2016年11月1日火曜日

福島原発事故が起きて4年経過した2015年01月06日から01月10日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事 その2

2015年01月07日(水)
投票数の操作が現に行われた以上、過去の選挙でも同様の行為があったとの疑いが生じる

<票水増し>青葉区選管、国民審査でも

2015年01月07日水曜日 河北新報


 昨年12月の衆院選で仙台市青葉区の開票作業に当たった市職員が小選挙区の無効票などを水増しした問題で、市選管と青葉区選管は6日、最高裁裁判官国民審査でも水増しがあったと発表した。

何者かが架空の886票を有効票などに加算していた。不在者投票などの集計ミスにより確定投票者数に比べて実際の票数が不足し、つじつまを合わせたとみられる。

 有効票数の操作という選挙の有効性、公正性を揺るがす事態を受け、市は同日、公選法違反の疑いがあるとして、宮城県警に事実関係を伝えた。刑事告発も検討する。

 両選管によると、小選挙区の水増し発覚後の調査で2日、国民審査でも、担当者の集計ミスで不在者、点字投票をした計886人が二重計上されていたことが判明した。

 記録と突き合わせた結果、実際の総投票者数は、開票直後に発表した確定投票者数(11万2808人)より1005人少なく、水増しが発覚した。開票作業で不足した票を埋め合わせるため、架空の500票は裁判官を「信任」とみなす有効票に上乗せし、持ち帰り票も505票と捏造(ねつぞう)した可能性が高い。うち119票は本当に持ち帰られた票だった。

 両選管は、小選挙区で水増しを実行した職員と、了承した青葉区選挙課長(区総務課長)の2人のほか、開票作業に携わった7人から聞き取りを実施。関与した職員を断定できる証言などは得られていないという。

 確定投票者数は中央選挙管理会が確定しているため、訂正できない。
 奥山恵美子市長は緊急に記者会見し、「重ねて市民の信頼を裏切ることになり、大変申し訳ない。市長として責任を感じる」と謝罪した。

<票水増し>証言曖昧、実行者も不明

2015年01月07日水曜日 河北新報

 昨年12月の衆院選での仙台市青葉区の開票作業で、同時に行われた最高裁裁判官国民審査の有効票500票を水増しするという市職員の不正処理が6日、新たに明らかになった。

市の聴取に対し職員の証言が曖昧で、実行者の特定に至らないというお粗末さ。身内による調査の限界も露呈し、混迷を深めている。

◎仙台市選管「解明できない」

 「対外的に公表できるレベルで、全容を解明できていない。証言が周囲の話と矛盾したり、覚えていなかったりという状況だ」。木村純一市選管事務局長は同日の記者会見で、職員への聞き取りの現状を説明した。
 昨年12月25日、開票作業に当たった男性職員と青葉区選挙課長を兼ねる同区総務課長による小選挙区の投票数の水増しが発覚。年末年始も休日返上で調査した結果、問題は国民審査にも波及し、聞き取り対象者も2人から9人に拡大した。

 調査を開始した12月17日以降、十分な時間があったにもかかわらず、全体像の把握には遠い状況だ。国民審査に関する聴取に対し、総務課長は「確定投票者数と投票数に1005の開きがあったことは認識していたが、その後の処理は記憶が曖昧だ」との趣旨の話をしているという。

 記者会見に同席した後藤秀一区選管事務局長は「われわれの調査はどこかで限界が来る。第三者による調査や刑事告発を検討しなければならない局面もあり得る」と述べた。

 両事務局長とも組織ぐるみの関与は否定した。

一方で投票数の操作が現に行われた以上、過去の選挙でも同様の行為があったとの疑いが生じるのは避けられない。

 奥山恵美子市長は「不適切な処理のきっかけとなった投票者数の二重計上はいつも起きるわけではなく、常態化はないと思っている。現時点では、過去の選挙結果を見直す必要はない」と強調している。

日本の選挙制度運営の根幹である選挙管理委員会が現場で、投票数を操作できることが判明した。

これは日本と云う民主主義を標榜する国民国家にとっては致命的な事態だ。


しかし大手新聞テレビは何故か大きく取り上げない。

やはり総務省あたりからメディアの幹部にお触れがまわったのだろうか?

そんなことでパス出来るような問題ではない
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福島県の子ども2万4873人が4年後の今も避難している。
子ども避難子ども避難2万4873人 前回調査比1194人減少 県発表

2015/01/07 09:48 福島民報

 県は6日、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う18歳未満の子どもの避難状況を発表した。平成26年10月1日現在、県内、県外の総避難者数は2万4873人で、前回調査(26年4月1日)に比べ1194人減った。県外避難者数は1万2436人で県の調査で初めて、県内避難者数1万2437人を下回った。

 県外避難者数は前回に比べ872人減った。最も多いのは福島市の2260人で、次いで郡山市2088人、南相馬市2058人などの順となっている。

 県は、除染や自然減衰に伴い空間放射線量が減少していることをはじめ、18歳以下の医療費無料化などの子育て施策の充実などが帰還を徐々に促したとみている。

 ただ、長引く避難生活による経済的理由や家庭の事情などで県内への帰還を選択せざるを得なかった人もいるとみられ、県子育て支援課は「県内に戻った人を含め子育て不安の解消にさらに力を入れたい」としている。 
  
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翁長知事、政府と面談未定 キビ交渉、異例の事態、沖縄タイムス
2015年1月7日 05:25

 翁長雄志知事は6日、サトウキビ交付金関係の政府要請、全国知事会出席のため上京した。ただ、農林水産省や内閣府など関係省庁では大臣級との面談だけでなく、対応者や時間帯が未定という異例の状況だ。県秘書課も「知事会以外は白紙状態」とし日程取りに苦労している。翁長知事は就任後、政府・自民党から一貫して冷遇されており、県政運営を左右する重要な予算折衝を前に引き続き厳しい対応を強いられている。

新基地反対 冷遇続く

 翁長知事は7日にJA沖縄中央会とともに西川公也農水相にサトウキビ関係の要請を予定していた。自民党関係者によると、農水相とJA幹部との面談日程は決まっているが、翁長知事の同席は厳しいとしている。自民党は中央会が要請する党野菜・果樹・畑作物等対策小委員会への県側の出席を認めないとの方針を示している。

 仲井真弘多前知事は昨年、関係団体役員らと自民党農林部会長や党野菜・果樹・畑作物等対策小委員会の委員長、農水相に会い、直接要請していた。

 翁長知事は内閣府も訪ね、次年度予算の確保を要請する予定だが、対応者や時間などは未定という。

 自民党は次年度の沖縄振興予算を話し合う8日の党沖縄振興調査会と美ら島議連の合同会議に翁長知事の出席を求めない考えだ。例年、知事や副知事、県執行部が出席し、県の次年度予算の要望を聞き取る場となっていた。

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する翁長県政への厳しい対応が顕著になっている。翁長知事は、昨年末に就任あいさつなどで上京した際も、面談できた大臣は山口俊一沖縄担当相のみ。安倍晋三首相や菅義偉官房長官らとの面談は実現しなかった。

伊勢における年頭の記者会見で国民の安全と生命を守るのが自分の仕事だと明言した安倍首相。彼の国民の中に沖縄県民は入っていないのだろうか?

