2016年11月21日月曜日

福島原発事故が起きて4年経過した2015年04月16日から04月20日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事  その1

2015年04月20日(月)
福島原発事故質問その12、電源喪失対応のマニュアルもない訓練もしていないとは?

12 「電源喪失は起こらない」という安全神話を信じ、マニュアルもなければ訓練もしてこなかったというのは、一体どう考えればいいのでしょうか

シリーズ・「原発廃止か存続かを決める前に読むべき32の質問」第12回

仲 俊二郎/小石原 健介 共著 

船舶や他の産業プラントでは、関連法規・施行規則等により、電源喪失や火災発生時の非常事態に備えた各種の訓練が義務付けられています。

とりわけ原発では、プラントの「命網」である電源喪失時のシビアアクシデントに備え、日頃の訓練はどのように行われていたのか。この点を先ずレビューしてみましょう。
 
原子力安全委員会が1990年8月30日付で決定した「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」の解説があります。

ここで「長期間にわたる全交流電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流発電設備の修復が期待できるので、考慮する必要はない」と述べています。

この政府の「安全指針」はとんでもない誤りでした。

重大な責任問題です。現実には、送電線も非常用交流電源設備も復旧することなく、全電源が長期間にわたって失われて、悲摻な事故に至りました。

東電もこの指針に従い、原発では非常用発電設備を備えているので全電源の喪失は想定していませんでした。従って当然その時のマニュアルや訓練も不十分で、ただ安全であるということだけをまるで宗教のように信じ込んでいたのです。

プラントを知る者として、到底こんな無責任さを許すことはできませんし、またそれ以上にこんな指針がまかり通っていたということが信じられません。

原子力安全委員会の全電源喪失は考慮する必要はないとする指針について、委員会で異論は出なかったのか?重大な誤りを犯していた事をどう考えているのか。

シリーズの第1回からの全掲載分:こちら

筆者略歴 

仲 俊二郎

1941年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、川崎重工業に入社。

労務人事を経験した後、営業のプロジェクトマネジャーとして長年プラント輸出に従事。

最後の仕事として二十世紀最大のプロジェクトといわれるドーバー海峡の海底トンネル掘削機を受注し、成功させる。

後年、米国系化学会社ハーキュリーズジャパンへ人事部長として転職。アメリカ式人事について本社でトレーニングを受ける。

後に同社ジャパン代表取締役となる。退社後、経営コンサルタントとして日米企業に提言をするとともに、星光PMC(東証二部上場)監査役を歴任。

主な著書に『大正製薬上原正吉とその妻小枝』『この国は俺が守る』『我れ百倍働けど悔いなし』(以上、栄光出版社)、『ドーバー海峡の朝霧』(ビジネス社)、ビジネス書『総外資時代キャリアパスの作り方』(光文社)、『アメリカ経営56のパワーシステム』(かんき出版)がある。

小石原 健介

1941年生まれ、 神戸商船大学機関学科卒業後、関西汽船外航船での4年間の海上勤務を経て 川崎重工業に入社。

一貫してプラント建設に携わる。関わった主なプロジェクトとしては、

南アフリカISCOR製鉄所製鋼プロジェクト据付工事主任・保証技師、台湾CSC製鉄所製鋼プロジェクト建設所長、ドーバー海峡海底トンネル掘削機プロジェクト現地所長、関西国際空港プロジェクト建設所長等を経て、
プロジェクトマネジメント社内研修講師を務める。

新しい日本型プロジェクトマネジメント知識能力体系(P2M)の制作と資格認定制度の創設に関わる。日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)専任講師など歴任。PMAJ会員。
  
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高浜原発差し止め 裁判長を激怒させた関西電力の“禁じ手”、日刊ゲンダイ
2015年4月17日

「関電は原発から撤退せよ」――。16日市民団体が関西電力本店前で怒りのシュプレヒコールを上げた。福井地裁が下した高浜原発3、4号機の再稼働差し止めの仮処分決定で、“反原発”は俄然、勢いづいている。

関電は、地裁への異議申し立て準備を進めるなど大慌てだが、仮処分を覆すのは容易ではない。

「福井地裁は(再稼働の可否を決める)原子力規制委の新基準を『ズサンで無効』と判断した。覆すには、判決内容のひとつひとつに具体的に反論する必要があるが、恐らくできないと思う」

 差し止め訴訟の弁護団共同代表の河合弘之弁護士は、自信タップリにこう言った。そもそも、この画期的な判決が出るのは時間の問題だった。勝因のひとつは、弁護団の用意周到な戦略だ。

 河合弁護士や海渡雄一弁護士はまず、「日本と原発」というドキュメンタリー映画を作成。裁判官とはいえ、原発についてはシロウト。

そこで、原発の問題点を裁判官に分かりやすく説明するために有識者にインタビューし、まとめたのだ。いま、全国で原発の差し止め訴訟が起きているが、この映画が裁判所に提出されていて、「伊方原発」運転差し止め訴訟の松山地裁では“異例”の法廷上映会も開かれた。

次に弁護団が着目したのは、昨年5月に大飯原発3、4号機の差し止め訴訟で、運転停止を命じた樋口英明裁判長(62)だ。樋口裁判長なら原発の問題点を熟知していると判断し、樋口裁判長のいる福井地裁に提訴したのである。焦った関電は激しく抵抗。“禁じ手”を放ったが、その行為が樋口裁判長の怒りを買ったという。

「樋口裁判長が4月に名古屋家裁に異動することを知った関電は『裁判官忌避』という手段で判決の引き延ばしを図った。裁判長が異動すれば判決も変わると読んだわけです。しかし、これはめったに使われない禁じ手です。なぜなら、裁判長に『失格』の烙印を押す行為だからです。それを関電側は平気で仕掛けてきた。怒った樋口裁判長は『異動するが、この訴訟だけは俺がやる』と職務代行の手続きを取り、仮処分の決定を出したのです」(司法ジャーナリスト)

 樋口裁判長のような「良心と気概」を持った裁判官が増えてほしいものである。

引用元
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5年目のフクシマを忘れないで!、週刊金曜日
2015 年 4 月 15 日 10:19 AM

「フクシマを忘れない!さようなら原発大講演会」が3月28日、都内で開かれ、約1300人が福島の現状に耳を傾け、原発再稼働反対を訴えた。知識人らが設立した「『さようなら原発』一千万署名 市民の会」が主催した。

福島県いわき市議の佐藤和良さんは、東京電力福島第一原発の現状について、今も放射性物質が放出され続け、高濃度汚染水は溜まる一方だと報告した。

現場では毎日7000人の作業員が働いているが、熟練者の減少に加え劣悪な労働環境により事故が相次いでいると話し、「廃炉作業は40年かかる。

今のままで事故収束と廃炉作業ができるのか」と懸念を示した。

佐藤さんは、2012年に政府関係者や東電幹部らを告訴・告発した「福島原発告訴団」の副団長も務めるが、同告訴団は今年1月、新たな告訴・告発を行なっており、その参加協力を呼びかけた。

京都大学原子炉実験所助教の今中哲二さんは、4年たっても住民が帰れない避難対象の面積は1000平方kmにおよび、避難している人は12万人、という数字を挙げ、原発事故の影響の甚大さを改めて指摘した。

最後に参加者全員が「原発NO」の紙を掲げ、再稼働反対、原発ゼロの決意を新たにした。次回は5月3日横浜で大規模集会を予定している。

(村上朝子・ライター、4月3日号)  引用元
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辺野古埋め立て工事6件415億円契約 防衛局「夏にも着手」、沖縄タイムス
2015年4月20日 09:20

