2015年05月20日(水)
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関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の再稼働差し止めを命じた仮処分を不服として、関電が申し立てた仮処分の効力を一時的に止める執行停止について、福井地裁(林潤裁判長)が却下していたことが19日、関係者への取材で分かった。決定は18日付。 同地裁は理由について、取り消す明らかな事情があると判断できる程度の証拠が、関電側から提出されなかったとしている。 4月14日に福井地裁の樋口英明裁判長(名古屋家裁に異動)が出した再稼働差し止めの仮処分決定に対し、関電は決定取り消しを求める異議と、異議審の決定が出るまでの間、仮処分の効力を止める執行停止を申し立てた。 2015/05/19 23:31 【共同通信】 |
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東京電力福島第1原発事故で、2号機の格納容器内部の圧力を下げるために試みられた「ベント」と呼ばれる作業が失敗していた可能性が高いことが20日、分かった。 ベントは蒸気を放出する作業で、2号機では実施できたかが不明だった。事故の未解明部分として東電が進めていた調査で初めて裏付けられた。 2号機では事故発生5日目の2011年3月15日早朝、格納容器下部にある圧力抑制室が破損し、大量の放射性物質が漏れ出たとみられており、所員の多くが一時退避する事態につながった。 東電は「調査結果を今後の廃炉作業や安全対策に生かしたい」としている。 2015/05/20 09:35 |
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2015年5月19日 20時50分 東京電力が2014~23年度の10年間で約8200億円の「戦略投資」を計画していることが19日、分かった。既存の火力発電所を省エネ型の設備に更新し、原発の停止で高止まりする燃料費を年間約800億円削減する。 来年4月の電力小売りの全面自由化を見据え、海外の電力会社や資源権益に出資し、経営基盤を強化する。 ことし6月をめどに改定する再建計画の柱とする考えだ。ただ、地元了解のめどが立たない柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働が資金面の前提となっており、計画の見直しを迫られる可能性がある。 投資の規模は14年1月に策定した現在の再建計画と比べ約700億円増額した。 |
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検討委、放射線の影響否定 2015/05/19 22:26 東京電力福島第一原発事故による影響を調べる子どもの甲状腺検査で、平成26年度から実施している二巡目の本格検査において、3月末までに甲状腺がんと確定した人は、今年2月の県「県民健康調査」検討委員会で示された1人(昨年12月末現在)から4人増えて5人となった。 18日に福島市で開かれた検討委で明らかになった。星北斗座長(県医師会副会長)は「(これまでの傾向などから)現時点で、放射線の影響は考えにくい」との見解をあらためて示した。 がんの疑いは7人(昨年12月末現在)から3人増えて10人となった。 「確定」と「疑い」の計15人は男性6人、女性9人で、東日本大震災当時、6~18歳だった。このうち、9人については基本調査問診票の提出があり、原発事故後4カ月間の外部被ばく線量が推計できた。最大2・1ミリシーベルトで、1・0ミリシーベルト未満が2人、2・0ミリシーベルト未満が6人だった。 平成23~25年度の一巡目の先行検査で、甲状腺がんと確定した子どもは、前回公表(昨年12月末現在)の86人から12人増えて98人、がんの疑いは10人減って13人となったことも報告された。 ◇ ◇ 検討委の席上、星座長は県民健康調査の今後の進め方などを盛り込んだ「論点整理」を提示した。次回以降の検討会で議論を深め、一定の道筋を付ける方針。 福島の子供、甲状腺がん新たに16人 2015年05月19日 08時21分 甲状腺がん新たに16人 福島の子、確定は103人に 福島県は18日、東京電力福島第一原発事故に伴う被曝(ひばく)の健康影響をみる甲状腺検査で、今年1月から3月末までに新たに16人が甲状腺がんと確定診断されたと発表した。検査対象となる事故当時18歳以下の約38万5千人のうち甲状腺がんが確定したのは計103人。 