翁長知事、農相要請も未定 自民県連、日程調整断る
2015年1月7日 琉球新報

 翁長雄志知事は6日、沖縄振興予算に関する要請や全国知事会への出席のために上京した。ただ、同日夕の段階で全国知事会以外の日程は決まっていない。

7日にJA沖縄中央会と共に行う方向で調整していた西川公也農相へのサトウキビ交付金維持に関する要請については、自民党の西銘恒三郎衆院議員が同行することが決まったが、翁長知事の同行は調整がついていない。

 農相要請についてJA沖縄中央会は自民党県連を通して調整した。一方、県側も自民党県連を通じて日程調整を依頼しているが、県連は「翁長知事の要請は断った」としている。

 自民党本部は2015年度の沖縄振興予算について議論するため8日に開く沖縄振興調査会についても翁長知事には出席を求めない方針。例年は県にも案内していた。県によると、西川農相との会談を調整する中で、自民党県連から調査会についても知事出席を求めない意向を伝えられた。

 知事は東京滞在中に振興予算に関する要請で内閣府への訪問も調整しているが対応者は未定。

 翁長知事は6日の上京前、報道陣に対し「沖縄振興調査会に招かれないのは残念だが、(政府・与党の対応を)県民や本土の人に見ていただければいいと思う。会える人がいれば気持ちは伝えたい」と述べた。
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福島原発の海洋放出セシウムは20~30年で日本に戻る,Yahooニュース
長期に渡る放射能汚染、原発つくれる場所ない日本

一部引用・・

青山道夫氏(気象研究所地球化学研究部主任研究官)インタビュー

気象研究所は、半世紀以上に渡る世界最長の放射能観測を継続しています。東京電力福島第一原子力発電所で過酷事故が発生するなか、放射能観測の中核を担っている気象研究所の地球化学研究部・主任研究官の青山道夫さんにお話をうかがいました。

ビキニ事件を契機に放射能観測スタート

――気象研究所が放射能観測研究を始めるきっかけは何だったのでしょうか。また、どのような観測を行っているのでしょうか。

1954年3月1日、アメリカが南太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験によって、静岡の漁船・第五福竜丸が被曝しました。このとき、第五福竜丸の乗組員が被曝しただけでなく、海洋も大気も放射能で広く汚染され、日本列島にも「放射能雨」が降り注ぎました。

このビキニ事件を契機にして気象研究所は1957年から海洋と大気の放射能観測研究をスタートさせたのです。ビキニ事件の当時、気象研究所にいた故三宅泰雄氏や故猿橋勝子氏をはじめとする研究者たちが、ねばり強く放射能汚染の実態を調査した結果によって、核実験による環境汚染の問題が広く認知されるようになったのです。

私は1984年に気象研究所に呼ばれ、放射能観測研究を託されることになり、現在は主に海洋汚染の問題を担当しています。海洋における放射能の観測は、太平洋を航行するさまざまな船に海水をくんで来てもらって分析します。

大気については、気象研究所の敷地内(茨城県つくば市)に、大気中の微粒子をフィルターでつかまえる方法と、2メートル四方と1メートル四方の器に雨をためることで大気中に漂う微粒子を集める方法で、放射能を測定しています。

長期継続の放射能観測と実際の避難に役立つ拡散予測が必要

――1957年以来54年間にも渡って途切れることなく海洋と大気の放射能観測を行い、今後も継続していくことがなぜ重要なのでしょうか。

私の研究の役割を説明することで、継続した放射能観測の重要性が分かってもらえるかと思います。環境放射能についての私の仕事は大きく言うと二つあります。

一つは、核実験やチェルノブイリ事故、福島原発事故などで放出された人工放射能が海洋においてどうなっているかを研究する仕事です。人工放射能が、どれだけ海に降り注いで、どのように海洋汚染が広がっていくのかを観測によって明らかにするのです。放射能は長期に渡って地球規模の汚染をもたらしますから、観測自体も長期間継続的に実施する必要があるのです。

二つめは、長期に渡る観測を分析して、海洋の放射能汚染がどう広がるのかを研究し、さらに物質輸送モデルなどを使って再現計算を行うことです。1950年代や60年代の核実験での海洋の放射能汚染が30~40年でどう動いてきたかを分析すると、海洋の放射能がどう挙動するのかが分かります。地球環境が激変しない限りは同じ挙動をするので放射能汚染の予測モデルをつくることができます。

日本だけでなく、世界にこれだけ多くの原発が存在する限り、私は世界のどこかで必ず原発事故が起きると思ってきました。

私は、岩波書店の雑誌『科学』1999年1月号に「動燃東海事故による放射性セシウムの関東平野への広がり」と題した論文を発表しています。

この論文の中で「今回も示されたように観測データはしばしば人間が予測できないことを教えてくれるので、切れ目のない試料採取と観測・計測は事故時の評価とともに、事後の評価をおこなう上でも重要である」と述べるとともに、「事故が発生してから予測モデルを動かすのではなく、あらかじめ典型的な気象条件と放出条件を想定して、拡散予測をおこなっておくことも必要」と指摘していました。

また、アメリカや旧ソ連などが1945年から1980年にかけて実施した大気圏内核実験で降り注いだ放射性セシウム137の海中濃度が、日本近海で最近約10年間、ほとんど減らず横ばいのままであることが2010年10月に私の研究チームの分析で分かっています。