防衛局と業者が契約した工事6件


 名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は埋め立て区域の外周に沿った護岸の新設など6件の工事を計415億3千万円で業者と契約し、19日までに公表した。

中谷元防衛相は、海底ボーリング調査を6月末までに終え、実施設計に反映し「準備が整えば、夏にも埋め立て工事の過程に着手したい」との考えを示している。

 現在の海上作業は、掘削を伴う海底地盤の強度や環境影響評価後の生態系の変化などの調査が目的で、防衛局が県に提出した埋め立て承認申請書に基づく工事には着手していない。今回の6件は、防衛局が埋め立て本体工事の最初の手続きとして入札公告し、業者との契約を結んだ。

 今回契約した工事では傾斜堤護岸約320メートル、二重締切護岸約550メートル、ケーソン2工区で計430メートルの計1300メートルを整備する予定。埋め立て区域の外周全体約4900メートルのうち約27%を占める。

 工事と契約額は、ケーソン新設の1工区が五洋建設など3社の共同企業体(JV)と約141億5千万円。2工区は東亜建設工業など3社のJVと約18億4千万円、傾斜堤護岸新設は東洋建設など3社のJVと約9億8千万円。

 ほか、二重締切護岸新設は前田建設工業など3社のJVと約79億6千万円、中仕切岸壁新設は大成建設など3社のJVと約157億6千万円、汚濁防止膜等工事は大成建設など2社のJVと約8億4千万円で2月20日までに開札し、業者と契約を結んだ。

 中仕切岸壁新設などにはケーソンの仮置き場にする目的で、大浦湾に2カ所で計3800平方メートルの「海上ヤード」を整備する工事も含まれている。

 中仕切岸壁新設は、昨年11月に契約した中仕切護岸新設1工区(仲本工業、約2億9千万円)と2工区(仲程土建、約3億7千万円)の3本で、キャンプ・シュワブの海岸を「コの字形」に囲み、作業船から土砂などを陸揚げする際の工事用岸壁として使用する。

 ケーソンは別の場所で製作、運搬し、海上ヤードに仮置き後、設置する計画になっている。
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死刑取り消し 遺族「裁判員の判断尊重を」、NHKNEWSweb
4月19日 20時23分

女子大学生殺害事件の裁判で、裁判員が言い渡した死刑判決が取り消され、最高裁判所で、被告の無期懲役が確定したことについて、被害者の母親がシンポジウムで講演し、「一般の人の判断を反映させようという裁判員制度導入の経緯からは、こういう結末にならないはずだ」と批判し、裁判員の判断を尊重するよう訴えました。

19日都内で開かれた犯罪被害者支援のシンポジウムで講演したのは、6年前、千葉県松戸市で起きた強盗殺人事件で、大学4年生だった長女の荻野友花里さん(当時21)を亡くした母親の美奈子さん(62)です。

この事件では、1審の裁判員裁判は被告の男に対し、遺族が求めていた死刑を言い渡しましたが、裁判官だけで審理する2審が取り消して無期懲役を言い渡し、ことし2月、最高裁判所で確定しました。

美奈子さんは講演で、「1審の裁判員は丁寧に審理していたのに2審で取り消され、司法が信じられなくなった。一般の人の判断を反映させようと裁判員制度を導入した経緯からはこうした結末にならないはずで、制度の意義はなかったのではないか」と批判しました。

そのうえで、「裁判員制度を続けていくのなら、2審なども裁判員裁判にするか、1審の判決をもっと真摯(しんし)に受け止めるか、するべきです」と訴えました。    
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権力と放送法 統治の具と成す不見識、東京新聞社説
2015年4月16日

 権力者はなぜ、かくも安易に放送法を振りかざすのか。放送内容に誤りなきを期すのは当然だが、放送局側を萎縮させ、表現の自由を損ねてはならない。

 きっかけは三月二十七日夜、テレビ朝日系列で放送された「報道ステーション」だった。

 この日が最後の出演とされたコメンテーター、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が「菅義偉官房長官をはじめ、官邸の皆さんからバッシング(非難)を受けてきた」と述べると、菅氏は三十日の記者会見で「事実無根」と反論し、こう付け加えた。「放送法という法律があるので、テレビ局がどう対応するか、しばらく見守りたい」

◆表現の自由を目的に

 自民党はあす、テレビ朝日などの経営幹部を呼び、番組内容について説明を求めるという。

 放送事業を規定する放送法は不偏不党、真実、自律を保障することで表現の自由を確保し、健全な民主主義の発達に資することが目的だ。

放送番組は法律に基づく以外は誰からも干渉されないことが明記され、同時に政治的な公平、真実を曲げないこと、意見が対立する問題は多くの角度から論点を明らかにすることも求めている。

 放送は、政権や特定勢力の政治宣伝に利用されるべきではない。大本営発表を垂れ流して国民に真実を伝えず、戦意高揚の片棒を担いだ先の大戦の反省でもある。

 政治的に偏ったり、虚偽を放送しないよう、放送局側が自ら律することは当然だが、何が政治的公平か、真実は何かを判断することは難しい。にもかかわらず政治権力を持つ側が自らに批判的な放送内容を「偏っている」と攻撃することは後を絶たない。

 さかのぼれば一九六八年、TBSテレビ「ニュースコープ」のキャスターだった田英夫氏(二〇〇九年死去)がベトナム戦争報道をめぐり「解任」された件がある。

◆自民党の圧力で解任

 田氏は前年、北ベトナムの首都ハノイを西側陣営のテレビ局として初めて取材し、戦時下の日常生活を伝えた。以前からTBSの報道に偏向との不満を募らせていた自民党側は放送後、TBS社長ら幹部を呼び「なぜあんな放送をさせたのか」と批判する。

 このとき社長は、ニュースのあるところに社員を派遣し、取材するのは当然、と突っぱねたが、翌六八年に状況は大きく変わる。

 成田空港反対運動を取材していた同社取材班が、反対同盟の女性らを取材バスに乗せていたことが発覚し、政府・自民党側がTBSへの圧力を一気に強めたのだ。

 田氏は自著「特攻隊だった僕がいま若者に伝えたいこと」(リヨン社)で当時の様子を振り返る。

 <当時の福田赳夫幹事長が、オフレコの記者懇談で、なんと「このようなことをするTBSは再免許を与えないこともあり得る」という発言をしたのです。

 これを聞いたTBSの社長は、翌日すぐに私を呼んで、「俺は言論の自由を守ろうとみなさんと一緒に言ってきたのだけれども、これ以上がんばるとTBSが危ない。残念だが、今日で辞めてくれ」と言われ、私はニュースキャスターをクビになりました>

 田氏解任の決定打は権力側が免許に言及したことだ。放送は電波法に基づく免許事業。五年に一度の再免許を受けられなければ事業は成り立たない。同法は放送法に違反した放送局に停波を命令できる旨も定める。権力が放送免許や放送法を統治の具としてきたのが現実だ。

 昨年の衆院選直前、安倍晋三首相はTBSテレビに出演した際、紹介された街頭インタビューに首相主導の経済政策に批判的な発言が多かったとして「おかしいじゃないですか」などと批判した。

 自民党はその後、在京テレビ局に選挙報道の公平、中立を求める文書を送り、報道ステーションには経済政策に関する報道内容が放送法抵触の恐れありと指摘する文書を出した。そして菅氏の放送法発言、自民党による聴取である。

