書検定を通っており、同省担当者はこの記述について「誤りとは言えない」とした上で、どの教科書を使うかは「県教委の判断」としている。

昨年の教科書採択で、実教版を採択した埼玉県では県教育委員長が辞任。大阪府では、実教版希望校が、教委の資料集を活用することや指導を受けることを条件に採択した。

国民全員を国定教科書で金太郎あめにして開戦し、そぅ呼べと言われていた敵国の「鬼畜米英」に叩きのめされて敗けた日本。

多様性のない国民がいる国は実はもろくて弱い。

またぞろ70年前の過ちを懲りずにやりだした日本の旦那衆。

 最近のドイツの教科書関連の取材番組を見たが、
日本では、現場の教師に任せたら何を選ぶか危なくてしようがないという認識だが、ドイツでは政権が変わるたびに政権が教科書選びに口を出し始めたら、「ナチスドイツの再来」になる恐れありと、中央は一切口を出せない仕組みを作ったとのことだった。
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世論調査の結果が東京の新聞と地方ではここまで違う、なんでだろ?
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提灯持ち記事の典型があったのでご紹介
【敗れざる人々(2)】

税金泥棒と罵声を浴びたJAL社員のいま

――日本経済新聞編集委員 大西康之

2014年8月18日

2010年1月、約2兆3000億円の負債を抱えて倒産した日本航空(JAL)。倒産前5万1000人いた従業員は3万2000人に減り、残った社員も「明日はどうなるのか」という不安を抱えていた。

しかし京セラ創業者の稲盛和夫を会長に迎えた同社の業績は鮮やかにV字回復し、12年9月には再上場。現在も高い利益水準を維持している。世間から「税金泥棒」と罵声を浴びながら、ひたすらに飛行機を飛ばし続けた彼らもまた「敗れざる人々」である。

続きはこちら

多角的な分析は一切なし。ただただJALの賞賛のみ。
太鼓持ちor幇間役を喜んでやる大西さんという日経の編集委員。
いかにも日本経済新聞社らしい記事だ。
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覚えておりません、田母神俊雄さんのツイッターから。

田母神俊雄認証済みアカウント
‏@toshio_tamogami

シリアでイスラム過激派に拘束された湯浅春菜氏がフェイスブックで田母神とのツーショットを載せているということで、本日は私にマスコミなどから20回以上湯浅氏との交友関係について問い合わせがあった。

彼との写真は私が何千人かと撮った写真の一枚です。いつ彼に会ったのかも覚えておりません。
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昨18日の放射線に関する政府広報15段は一億円、ツイッターから。
本間 龍  ryu.homma ‏@desler

昨日の放射線に関する政府広報15段は、朝日・讀賣・毎日・日経・産経の全国紙5紙と福島民報・民友の計7紙に掲載された。

制作 ・扱いは博報堂、費用は約1億円。これも原産協加盟の成果か。国民の税金を投入し、新たな原発プロパガンダの開始だ。
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2014年08月19日(火)
書評 小倉志郎著『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(彩流社)、半澤健市
元東芝エンジニアによる脱原発論

《頭が真っ白になったエンジニア》

  2011年3月11日の午後、一人の元エンジニアが都内中央区立月島社会教育会館で平和運動の紙芝居を見ていた。

そこへ大きな揺れがきた。東日本大震災の始まりである。当日は横浜の自宅に帰れず、その建物に泊まった。テレビは東電福島第一原発が電源を失い原子炉が冷却不能と伝えていた。

「非常用ディーゼル発電機があるはずだ。それも地震か津波でやられたのか」。

エンジニアはそう考えて頭が真っ白になった。福島第一原発6基中、5基の炉心冷却系のポンプの技術取りまとめを、担当した人物だったからである。

 そのエンジニアの名前は小倉志郎(おぐら・しろう)、『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(2014)の著者である。

1941年生まれ、慶大工学部の学部・大学院を経て「日本電子力事業(株)」(のちに東芝に吸収合併される)に入社。

35年間、一貫して原子力発電所の見積・設計・建設・試運転・定期検査・運転サービス・電力会社社員教育を仕事とした。

退職後の2012年には国会事故調の調査員として報告書の作成にも関わった。

《「放射能の存在」と「全貌理解不能」》

 本書は、元原発エンジニアによる脱原発論である。

 脱原発の論拠を突き詰めると、「放射能の存在」と「原発の複雑さ」になる。

すなわち、「原発が装置としてどれほど完全であったとしても、高レベルの放射能を溜め込んだ使用済核燃料が存在するかぎり、極めて危険であること」

「世界中をさがしても原発の複雑なシステムおよび機器の全貌を一人で理解できる技術者はいないこと」。

これが小倉脱原発論の原点である。あまりに当然といえば当然である。

 委細は本書に譲るが、私は、著者の貴重な経験に基づく、脱原発にいたる論理の展開に感銘を受けた。

著者は企業の「本部」と「現場」の両方―俗っぽくいうと「エリートコース」と「叩き上げコース」―を経験し、更には日本の企業社会と官僚世界の習俗を仔細に観察した。

そこが説得力の源泉である。しかも小倉脱原発論の源泉は技術者の知見だけではない。

むしろ万人に備わった「良識」と「人間性」に発していると私は感じた。

3/11直後に脱原発にカジを切ったメルケルのドイツに通ずるものがある。

《我々は原発について何も知っていない》

 3/11以来、人々は随分と原発に関する情報を得たと思っている。我々が見てきた映像や読んできた活字の数はたしかに多い。

しかし、本書の示す福島第一原発事故の実態―十分に原因も現状も分かっていないという実態―を知るにつけ、真実を隠蔽して原発再稼働を進める「原発推進共同体」の暴走を知るにつけ、あらためて我々は何も知らないことを痛感する。

著者の真摯な考察と将来見通しに、正直、私はかなり絶望的な気分になった。事態があまりに深刻でリアルだからである。

著者は、「日本の滅亡」、「国破れて山河なし」という言葉を使っている。現状のままで事態が進行すれば、その言葉は杞憂といえないのである。

《この本は「遺書」のつもりで書いた》


 原発を推進した尖兵が今になって何をいうか。この問いが当然出てくるだろう。著者はいう。「読者のみなさんのなかには、〈原発をつくった人間が何を今さら善人ぶりやがって!〉と思われる方もいるだろう」。