約30年の半減期のセシウム137の放射線が減少し続ける一方で、南から来る黒潮に乗ったセシウム137が再び流れ込み濃度が維持されているのです。

核爆発で成層圏に上った後、ジェット気流などに乗り日本列島の太平洋側とアメリカ東海岸に最も多く降下し、中国が最後に大気圏内核実験を実施した1980年以降は、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故を除き、新たに発生する原因はありません。

ところが、海水を採取したところ2000年から2010年にかけて、日本列島の近くでは、黒潮に沿った深さ約400メートルの海中で海水1立方メートル当たり2.0~2.5ベクレルのセシウム137が検出され続けました。

過去の核実験で日本列島の太平洋側に降下したセシウム137は海中に沈み、太平洋を東に移動します。途中で西に方向を変えた後、フィリピン沖で折り返し赤道に沿って東方向に進んでいるのですが、この折り返し地点で一部が黒潮に乗っていることが判明したのです。

こうした放射性物質の移動状況を参考にして、原発事故が起きたときの被害の広がりを予測することができるのです。

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アメリカ 「村山・河野談話」の継承を,NHKNEWSweb
1月6日 10時26分

戦後70年となることし安倍総理大臣が発表するとしている「総理大臣談話」について、アメリカ政府は、過去の植民地支配と侵略に対し痛切な反省を表明した村山元総理大臣の談話や、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡り謝罪と反省を示した河野元官房長官の談話を継承する形であることが望ましいという考えを示しました。

安倍総理大臣は5日の記者会見で、戦後70年となることし発表するとしている「総理大臣談話」について、戦後50年の1995年に当時の村山総理大臣が過去の植民地支配と侵略に対し痛切な反省を表明した談話など歴代内閣の立場を引き継ぐ考えを示しました。

これについてアメリカ国務省のサキ報道官は5日の記者会見で、「村山元総理大臣や河野元官房長官による謝罪の表明は日本が周辺国との関係を改善する重要な区切りとなった」と述べ、アメリカ政府としても新たな総理大臣談話がいわゆる村山談話や河野談話を継承する形であることが望ましいという考えを示しました。

そのうえでサキ報道官は「引き続き周辺国と協力し、歴史を巡る懸念を対話を通じて友好的に解決するよう促していきたい」と述べ、中国や韓国との関係改善に向けた取り組みを促しました。

菅官房長官「米国も理解」=安倍内閣の歴史認識

(2015/01/06-13:03)時事ドットコム

政府・与党連絡会議であいさつする安倍晋三首相(右から3人目)。左手前から公明党の井上義久幹事長、自民党の谷垣禎一幹事長、高村正彦副総裁、公明党の山口那津男代表=6日午後、首相官邸

 菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、安倍晋三首相が8月に戦後70年談話を発表することに関し、「安倍内閣は村山談話を含めて歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる。日本の歴史認識は米国にも説明しており、米国も十分理解していると思う」と述べた。

 米国務省のサキ報道官が、戦後70年談話をめぐり、村山富市首相の戦後50年談話や、従軍慰安婦問題に関する1993年の河野洋平官房長官談話の歴史認識を維持するよう求めたことに関する質問に答えた。 

 首相は6日昼の政府・与党連絡会議で、戦後70年談話について「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後日本としてアジア太平洋地域や世界のために、どのような貢献を果たしていくのか、世界に発信できるようなものを英知を結集して考え、新たな談話に書き込む考えだ」と説明し、理解を求めた。

 談話作成に向けた有識者会議の設置など今後の段取りについては、菅長官が会見で「しかるべきタイミングを考えている」と述べるにとどめた。
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2015年01月06日(火)
自民党は翁長沖縄県知事、つまり沖縄県民を敵視すると決めたようだ。
自民、知事対話拒む 8日の沖縄予算会議

2015年1月6日 05:35 沖縄タイムス

【東京】自民党は、次年度の沖縄振興予算について話し合うことを目的に8日に開く党沖縄振興調査会と美ら島議連の合同会議へ翁長雄志知事の出席を求めず、翁長県政との協議を事実上拒否する方針を固めた。

合同会議は例年、知事や副知事ら県執行部が出席し、県の次年度予算の要望を聞き取る場となっている。政府に続き、自民党も辺野古移設反対を主張する翁長氏を冷遇する姿勢があらわになった形だ。

 沖縄振興調査会は、県や内閣府沖縄担当部局から沖縄の予算要望を聞く党本部の唯一の組織だ。会長は猪口邦子参院議員。自民党は、JA沖縄中央会(新崎弘光会長)がサトウキビの交付金を要請する7日の党野菜・果樹・畑作物等対策小委員会にも県側の出席は認めない方向だ。県とJAは翁長氏の出席で調整を進めていた。

 自民党関係者は5日、本紙の取材に、辺野古問題の考え方で翁長氏と党で隔たりが大きいとし、「今後は県から直接ではなく、県連を通して要請を受ける」との考えを示した。

 これを受け、県は日程を再検討。翁長氏の上京は流動的になっている。翁長氏は取材に対し、「現在、東京事務所が調整している。昨年の余韻が残っている感じがする」と話し、知事選での自民党との対立や総選挙後の影響があるとの考えを示した。

 沖縄振興調査会は昨年8月、県や内閣府から2015年度沖縄振興予算の概算要求説明を受けた際には、「予算確保の原点は、仲井真知事の熱意や政府との強いタッグマッチ。必ず沖縄の要望を達成できるよう頑張りたい」(猪口会長)と述べるなど、仲井真県政との協力関係をアピールしていた。

「歴史を振り返り挑戦」名護市長、戦争の風化懸念

2015年1月6日 08:10 沖縄タイムス

 【名護】稲嶺進名護市長は5日、市役所での仕事始めの職員向け訓示で、「昨年の(安倍)政権は暴走気味の馬のごとく走ったともいえる。ことしはひつじ年で、芯を通すというイメージもあるようだ。

私たちもこれまでの歴史を振り返り、新しい挑戦に向かう2015年でありたい」と述べた。

 稲嶺市長は、「昨年は選挙イヤーだったが、ウチナーンチュのアイデンティティーや自決権という思いを意思表示した1年だった」と振り返った。

 その上で、ことしは戦後70年を迎えるが、戦争の風化が懸念されると指摘。「唯一の地上戦のあった沖縄で20万人以上の尊い命を失ったことを忘れてはいけない。心にしっかり留め、次世代のために、今いる私たちがしなければいけないことに対し、責任を果たさないといけない」と語った。
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大熊と双葉両町民、避難先で自宅購入急増、河北新報
2015年01月06日火曜日