甲状腺がんは手術を受けて確定する。昨年3月末までの1巡目検査でがんの疑いがあると診断され手術を受けた12人と2巡目検査の4人ががんと確定した。 続きを読む。 甲状腺検査1巡目「異常なし」群で、2年程経過2巡目⇒「甲状腺がん(疑い含む)」14人という福島の現実。 2015-05-19 08:21:30 | 福島第一原発と放射能 引用元。 福島県民健康調査に関して、きょうの記事では簡潔に述べておきます。 甲状腺検査は、2巡目突入しています。 この2巡目は、12万人あまりが受診した状況です。全体該当者の3割程度です。 そして、15人が甲状腺がんや甲状腺がんの疑いと診断されました。 ポイントは、15人のうち14人が、1巡目では、異常なしと報告されていた群の中にいるということです。 エコー検査で問題がないとされたグループ。 そして、そのグループは事故当時は子供です。 こうした子供達が、最初の甲状腺検査からわずか二年ほどしか経過していないのに、14人も甲状腺がん(疑い含む)という診断が為されていることをどう考えるべきなのか。 きちんと行われている筈のスクリーニング検査が意味を為していないの? 子供の甲状腺がんはそもそも突如出現して、二年程度でがんと認められる状態になるのが当たり前とでも言うの? 福島は放射能由来ではない、甲状腺がん多発地域だったの? 今までの専門家達の説明では、合理的な解がない事態に突入していると僕は理解しています。 事態がこうなっているにも関わらず、マスコミの反応は低調です。この機能不全は理解できません。 論点整理は、これまでの会合で出た委員の意見などを基に、星座長が取りまとめた。検査で治療の必要がないがんを見つけているのではないかという「過剰診断」が指摘されている問題についても触れ、「調査対象者の安易な拡大は慎重にすべき」とした。 基本調査の回収率が伸び悩んでいることなども挙げ、「(調査を)県民が参加したいと思えるものにしていかなくてはいけない」と話した。 ※甲状腺検査 1巡目の先行検査は原発事故当時に18歳以下だった約37万人が対象で、2巡目の本格検査は事故後1年間に生まれた子どもを加えた約38万5千人が対象。それぞれ、1次検査は超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定する。大きさが一定以上で「B」と「C」とされれば、2次検査で血液や細胞などを詳しく調べる。 ■1巡目29万9543人受診 3月末現在 市町村別検査結果 検討委は、平成23~27年度の3月末現在の甲状腺検査の市町村別検査結果を【表(2)】の通り公表した。 23~25年度は一巡目の先行検査で約37万人が対象となった。受診者は29万9543人で、しこりの大きさなどを調べる一次検査で29万9233人の結果が判明した。このうち、いずれも二次検査に移行する「B」判定は2278人、「C」判定は1人だった。 23年度は福島第一原発周辺など13市町村の4万1810人が一次検査した。二次検査の対象者は221人で、このうち14人ががんと確定し、1人が良性だった。 24年度は中通り12市町村の13万9338人が一次検査を受け、二次検査対象者は988人となった。52人ががんと確定し、4人が疑いとされた。 25年度は中・浜通りを中心に、会津地方を加えた34市町村の11万8395人が一次検査を受け、1070人が二次検査対象となった。32人ががんと確定し、9人が疑いとされた。 26年度からは二巡目の本格検査で、原発事故後1年間に生まれた子どもを加えた38万5千人が対象。14万8027人(27年度実施予定で26年度に実施した人を含む)が一次検査を受診した。1043人が二次検査対象となり、5人ががんと確定、10人が疑いとされた。 ■問診回答率27.1% 前回比0.1ポイント上昇 基本調査(対象者205万5339人)の問診票の回答状況も報告された。3月末現在で55万6917人から回答があり、回答率は27・1%だった。前回公表の昨年12月末現在と比べ、0・1ポイントの上昇にとどまった。 原発事故直後の記憶が薄れ、行動記録の記入が難しくなっていることなどを理由に、回答が伸び悩んでいる。 回答率には地域差があり、最も高いのは相双の45・5%(8万9063人)で、県北の29・9%(15万628人)、いわきの25・0%(8万7214人)と続いた。最低は南会津の20・1%(6180人)だった。 ■1ミリシーベルト未満62.1% 事故発生後4カ月間 外部被ばく推計 原発事故後4カ月間の外部被ばく線量の推計も報告された。放射線業務従事者を除く45万3065人のうち、平時の年間被ばく線量の上限とされる1ミリシーベルト未満は62・1%(28万1446人)だった。 基本調査の問診票を基に、福島医大などが推計した。市町村別の外部被ばく推計の結果は【表(1)】の通り。地域ごとに見ると、1ミリシーベルト未満の割合は県北が20・1%、県中が51・6%、県南が88・3%、会津と南会津が99・3%、相双が77・6%、いわきが99・1%だった。 |