それを意識している

贖罪の思いを込め「遺書」のつもりで書いたといっている。この言い分には異論があるかも知れない。

 しかし、2002年の退職―勿論3/11以前である―後に始まった著者の脱原発活動を知った私は、批判的にはなれない。むしろその勇気と決断に敬意をもつ。

 2007年に、著者がある季刊誌に書いた論文「原発を並べて自衛戦争はできない」は、原発の危険を軍事的な文脈からみた洞察力に富む労作である。

50基の原発にミサイルが飛んできたら日本は壊滅するというのだ。

その通りだと思う。この指摘は、安倍晋三の集団的自衛権による抑止力論を打ち砕く。


《本書は必読の一冊である》

 本書は、まことに真面目な論調によって、読者を納得させる力作である。あえて必読の一冊と結んでおく。(2014.8.12記す)

■小倉志郎著『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』(彩流社、2014年7月)、1700円プラス税

引用先
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除染作業員の診断書偽造 下請け「こちらで用意」、東京新聞
2014年8月19日 07時10分
偽造された健康診断書のコピー。手前の書類には、偽造のゴム印で実在の病院名と医師名が押されていた(一部画像処理)

 東京電力福島第一原発事故に伴う国直轄の福島県田村市の除染作業で、下請け会社が作業員の健康診断書を偽造し、健康診断を受けさせずに作業をさせていたことが分かった。

被ばくの危険がある労働は、詳細な血液検査などの健康診断が義務付けられている。法令に違反するだけでなく、作業員の健康への影響が懸念される。

 下請け会社は、鹿島(東京都港区)を中心とした共同事業体の仕事を請け負っていた松栄ワークス(横浜市、破産手続き中)。

鶴見労働基準監督署(神奈川県)は今年六月、同社が四十代の男性作業員を雇う際、健康診断を受けさせなかったなどとして是正の指導をした。

 複数の作業員によると、二〇一二年八月、福島県郡山市の事務所などに集まった際、同社社員らから「健康診断を受けたことにしてください。診断日を(教えるので)覚えておいて」と言われ、田村市の山間部の除染に当たった。

 三十代の男性は「誕生日に受けたことにして」と言われ、日付を書いたメモを渡された。事前に同社に健康診断が必要かと問い合わせた作業員らは、「必要ない」「こちらで用意します」と言われたという。

 四十代の男性は同年十一月に事務所に呼ばれたとき、心当たりのない自分の健康診断書があるのを見つけた

一通は「健康診断書」と書かれ、医師名として女性の名前と印があったが病院名はなかった。もう一通は「除染等電離放射線健康診断個人票」と書かれ、福島県内に実在する病院名と医師名のスタンプなどが押されていた。

 男性が医師に確かめると、スタンプも印鑑も病院で使われているものとは違い、数字の筆跡も医師のものではなかった。

 医師は「うちの診断書ではない。私の名前をかたった偽物です」と断言したという。取材に対し、医師は「取材には応じられない。男性らに聞いてほしい」と話した。

 松栄ワークスの社長には再三連絡を試みたが回答はなかった。元請けの鹿島は「作業員の健康診断の受診状況はコピーの提出を受けて確認していた。まさか偽造とは思わなかった」とコメントした。

 発注者である環境省の担当者は「労働管理は各業者に対応してもらっている。労働者から相談があれば、元請けに確認を取らせ、改善要請する」と話した。

 <被ばく労働と健康診断> 

原発や除染など被ばく労働をする作業員の健康を守るため、雇用会社は通常の健康診断のほかに、雇用時や就業後半年ごとなどに、通常の健康診断とは別に白血球数など詳細な健康診断を受けさせなくてはならないと法令で定められている。

雇用会社は、詳細な診断結果を記した健康診断書(《除染等》電離放射線健康診断個人票)を保管し、所轄の労働基準監督署長に報告しなくてはならない。

東電も鹿島も国もうすうすわかってはいるが、認めるわけにはいかない。日本は法治国家だから、この不正行為があることを認めると東京電力福島第一原発事故の除染作業は成り立たなくなる。

健康診断を偽造された作業員に万一健康被害が出たら、その人にはお国のためには仕方がないと泣いてもらう。

 なんだかいつか来た道のような。この場合のお国の国民の中に作業員たちは入れてもらっていない。
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辺野古の海上抗議行動と海上保安庁の規制、志村建世のブログから
2014年08月17日19:57

 この14日から始まった辺野古沖での工事準備をめぐる抗議行動で、海上保安庁による規制の方法が問題になってきた。

ふだんは海上における人命救助や消火、交通安全などに活躍する海保だが、こうなると「海の警察」としての犯罪防止、違法取締り、騒乱制圧などの実力行使の側面が前に出てくる。

 海上保安庁は全国を11の管区に分けて海上保安本部を置いており、沖縄は第11管区として一県だけで独立している。海上保安庁は、全体でも定員1万2千人ほどの組織だから、それほどの巨大組織ではない。

今度のような重点配置をするときには、他の管区からの応援も受けるのだろうか。警視庁の機動隊のような、治安対策に特化した部隊は持っていないようだ。

 海上保安庁の発足は、海上自衛隊よりもずっと早かった。発足のときに「軍隊ではない」ことを明示している。ただし巡視船は領海侵犯の外国船などにも対応しなければならないので、機関砲程度の武装はしている。

しかし実力が不足する場合は、海上自衛隊に「海上警備行動」を要請することができ、この場合の自衛隊は「警察行動」に協力することになっている。

 今回の抗議行動のレポートや写真をいくつか見たが、小さなカヌーを大型のゴムボートで取り囲んで実力排除に出たようだ

規制区域の侵犯かどうかも告げずに、乗り移って身柄を拘束された例もあるようだが、事情を聞かれた程度で帰されているから、現行犯逮捕ではなかったらしい。

しかし今までにあまり例がないだけに、弁護士などの協力も得て、海上での人権侵害事件を防ぐよう、支援の態勢を整える必要があるように思われる。

 海上では自然条件が厳しいから、過剰な規制は危険をも生む。15日には、帰港しようとした抗議船が通常の航路通行を拒否され、波浪の高い外海への迂回を余儀なくされたところへ急な雷雨に会い、視界ゼロになって危険を感じたということだ。

監視についてきた海保の船に位置と方位を教えてほしいと頼んだところ、侮蔑的な言葉を浴びせられ、海難の申請をすれば曳航してやると言われた。船長は乗船者の安全を第一に考えて屈辱的な条件を受け入れ、上陸後に「事情聴取」を受けたと報告されている。

 身を挺して海難事故から人命を救う海上保安官の活動とは、ずいぶんイメージの違った海保の活動が沖縄では始まっているようだ。

権力の行使者として国民と対峙する海保の姿が立ち上がってくる。政治の無理が新しい悲劇を生むことのないように、関心を持ち続ける必要がある。

引用元
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普天間移設、高圧的対応に警鐘=「知事選で反対派利する」-米議会報告書、時事
(2014/08/16-12:11)