 報道の正確、公平、中立の確保が建前でも、権力が免許や放送法に言及し、放送内容に異を唱えれば放送局を萎縮させ、結果的に表現の自由を損ねかねない。歴代政権は、自らの言動がもたらす弊害にあまりにも無自覚で不見識だ。

◆「報道に意気込みを」

 キャスターを解任された田氏は七一年、参院議員となる。二〇〇七年に政界を引退する直前、本紙のインタビューに「メディアはもっと姿勢を正さなくちゃいけないね。報道に意気込みが感じられない。引きずられているんだよ」とメディアの現状を嘆いていた。

 政権による圧力に萎縮せず、それをはね返す気概もまた必要とされている。放送のみならず、私たち新聞を含めて報道に携わる者全体に、大先輩から突き付けられた重い課題である。
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海外でどう報道されるかなんかではなくアメリカ旦那がどう思うかだー政府与党
Japan Times の記事から「日本の厄介な歴史修正主義者たち」

海外メディアは連日安倍政権の歴史修正主義と国際的孤立について報道している。

ドイツの新聞に対してフランクフルト総領事が「親中国プロパガンダン」と抗議したことが、世界のジャーナリストたちに与えた衝撃を日本の外務省も日本のメディアも過小評価しているのではないか。

日本では「政治的主人たち」(political masters)に外交官もジャーナリストも学者も無批判に屈従しているのが、外から見るとどれほど異様な風景なのか、気づいていないのは日本人だけである。

日本の厄介な歴史修正主義者たち(Japan Times, 14 April)
by Hugh Cortazzi(1980-84 英国駐日大使)


日本の右翼政治家たちは海外メディアの報道を意に介さないでいる。彼らが外国人の感情に対する配慮に乏しいのは、外国人を蔑んでいるからである。

右翼政治家たちは日本をすべての面で称讃しない外国人、日本の歴史の中に暗黒面が存在することを指摘する外国人を「反日」(Japan basher)、日本の敵とみなしている。このような態度は日本の国益と評価を損なうものである。

Frankfuter Allgemaine Zeitungの特派員が東京を離れる際に寄稿した記事を海外特派員協会のジャーナルの最近刊で読んで、私はつよいショックを受けた。この新聞は職業上私も知っているが、センセーショナルな物語を掲載したことはないし、つねに事実の裏付けを取っていることでドイツでは高い評価を受けているまっとうな新聞である。

この新聞の特派員が以前安倍政権の歴史修正主義に対して批判的な記事を書いたときに、フランクフルトの日本総領事が、おそらくは東京からの指示に従って、同紙の外信部のシニア・エディターを訪れ、記事に対する抗議を行った。

日本総領事は特派員の書いた記事が事実に反する証拠を示すことなく、この記事には金が「絡んでおり」、レポーターは中国行きのビザを手に入れるためにプロ中国的なプロパガンダを書いたとして記者と新聞を侮辱した。このような発言は単に不当であるのみならず、許すことのできないものである。

残念ながら、このケースは単独ではない。1月にはニューヨークの日本総領事がアメリカの評価の高い教育出版社であるMcGraw-Hillに対して、ふたりのアメリカ人学者が書いた「慰安婦」についての記述を削除するように要請した。出版社はこの要請を拒絶して、日本政府当局者に対して執筆者たちは事実を適切に確認していると答えた。

具体的に何人の「慰安婦」が日本帝国軍兵士のために奉仕することを強制されたのか数字を確定することは不可能だろう。だが、この忌まわしい営みが広く行われていたことについては無数の証言が存在する。売春を強要されたのは韓国人女性だけに限られない。

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日本の150年は変えられない「運命」だった、浅田次郎
浅田次郎が語る「日本の運命」<上>
塚田 紀史 :東洋経済 記者

一部引用・・

歴史小説を書くのなら、戦国時代を書けばそれは面白いのだろう。だが、僕の守備範囲ではない。どうしても今日とのつながりが薄い感じがする。歴史を学ぶ意味は2つある。

ひとつは、現代につながる考え方や社会のありようを知ること。もうひとつは、平和な時代が続けられなくなった理由について考えることだ。つまりそれは、国家と国民の運命を知ることなのだ。

――今年は太平洋戦争敗戦後の70年の節目です。

僕は周年でどうとは思わない。ただそれをきっかけとして、研究し直したり勉強し直したりするのはいいことだ。この本の冒頭に書いているように、1928(昭和3)年は明治維新60周年だった。

その60周年記念のときに明治維新を振り返ろうという運動があった。60周年というのは還暦であり、その年は当時の日本的な感覚では非常に意味のある、ともに戊辰の辰年だ。その時に出版界は幕末・維新ブームになり、いろいろな本が出ている。

できるだけ情緒に流されないように書いている

たとえば子母澤寛著『新選組始末記』の初版が出たのが昭和3年だった。言ってみれば新選組はアウトサイダーであって、ほとんど歴史の本流とは関係がない。でも、それに子母澤寛が着目して「こういう人たちがいた」という紹介を60周年に著した。これが後世の人にとって大変な福音になった。戦後70周年の今も、いろんな事実や人物が掘り起こされて、いい本が出てくるといい。

――日本の幕末、幕末以降の近代、そして中国の近代。この3つが歴史小説のご自身の守備範囲と、この本にあります。

できるだけ情緒に流されないように、できるだけ客観的に書くようにしている。

その中には歴史の正確な史実はできるだけ盛り込む。語られていない歴史の側面をきちんと拾っていく。物語として考えた場合、情緒に流れるとパターンが同じになる。すべて作り物になってしまい、かわいそうな話になればなるほど、かえって事実からは乖離していく。それでは戦争の本質を語れない。

僕は戦争というのを情緒的にとらえてはいけないと思う。戦後の歴史観からいくと、戦争を情緒的にとらえがちだ。かわいそうな話、たとえば沖縄のひめゆりの塔にまず目がゆく。

それはもちろん歴史の事実には違いないが、戦争はそれだけではない。これは国民性によるのかもしれないが、歴史を理解するのには情緒を排除しなければいけない。もっと客観的に見ていかなければいけない。先にかわいそうな話ありきで戦争を語るのは間違っている。それでは戦争はなくならない。

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日本とメキシコが歩んだ正反対の150年,JBpress

東洋でも西洋でもない国から学べること

2015.4.15(水) 矢原 徹一

メキシコシティ国際空港の通関フロアの壁画。東洋でも西洋でもない独特の雰囲気に満ちている

 日本人は世界を西洋と東洋に分けて考えがちだ。実際には、西洋でも東洋でもない国が世界の大半を占めているし、また西洋、東洋それぞれの中に大きな多様性がある。しかし、明治維新以来西欧文明に追いつくことを目標に近代化を進めてきた日本では、西洋と東洋の二分法で世界を見る発想がいつのまにか社会に根を張ってしまった。

 この発想から脱却するうえで、メキシコはとても良いきっかけを与えてくれる。

 メキシコは東洋でも西洋でもない国である。東洋の文明は、稲作に支えられて発展した。西洋の文明は小麦を主食とし、さらに牧畜に支えられて発展した。一方メキシコでは、トウモロコシを主食とする文明が発展した。

 メキシコのアステカ帝国は1521年にスペインによって滅ぼされたが、多くの先住民文化はその後も存続し、ギターなどの西洋文明の産物を取り入れながら新たな発展を遂げた。現在のメキシコは、メスティーソ(スペイン人と先住民の混血)が国民の60%、先住民が25%を占める多文化共生社会であり、日本からの移民の子孫も暮らしている。