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2015年05月19日(火) 【50カ月目の福島はいま】「汚染は継続中」(鈴木博喜) 原発事故が過去の話だと誤解していませんか─。16日、神奈川県藤沢市の日大生物資源科学部でシンポジウム「あれから4年 震災・原発災害克服の途を探る」が開かれ、飯舘村からの避難を強いられている村民たちが、国や東電、村への怒りを語った。 進む風化、国や福島県、村の帰還政策。そして賠償打ち切り…。 人災の責任をだれもとらないまま経過した4年で、残念ながら汚染の解消には至っていない。 避難は不要と言われ続けた挙げ句に一方的な帰村促進。飯舘村にとどまらず、汚染地・福島全体に共通した構図と言える。 【「除染で震災前の村には戻らない」】 「ふるさとは二度と戻りません。かつての飯舘村はもう無いんです」 飯舘村から福島市に避難して農家を続けている菅野哲さん(67)は、きっぱりと言った。「原発事故による飯舘村民の悲惨な現状、そしてこれからは」と題したレジメの中で、こう綴っている。 「2011年3月25日:長崎大・高村昇氏の『安全だ安心だ』の講演(約400人)で安全神話の浸透策。避難を求める村民の声に、村は『指示がない』の一辺倒」 「2011年3月31日:京都大の今中先生が村長に避難を提言、村長はこれを拒否⇒命の尊厳を無視」 「原発事故は、全ての夢と希望を、育んできた財産をも一瞬にして奪ってしまったのです」 「福島原発事故はいまだに収束していないし、今後も何年かかるのかも確定していない」 伊藤延由さん(71)は、震災前年の2010年に村に入植。「いいたてふぁーむ」の管理人をする傍ら「農業見習い」として農業に従事してきた。 昨年、収穫したというマツタケを手に「笠は1万ベクレルを超えます。村の動植物にはすべて、セシウムが入っている。いつもこう言うと叱られるが、除染で震災前の村には戻りません」と語った。 「放射線量は確かに下がりました。よく『下がったね』と言われます。でも、依然として震災前の10~20倍の高さです」。 自身も福島市内の仮設住宅で暮らしているだけに、村民の抱えるストレスがよく分かる。「仮設住宅の取材に来た新聞記者に『東京の安アパートならこんなものですよ』と言われました。 ぜいたく言うな、と言わんばかりです。しかし、飯舘村のロケーションを見てください。家と家は離れ、自然豊かな集落です。狭い空間に押し込められたらストレスになるのは当然です」。 「放射能は測れば測るほど分からない」と話す伊藤さん。村は再来年にも避難指示を解除して帰村を促す方針だが「放射線量の低い場所に復興住宅を建てて新しいコミュニティを作る方がいい」と話した。 【「低線量でも長期的な被曝の影響ある」】 シンポジウムを主催したのは「飯舘村放射能エコロジー研究会」。 東北大加齢医学研究所の福本学さん(被災動物線量評価グループ)が牛や猿の被曝調査に関して報告。「放射性物質は胎盤を通って仔牛に移る。しかも濃縮される」、「ヨウ素やセシウムばかりが注目されるが、他の核種にも着目しなければならない」などと話し、「まだ4年。もう少し時間が経たないと被曝の影響は目に見えない。息の長い調査が必要だ」と強調した。 兵庫医科大講師で内科医の振津かつみさんは、いわゆる「被曝者手帳」を交付するよう訴えた。 「国の責任で全ての原発事故被害者に『健康手帳』を交付し、広島や長崎の『被曝者援護法』(原子爆弾被曝者に対する援護に関する法律)に準じた、法的根拠のある支援策を行う。 これは今すぐにでもやるべきです」。さらに、どんなに低線量であっても長期的な被曝の影響はあるとして「ガンや白血病だけでなく他の病気も調べて欲しい。原発事故の影響でないとは言い切れません」と語った。 京大原子炉実験所の今中哲二助教は、事故後のチェルノブイリに何度も足を運んだ経験もふまえ「原発事故と健康被害の因果関係がはっきりするのを待っていたら間に合わない。 行政は、原発事故の影響であるというアプローチをするべきだ。縮小するどころか、日本全体の健康調査をするべき」と話した。