 【ワシントン時事】米議会調査局は15日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題に関する報告書をまとめた。

今後、反対派の抗議活動が激化する可能性を指摘した上で、「日米両政府が高圧的な対応を取れば、11月の沖縄県知事選で反対派の政治家を利することにつながりかねない」と警鐘を鳴らしている。

 報告書は、仲井真弘多知事による昨年12月の辺野古沿岸部の埋め立て承認に触れ、「日米両政府は重要な政治的ハードルをクリアした」と強調。一方で「実現には多くの難題が残っている。ほとんどの県民は新基地の建設に反対している」と指摘した。

 その上で、移設の是非が最大の争点となる知事選に言及。「仲井真知事が埋め立てを承認した今、将来の知事にその決定を覆すどんな権限があるのかは不透明だ」としつつ、環境影響評価(アセスメント)の不備を根拠とした承認撤回もあり得るとする識者の見方を紹介した。 

 報告書はまた、仲井真知事が5年以内の普天間の運用停止や日米地位協定の改定を求めていることに触れ、「県民が埋め立て承認を最終的にどう判断するかは、日本政府が仲井真知事の要求をどの程度満たせるかに影響される」と記している。
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湯川さん、反体制派支援が目的か 拘束の過激派が声明、共同通信
2014/08/19 08:27 【ダマスカス共同】シリア北部アレッポで過激派「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜さん(42)=千葉市花見川区=写真右
が自らのシリア入りについて、同国のアサド政権打倒を目指す反体制派武装勢力が必要とする機器や物資を供給するため、現地の状況を調べることが目的だと話していたことが18日分かった。

 拘束前、湯川さんに同行し、イスラム国とも戦闘を続けるシリア反体制派の有力武装組織「イスラム戦線」の地区幹部が明らかにした。

 一方、イスラム国は18日までにインターネットを通じて「ハルナ・ユカワを拘束した」とする犯行声明を出した。

湯川さんの画像は本人のfacebookから孫引引用。
左は元航空自衛隊幕僚長の田母神 俊雄氏。

湯川氏は東京都江東区にある民間軍事会社「PMC(Private Military Company)」の最高責任者である。
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コンビニ店主たちが過酷な「労働環境」 を外国人記者クラブで訴える
2014年08月18日 11:02 BLOGOS
「労働条件はアルバイトのほうがいい」コンビニ店主たちが訴える過酷な「労働環境」
全国どこでも、いつでも営業していて、我々の生活になくてはならない存在となったコンビエンスストア。だが、その店舗を経営するコンビニオーナーが置かれている環境は、必ずしも恵まれたものではないようだ。


コンビニチェーンの本部と「フランチャイズ契約」を結んでコンビニを経営するオーナーらが7月30日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、その「労働環境」の厳しさを訴えた。

会見に参加したのは、セブン-イレブン加盟店オーナーで、コンビニ加盟店ユニオンの副執行委員長をつとめる三井義文さんと、同ユニオンの顧問である中野和子弁護士、連合岡山の高橋徹会長だ。

三井さんは「当初の契約にないことが起きるので本部に質問するが、くわしく教えてもらえない」として、本部と加盟店の間の「情報格差」への不満を口にした。

中野弁護士は、コンビニのフランチャイズ契約は「偽装された雇用関係」であると指摘し、「加盟店に裁量がほとんどなく、年間3000時間以上の長時間労働を強いられている」と、加盟店のオーナーが置かれた環境の過酷さを訴えた。(取材・構成:亀松太郎、高橋洸佑)

本文はこちら

こういう訴えを何故外国人記者クラブでやるのだろう?

日本記者クラブが引き受けないからかなぁ??

世界の先進国と違って、日本は新聞とテレビの同一資本の経営を国家の旦那衆が認めている。

そして東京に本社がある新聞とテレビ会社が「日本記者クラブ」の中枢を押さえている。

テレビ局にとって大手コンビニ各社は、テレビCMの大切な大切なお客様である。

その大切なお客様を手厳しく内部から批判するような会見の場を提供することを「日本記者クラブ」の幹部は認めるわけにはいかない。

 それが正当な言い分であるかどうかを吟味する前に、門前ばらいをする。

大手スポンサーの広報部に堕した新聞とテレビの収入源はこうして確保されるから、日本の本社在京大手マスコミ各社及びその各社の営業部門とタッグを組んでいる電通、博報堂など広告代理店の将来は明るい


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マルチコプターで撮影した丹波市の豪雨災害、神戸新聞動画報道から
兵庫県北部を中心に16日から17日にかけて断続的に降った大雨で、土砂崩れや浸水被害が相次いだ。
丹波市では記録的な大雨となり、床上、床下浸水の被害は計1100棟を超えた。
※動画は前田太陽さんが、丹波市春日町の船城小学校付近と、丹波市市島町の道路陥没現場周辺をマルチコプターで撮影。
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「実家の片づけ」は日本経済の縮図だ、東洋経済
あふれ返ったモノ、売れない家に悩む子世代「実家の片づけ」は日本経済の縮図だ


武政 秀明 :週刊東洋経済編集部 記者 2014年08月17日

「私たちの年代は最近、友人と会うと実家の片付けが話題になる。介護や“終活”と並んで人生後半の大きなテーマよ」

東京都心部に住む60代女性の豊田恵子さん(仮名)は言う。

恵子さんの実家は2011年の東日本大震災をきっかけに土台が損傷。建物はまだ築35年で使えたが、修理は不可能と判断し、半年をメドに急いで取り壊すことに決めた。

戦争を経験した両親はモノを大切にして、「いざというときのために」と何でも捨てずに残していた。木造3LDKの家屋はモノであふれ返っていた。押し入れや物置も含めて、30坪の家にはモノがそうとう入ることを知った。「捨てる」「残す」の判断は業者に任せられず、身内とえり分けていったが、時間はかなりかかった。「働きながらではとてもできない」と感じた。

不用品の処分がボトルネックに

ボトルネックになったのは不用品の処分。自治体の指定日に大量のゴミを出すと苦情が入るので段階的に捨てた。有料の処分場へレンタカーを使って何度も持ち込んだり、出し切れない家電や家具は業者に処分を依頼したり。