 立地する東京電力福島第1原発の事故で全町避難が続く福島県大熊、双葉両町の町民のうち、いわき市などの避難先で自宅を購入した世帯が急増していることが、復興庁が実施した町民意向調査で分かった。

両町とも2013年秋の前回調査では購入済みの割合が約10分の1にとどまっていたが、今回、約4分の1を占めた。

 現在の住居形態を聞いた結果、「持ち家」と答えたのは大熊町が24.1%、双葉町が27.3%で、ともに借り上げ型の仮設住宅(大熊町34.2%、双葉町34.4%)に次いで多かった。

 前回の調査では、「持ち家」は大熊町9.1%。双葉町12.8%だった。帰還のめどが立たない中、落ち着いた生活を送るため、移住も視野に、自宅を求めている姿がうかがえる。

 一方、帰還の意向については、「戻らないと決めている」が大熊町で57.9%、双葉町で55.7%に上ったが、前回よりそれぞれ9.2ポイント、9.0ポイント低下した。

 「戻りたいと考えている」は大熊町が13.3%(前回比4.7ポイント増)、双葉町が12.3%(2.0ポイント増)。「判断がつかない」は大熊町25.9%(6.1ポイント増)、双葉町27.9%(10.5ポイント増)だった。

 こうした意向の変化には、両町で将来計画の策定が進んでいることや、今回から「戻りたい」の選択肢に「将来的な希望も含む」との注釈を加えたことが影響しているとみられる。双葉町の伊沢史朗町長は「避難先での生活の安定化が進み、町の復興への期待が逆に高まっているのではないか」との見方を示した。

 調査は昨年9~10月、両町の全世帯(大熊町5353、双葉町3371)に郵送で実施。回収率は大熊町52.8%、双葉町51.6%だった。
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今年は毎月、世界史の中の70周年が巡ってくる
『from 911/USAレポート』    第681回
JMM [Japan Mail Media]   No.827 Saturday Edition

「戦後70年という年月とどう向き合ったらいいのか?」

冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)


 2015年になりました。1945年に第二次大戦が終結を見てから、70年という年月が経とうとしています。

この2015年は自動的にその「戦後70年」の年にあたります。このことには大きく二つの意味があると思います。一つは、これから毎月のように大戦末期の主要行事が続いていくということです。

もう一つは、その集成として、やはり「第二次大戦の歴史的意味」が問われ続け、その延長上に「第二次大戦における戦勝、戦敗の今日的な意味」に関する議論からも逃げられない、そのような1年になることを覚悟しなくてはなりません。

 まず、これから9月に至る「70周年のカレンダー」を確認しておきましょう。

1月27日  アウシュビッツ収容所解放
2月4日   ヤルタ会談
2月13日  ドレスデン大空襲
3月10日  東京大空襲
3月13日  大阪大空襲
3月26日  硫黄島守備隊全滅
4月25日  ムッソリーニ政権崩壊(以降イタリアは連合国側に参加)
4月30日  ヒトラー自殺
5月2日   ベルリン陥落
5月15日  欧州戦線終結
5月29日  横浜大空襲
6月23日  沖縄戦終結
6月26日  国連憲章調印
7月16日  アメリカ原爆実験成功
7月26日  ポツダム宣言
8月6日   広島への原子爆弾攻撃
8月9日   ソ連参戦(未明)
8月9日   長崎への原子爆弾攻撃(朝)
8月10日  御前会議にてポツダム宣言受諾を決定
8月15日  玉音放送
8月18日  ソ連軍千島戦線開戦
8月28日  連合軍先遣隊厚木上陸
8月30日  連合国最高司令官厚木上陸
9月2日   USSミズーリ艦上にて降伏文書調印

 という具合で、ほぼ毎週のように「70周年記念日」がやってくることになります。例えば、5月までの欧州戦線、そして8月15日直前までの日本への空襲ということでは、毎日のように多くの非戦闘員の居住する都市を標的とした攻撃が行われていたわけで、それこそ一日刻みで多くの犠牲者が出ていたわけです。

 この非戦闘員を巻き込んだ大量虐殺に等しい「都市への無差別攻撃」という問題からして、「70周年」をどのように迎えたらいいのかは、非常に難しい問題です。ある立場に立てば、日本人やドイツ人への無差別攻撃は戦争犯罪に等しいという評価が可能になります。一方で、そのように自国民を危険に晒しておきながら、尚も自身の属する組織の維持を優先して戦闘を続行した指導者に責任を負わせるという立場もあるでしょう。

 また、改めて国家に自分を投影しながら、空襲被害への怒りを旧敵国に向けていくという立場も、最近の世相に照らして増えつつあるように思います。一方で、戦勝国の中には、こうした空襲や核攻撃への反省よりも、戦勝と戦後世界をリードした自分たちの「原点」をこの「70周年」に当たって確認したいという立場があります。いや、戦勝国の場合はその方が主流であると言えます。

 こうした中で、この「70周年」とどう向き合ったらいいのでしょうか?

 3つ考えてみたいと思います。

 1つは、70年という区切りにあたって、厳粛な態度で一貫する、そのことを国家としても、その社会としても心がけたいということです。70周年を巡って、改めて争いを煽る、あるいは一方的な名誉回復や一方的な断罪の場に利用するということは避けなくてはなりません。

 では、その「厳粛さ」ということはどのように実現できるのでしょうか? この点に関しては、同じように今年70周年を迎えるドレスデンの空襲に関して、その50周年、すなわち1995年に行われた追悼祭において、当時のドイツのヘルツォーク大統領が行った演説にある「相殺の論理を認めず」という精神が参考になると思います。

 この「ヘルツォーク演説」に関しては、共同通信OBで伝説的なジャーナリストの松尾文夫氏が著書『銃を持つ民主主義』などで紹介されています。

松尾氏の解説によれば、ヘルツォーク氏は「生命は生命で相殺はできません。苦痛を苦痛で、死の恐怖を死の恐怖で、追放を追放で、戦慄を戦慄で、相殺することはできません。

人間的な悲しみを相殺することはできないのです」と述べています


 松尾氏によれば、「「死者の相殺はできない」との論理で、アメリカ、イギリスに対し、非戦闘員爆撃の責任を認めることを言外に迫」るのがこの演説の趣旨であり、その上で、「まず死者を悼んだあとで、かつての敵も味方も一緒になって「平和と信頼に基づく共生」の道を歩もうと、旧連合国との「和解」を宣言する」内容であったというのです。

 重要なのは「暴力や恐怖への復讐の連鎖を断つ」ということであり、そのためには、戦勝国と戦敗国が「戦没者への追悼」ということで、同じ位置に立って微動だにしないということ、言い換えればそういうことになります。

これも松尾氏がこの間、長い間テーマとしておられることですが、この「ドレスデンの共同追悼」という精神に見習って、日米の相互献花外交というもの、これを何とかして70周年の今年に実現はできないものでしょうか?