「汚染が無いなら、なぜ、余計に不安をあおるような除染をするのか。汚染は風評ではなく実害です」。 日大生物資源科学部教授で環境建築家の糸永浩司さんは、飯舘村の宅内線量を調査した。「除染するのとしないのとではケタ違い。効果はあると言える」としながらも、除染済みにもかかわらず深さ5㎝までの土壌で1万ベクレルを超す個所があったことについて言及。 「15㎝くらいまで土壌を取り除けば大幅に線量が下がる。しかし、森に近い部屋では宅内線量も高く、何回も除染を行わないと1mSv/年にはならない」と述べた。「もう大丈夫、人が住める、という状況ではない」とも話した。 福島県内では、農林業系放射性廃棄物を燃やして減容する事業が進められている。「放射能汚染ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会」アドバイザーの藤原寿和さん(千葉県放射性廃棄物を考える住民連絡会事務局長)が「稼働済みのものも含め、福島県内では19市町村で24基の仮設焼却炉設置が計画され、その費用は5000億円を超える。 初めから焼却ありきの世界でも例のない実証実験だ」、「飯舘村蕨平に予定されている焼却炉は大変規模が大きい。環境アセスメントの適用が除外されており、廃棄物の量も過大に見積もられている」と問題点を指摘した。排気ガス中の放射性セシウムについて、環境省は「バグフィルターで99.9%取り除ける」との姿勢を崩していない。 【進む風化と帰村・賠償打ち切り】 飯舘村から伊達市に避難中の長谷川健一さんは、集団ADR「原発被害糾弾飯舘村民救済申立団」の団長を務め、3020人の先頭に立って東電と闘っている。スローガンには「償え」という意味の「まやえ」を採用した。 「講演会に呼ばれる回数が少なくなってきた。福島から遠くの街では『福島の事故って、もう終わったんじゃないか』と言われることさえある」 風化を肌で実感するなか、「村民はおとなしすぎる。原発事故を過去形にしてはいけない。あの時、村で何が起きたのかはっきりさせなければ」と集団申し立てに奔走した。 当初は酪農仲間でもあった菅野典雄村長にADRを進言したが断られたという。「村ではやらないが、村民のADRには口を出さないという話だった。 それなのに、村民からのADRに応じないよう裏で東電に緊急要望書を提出した。目を疑うような動きだった。国ベッタリの村役場の脅威になるように声をあげていきたい」 最近、「被災者の自立」を合言葉に帰還や賠償金の打ち切りの動きが加速している。〝原発長者〟なる言葉が口にされ、原発事故の被害者が賠償金で優雅な生活を送っているとの誤解も少なくない。 長谷川さんは言う。 「親父がクワ一本で苦労して開拓した土地。俺だって帰りたいし、いつかは避難指示が解除される。しかし、生活の保障も何も整わないまま放り出され、若者のいない年寄りだらけの村に戻ってどうやって生活しろと言うのか。元の生活を回復できる人がどれだけいるか」 シンポジウムは、今中助教のこんな言葉で締めくくられた。 「日本は民主主義の危機に瀕している。原発事故は人災だ。もっと怒らなきゃアカン。責任ある人間をしかるべき場所に引っ張り出そう」 (鈴木博喜) 引用元。 |
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2015/05/19 18:14 【共同通信】 取り調べ可視化、司法取引論戦へ 法相「適正な制度構築」 警察と検察による取り調べの録音・録画(可視化)義務付けや司法取引の導入、通信傍受の対象犯罪拡大を盛り込んだ改正刑事訴訟法などの関連法案が19日、衆院本会議で審議入りした。 野党議員は「この法案では冤罪防止という社会的要請を果たせない」と追及。上川陽子法相は「現在の捜査を改めるための法整備で、より適正な刑事司法制度を構築できる」と強調した。 法案は、逮捕した容疑者の取り調べ全過程の可視化を義務付ける。 対象は殺人などの裁判員裁判対象事件と、特捜部などが扱う検察の独自事件で、全事件の3%程度。 参考人や任意段階の取り調べは含まれない。 |