苦心しているのは残すかどうか迷うもの。母は千代紙で折る江戸姉様人形を作るのが趣味だったようで、押し入れに約300体もあった。千代紙も衣装箱5つ分もあり、調べたところ今では絶版のものがほとんど。手刷りで価値も高く、人形とともに処分できずにいる。食器や花瓶など中途半端な高級品は処分方法が見つかっていない。なんだかんだと不用品の処分には100万円以上の費用を要した。

親と離れて暮らす子世代に実家問題が降りかかる――。そんなケースが日本のあちこちで起こっている。子世代の年齢はさまざまだが、ボリュームゾーンは50~60代。親の死や介護などに直面している世代が中心だ。実家に残された親の荷物の整理から相続、空き家管理、売却や解体など。問題はさまざまだが、こうした一連の「実家の片付け」には、多かれ少なかれ苦労を要する。

続きはこちら
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「イスラム教への偏見をなくすため」 モスクから発信する日本人教徒、ハフポスト
2014年08月15日 16時31分 JST

取材・執筆・撮影:伊藤 亜衣

 東京都渋谷区の代々木上原駅近くに、日本国内最大のモスク「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」がある。日本に住む様々な国のイスラム教徒が訪れ、集団礼拝のある金曜日には500人ほどが集まる。ここで広報を担当している下山茂さん(65)は数少ない日本人ムスリムだ。27歳で入信し、以来、イスラム教への正しい理解を求めて活動を続けている。


 「イスラム教と関わることになるとは思ってもいなかった」と下山さんは話す。きっかけは、早稲田大学時代に探検部でアフリカを訪れたことだった。ナイル川をゴムボートで下ったとき、スーダン西部の村に2カ月間住みついた。言葉は通じなかったが、警戒心なく受け入れてくれた村人の優しさに心打たれた。

 帰国後、その村がイスラム教徒の村だったと知った。「抑圧された人間と旅人の願いを神は最優先にきいてくれる」というイスラムの言葉がある。「イスラム教徒の旅人への親切心が僕たちを助けてくれたのかな」と思い返した。

 卒業後、友人から紹介されたイラク人男性に「日本でイスラムを理解してもらうための運動がしたいから手伝ってくれ」と言われ、片腕として働くようになった。

「おおらかで寛容で情熱的なイスラム教徒」である彼の魅力にひかれた。入信の決め手は、「中東へ留学しないか」と誘われたことだった。留学にはイスラム教徒になる必要があった。「アフリカから帰ってきて、ずっと考えていた心のどこかにすぽんとボールが入ったようだった」。1976年、東京のモスクで入信した。

 結局、留学は中止になったが、イスラム教徒になったこの年に2か月間、フィリピンのミンダナオ島に行った。島では当時、政府軍とイスラム系住民との間で武力衝突が起きていた。ジャングルの中を移動し、政府軍に奇襲攻撃をかけるゲリラに同行した。

「メディアの報道では、彼らは犯罪者扱い。しかし彼らは土地を奪われ、文化や宗教も島の南へと追いやられていた」と話す。「イスラム教徒として、日本に何が真実か訴えたかった」。イスラム教徒しか入れない地域の肉声を伝えるため、雑誌に寄稿した。

 センター初の日本人スタッフとして、広報を担当するようになったのは2010年から。「日本人はヨーロッパほどイスラム教徒に対する露骨な差別はない。だけど口には出さないけれど、偏見と差別意識を持っている」という。「例えば、日本人女性が結婚してイスラム教徒になりますという場合、周囲の反応は、キリスト教徒になるのと天と地ほどの差があるんです」

 広報活動では、関連図書の出版だけでなく、最近は積極的に講演を引き受けるようになった。「物珍しさでも観光でもなんでもいいから来てもらうことが第一歩。そしてそういう宗教だったのかと思って帰ってもらうことが第二歩」。そう言って、下山さんは時間をかけてモスクを案内する。

引用元

阿智胡地亭のイスラム教やイスラム教徒の関する知識は、考えてみると80%は欧米のキリスト教系国のメディアの報道から得たものだ。

どうしても欧米人による洗脳を受けていて、知識にはバイアスがかかる。

日本人が直接イスラム世界と接して得た情報は本当に少ない。


参考
日本人はなぜイスラム教を誤解してしまうのか --- 島田 裕巳

こちら

「日本は理想郷」と信じているイスラムの人たち
歴史的にも文化的にも尊敬されている日本


一部引用・・

 しかし、私たち日本人はあまりにもイスラム世界のことを知らない。文化も価値観も日本人とは分かりあえない、不可解極まりない世界だと考えている日本人は少なくない。

 どうやら日本人にはイスラムに対する誤ったイメージ、先入観が相当根深く植え付けられているようだ。実は本書も、日本人のイスラム世界に対する無理解のために、あやうく日の目を見ずに葬り去られてしまう危険性があった。

「イスラムって怖いですよね」が一般的な反応

──本書はもともと新潮社から出る予定ではなかったそうですね。

宮田律氏(以下、敬称略) この本の元になる原稿は、2013年3月に日本経済新聞出版社から刊行される予定だったんです。もう装丁も出来上がっていました。ところが、1月にアルジェリア人質事件(注:イスラム系武装勢力がアルジェリア東部の天然ガス関連施設を襲撃し、日本人10名を含む約40人が犠牲になった事件)があったため、急きょ発行が取りやめになってしまいました。

──どうして取りやめになったのですか。日経はなにを心配していたんでしょう。

宮田 読者の理解を得られない、読者から批判が来ると言うんですね。こんな時期に「イスラムは日本人が好きだ」なんて言っている場合じゃないと判断したのでしょう。

全文はこちら
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忌野清志郎の文庫本の後書きから、 清志郎の言葉

2000年発行の本が2007年に文庫本になった。
文庫本の後書きから。


地震のあとには戦争がやってくる。

軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。

国民を馬鹿にして戦争に駆り立てる。

自分は安全なところで偉そうにしているだけ。

阪神大震災から5年。

俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。
TVをつけると5ヶ所程から火の手がのぼっていた。

(これはすぐに消えるだろう)と思ってまた眠った。
6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。

この国は何をやってるんだ。

復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。

これが日本だ。私の国だ。

とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。

弟はドラムを叩くシーンで、僕はロックンロールじゃありませんと自白している。

政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後戻りできゃしない。
そのうちリズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。

政治家はみんな防衛庁が好きらしい。

人を助けるとか世界を平和にするとか言って、実は軍隊を動かして世界を征服したい。

俺はまるで共産党員みたいだな。普通にロックをやってきただけなんだけど。

そうだよ。売れない音楽をずっとやってきたんだ。
何を学ぼうと思ったわけじゃない。
好きな音楽をやってるだけだ。

それを何かに利用しようなんて思わない。せこい奴らとは違う。
民衆をだまして、民衆を利用して、いったい何になりたいんだ。
予算はどーなってるんだ。

予算をどう使うかっていうのは、いったい誰が決めてるんだ。

10万円のために人を殺すやつもいれば、
10兆円とか100兆円とかを動かしている奴もいるんだ。

いったいこの国は何なんだ。
俺が生まれ育ったこの国のことだよ。

どーだろう、・・・この国の憲法第9条は、まるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?

戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。
俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。

戦争はやめよう。
平和に生きよう。
そして、みんな平等に暮らそう。
きっと幸せになれるよ。

---

瀕死の双六問屋 完全版
[忌野清志郎]
2000年に単行本、2007年に文庫として発売された「瀕死の双六問屋」に、当時未収録だった18話分&イラスト&写真をプラスし、特製CDも新たにリマスタリングした完全版。装画は浦沢直樹氏、解説は町田康氏による描き下ろし。
 
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コネがなければカネがあっても病院をたらい回しされる、JBpress

『医療詐欺』が明かす驚くべき日本の医療の実態
コネがなければカネがあっても病院をたらい回しされる


2014.08.16(土) 川嶋 諭

 例えば、こんな常識はないだろうか。国立病院では先端的な医療を提供し、地元の病院は開業医が手におえない治療の難しい患者がかけこむ場所である――。

 おそらく日本人のほとんどが当然のことだと思っているだろう。しかし、実態は真逆に近いと上教授は言う。「国立病院は軽症患者しか受け入れません。もっと正確に言えば、軽症患者しか受け入れることができないのです」。

 軽症患者しか受け入れられない。これには「そんなはずはないだろう。優秀な医師を集め、最先端の医療設備が整っている国立病院は先端医療の担い手でなければならない」と、誰しもが反論するかもしれない。

 しかし、国立がんセンター中央病院にも勤務したことがある上教授にすれば、国民に最先端医療を提供する場所ということの方が"非常識"に映る。上教授は国立がんセンターに勤務していたとき、重症患者が何度も門前払いされるのを見てきた。

国立病院に門前払いされる患者たち

 また、「『合併症が多い重症患者は受け入れるな』と医師たちに指示している上司の姿も何度も目にしてきました」と言う。

 なぜこのようなことが起きるのか。それは国立病院が重症患者の治療を目的として設立されているわけではないからだ。例えば国立がんセンターは、「新規治療の開発のための臨床研究の推進」を最大の目的として設立されているという。

 そのため、臨床研究に合致するような重症患者は受け入れるが、例えば合併症が多くて研究に不向きな患者さんは排除される。また体力の消耗が激しい患者も研究の対象外とされてしまう。

 つまり国立がんセンター(現在は国立がん研究センター)で診てもらえるのは、一握りの患者さんだけということになる。

 いくら研究のためとはいえ、病気で苦しんでいる患者を門前払いするのは医師として、人間として許されることではない。そう考える医師も中にはいるという。しかし、そのような態度を見せれば冷遇され、ほかの病院へ移らざるを得なくなるのだそうだ。

 なぜこのようなことが起きてしまうのか。それは日本の医療が、実は患者のためではなく身内、つまり医師や厚生労働省の役人にとっていいように設計され運用されているためである。

 例えば、保険診療と自由診療を組み合わせた混合診療を認めようという社会の要請に対し、日本医師会は頑なに反発を繰り返している。いまだに強い政治圧力を持っている日本医師会の反対によって実現できないでいる。

 混合診療を認めれば、医師は高額の治療費を受け取れる自由診療を優先し、日本の"世界に誇れる"国民皆保険制度が崩れてしまうというのが日本医師会の主張である。確かにその危険性はゼロではない。

 しかし、保険診療か自由診療かの選択を迫られ、金銭的理由から高度な治療を諦めざるを得ない状況の方がはるかに問題が大きい。

 上教授はこの問題について、極めてユニークな比喩を使って説明している。混合診療は飛行機のビジネスクラスのようなものだと言うのである。エコノミー席が大半でわずかなファーストクラスがあるのが現在の日本の医療システム。

全文はこちら
 
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日系アメリカ人の歴史、河野太郎
2014年08月17日 13時40分 JST

松本純、鈴木馨祐、牧島かれんの三代議士と一緒に、アメリカ西海岸に出張してきました。

ロサンゼルスを中心とした南カリフォルニアとサンフランシスコを中心とした北カリフォルニアの二つの日系アメリカ人コミュニティを訪問するのが目的でした。

日系アメリカ人には百五十年近い歴史があります。

1868年、「元年者(がんねんもの)」と呼ばれる約150人の日本人がハワイに移民しました。日本から米国への移民の幕開けです。

1869年には、旧会津藩士がカリフォルニア州ゴールドヒルに「若松コロニー」と呼ばれる入植地を築きましたが、失敗に終わりました。

その後、ハワイ、カリフォルニア、アイダホなどに日本からの移民が行きました。米国本土では日系移民の多くは農場や鉄道建設に従事し、ハワイでは移民の多くはサトウキビ農園などで働きました。

1905年にサンフランシスコを中心に反日運動が組織され、1908年に日本政府は日本からの移民を自発的に制限することになりました。

しかし、家族の渡航は禁止されていなかったため、一世のもとに写真だけで見合いをした「写真花嫁」と呼ばれる女性が日本から嫁ぎました。その数二万人以上と言われています。

1913年ごろから市民権を持たない外国人の土地所有を禁止する法律が各州で成立するようになり、後に借地も禁止されるようになりました。

1924年の移民法により、日本からアメリカへの移民が全面的に禁止されました。

1941年、真珠湾攻撃とともに太平洋戦争が始まり、アメリカ本土では日系人の指導者の逮捕が始まりました。

1942年2月19日、ルーズベルト大統領は、陸軍に危険人物を強制的に立ち退きさせることができる権限を与える大統領令第9066号に署名し、3月から強制立ち退きが始まり、最終的に12万人の日系アメリカ人が強制収容所に送られることになりました。

この大統領令は日系人を指定していませんでしたが、ドイツ人やイタリア人には適用されませんでした。

ハワイでは強制立ち退きは行われませんでした。

本土の日系アメリカ人は、1942年から1946年までの間、次の10か所の強制収容所に収容されることになりました。
アリゾナ州ギラリバー
コロラド州グラナダ
ワイオミング州ハートマウンテン
アーカンソー州ジェローム
カリフォルニア州マンザナー
アイダホ州ミニドカ
アリゾナ州ポストン
アーカンソー州ローワー
ユタ州トパーズ
カリフォルニア州ツールレイク