 まず年の前半に安倍首相がハワイ州オアフ島に沈没したままとなっている戦艦アリゾナに献花を行い、これを外交の相互性の精神にしたがって8月6日にオバマ大統領による広島、そして9日に長崎での献花という儀式に結びつける、何とかして、この2015年にこの「相互献花外交」が実現できればと思います。


 オバマ大統領は支持率が低下しており、そのようなシンボリックな行動を行うだけの政治的なパワーを喪失している、昨年の半ばには私はそんな感触を持っていました。ですが、オバマ大統領は、昨年末に思い切った「不法移民の合法化」と「キューバ承認」という大胆な行動に出たことで、支持率が上昇するとともに、強いドルの復活と世界経済をリードする成長性を実現しつつあります。

 そうした政治的な環境の下で、難しいと思われた「相互献花外交」が可能になる可能性も出てきています。そのように両首脳が厳粛な姿勢を示すことで、日米関係、そしてアジアの安定と平和ということの軸がブレないことを示す、これこそ、民間人犠牲者を含む戦没者への最大の追悼になるのではないでしょうか。

 2つ目は、この2015年は同時に「国際連合創設70周年」にあたるということです。それは、一つの国際機関が設立されて70年間存続したという意味には止まりません。世界的な平和維持機関が70年という長い時間、有名無実化することなく機能して、少なくとも「世界大戦の勃発や大量破壊兵器の本格的な使用を抑止した」という事実は重たいと思います。

 この国連憲章の調印ですが、これは1945年の6月26日で、日本はまだ交戦中という状況です。この点だけ見れば、唯一残った枢軸国の日本をカヤの外に置きながら「連合国」側が一方的に「戦時の組織である連合国」を「平時の組織である国際連合」に改組したように見えます。

 確かに、英語で言えば「連合国」も「国際連合」も同じ "The United Nations" であるわけですが、国際連合憲章("Charter of the United Nations")に調印をする前の「戦争のための同盟国」である「連合国」と、憲章によって構成された「国際連合」は機能も、法的な地位も全く異なります。と言いますか、国連憲章というのは国際法そのものとして機能しているわけで、国連設立後の、そして国連が機能している世界というのは、それ以前とは全く別の世界になっていると言えます。

 この国連と日本の関係ですが、1945年に陸海軍が無条件降伏を行い、米国の単独占領を受け、1952年にサンフランシスコ体制として再独立するも、ソ連の反対で加盟が認められず、56年になってようやく加盟ができたという理解がされています。つまり「国連にも加盟できない9年間」に戦前の主要国からヒラの一つの国に格下げされて、その低い地位のままずっと金だけ払わされて来たようなイメージも一部にはあるわけです。

 ですが、国連の設立と日本の関係はそんなに単純なものではありません。まず、国連憲章は「ドイツが降伏したから」調印されたのではなく、6月末の時点で日本の降伏が秒読みになったということと並行して調印が進んだということがあります。つまり、日本を現在進行形の敵国としつつ日本を打倒するためではな

く、日本のような国際社会への反逆者を出さない、あるいはドイツや日本のように主要国でありながら他の主要国に総力戦で挑みかかるような現象を二度と発生させないという、正に「世界大戦抑止=恒久平和」への政治的試みとして成立していったということがあります。

 例えば、日本が再独立を果たしたサンフランシスコ講和条約には、国連憲章への遵守ということがハッキリと入れらています。また、アメリカにとっては、第一次大戦後の「国際連盟」の時には、結局は議会の批准に失敗して加盟できなかったわけです。

いわば、建国以来の「国のかたち」に含まれている「孤立主義」のためですが、今回の「国際連合」においてはそのような「孤立主義」を放棄した、つまりアメリカは「国のかたち」に変更を加えて国連に加盟し、サンフランシスコ講和を主導し、その結果としての「太平洋の平和」を志向したのだと思い
ます。

 もちろん、この時期の国際情勢においては、何もかもが冷戦、つまり中ソとの対決という問題を抜きにしては語れないわけですが、その冷戦というゲームを「本音」として戦いながら、「建前」の世界としての国際連合の構築をやった、その中で、日本は再独立と国連加盟への難しい外交をやって、戦後世界の中に立ち位置を獲得していったわけです。

 そうした「国連の成立と日本」という複雑な歴史、その一方でその国連が70年にわたって曲がりなりにも機能してきたこと、加盟後の日本が例えば核不拡散条約の成立を主導するなど、国連外交の中で決して金を出すだけでない大きな役割を果たしてきたことなど、国連の70年、そしてそれに重なる日本の成果という意味での「70周年」を考える年にしたいと思うのです。

 3つ目は、「70周年は通過点」だということです。戦勝・戦敗の関係が、追悼を共同の行為とすることで和解へ向かう、そのような姿勢には終わりはないのです。また国際連合が決意している「二度と世界大戦を起こさない」という命題にも終わりはないのです。

 ということは、第二次大戦に関する現在の「国際社会の理解」は今後も続くということです。例えば、日本では「もう戦後ではない」とか「戦後ではなく新たな戦前だ」などというような言い方があるわけですが、少なくとも国際連合があり、国際連合が志向している「世界大戦の再発をさせない」という姿勢には変化はあり得ないということです。

 そうなると、日本の「ある意味での戦敗国というステイタス」には永久に変化を起こすことはできなくなります。二重の意味でそうです。つまり、第二次大戦を最後まで戦ったこと、ドイツやイタリアとは異なり「国のかたち」の中の形式的な面、つまり天皇制度と終身雇用官僚制が温存された、また国内的には憲法の停止がされなかったということなど、戦前戦後の継続性を背負っているからです。