メキシコの文化遺産を展示するメキシコ国立人類学博物館
日本とメキシコ、悲劇的だった最初の邂逅

 そのメキシコと日本との最初の接触は、豊臣秀吉の時代にさかのぼる。

 フィリピンのマニラを出港し、メキシコのアカプルコに向かったガレオン船(貿易用の大型帆船)が、台風によって甚大な被害を蒙り、土佐に漂着した。時は1596年、豊臣秀吉がバテレン追放令を発布した11年後のことだ。

 この船には、メキシコ出身の宣教師サン・フェリペ・ヘススが乗っていた。彼は捕えられ、故郷に帰る夢を断たれ、異国の地で殉教した。国内で活動していたキリスト教徒とともに長崎で処刑されたのだ。彼の処刑の様子は、出身地であるクエルナバーカ(メキシコシティの南にある地方都市)の大教会に、壁画で描かれている。


この事件は悲劇であるがゆえに人々の記憶に長く残り、日本とメキシコの友好を促すきっかけとなった。処刑された26人は1862年にカトリック教会によって聖人の列に加えられ、この列聖を記念して、1864年には長崎に「大浦天主堂」が建てられた。また殉教地である西坂公園にはブロンズの26聖人像をはめ込んだ記念碑が建てられた。大浦天主堂は長崎市を訪れる観光客の半数以上が立ち寄る人気スポットだが、同時に日本とメキシコの友好の象徴でもある。

 2回目の接触は、1609年、徳川家康が江戸幕府を開いた6年後のことである。やはり、マニラからアカプルコへと向かう船が台風に襲われ、上総(現在の千葉県御宿)に漂着した。

 この船には、メキシコ生まれのロドリゴ・デ・ビベーロ元フィリピン総督が乗っていた。彼は総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し、家康に友好的な書簡を送った経歴の持ち主だった。徳川家康は彼と駿府城で会見し、安針丸を用意して一行がアカプルコに戻ることを助けた。

 この事件のあと、1613年には伊達正宗が支倉常長(はせくら・つねなが)を正使とする遣欧使節を送り出した。一行は、現在の石巻市からアカプルコ港に渡り、さらにメキシコを横断してベラクルス港からスペインのセビリア港に渡り、陸路でローマに至り、ローマ教皇と謁見した。2年に及んだ支倉使節団の旅は、西洋文明についての数多くの情報を日本にもたらした。

移民を受け入れたメキシコ、海外への移民を奨励した日本

 この2回の事件から分かるとおり、フィリピン~メキシコ~スペインを結ぶ航路は、ヒスパニック世界(スペインが統治した世界)の交易における動脈であり、フィリピンは、スペインのアジア進出の拠点だった。

 ガレオン船(帆船の一種)による、フィリピン・マニラとメキシコ・アカプルコを結ぶ交易は、16世紀半ばから19世紀初頭まで、約250年間続いた。この間、メキシコからチリに至る新大陸は、ブラジルを除いてスペインの統治下にあった。

 残念ながら、江戸幕府の鎖国政策によって、ヒスパニック世界と日本とのチャンネルは閉ざされた。このチャンネルが再び開かれたのは明治維新以後のことである。

 1821年にスペインから独立したメキシコは、アメリカ合衆国やフランスによる干渉との戦いを経て、1866年に主権を回復した。明治維新の2年前であり、メキシコ合衆国と日本はほぼ同時期に近代化を開始したのだ。

 メキシコは近代化を進めるための労働力を必要とし、日本を含むさまざまな国から移民を積極的に受け入れた。

 一方の日本は、明治維新後の市場経済の導入によって生じた余剰労働力のはけ口として、海外への移民を奨励した。最初は出稼ぎ移民だったが、1892年に外務大臣に就任した榎本武揚は、メキシコの土地を買い上げ、定住型の組織的殖民事業を開始した。1897年には、メキシコ南部のチアパス州エスクイントゥラに「榎本殖民団」が入植した。

 しかし、この殖民事業に対する政府の支援は資金不足によって打ち切られ、殖民団は大変な苦労を強いられた。この苦労を乗り切って事業に成功した日本人たちが、その後の日本とメキシコの友好の礎を築いた。彼らの物語はドラマチックであり、ぜひテレビドラマか映画を製作して、国民に広く伝えたいものだ。

メキシコで尊敬を集める日本人

 「榎本殖民団」のあとにエスクイントゥラに入植した日本人の中に、植物学者である松田英二博士(1894~1978年)の名がある。

 内村鑑三の門下生だった彼は、キリスト教精神に基づく理想郷を建設するという使命を帯びてメキシコに渡り、「希望農場」の経営を成功させた。そして農場経営の収益を使ってアメリカ合衆国から研究者を呼び寄せ、エスクイントゥラ周辺の動植物を研究する機会を与えた。

 しかし、高い志を持ったこのプロジェクトは、真珠湾攻撃によってついえた。メキシコは連合国に参加し、松田博士は農場経営と動植物研究を断念せざるを得なくなった。松田博士はその後、学問的な貢献を評価され、メキシコ国立自治大学に教授として迎えられた。そこで松田博士は、大学に植物園を開設するという大事業を成し遂げた。植物園の入り口に立つ植物標本館には、今でも松田博士の写真が飾られている。

 私が後進の植物学者としてこの標本館を初めて訪れたのは、松田博士が他界されてから16年後のことだった。

 松田博士は、「希望農場」で働くメキシコ人への識字教育の点でもすばらしい功績を残した。彼は自宅を開放し、聖書を使って村人に文字を教えた。彼の聖書学校の卒業生は2000人を超え、その中には議員などの要職を得て活躍した者もいた。その功績を大統領に評価され、日米開戦後も彼はチアパス州にとどまり、識字教育を続けることができた。

 メキシコで尊敬を集めているもう1人の日本人に、国際的バイオリニストである黒沼ユリ子(1940~)がいる。黒沼は、松田博士が他界した2年後の1980年にメキシコシティ・ コヨアカン地区に「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を開校し、貧しい子供たちにバイオリンを教え始めた。32年間続いたこの学校の生徒の中から、メキシコ音楽界を支える音楽家が育った。

日本とメキシコの近代化の違い

 このように、メキシコとの交流史は、ヘススの悲劇を除けば心温まるエピソードに彩られている。メキシコは、近代化の速度という点では日本よりも遅かったが、多くの先住民文化を維持しながら、多文化共生社会としての近代化を進めてきた。

 一方の日本は、西洋文明を積極的に導入して急速に近代化したが、文化的には極めて同質性が高く、多文化共生社会の経験が浅い。その日本にとって、メキシコとの交流から得るものはとても大きいと感じる。

 黒沼ユリ子は長年暮らしたメキシコを離れて2014年に千葉県に移住し、メキシコと日本の友好のために引き続き活動を続けている。移住先は、御宿町。405年前に、ビベーロ元フィリピン総督を乗せたガレオン船が漂着した場所である。

 この土地から始まる新しい交流史が、さらに多くの善意を集めて発展し、日本の多文化共生社会への歩みを先導していくことを願いたい。

引用元
 
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歩き方が「下手」な人に欠けている2つの能力、東洋経済
馴染み深い行為こそ、人生を左右する?
岩崎 夏海 :作家 2015年04月10日