強制収容所では、1943年から「忠誠登録」が行われました。この中には「アメリカ軍に志願する意思があるか」「アメリカ合衆国に忠誠を誓い、天皇への忠誠を破棄するか」等という質問が含まれ、これらにNOと答えたものは忠誠でないとされ、この忠誠登録を巡って日系人の間に亀裂を生むことになりました。

不忠とされた者は、カリフォルニアのツールレイク強制収容所に隔離される一方、陸軍への入隊を志願した二世たちで第442連隊と第100歩兵大隊が組織されました。

この2つの部隊はヨーロッパ戦線の激戦地に投入され、第二次世界大戦中もっとも多くの死傷者を出した米軍部隊となり、また、米軍史上最も多くの勲章を与えられた部隊として有名になりました。

第442部隊には、2010年に米国で最高の勲章の一つであるCongressional Gold Medalが送られました。

強制収容所の中から強制収容を憲法違反だと訴訟を起こし、最高裁判所まで争った日系人もいましたが、強制収容は違法とは認められませんでした。

やがて大学に通う約4000名が強制収容所から解放されることになりました。この中には後に白人以外で初めてNBAでプレーした選手になったワッツ・ミサカ(ニューヨーク・ニックス)もいました。

戦後、マッカラン・ウォルター法が1952年に成立し、日本からの移民の市民権の取得が認められるようになりました。

第442連隊で活躍し、右腕を失ったダニエル・イノウエが日系アメリカ人として初めて1959年に連邦下院議員に、1963年に連邦上院議員に当選しました。

これまでにイノウエ上院議員の他に、スパーク・マツナガ(第442連隊)、サミュエル・ハヤカワの二人が日系人として上院議員に選ばれています。

1965年にパッツィー・ミンクが白人以外の初の女性として連邦下院議員に当選しました。

1973年にノーマン・ミネタが初の主要市の市長(サンノゼ)、1974年にジョージ・アリヨシが初の州知事(ハワイ)に当選しました。

ノーマン・ミネタは2000年にアジア系アメリカ人として初めて閣僚になり(クリントン政権の商務長官)、2011年にはブッシュ政権の運輸長官に就任し、911のテロ発生時にすべての米国内の飛行機を強制的に着陸させる措置をとりました。その後、サンノゼの空港は、ノーマン・ミネタ国際空港と名付けられました。

1988年にレーガン大統領が強制収容に対して正式に謝罪し、市民自由法が成立し、収容された者に対する2万ドルの賠償金の支払いが行われることになりました。

1992年に、クリスティ・ヤマグチがアルベールビルオリンピックの女子フィギュアスケートで、日系アメリカ人として初めて金メダルを獲得しています。

1999年にはエリック・シンセキがアジア系アメリカ人として初めて陸軍参謀総長に就任しました。

アメリカ国籍を持っていながらも強制収容所に入れられた経験を持つ日系アメリカ人は、子供たちを「良きアメリカ国民」にしようとして、熱心に子供を教育する一方、あえて日本語を教えず、日本についても教えないことが多かったようです。

日本企業がアメリカに進出する際に支援した日系アメリカ人もいましたが、他方、日本との接点がなかった日系アメリカ人も多かったのも事実です。

日本と日系アメリカ人コミュニティの間の懸け橋をつくりなおすというのが亡くなったダニエル・イノウエ上院議員の願いでもありました。

そのためにも日系アメリカ人の歴史を理解し、全米各地の日系人コミュニティとの交流を深めていくことが必要です。

引用元
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時間が止まった時、英国BBC放送広島原爆特集番組
イギリスの公共放送局が原爆特集サイトを公開している。

When time stood still
A Hiroshima survivor's story


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「生きているうちに、語りついでいく」、ハフポスト
69回目の長崎原爆の日 残された被爆者の願い
The Huffington Post
2014年08月09日 10時35分 JST

2014年8月9日、69回目の原爆の日を迎えた長崎では、爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典」が開催される。被爆者や遺族のほか、安倍晋三首相らが参列し、犠牲者の冥福を祈る。式典には、過去最多の約50カ国になる見通しだという。

原爆投下から69年。原爆の記憶が風化されつつあるなか、6月には、長崎で被爆し語り部として活動する森口貢さんが、同市を訪れた横浜市の中学生に「死に損ない」などと暴言を吐かれたという。

森口さんは10人ほどを爆心地から600メートルほどの山里小学校へ案内。話を始めようとした際、別行動をしていた男子生徒5人が近づき、「死に損ないのくそじじい」と大声を上げ、周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などと言ったという。

森口さんは「こんな経験は初めて。被爆69年となり、戦争や原爆をひとごとと感じているのだろうか。本気で向き合ってもらえなかったことが悔しく、悲しい」と話した。

被爆者の平均年齢は、80歳に迫り、生存者は20万人を切っている。今後は、被爆者の声を後世に伝えていく取り組みが必要となるだろう。

今回は、ネット上に掲載されている被爆者の声の一部を以下に紹介する。

■爆心地から約1キロの自宅で被爆、2歳の息子を失くす

長崎市の飛永アヤ子さん(92)に出会った。飛永さんは爆心地から約1キロの自宅で被爆。顔や足に大やけどを負い、気付いた時には、熱風で服が焦げ、肩や足に生地が残るだけだった。「母ちゃん、痛かねえ」といたわってくれた2歳の息子は、急性放射線障害で2カ月後に亡くなった。「言葉が達者な子でね」。涙ぐみながら回想する飛永さんは「戦争はもう嫌だと思うが、体験したことのない今の人に言っても、分からんのじゃないか」と嘆いた。

■10歳で被爆、弟は死去 「孫たちに同じ思いをしてほしくない」

生田道子さん(79)も、投下時刻に手を合わせた。10歳の時、長崎原爆の爆心地から約1キロの油木町で被爆。顔と胸にやけどを負った。ケロイドが残った弟は被爆し数年後に死去。別の弟も全身にやけどを負い、片目が見えなくなった。「孫たちに同じ思いをしてほしくない」。カトリック信者の生田さんは、毎日朝と夜に平和を祈る。

■工場の仲間は全員死去、家族を失った伯父の涙に圧倒

衝撃は2、3秒だったでしょうか。うちは大丈夫でしたが、すぐ近くの郵便局のガラスが 割れました。

岩川町から先は道路が通れなくなりました。家が倒壊して道路をふさいでいるのです。人 や馬が生きてるままの格好で真っ白の灰になって道路にあります。人は全部両手を前に何 かを抱えるような形にし、腰を落として白い像になってます。あれは驚いて腰を落とすのと 同時に一瞬のうちに灰になったのでしょう。その後、あの真っ白な像はどうなったのでしょうか。