 つまり、国連が当初の目的の通りに今後も機能し、第二次大戦が「人類にとって最後の世界大戦」であり続けるならば、日本は「未来永劫に戦敗国」であり続けるということになります。

 もちろん、日本の「国のかたち」に関して言えば、形式的な面での戦前からの一貫性、そして「生身の」日本人、日本社会、日本文化の一貫性ということはあるわけですが、同時に本質的な部分における平和主義であるとか、国際協調主義、民主主義ということでは、連続的な変化を遂げて「新しい日本」になっているわけです。現在の日本はその二重性の上にあるわけです。

 ですから、本質では「新しい日本」であるが、生きた物としての人間、社会、文化、これに加えて国家の一部の形式に関しては戦前を継承している部分もゼロではないという二重性です。

 したがって「新しい」部分に関しては日本は普通の国ですが、過去を継承している部分に関しては、日本は「敗戦国である枢軸国家」のステイタスを継承しており、その分だけ自他に対して「恭順国家」であることでバランスを取る宿命にあるのだと思います。

 国際社会はそのような「日本の二重性」を理解し、許しているように思います。したがって、日本人もその「二重性」を理解し尊重し、次世代に継承していくことが必要になってきます。そうした日本の「立ち位置」に関しては、変更のしようはないし、今後も続いていくということになると思います。

 そうした二重性ということがあるものの、本質的な部分においては、日本の「国のかたち」ということでは、戦前戦後では大きな違いがあり、日本は「新しい日本」になっている、そのことは日本がサンフランシスコ講和を行い、国連に加盟したということの大前提になっているのです。

こうした大前提については、この「70周年」において、再確認が求められることはあっても、変更する必要ないし、変更が可能である問題でもないように思います。

 いずれにしても、相互献花外交などの共同での追悼行為、そして国連と日本の70年を正当に評価すること、その国連や戦後の日本の現状は不変であるということ、この3つの観点を軸に、この重要な「戦後70年」の年を見ていきたいと思うのです。

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これまでハローワークは求人の申し込みはすべて受理しなければならなかった!

ブラック企業の求人受けず 若者雇用でハローワーク 

2015/01/06 02:00 【共同通信】

 過酷な労働を強いるブラック企業対策を強化するため、厚生労働省は5日、残業代不払いなどの違法行為を繰り返す企業の新卒求人をハローワークで受理しない制度を創設する方針を固めた。1月召集の通常国会に提出する若者向け雇用対策法案の柱とする。

 法案には若者の職場定着率が高い企業などを優良企業として認定、支援する制度や、若者の職業能力を客観的に評価し、正社員化を支援する制度の整備などを盛り込む。9日の労働政策審議会の部会に法案の基となる報告書案を示す。

 現在の法律では原則、ハローワークは「求人の申し込みはすべて受理しなければならない」と規定している。
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日本原電、再稼働遅れで存立の危機 原発の保守や廃炉の「受け皿会社」に?JC
2015/1/ 4 14:30

我が国の原子力発電の草分けで、国策会社でもある日本原子力発電が窮地に陥っている。

原子力規制委員会の有識者会合が2014年11月、敦賀原発2号機(福井県敦賀市)の直下を走る断層を「活断層」と改めて認定したことで、同原発の再稼働が難しい状況だからだ。

敦賀2号機は、日本原電の経営の「生命線」だけに、経営形態の見直し論も浮上している。

日本原電は1957年に電力大手9社と電源開発が共同出資して設立した原子力発電専業会社で、1966年に国内初の商業用原発となる東海原発(茨城県東海村)の営業運転を開始した。

再稼働を申請している東海第2見通しつかず

東海原発は1998年に運転を終了し、国内商業用原発で初めて廃炉作業に入っており、現在は東海第2原発(同)、敦賀原発1、2号機の3基を保有。東京、関西、中部、東北、北陸の電力大手5社に電力を販売していたが、東京電力福島第1原発事故のため、2011年5月までに全原発が停止し、そのままの状態が続いている。

3基のうち東海第2は再稼働を申請しているが、福島第1原発と同じ「沸騰水型」(BWR)のため審査に時間がかかるのは必至。1970年に運転を開始した敦賀原発1号機の運転期間は地元自治体との約束で2016年までとされ、廃炉が検討されている。

また、敦賀3、4号機の建設計画もあるが、今のところ政府は原発新増設の可否を判断できる状況にはなく、現状で建設の可能性は限りなくゼロに近いというのが実態だ。

次のページ頼みの綱の敦賀2号機も有識者会合で「活断層」
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イランでイスラム教と仏教の対話、イラン日本語放送
2015/01/01(木曜)

テヘラン南方の宗教都市ゴムの宗教大学で、イラン、ミャンマー、タイ、スリランカのイスラム教徒や仏教徒の思想家が出席し、イスラムと仏教による対話が開催されました。

文明と宗教の対話センターのヘルミー所長は、暴力や過激派に対抗する上でのイスラム教徒と仏教徒の協力をテーマにしたこの対話では、主に、過激派や暴力との対抗、イスラム教徒と仏教徒の平和共存を強化するための双方の指導者の協力の必要性、宗教的な価値観への尊重について話し合われたと語りました。

この対話の参加者は、最終声明を発表し、過激で暴力的な行動を非難すると共に、公正を伴う平和の土台作りのために、様々な宗教や思想の指導者、信奉者が努力し、協力することが必要だとしました。

また、過激派と暴力のない世界の実現に向けた努力と平和共存の強調、様々な思想や宗教の教えと神聖の尊重、宗教の名のもとに世界で行われている過激で暴力的な行動への非難、現在の国際問題を解消するための、様々な宗教の信者たちの連帯と結束、無宗教に対する共通の立場の強調、これらが、今回の対話の議題でした。

イランイスラム情報文化機関のイブラーヒーミー・トルキャマーン会長は、この対話の傍らで、世界各地に存在する暴力に触れ、「根拠のない信条を定着させるための努力は、暴力や過激派を拡大させる」と語りました。

また、宗教大学のナッヴァーブ学長も、イスラム教徒と仏教徒は、世界の人口の3分の1以上を占めているとし、「この2つの宗教は、より明るい未来を実現するために努力すべきだ」と強調しました。

引用元
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2015年新聞1面の記事 朝日と産経がともに扱った「日本の心」とは?、ハフポスト