 長年コンテンツ業界で仕事をしてきた岩崎夏海氏が、その中で培った「価値の読み解き方」を駆使し、混沌とした現代のライフスタイル感をつづります。本記事は岩崎夏海メールマガジン「ハックルベリーに会いに行く」(夜間飛行)からの転載です。

ぼくは、朝家を出てから仕事場に着くまでの間が、一日のうちで最も頭が冴えている。このとき、考えごとをしていることもあるのだが、歩いている人たちを観察することも多い。

そうすると、歩き方というのは千差万別だというのが分かってくる。そうして、歩き方の上手い人と下手な人がいるというのも、よく分かってくるのだ。

この「歩き方の上手い下手」というのは、いろいろと考えをめぐらせるうちに、実はその人の人生に大きな影響を及ぼすのではないかと考えるようになった。そこで今回は、そのことについて書いてみたい。

「巧拙がある」という考えに思い至らない

まず、そもそも歩き方の下手な人は、歩き方に「上手い下手」があると思っていない。それは、「歩く」という行為が人間にとって最も基本的なものの一つであるからだ。最も身近で、最も馴染み深いものゆえ、なかなか「それに巧拙がある」という考えに思い至らないのだ。

これがたとえばゴルフだったら、上手い下手の存在は誰でも思い至るところだろう。あるいは、囲碁や将棋も同様だ。人は、そういう「誰もができるわけではなないこと」に関しては、上手い下手に目がいきやすい。

しかしながら、歩き方とか、あるいは日本語の使い方とか、そういうすべての人が一応はできることに関しては、その上手い下手の見分けがつきにくくなる。それゆえ、その上手い下手が、人生における大きな差異となって現れるのだ。

歩き方に「上手い下手」があると思い至らない人というのは、だいたい次の2つの能力が欠けている。

一つは「観察力」。彼らは、観察力が欠けているから、歩き方の上手い下手が見分けられない。見分けられないがゆえに、結果として歩き方が下手なままでいるのだ。

この「観察力」というのは、人生を大きく左右する。ぼくは先日車にはねられてしまったが、これなども、観察力の低さからくる事象だといえよう。ぼく自身、迫り来る車に気づけなかったのは観察力が足りなかったからだし、逆にはねた方も、道を渡ろうとした歩行者に気づくのが遅れたのは、やっぱり観察力の低さからくるものだ。

交通事故の場合、こうした観察力の低さはそのままその人の命運を決することとなる。はねられて死んだらそこで一巻の終わりだし、はねた方だっていろいろ大変な目に遭うだろう。このように、観察力というのはその人の一生を大きく左右する、非常に重要な能力なのだ。

殻に閉じこもる人には、「畏れ」が足りない

こうして考えると、「観察力」というのは、そのままその人の「能力」と言い換えることもできるかもしれない。古今東西、観察力が低くて能力が高いという人を、寡聞にして知らない。それほど、観察力は人間にとって重要な素養なのだ。

歩き方の下手な人に欠けているもう一つのことは、この世界――あるいは他者に対する「畏れ」である。

あるとき、「観察力は何によって養われるか」ということを考えていたのだが、そこで出た結論は、「畏れ」だった(あるいは「怖れ」と言い換えてもいい)。「観察力」の高い人は、世界――あるいは他者に対して、強い「畏れ」を抱いているのである。マンガ「ゴルゴ13」の有名な台詞に、「殺し屋に最も必要なのは臆病さだ」というものがある。臆病な人間でなければ、殺し屋は務まらないというのだ。

人間は、臆病であるからこそ、用意周到になる。その反対に蛮勇の持ち主であれば、どこかに遺漏をきたし、ミッションを果たせなかったり、死んでしまったりするのだ。「観察力が足りない」というのは、この臆病さが足りないのである。世界に対する「畏れ」が足りない。それゆえ、周囲のことが気にならないので、観察しなくなるのだ。

周りを観察しない人は、逆にいえば「自分に自信を持っている人」である。自分はこの世界を軽々と渡っていけるという「蛮勇」を持っている。それゆえ、世界そのものや他者に対する「畏れ」が薄れる。「畏れ」が薄れると、その動向も気にならないので、観察力が低下するのだ。

ここで注意したいのは、周りが怖くて自分の殻に閉じこもってしまう人も、実は世界や他者に対する「畏れ」が足りないということだ。

怖さを回避するには、立ち向かわさざるを得ない

世界や他者を本当に畏れていれば、人はそこから逃げ出すのではなく、それを見極めようとするはずである。なぜなら、いかに逃れようと、世界や他者とのかかわりを完全に断ち切ることは不可能なので、その怖さを本当に回避しようと思ったら、逆に立ち向かわさざるを得ないからだ。

それを知りながら目を逸らしているという意味で、殻に閉じこもっている人もやっぱり畏れが足りないということになるのである。

このように、歩き方の下手な人というのは、「観察力」と「畏れる力」が欠けている。そして観察力や畏れる力が欠けてしまうと、人生も上手く渡っていけないだろうから、不幸せになる確率が高くなるのだ。

その意味で、歩き方の上手い下手は、その人の人生を決めてしまうということもできるのである。

引用元

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国内のテロに自衛隊が出動するとき・・、週プレNEWS

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2015年04月19日(日)
事故の後の対応をどうしたらよかったの?国会事故調篇その4
「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」。その4
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双葉町保有の震災資料HPで公開、福島民報
「福島第一原発事故」アーカイブ

 双葉町教委と筑波大は16日から、双葉町が保有する東日本大震災の資料をホームページ(HP)で公開した。

 震災の記憶と記録を後世に残すのが目的で、HPのタイトルは「福島県双葉町の東日本大震災関係資料を将来へ残す」。町内に今も残る震災発生当日の避難所の現状や国内外から寄せられた支援、激励の品などを見ることができる。

 町教委と同大は平成25年6月に協定を結び、準備を進めていた。

 HPアドレスは http://slis.tsukuba.ac.jp/futaba-archives/

(2015/04/18 00:49
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「辺野古基金」1週間で寄付4600万円に、琉球新報
2015年4月18日

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止を目的に9日設立された「辺野古基金」に、16日現在で4629万1683円の寄付が集まった。

さらに同基金の共同代表に現在までに発表されている6氏に加えて、県出身報道カメラマンの石川文洋氏も就任することが決まった。

5月下旬に予定される翁長雄志知事の訪米前に、基金を用い米紙に意見広告を出す計画だ。

 「基金」の共同代表にはすでに、前嘉手納町長の宮城篤実氏、金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬CEO(最高経営責任者)、沖縄ハム総合食品の長浜徳松会長、元外務省主任分析官の佐藤優氏、俳優の故菅原文太さんの妻・文子さんが就任している。
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沖縄問題 どう解決するか,宮里政玄(国際政治学者)、リベラル21
 ここに紹介する『「沖縄問題 どう解決するか』は1月29日から31日まで、琉球新報に連載されたものです。ここには、沖縄の人たちの本土へのメッセージが込められていると思われますので、筆者と琉球新報社の了解を得て転載させていただくことにしました。中見出しを一部変えています。
                                    (リベラル21編集委員会)

筆者紹介:1931年今帰仁村(なきじんそん)生まれ。国際政治学者。米国留学を経て琉球大、国際大大学院、獨協大教授を歴任。

沖縄の戦後史を中心に米国の対外政策の決定過程を研究する。著書に『アメリカの沖縄統治』(岩波書店)、『アメリカの対外政策決定過程』(三一書房)、『日米関係と沖縄』(岩波書店)など。現在沖縄対外問題研究会顧問。

  (上)

  (中)

  (下)