私が行けなかった工場では、働いていた人全員が亡くなりました。親戚の谷口の家では、私より1歳年長で私とよくあそんでいたアキラという名の男の子とマツエというその母親が家にいて即死でしたが、父親のカツジと三人の姉妹が助かりました。谷口の家族は11日に田結村の私達のところへ来ました。伯父のカツジが私の母に報告をするのをそばで私も聞きましたが、マツエおばさんとアキラが死んでいたと告げて、伯父はあたりかまわず大声で泣きました。「マツエとアキラ。。。」。

私は大の大人がこんなに大声でなくのかと驚き、圧倒されました。

■兵器工場での夜勤後、爆心地から約1.5キロの寮で被爆

中野さんは夜勤を終えて戻った寮(爆心地から約1・5キロ)で被爆し、足や手に重傷を負った。(中略)被爆地から逃れるためにようやく乗り込んだ汽車には、窓から顔を出して「水をくれ」と叫ぶ負傷者や、死んだ子供を必死に揺さぶる女性がいた。血のにおいが充満する車内で、中野さんは涙をこらえきれなかった。

■高熱が続き、髪の毛が抜けた原爆症 被爆者の話「語りついていかなければならない」

熱が出て、近くの福島病院にリヤカーに乗せて連れて行ってもらったのですが、病名も解らず毎日38度39度と、熱が続きました。当時は原爆の放射能を浴びたということさえ、わからなかったのです。

15日ぐらい経ってやっと熱が下がりました。その時から髪の毛が抜け始めたのです。半年ぐらい、丸坊主でした、終戦後だったから、帽子の買うのもありません。その時の年齢17歳、何処へ行くにも恥ずかしくて、手ぬぐいを破っていきました。

人のいないところでは、もう髪の毛は生えてこないと、何時も涙を流して泣いていたのです。半年ぐらい経って髪の毛が、すこしづつ手で頭を撫でる度に、ざらざらと生えてきたのです。

その時の嬉しかった事、60年経った今でも、はっきり覚えています。

一瞬にして家族を失い、食べ物もなく誰からも看取られずに死んで逝った、被爆者の話を私が生きているうちに、語りついで行かねばならないと思っています。無念の死を遂げた被爆者、過ちを二度と繰り返さないためにも、憲法九条を守り核戦争をなくして、行かなければなりません。それが被爆者の願いです。

引用先
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2014年08月18日(月)
新基準対応の追加工事定まらず/大間原発、デーリー東北

主要工事に入れないでいる大間原発。新基準に影響されない工事は本年度末にも終了する=7月


 大間町で建設中の大間原発について、事業者の電源開発(Jパワー)は今秋にも原子力規制委員会に原子炉設置変更許可を申請する。ただ、現段階では原発の新規制基準に対応する追加工事が定まっておらず、工期がどの程度になるか見通せていない。

仮に申請しても規制委による審査は長期間を要する。

主要工事に着手するには工事計画の認可も必要となり、当初予定されていた11月の運転開始をどの程度先延ばしするか、設定が難しい状況にある。
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九条守れの俳句掲載拒否事件、 俳人・金子兜太さん「文化的に貧しい」、埼玉新聞
俳句弾圧や戦後俳句の歴史などを交えながら、俳句「九条守れ」の掲載拒否問題について語る金子兜太さん=熊谷市の自宅
 さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する公民館だよりに、俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の掲載を拒否した問題について、熊谷市在住の現代俳句を代表する俳人金子兜太さん(94)に聞いた。

金子さんは「この社会に生きている人間を詠んだ当たり前の俳句を、お役人が拡大解釈した実に野暮(やぼ)で文化的に貧しい話」と語った。

 俳句は公民館だよりに掲載するため、公民館で活動しているサークルが選んだ。市側は「世論を二分されているテーマが詠まれている」などとして、掲載を拒否した。

 金子さんは、「九条守れ」の俳句を次のように語った。

 「『九条守れ』の女性デモという一つの日常を詠んだもので、特別な意味を込めて作ったわけではないでしょう。そもそも、この句のように社会で生きている人間を題材として詠むのは、現代俳句ではごくごく当たり前のこと。この状態に向かって政治的な尺度を持ち込むのは、野暮で文化的に貧しい話」

 「作者はデモには好意を持ったが、熱く共感したわけではないと私は受け取る。感受性の強い人なら普通のことで、どうしてこの句が問題なのか、ぜひ教えてほしい。結果として政治的な意味をお役人が持たせたのは、ご自身がご時世に過剰反応しただけ。作者としては当たり前の感銘を詠んだ句で、お役人に拡大解釈され、嫌な思いをしてお気の毒」

 金子さんは旧制水戸高時代の18歳の時に俳句を始め、俳句歴は今年で77年に及ぶ。加藤楸邨氏に師事し、戦後は社会に生きる人間を詠む「社会性のある俳句」を唱え、「社会性俳句の旗手」と呼ばれた。

 「それまでは、俳句は花鳥風月を詠むものという高浜虚子の影響力が強かった。それに対して、昭和初期の新興俳句運動や戦後になって私や仲間たちは『自然とともに社会に生きる人間を詠みたい』と主張した。今では自然そして社会に生きる人間を詠み取ろうとするのは、俳句の世界では当たり前になった。今回の句もそういう自由な気持ちの中で詠んだ句で、このような句は毎日、どこかで作られている」

 今回の俳句掲載拒否の問題を戦前の治安維持法による新興俳句運動弾圧と重ねる見方もあるが、金子さんは今回の方が根深い問題を含んでいると言う。

 「新興俳句運動の『現実を俳句に書く』とするリアリズムが危険視された。だから取り締まりは、新興俳句系の俳誌だったり運動を担っていた人たちで、俳句を詠む一般の人たちにはそれほど影響がなかった。今回は一庶民の一つの句をやり玉に挙げて大げさな問題にした。

こんな拡大解釈のようなことが、お役人だけでなく社会で行われるようになったら、『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。


有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。

俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」と警告する。

■新興俳句運動

 高浜虚子の弟子の水原秋桜子(しゅうおうし)が1931年ごろ始めた文芸運動。水原は自然だけでなく、人間の胸のうちや生活の事実を詠むことを主張した。

主張に多くの俳人が共感し運動は広がっていった。この運動から、加藤楸邨(しゅうそん)、中村草田男(くさたお)ら有力な俳人が輩出した。純粋な文芸運動だったが、治安維持法によって、40年に「京大俳句」、41年に金子さんが投句していた「土上(どじょう)」など有力俳誌が弾圧され、新興俳句運動は壊滅する。
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23年まで普天間使用 グアム移転基本計画、沖縄タイムス
2014年8月17日 09:17