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要約: 1、行政に頼らない そこに住む人たちが自ら動き、改善していくまちは住みやすく、栄えていく。 2、自ら労働力か資金を出す 人任せのまちづくりではなく、資金を出すか、でなければ労働力で参加する。 3、「活動」ではなく「事業」としてやる 補助金を求めるのは本末転倒。利益を追求した事業として取り組む 4、論理的に考える 事業は思い付きではなく、自分で描いた「論理」が必要 5、リスクを負う覚悟を持つ 自分で考える力とリスクを負う覚悟がないと、現場の困難に立ち向 かえない 6、「みんな病」から脱却する みんなでやろうとするから、無責任、意見がまとまらない、ムダな時間が経つ。 自分から始める。 7、「楽しさ」と利益の両立を 続ける条件は、楽しいことと儲かること 8、「入れて、まわして、絞る」 地域外から人や財を入れ、地域内取引で回して、地域から出ていく人や財を絞る 9、再投資でまち全体に利益を 生み出された資金は再投資して地域で回す まちづくりは金儲けの手段ではない 10、10年後を見通せ 1年先ではなく10年後の繁栄を描いて行動を |
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2015 年 5 月 19 日 「よく考えられた判決と言えます。『合法』という被告の主張はことごとく否定して原告の顔を立てながら、職員に『過失なし』としたのは、『今回だけは許したる。しかし、こんな訴訟がおこらんようにちゃんとせえよ』というメッセージです」――原告代理人弁護団の大川一夫弁護士はこう話す。 4月16日。釜ヶ崎(大阪市西成区萩之茶屋の通称)の労働者4人が、地元のあいりん職安による求職申し込みの拒否処分などの取り消しを求めた裁判の判決言い渡しが大阪地裁であった。傍聴席を埋めた労働者が固唾をのんで見守る中、田中健治裁判長の声が響いた。「却下する」「棄却する」。傍聴人が「仕事紹介せん職安はあいりんだけや。それでええというんやな」と吐き捨てるように言った。 ところが間もなく怒りの声は一変することになる。判決文には、「あいりん職安は(略)日雇労働に係る職業紹介を行うことをその分掌事務とするものである以上、これを行わないのは違法である」とはっきり記されていたのだ。 しかも田中裁判長は、同職安が仕事を紹介しない理由として被告の国が主張した「短時間に大量の求人・求職を受け付ける施設の整備ができない」など3点について、「昭和45年10月頃には(略)職業紹介を行うことが課題として指摘されていたのであるから(略)組織及び設備等の整備を行うべき期間は十分にあった」などと、すべてを退けたのである。ただ、求職申し込みを拒否した職員には「現状の組織や設備等を前提とした対応を取ったことに過失はない」として、訴えを棄却したのである。 原告の一人、釜ヶ崎合同労組の稲垣浩委員長は「あいりん職安はこの判決を真摯に受け止め、早急に釜ヶ崎の労働者に仕事の紹介業務を行う準備にかかれ」との声明を出した。原告らはあえて控訴しないため、あいりん職安を断罪したこの判決は確定することになる。 (佐藤万作子・ジャーナリスト、5月1日号) |
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元最高裁判事の滝井繁男さん死去 引用元。 大阪空港の騒音に悩む住民が夜間の使用差し止めなどを国に求めた訴訟で原告弁護団の副団長を務めたほか、多くの医療過誤訴訟に参加。99~2000年に大阪弁護士会の会長を務めた。 02~06年は最高裁判事として、水俣病の被害をめぐり国や熊本県の責任を認めた水俣病関西訴訟判決(04年)▽外国に住む日本人に国政選挙の選挙区での投票を認めていなかった公職選挙法の規定を憲法違反とした判決(05年)▽消費者金融業者の「グレーゾーン金利」を実質的に否定する判決(06年)――などに携わった。 退官後は弁護士活動を再開し、09年には「最高裁判所は変わったか」(岩波書店)を出版。 遺稿ここから⇒ご承知のとおり、法科大学院制度は、2001年発表された司法制度改革審議会意見書をもとに発足した。私は、当時、日弁連において法科大学院の設立運営を支援するという仕事に関わり、大学院でのカリキュラム、テキストの作成や模擬授業のあり方などについて、大学関係者と協議し、共同して作業をしたり、各地で開かれたシンポジウムに参加するなどの機会も得た。 当時の関係者は熱気に溢(あふ)れており、入学した学生諸君にも新しい時代の司法を担うという気概が感じられ、そこに新しい司法の時代の到来を予感した。 あれから約10年、法科大学院の受験者は当時の6分の1にまで減ってしまった。当時、法科大学院の描いていた設計図と現実との間に乖離(かいり)のあることは否定できない。今やこの制度について消極的評価をする人も少なくない。そのような中で、法科大学院に入学した皆さんにはここで勉強することに不安があるかもしれない。 