      
 
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知事 あらゆる手法で阻止,NHK沖縄放送局
04月18日 19時07分

アメリカ軍普天間基地の移設計画をめぐって、17日に安倍総理大臣と初めて会談した翁長知事は、18日、那覇市内で記者団に対し、いまの状況では、政府側とは平行線のままだとして、早期にアメリカを訪問するなど計画の阻止に向けてあらゆる手法を尽くす考えを強調しました。

翁長知事は、18日、知事公舎で、維新の党の江田代表と、普天間基地の移設計画について意見を交わしました。

この中で、翁長知事は、いまの状況では、政府側とは平行線で交わることは難しいとして、名護市辺野古への移設阻止に向けて、野党としても工夫して欲しいと要請しました。

これに対し、江田代表は、「ボーリング調査をいったん中止し、静かな環境のもとで話し合うよう政府に求めていく」と述べました。

このあと、翁長知事は記者団に対し、17日の安倍総理大臣との会談について、「生の声で話ができて、一歩前進し、わかりあった。今後も会談する必要はあるが、1年後までに10回会談したとしても、辺野古がどうなるかだ」と述べました。

その上で、翁長知事は、「ありとあらゆる手法を使って辺野古に基地をつくらせてはいけない。日本政府やアメリカ政府、沖縄のアメリカ軍とも話をしながら、これでいいのかと訴えていく」と述べ、アメリカを早期に訪問するなど沖縄の思いを広く、訴えていく考えを強調しました。
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自民の放送局聴取が波紋=野党「番組干渉は違法」、時事通信
4月15日(水)20時43分配信

 自民党が、テレビ朝日とNHKの番組内容を聴取するため、17日の党の会議にそれぞれの幹部を呼ぶことが波紋を広げている。

政権党による番組チェックが報道機関を萎縮させ、言論の自由を侵しかねないためだ。野党内には「個別番組への干渉は、(番組編成の自由を保障する)放送法に違反する大問題」(民主党中堅)との声もある。

 放送局幹部から聴取するのは自民党情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚生労働相)。

先月27日、テレビ朝日の「報道ステーション」に出演した元経済産業官僚の古賀茂明氏が「菅義偉官房長官らからバッシングを受けてきた」と、自らの番組降板の背景として官邸の圧力を示唆したことを問題視した。

 古賀氏は政権批判を繰り返しており、調査会関係者は「テレビ朝日としてどう考えているのか確認する必要がある」と話す。17日はNHK幹部からも、報道番組「クローズアップ現代」のやらせ疑惑について説明を受ける。

 自民党の動きの背景には、独立した立場で放送内容を審査する放送倫理・番組向上機構(BPO)が機能していないとの不満がある。菅官房長官は、今回の聴取を「報道に圧力をかける趣旨ではない」と強調している。

 ただ、自民党は昨年の衆院選前、在京各局に選挙期間中の公平性確保を文書で求め、テレビ朝日には別途、放送された内容を踏まえて「公平中立な番組作成」を文書で要求している。

 民主党の枝野幸男幹事長は15日の記者会見で「報道内容に関して(放送局関係者を)呼ぶのは抑制的であるべきだ」と強調。共産党の穀田恵二国対委員長は会見で「腹の底がよこしまだ。意図が透けて見える」と批判した。
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2015年04月18日(土)
福島原発事故質問その10&11、電源喪失時に対する備えは?
10 原発以外の他のプラントでも福島と同じように外部電源を軽視していますか

シリーズ・「原発廃止か存続かを決める前に読むべき32の質問」第11回

仲 俊二郎/小石原 健介 共著 

これまでも強調してきましたが、外部電源の供給は原発に限らず、すべての産業プラントの「命綱」です。

例えば製鉄所の製鋼プラントでは、溶銑(溶けた銑鉄の熱湯、1,000℃以上)による火災事故に備え、電線ケーブルはすべて地下のケーブルトンネル内に布設されています。

また空港施設では、自然災害や火災事故に備え、地下トンネルに設けられた共同溝に配管と共に布設されています。

こうしておけば今回の地震津波に対しても、被害を免れ、原発の安全は確保できたのではないでしょうか。

福島第1原発では、送電線を支える鉄塔が地震で倒壊し、外部電源の供給が不可能になってしまいました。

この教訓を生かし、電気系統ケーブルは地下に埋設することが有効と考えられます。

また他のプラントでは安全を考え、外部電源の供給は複数ルート持つことが一般的になっています。

福島第2原発では外部電源は2系統4回線を持っていたため、今回の津波でもかろうじて1回線が生き残り、原発を救う鍵となったのです。

関電大飯原発では小浜、西京都、京北という3つの変電所と、それぞれ独立した3系統の充電網で結ばれています。

福島第1原発が一つの変電所からの受電網しかなかったことを考えれば、大飯原発では外部電源の多重性、多様性が確保されていると言えましょう。

こうした他のプラントと比較してみると、非常用発電設備と外部電源について、福島第1原発がいかに無防備かつ脆弱であったかが良く分かります。

11 原子炉建屋内の圧力を下げるベント(換気)のための非常用ベントバルブが電源喪失で開かず、建屋が爆発したが、外国ではどんな工夫をしているのですか

格納容器内の圧力を下げるベント(排気)が容易にできない根源的な理由は、電源喪失という事態の時こそ必要になるベントに関して、独立した電源なり、電源に頼らない油圧や空気圧によるバックアップ装備を考慮した設計になっていなかったことにあります。

現場の吉田所長は、政府や東電本店から「なぜ早くベントを実施しないのか」という命令を受け、電源が喪失した以上、ベント弁の操作は手動でやるしかないと判断しました。そこで当直長らに対し、決死隊を編成し、かなり高い被曝の覚悟をしたうえで、万全の備えをし て、手動によるベントを決行するよう要請しました。

しかしこの決死隊はベント弁へ近づくまでに線量が既定の値を超え、引き返さざるを得なくなり、ベントは成功しませんでした。どんなシステムであれ、電源喪失時に備え、電源に頼らないバックアップ装備を備えていない設計思想の欠陥には、驚く他はありません。一般の産業プラントでは到底考えられない事態です。

 これに関し、柳田邦男氏は文芸春秋で以下のような記述をしています(要約)。

「1号機原子炉の圧力容器の内部圧力は、格納容器が破損しないで持ちこたえられる最高使用圧力を大きく超えていた。

一刻も早く格納容器の圧力を下げる手を打たないと大変なことになる。

この事態を回避するには格納容器の圧力を下げるベントしかない。しかし制御盤でのベント操作は、いくら試みても電源喪失下では不可能だった。

『できるわけがないよ!』と叫ぶ吉田所長に対し、政府や東電本店からは、『なぜ早くベントを実施しないのか、何をもたもたしているのか』と言わんばかりにせっついてくる。

現場に活を入れようと、菅首相も急遽飛んできて、『何としてもベントを急げ』というので、切羽詰った吉田所長は『決死隊を作ってやります』ときっぱりと言った。

何とか弁に近づいて、鉄の長い棒で弁を壊せないかといった方法まで考えたのだが、丁度いい鉄の棒など所内にあるはずもなかった」

吉田所長の判断と行動についてのこの記述は、事態がいかに深刻であったかを物語っています。

電源喪失時では、ベント弁の操作は手動でやるしかなく、そのための決死隊を編成しようとしました。

しかしこれは彼の勇敢さには感銘しても、とんでもない発想で、その実行性からみて、まったく誤った判断でした。鉄の棒で弁を壊すなどは、安全無視の無謀かつ論外の発想と言うほかありません。