水島 宏明 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター

2015年01月04日 09時49分 JST

2015年1月3日の新聞各紙の一面

毎年、1月3日の一面トップの記事は、それぞれの新聞社の「問題意識」や「重視するテーマ」が反映される。

もちろん1月1日の記事も大事だ。ただ元日の記事は大晦日の夜のうちに配達してしまうため紙面づくりは年内に行われる。また1月2日は休刊日だ。というわけで1月3日が新しい年に取材した記事が載る最初の機会となる。

そこで2014年に引き続き、2015年の初春の新聞一面記事を中心に各社で読み比べてみたいと思う。

2015年は「戦後70年」という節目だ。各紙もそれを意識した連載をスタートさせている。

そのなかで、ふだんはまっこうから主張が違うはずの朝日新聞と産経新聞の記事の共通点が目を引いた。

●朝日新聞の一面トップの見出しは「和の心秘め 米に忠誠」
(戦後70年)日系人、米国で咲かせた「多様性」

おかげさまで。英語ではビコーズ・オブ・ユー。

40年前、この言葉をモットーに知事選に臨んだ日系人がいた。現在、88歳のジョージ・アリヨシだ。米国で戦後初の非白人知事となった日系人2世である。

日本を思うとき、アリヨシの胸に浮かぶ一人の男児がいる。舞台は終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)に接収された日本郵船ビル。米軍人としてアリヨシは焦土の東京に駐留した。最初に言葉を交わしたのは、7歳の少年だった。

出典:朝日新聞デジタル
元日から始まった連載記事「鏡の中の日本 戦後70年 第1部」のシリーズ記事で、ハワイの日系移民から米国で初の非白人知事になった
ジョージ・アリヨシ元知事(88)の半生を追ったルポ記事だ。

記事には、アリヨシ元知事のこんな言葉が登場する。

戦後、米軍人として東京に駐留したアリヨシ氏は、7歳の少年に食料を手渡した際にも食べようとせず、自宅で待つ3歳の妹のためにしまいこむ姿を見て感銘を受けたという。

「私は彼から、日本人の本当の心を学んだ。でも今の日本は、この精神の多くを失ってしまったように思えるのです」
古き良き日本を、冷凍したように保ち続けた人々。日系人1世や2世は、ときにそう形容される。
他方で、日米開戦の後で強制収容所に入れられ、米国のために戦うことを余儀なくされた日系アメリカ人の歴史をたどる。

新聞としてのスタンスはまったく違うのに、「海外で"古き良き日本"を探す」というアプローチが朝日新聞とよく似ているのが産経新聞だ。

●産経新聞の連載は、戦前、日本の統治下にあったパラオの老女の言葉「日本人になりたかった」という見出しに掲げる
陛下、靖国、富士、桜... 「日本人になりたかった」

〈君が代は 千代に八千代に さざれ石の~...〉

明快な日本語で「君が代」を歌い上げた94歳になる老女は、続けて「海行かば」を口ずさみ始めた。

〈海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍~〉

歌詞の意味は理解しているという。ロース・テロイさん。「テルコ」という日本人名も持ち、「日本人になれるものならなりたかった」と言った。

出典:産経ニュース
連載記事「戦後70年・序章 天皇の島から」の第2弾として、かつての日本の委任統治下にあったパラオを取材したルポ記事だ。第2次大戦で激戦地となったペリリュー島の老人らが『公学校で「礼節教わった」』『先生に毎朝「おはようございます」』などと、日本統治への「感謝」の心情が残っていると記している。

記者の以下の文章は興味深い。

そして、パラオには日本以上に日本の心が生きているのではないかー。そんな印象を抱いた。

朝日新聞も産経新聞も、それぞれ「日本の心」をテーマにし、しかも海外取材で、という点でも共通している。

ただし、産経新聞の、日本の統治下の歴史にも「(侵略や同化政策、現地の文化の奪取ばかりではなく)良かった面もある」という点を強調しようとする姿勢はこれまでと大きく変わったものではない。

その意味では論調は一貫しているし、だいたい連載の行きつく先を想像できる。

一方の朝日新聞の連載はどこに行こうとしているのだろう?

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「転進」と「タイコ持ち」の花ざかり、リベラル21
―2015年元旦各紙を読む―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 六回目の読み比べである。今年は朝日、毎日、読売、日経、産経、東京にThe Japan Times を加え七紙を読んだ。

結論を先に言うと、14年までの最近数回と比べて、紙面も評価もほとんど変わらない。むしろ紙面から年々情報量が減って退屈になっている。

お前の頭の進歩が停止した証拠だという批判があるだろう。そういう読者は是非記事を読んで具体例を示して反論して欲しい。

《朝日は「転進」したのである》

 今回は、国民的なバッシングを浴びた朝日の姿勢に注目して読んだ。
その感想は、朝日は政治権力と損得経営に屈服したというものである。

その論拠を三点挙げる。

第一に、朝日は、必要な場面でも、主体的な「我々」の意見表明をしていない。

第二に、「我々」の代わりに「第三者」の意見を展覧会風に並べ立てている。

第三に、その結果「従軍慰安婦」問題に対しての確固たる姿勢が感じられない。

以下に個別の論調と記事を紹介して私の感想の説明としたい。

 朝日社説は「グローバル時代の歴史 「自虐」や「自尊」を超えて」と題し次のようにいう。(■から■まで。「/」は中略を示す)

■頭上を覆う雲は流れ去るどころか、近年厚みを増してきた感さえある。歴史認識という暗雲だ。それぞれの国で、「自虐」と非難されたり「自尊」の役割を担わされたり。しかし、問題は「虐」や「尊」よりも、「自」にあるのではないか。歴史を前にさげすまされていると感じたり、誇りに思ったりする「自分」とはだれか。/東アジアに垂れ込めた雲が晴れないのも、日本人や韓国人、中国人としての「自分」の歴史、ナショナル・ヒストリーから離れられないからだろう。日本だけの問題ではない。むしろ隣国はもっとこだわりが強いようにさえ見える。/自国の歴史を相対化し、グローバル・ヒストリーとして過去を振り返る。難しい課題だ。だが、節目の年にどうやって実りをもたらすか、考えていく支えにしたい。■