 【平安名純代・米国特約記者】米国防総省が上下両院軍事委員会に対し、在沖米海兵隊のグアム移転に関する基本計画(マスタープラン)を提出していたことが16日までに分かった。

複数の米議会筋は沖縄タイムスに対し、米軍普天間飛行場を少なくとも2023年まで継続使用し、名護市辺野古に建設予定の新基地に24年に移設する見通しが盛り込まれていると明らかにした。仲井真弘多知事が求めている5年以内の運用停止に関する言及はないという。

 2015会計年度(14年10月~15年9月)の国防権限法案は上院案、下院案があり、上院は議会が要求しているマスタープランなどが提出されるまで一部事業を除き、グアム移転関連予算の執行凍結する案。下院は執行凍結を全面解除する案となっている。国防総省は両院の一本化作業を前に全面解除を認めるよう働きかける方針。

 米議会筋によると、同省は8月上旬までに、レビン上院軍事委員長(民主)とマッキーオン下院軍事委員長(共和)に詳細を説明。日本とグアムには、ワーク国防副長官が17~23日に訪れ、今後の見通しなどについて説明する予定となっている。

 マッキーオン氏とともに訪日し、都内で菅義偉官房長官と会談したグアム選出のボダリヨ下院議員は14日に声明を出し、国防総省から基本計画に関する説明を受けたことを明らかにするとともに、予算凍結は解除される方向へ向かうとの見解を示した。
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原発ウォッチャー月例報告書別紙2014年7月分をアップ、福島原発行動隊

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「最終処分場調査反対」 加美町で緊急集会、河北新報
シュプレヒコールで詳細調査受け入れ拒否と候補地の白紙撤回を訴える参加者たち
 福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場建設をめぐり、宮城県内候補地の一つ、加美町の住民団体が17日、同町の中新田バッハホールで緊急の反対集会を開いた。

村井嘉浩知事が受け入れを表明した国の詳細調査に反対を訴えるとともに、県内3候補地の白紙撤回を求めた。

 加美よつば農協など地元42団体でつくる「放射性廃棄物最終処分場建設に断固反対する会」が主催し、約1000人が参加した。7月に栃木県内の候補地に選定された同県塩谷町の見形和久町長も駆け付けた。

 加美町の猪股洋文町長は調査受け入れへの反対をあらためて表明。指定廃棄物の処理の枠組みを示した放射性物質汚染対処特別措置法の改正や、廃棄物の福島第1原発への集約も求めた。

 町内の各団体代表者は処分場建設への反対の意見表明で「国と知事は住民の声に耳を傾けてほしい」「原発事故でも苦しんだのにこれ以上苦しめないで」などと主張した。

 他の県内候補地の栗原市、大和町の市民団体も建設反対を強調。塩谷町の見形町長は「調査を認めるわけにはいかない。加美町と力を合わせ特措法の見直しを求めていく」と連携を呼び掛けた。

 最後は全員で調査受け入れ拒否と候補地の白紙撤回を求めシュプレヒコールを繰り返した。
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シベリア抑留 佐藤達雄さん/伝える 戦後69年の夏、河北新報
国に捨てられ 死の重労働/(6)
旧ソ連軍の命令による武装解除で武器を置く旧日本軍(全国抑留者補償協議会提供)
 終戦後4年間、シベリアで抑留生活を送った。

 旧古川市の市議に1971年から7期連続で当選し、議長にも選ばれた。同時に、全国抑留者補償協議会の宮城県連合会長を務め、国との補償交渉に当たった。

 「私が戦地へ出発したのは1945年の1月でした。仙台から汽車で博多へ。朝鮮北部に渡り、初年兵教育を受けてから中国東北部へ移動しました」。部隊は南陽という町に布陣し、塹壕(ざんごう)を掘ってソ連軍の越境攻撃を待ち受けた。

 「ソ連軍が攻めてきたのは8月9日の朝、薄暗いうちでした」

 見渡す草原に、機甲部隊が波のように連なっていた。敵機の編隊が爆撃を繰り返す。終戦を知らずに戦い続け、8月19日に停戦した。

 目に焼き付いて消えない光景がある。「そこらに散乱する戦死体をソ連軍のブルドーザーがガーッと集め、トラックに積んでどこかへ運んでいくんです」

 歩くこと10日でソ連領に入った。集結地の地名は記憶にない。貨車でハバロフスク近郊の村へ。朝夕は、たばこケース大の黒パンとスープ、昼は雑穀の雑炊で重労働に耐える日々が始まった。
 「ヘビ、コウモリ、カエル。何でも食った。じゃないと、生きていけませんから」

 ソ連人の思想犯らと、水浴場で話し込むこともあった。「『スターリンはこの戦争を、日露戦争の仕返しだと言っている』などと教えてくれるんです。つくづく、争いはさらなる争いを招くものだと思いましたな」

 立木の伐採現場で下敷きになる者が多かった。薪だけは豊富にあったので、小屋の中は暖房が効いていた。その代わり、ひどく喉が渇いた。氷を踏んで水を飲みに行き、井戸に落ちて死ぬ者が続出した。至る所に死が待ち構えていた。

 2003年から数年間、地元の小学校に招かれて、目にした現実を子どもたちに話した。「課外授業で、戦争について初めて知ることができました」と手紙をくれた児童もいた。

 「私が舞鶴(京都府)の土を踏んだのは1949年8月のことです。4年もの間、国に見捨てられていたことになります。無責任を通り越して、非道だと思います」と憤る。集団的自衛権の行使容認についても、危機感を覚えるという。

 「自民党がやっていることは戦争準備です。終戦から70年近くも平安にきたのに、なぜいま、憲法解釈を変えなければならないのか」
 戦争のおぞましさを肌身で知っている。だから「戦争はするもんじゃない」と、迷いなく言い切る。

[シベリア抑留]ソ連は、武装解除した日本兵の速やかな帰国を保障したポツダム宣言に違背し、捕虜を主にシベリアに移送して労働を強制した。抑留された元日本兵は約60万人。

抑留期間は最長で11年に及び、劣悪な労働環境下で6万人が死亡したともいう。元抑留者に一時金を支給する「シベリア特措法」が2010年に成立したが、対象は生存者に限られ、一時金を受け取ったのは少数にとどまった。
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