決死隊のベントは前述のとおり失敗しました。吉田所長は、最後の手段として、強力なコンプレッサーを配管に接続して、強引に弁を開けなければならないと判断。

結局、協力企業が持っていた大型コンプレッサーが見つかり、ベントに成功したのは、決死隊の失敗から5時間も経った14時30分になってからです。日本国民にとって致命的な時間のロスでした。

そしてまさにその時刻に、遠方に設置された福島中央テレビのカメラが超望遠レンズで1号機から白煙が立ち上る情景を撮影していたのです。

吉田所長はしばらく放送されたその情景を確認し、ベントがうまくできたと判断して、保安院や本店に報告しました。

そしてほっとした矢先の15時36分、1号機建屋の最上階で、凄まじい音響とともに屋根や外壁が粉々になって吹き飛び水素爆発が起こったのでした。

この水素爆発に至る一連の経緯から言えることは、ベント弁を操作するために、鉄の棒とかいろんなことを考えず、いち早くバッテリー電源や可搬式の小型の発電機を準備していたなら、ベントは容易にでき、水素爆発は防ぐことができたはずなのです。実に残念という他ありません。

現場での咄嗟の適切な判断がいかに重要か、ということであります。

カナダの原発CANADUでは、これらのバックアップ装置に加えて、原子炉建屋内の圧力がある値を超えればバルブに頼らず、自動的に幕のような仕切りが内圧で破れ、フィルターを通って内部のガスを大気に安全に逃がす最終装置が設けられていると聞いています。

福島第1原発では実際にバルブ操作の訓練は一度もされておらず、電源のない中で十分な図面もなかったので、非常に操作が難しかったのです。

結果として水素爆発を防ぐことが出来ませんでした。こういう技術的な備えを無視した「安全神話」とは一体何だったのか。

原発関係者は閉ざされた原子力ムラからもっと目を広げ、産業プラントの安全設備や原発先進国の先端技術を学ぶ真摯な取組みをしてほしいものです。

図表12   原子炉建屋の爆発 



事前の対策

1 ベント弁の開閉は電源に頼らない油圧式とし、空気圧によるバックアップを装備する。

2 ベント弁は比較線量の低い位置に設置する。

3 ベント弁の手動操作は日頃から訓練を重ね、たとえ暗闇でも出来るようにしておく。

4 外部注水源の確保は十分準備しておく。
東電テレビ会議の記録からは、ガソリンや注水用水不足が深刻になり、泥縄式の対応を余儀なくされていたことが暴露されています。

シリーズの第1回からの全掲載分:こちら
2015年4月18日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 長年プラント建設に従事してきた技術屋が見た福島原発事故 / 東日本大震災・原子力発電所 |
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【原発】「ベスト尽くした」震災後対応で東電社長(11/04/13)、動画
2011年04月13日
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1942年(昭和17年)の今日、アメリカ軍機が日本本土初空襲した
日本本土への初空襲 (ドーリットル空襲)[
ドーリットル空襲」を参照
第二次世界大戦における日本本土の初空襲は1942年(昭和17年)4月18日のドーリットル空襲で、航空母艦「ホーネット」から陸上機である16機のB-25中型爆撃機を発進させ、東京、川崎、名古屋、四日市、神戸などへの空爆に成功した。

・・・・・・・・・・・・・・

日本本土空襲

空襲の主力となったB-29戦略爆撃機による爆弾投下

日本本土空襲(にっぽんほんどくうしゅう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)期、連合国軍(アメリカ軍とイギリス軍)が日本各都市に対して行った空襲、戦略爆撃である。連合国軍による攻撃は、特に1944年(昭和19年)末頃から熾烈となり、最終的には無差別爆撃(絨毯爆撃)として行われた。

攻撃は、ボーイングB29に代表される戦略爆撃機による爆撃のみならず、英米の機動部隊艦載機や硫黄島などから飛来する機体による爆撃や機銃掃射というかたちでも行われた。また、航空戦力によってだけではなく、沿岸部の都市では艦砲射撃によっても攻撃されたところもある。

空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説あるが100万とするものもあり[1]、

被災人口は970万人に及んだ[2]。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した[2]。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。

引用元
2015年4月18日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| アメリカとの関係 / ほんの前にあったこと |
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政府と沖縄県の対立 当面続く見通し、NHKNEWSweb
4月18日 5時56分

沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って、安倍総理大臣と沖縄県の翁長知事が17日会談したものの、双方が基本的な立場を表明し、歩み寄りは見られませんでした。

政府は沖縄の基地負担の軽減に取り組みながら理解を求める努力を続ける方針ですが、翁長知事はあらゆる手法を使って計画を阻止する構えで、政府と沖縄県の対立は当面続く見通しです。

沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って、安倍総理大臣は17日、総理大臣官邸で沖縄県の翁長知事と初めて会談し、普天間基地の危険性を除去するためには名護市辺野古への移設計画が唯一の解決策だとして理解を求めました。

これに対し翁長知事は、「私は絶対に新基地を造らせない」などと述べ、計画の撤回を強く求め、会談は双方が基本的な立場を表明するのにとどまり、歩み寄りは見られませんでした。

政府としては、名護市辺野古への移設に向けた作業を関係法令に基づいて継続するとともに、今月28日の日米首脳会談で沖縄の基地負担の軽減に協力して取り組むことを確認し、沖縄のアメリカ軍施設の返還を着実に進めるなどして、対話を通じて理解を求める努力を続けることにしています。

一方、翁長知事は、名護市辺野古への移設計画を唯一の解決策とする政府の姿勢を「かたくなな固定観念」と批判するなど、今後もあらゆる手法を使って計画を阻止する構えで、政府と沖縄県の対立は当面続く見通しです。
2015年4月18日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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夏の電力は安定供給の見通し、NHK東北ニュースweb
04月18日 07時51分

東北電力はこの夏の電力について、安定供給に最低限必要な3パーセントを上回る余力を確保できるという見通しを、発表しました。

東北電力によりますと、この夏の電力の供給力は一部の水力発電所の補修などで7月が1491万キロワット、8月は1524万キロワットと前の年を下回る見通しです。

これに対して、電力の最大需要は平成22年度並みの猛暑の場合で7月が1427万キロワット、8月は1445万キロワットを想定しています。

この結果、電力の供給に対して需要の見通しを差し引いた余力の割合は、猛暑の場合でも7月が4.5%、8月が5.5%と安定供給に最低限必要とされる3%の余力を確保できるとしています。

東北電力管内では、原子力発電所が稼働しない状態で5回目の夏を迎えますが、東北電力によりますと去年8月に電力の需給状況がひっ迫した時でも電力の余力は12.1%を確保したと言うことです。

一方で東北電力は火力発電所などがトラブルで運転を停止した場合、需給がひっ迫するおそれがあるとして、ことしも節電を呼びかけることを検討しています。
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「解除の基準おかしい」提訴,NHK福島放送局
原発事故の影響で局地的に放射線量が高くなったとして「特定避難勧奨地点」に指定され、去年12月に解除された南相馬市の住民などが「指定解除の国の基準がおかしい」として解除の取り消しを求める裁判を東京地方裁判所に起こしました。

訴えを起こしたのは南相馬市で「特定避難勧奨地点」に指定されていた地域やその周辺に住んでいた130世帯あまりの住民です。

国は去年12月、「除染などの結果、年間の被ばく線量が20ミリシーベルトの基準を下回った」として指定を解除しましたが、

原告の住民は「国際基準では公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルト以下で、国の解除の基準はおかしい。住民の生存権を侵害している」と