 これは、従軍慰安婦問題での「誤報と訂正及び謝罪の遅延」を批判された朝日の反応第一声といえるものである。「自分」の歴史認識から「グローバル・ヒストリー」へという方向性の提示は、まことに優等生的答案である。

しかし私の見る限りこれは朝日の「転進」声明である。若い読者のために言うと、「転進」は、大東亜戦争のガダルカナル島攻防戦で日本軍が敗北・退却したときに出現した新語であった。

「ナショナル・ヒストリー」と「グローバル・ヒストリー」は二者択一のテーマではない。

国民国家のカベが崩れつつあるとはいえ、この二者の共存こそが、現下最大の課題である。

「ナショナル」と「インターナショナル(グローバル)」は一対の言葉なのだ。朝日新聞が真のジャーナリスト集団であれば、訂正と謝罪が済んだのだから独自の従軍慰安婦報道を開始すべきである。しかし朝日はそこから巧妙に遁走した。

 朝日一面トップは「鏡の中の日本」という続き物の第一回で、ファッションデザイナー森英恵女史の国際市場での奮闘物語である。記事は次の言葉で結ばれている。

■おしゃれは軍服から最も遠い思想である。その分野に、戦後日本はあまたの才能を送り続けている。デザイナーたちはソフトパワーの先駆けとして、自動車や家電とは別の尊敬を、国際社会で勝ち得てきた。政府や企業では得がたい憧れを。個々の胸に宿る、この国への深い親しみを。■

「視点」というコラムで「戦後70年企画」班の担当記者が「鏡の中の日本」に関して次のように言う。

■もちろん、政治や経済といった大構えのマクロの視点で考えることも欠かせない。しかし、今回の「鏡の中の日本」では、あえて具体的な個人のミクロの動きに注目したい。/国際関係は、ひとりひとりの生き方の集積でもある。そのことを今いちど思い起こそう。■

しかし、これは「慰安婦がダメなら個人があるさ」ではないのか。

《「第三者」の意見を客観的に並べ立てる》

 「第三者」の意見を展覧会風に並べている実例を挙げる。

「鏡の中の日本」に対する「世界からのメッセージ」の発信者は、チュラロンコン大(タイ)名誉教授スリチャイ・ワンゲーオ、元駐日カナダ大使ジョセフ・キャロン、芥川賞作家楊逸(ヤンイー)、ベルリン自由大教授イルメラ・日地谷・キルシュネライト、ソウル大副教授南基正(ナムキジュン)。それぞれ良いことを言っている。しかし朝日はどこに立っているのか。

 「オピニオン」欄は、『21世紀の資本』で話題のフランス人経済学者トマ・ピケテイに論説主幹大野博人がインタビューしている。大野は、コメントで言う。ここでも意見は第三者が言うのである。

■「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えて見る。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に・・・。それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことが鮮明になる」と結んでいる。■


理屈っぽく言えば、総じて朝日の「主体的な主張」が感じられないのである。

俗っぽく言えば、朝日は「へっぴり腰」なのである。

《読売・産経・毎日・東京》

 長文の読売社説は、「日本の活路を切り開く年に 成長力強化で人口減に挑もう」と題する。小見出しは「アベノミクスの補強を」、「雇用充実が活力の源泉」、「台頭する中国に備えよ」、「欠かせぬ日米同盟強化」である。新自由主義と対米従属を是とする大政翼賛論である。

何度読んでも、権力への批判がないから、安倍政権の「タイコ持ち」言説という言葉しか考えつかない。

「若者や女性に多い非正規労働者の処遇改善も欠かせない」と書くが、非正規労働者を減らそうとか、なくそうとは、決して書かない。

首相の靖国参拝のような「中国や韓国に対日批判の口実を与える行動は慎みたい」とするのは読売の特色である。

一面左に三段抜きで「東芝カザフに原発輸出」と報じる記事は、「ウラン生産世界一 資源確保に期待」の見出しを従え、原発輸出を肯定的に報じている。

 論説委員長樫山幸夫による産経の「年のはじめに」(社説に相当)は、「覚悟と決意の成熟社会に」と題する。この世紀を生きるキーワードは「自立」「自助」とする。

「他者依存」の現行憲法の改正を強く訴え「環境は整いつつある」と述べる。その自立が米国からの自立を含むのかは明らかではない。読売がタイコ持ちであれば、産経は「チョウチン持ち」と言えるだろう。

産経の一面トップは、太平洋戦争の激戦地ペリリュー島(現在はパラオ共和国の一部)の戦いと、今年の天皇夫妻の同島訪問を結びつけようとしている。「時を超え眠り続ける「誇り」」という見出しは、しかし天皇の訪問意図とは大いに異なると思う。昔なら不敬罪に問われよう。

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ドイツの福島原発事故報道のTV番組など3件
2010/11/28 にアップロード世界の原発・核関連施設事故、処分場アッセ周辺で白血病 甲状腺ガンが顕著に増加 http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-ni...

引用元

2013/09/22 に公開
みんなが知らない、福島原発の真実
2014/03/22 に公開
ドイツZDF「フクシマの嘘 其の参」
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ビキニ水爆実験:60年 追跡調査、なぜもっと早く 遺族「後世に役立てて」、毎日新聞
2015年01月05日 東京朝刊

 1954年に太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行われた水爆実験を巡り、被ばくした「第五福竜丸」以外の船員への影響について、国がようやく追跡調査に乗り出す。

実験から60年余。放射線の影響を疑われながら、国から「第五福竜丸以外に顕著な影響はなかった」として事実上放置されてきた船員やその家族は「どうしてもっと早く調べなかったのか」との思いを強くする。

一方で「後世に役立つようしっかり調査してもらいたい」と要望する声も上がった。【高橋慶浩】

 「福島の原発のこともあるし、ちゃんと調べてもらって後々役に立つ資料になってほしい」。高知県室戸市のマグロ漁船「第二幸成丸」の乗組員としてビキニ実験に遭遇し40歳で亡くなった寺尾良一さんの妻政子さん(71)は、慎重に言葉を選びながらそう話した。

 幸成丸は初回の水爆実験が行われた54年3月1日には日本と危険区域の中間付近を航行し、同月27日、4月7日と続いた実験時には近くの海域にいた。漁を終え帰国したのは4月15日。

福竜丸の被ばくは既に大きく報じられており、幸成丸も魚を廃棄処分したが、乗組員は船上でその一部を食べていた。

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