主張して国に対し指定解除の取り消しと1人あたり10万円の慰謝料を求めています。

住民側の弁護団によりますと、原発事故による避難地域の指定解除の妥当性を問う裁判は初めてだということです。

この地域の住民は指定が解除されたあとも健康不安などからほぼすべての世帯が避難生活を続けているということで、原告代表の菅野秀一さん(74)は「指定が解除されても若い人は1人も帰ってこない。

子どもたちが安心して暮らせるような対策を取ってから解除して欲しい」と話しています。


これに対し国の原子力災害現地対策本部は「指定解除については国際的・科学的知見を踏まえて決定された要件である、年間20ミリシーベルトを十分下回る状況になっていることを確認のうえ行っている。

解除にあたっては丁寧に住民の理解を得るべく住民説明会を行ったほか、相談窓口の設置や線量測定などの取り組みを行っており、解除後も継続して行っている」というコメントを出しました。

04月17日 19時54分
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NHKとテレビ朝日を呼び出した効果は十分出そうだが、それが国民の利益になるのか?
「放送法に照らしやる」 自民、NHK・テレ朝聴取

2015年4月17日 東京新聞夕刊

自民党の情報通信戦略調査会(会長・川崎二郎元厚生労働相)は十七日、報道番組でやらせが指摘されたNHKと、コメンテーターが官邸批判をしたテレビ朝日の関係者から、自民党本部(東京・永田町)で事情を聴いた。

与党が特定の番組について話を聴くのは異例。

「報道への圧力」との指摘もある中、テレ朝幹部は出席した理由を「誤解があったら困る」と説明。NHK幹部はほとんど語らず立ち去った。

川崎会長は「われわれは放送法に基づいてやらせてもらう」と話した。

 会合の冒頭で、川崎会長は「(NHK、テレ朝の)二つの案件とも真実が曲げられた放送がされた疑いがある」と表明。

今回は事実関係を聴き、来週以降も議論を続ける考えを示した。その後、会合は非公開となり、テレ朝の福田俊男専務から約三十分、NHKの堂元光副会長から約十分、それぞれ話を聴いた。

 テレ朝の福田専務は会合後、「経緯や事実関係を説明した。誤解が生じていたら困るということもあるので、いい機会だととらえて出席した。詳細については避けたい」と説明。

圧力ととらえるかについて「誤解があったら困るので」などと繰り返した。NHKの堂元副会長は、「説明しただけ」と硬い表情で立ち去った。

 会合後、川崎会長は聴取が圧力ではないかとの報道陣の質問に「放送法に照らしてやった。真実を曲げた放送があるなら、法律に基づいてやらせてもらう」と話した。
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小林よしのり、。安倍政権の巧みな言論封殺、BLOGOS
2015年04月17日 00:00

 自民党は完全に異常だな。

最近、しょっちゅう「公平な報道」を求めるという建て前で、「放送法」をちらつかせてテレビ局や番組を脅している。

「放送法」と口にすれば、メディアが自粛を始める効果があると確信してるのだ。

メディアのトップが首相と食事したりして、懐柔されてるし、その上で「放送法」を持ち出して軽く脅しておけば、メディアは怯えて政権批判に慎重になる、そう企んでいる。

あきれたことに、古賀茂明が「報道ステーション」で「政権から圧力をかけられている」と、明確な根拠も出さずに発言した直後にも、「放送法」をちらつかせて脅し、その上、テレ朝に堂々と事情聴取を求める始末だ。

菅官房長官は、圧力はないと言いながら、圧力かけてるのだから、古賀茂明を応援したいのか?

「言論の自由」は権力の側にあるのではない。

国民の側が、権力を批判するために、「言論の自由」を憲法が保障しているのだ。


「言論の自由」は我々、国民が権力と戦うための武器なのだ。

憲法の「言論の自由」の意味を分かってないから、安倍政権はいつも自分たちへの批判にピリピリといらだち、放送法を持ち出してメディアに脅しをかける。

立憲主義の何たるかを知らない馬鹿政権が「改憲」を主張してるから、反対するしかなくなるのだ。

メディアはこの問題をもっと騒ぎ立てて報道しろ!

それから「報道ステーション」よ、最近、若手の無難な知識人をコメンテーターに呼んで、「意見」ではなく、「解説」ばっかりさせているが、あれでは古賀茂明の言った通り、官邸の脅しに屈したのかと疑われるぞ!

◎ 2015年04月17日 13:46

いまのテレビは「弱腰」、政治権力につけこむスキを与えている~田原総一朗インタビュー こちら
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官邸情報で翁長知事バッシング!「週刊文春」,LITERA
「週刊文春」編集長と安倍、菅の知られざる“関係”

2015.04.17

 やっぱりそうきたか。先日、本サイトは基地問題で安倍官邸に抵抗し続けている翁長雄志・沖縄県知事をめぐって、「週刊文春」「週刊新潮」などの保守メディアがバッシングの動きを見せていることを指摘した上で、こんな情報を紹介した。

「実は官邸は今、内閣情報調査室や公安に命じて、翁長スキャンダルを必死で探しているらしいですよ」(官邸担当記者)

 すると、昨日発売の「週刊文春」(文藝春秋)4月23日号がさっそく「翁長知事を暴走させる中国・過激派・美人弁護士」と題した大特集をトップで掲載したのである。

 もっとも、この特集、タイトルとページ数のわりに中身はスカスカ。「公安関係者」のあやしげなコメントがいくつも登場し、翁長知事をなんとか貶めようという意図は見えるのだが、肝心の事実がまったく書かれていない。

 たとえば、同記事は中国国際友好連絡会という団体が人民解放軍の工作機関で、翁長知事当選の2日後に沖縄入りしたと意味ありげに書くのだが、この団体は翁長知事とは会ってない。

他にも、翁長知事と何の関係もない琉球独立運動の団体に中国が食指を延ばしていることや、反対運動に革マル派が入り込んでいることだけで、あたかも、翁長氏が中国と過激派に操られているかのような記事を書き立てるのだ、

あげくは、例の「基地反対派の女児暴行デマ」の発信源である“沖縄のネトウヨ”手登根安則氏の基地反対派批判コメントを紹介し、「住民の八割は基地容認」などというデマを喧伝する──。まるで「保守速報」の記事かと見紛うばかりの内容なのだ。

 公安担当記者がこう失笑する。

「あの中身のない陰謀論丸出しのトーンは、公安、内調情報の典型ですよね。官邸が現段階で公安からあがってきたものを、安倍首相との会談にあわせて文春にリークしたんでしょう。文春としては、とにかく無理矢理記事にしたという感じですね」

 しかし、天下の「文春」がなぜ官邸に乗っかってこんな公安デマを流す必要があるのか。「文春」といえば、維新・上西小百合議員のホワイトデー温泉旅行疑惑、米倉涼子のモラハラ離婚、日テレ・上重アナの「1億7千万円マンション」利益供与、NHK『クローズアップ現代』のヤラセなど、ほぼ毎週のようにスクープを飛ばすなど、絶好調。安倍政権に対しても、側近の下村博文文科相のスキャンダルをしつこく追いかけるなど、骨のあるところを見せており、読売や産経のような御用メディアとは一線を画している気がしていたのだが……。

 だが、文藝春秋の中堅社員にいわせると、この見方はちょっと甘いらしい。

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