しかし、私は、この制度の選択は間違っていないと信じている。私たちは、今、何故この制度が生まれたのかを再確認し、この制度の目指したものにもっと自信を持ち、推進すべきだと考えている。 司法制度改革審議会意見書は、21世紀において、わが国が憲法が謳(うた)っているようにこれからの「国際社会において名誉ある地位を占める」ためには、司法の役割を飛躍的に高めなければならないと述べた。そして、そのためには、プロフェッションとしての法曹の質と量を大幅に拡充することが不可欠だと考えた。 何故そう考えたのか。今まで、法曹が果たしてきた分野での法曹が足りないというよりは、法曹はもっと新しいフィールドで活躍する必要がある、そうでなければこれからのわが国の展望は開けない。そのためには、新しい法曹養成制度の構築がどうしても必要だと考えたのである。 ところが、現在、法曹人口が増大した面のみがクローズアップされ、法曹が新しい時代に向けて質的側面の改革が必要であると指摘されたことが忘れられているように思える。 当時、司法試験の実態はどうであったか、そのことにふれた一つの判決がある。「受験生の多くが、論点、解答暗記型の勉強方法を採っており、自分の頭で論理を構成したり、説得的な論述を工夫したりすることなく、覚えた知識を吐き出すだけの答案作成方法を採っている」。そして、「画一的な答案増加のため、受験者の能力判定が年々困難になっており、合格者数の増加ともあいまって、合格者の質の低下を来しているとの認識が考査員に共通の認識になっている」とまでいわれたのである。 このような試験の状況では、法曹人口を増やしても、21世紀に期待される司法での活躍を期待することは出来ない。従来の仕事のフィールドでもそうであるが、新しいフィールドに活動する法曹を育てるためには、法曹の質の改革は不可欠だったのである。 そこで、21世紀の司法を担うにふさわしい質の法曹を確保するためにはどうすればよいのか、それは法曹の選抜を司法試験という「点」によるのではなく、法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を整備することが必要であり、その中核として法科大学院を設けることとしたのである。これは、当時の試験の実情からみれば必然のことであった。 私たちはこのことを今一度確認しなければならないと考えるが、そのためにも重要なことは、この意見書が何故、司法が新しい時代におけるわが国において重要な役割を果たさなければならないと考えたかを確認しておく必要がある。 わが国司法は、現行憲法の下でその面目を一新し、戦後一定の改革が行われた。また、1960年代には臨時司法制度調査会のもとでも改革提言もなされたことがある。 しかしながら、わが国においては、旧憲法下、天皇総攬(そうらん)のもとでの分立体制下で、行政に大きな比重がおかれており、司法はもとより立法機関でさえ、官の主導を抑制することは出来なかった。新しい憲法下で三権分立が高らかに謳われたものの、戦前の行政システムの骨格は基本的には変わることはなかった。ほぼ、一貫して一党支配の政治がつづき、政と官が密着した時代がつづいたのである。 その間高度経済成長がつづいたこともあって、わが国社会はうまくいっているという考えが支配し、三権分立がもつ本来の意味とりわけ司法の果たす役割について深く考えることはなかった。 しかしながら、バブルがはじけた1990年頃から、このような体制を見直す必要があるという気運が生まれてきた。 1997年12月に出された行政改革会議は、その最終報告書で「われわれの取り組む行政改革は、もはや局部的改革にとどまり得ず、日本国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別(けつべつ)し、自律的個人を基礎とし、国民が統治主体として自ら責任を負う国柄へと結びつくものでなければならない」と述べているのである。 そして、行政改革会議意見書は、そのためには、司法制度改革も不可欠だと述べたのである。それにつづいて生まれたのが司法制度改革審議会意見書であり、その意見書は、政治改革、行政改革、その他、わが国が直面する困難な状況の改革の根底におかなければならないのは 「国民の一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しなおかつ自由で公正な社会の構築に参画し、この国に豊かな創造性とエネルギーを取り戻そうとする志」であると述べ、統治客体意識からの脱却の必要性を説いたのである。 そして、意見書は、そのためには 「法の精神、法の支配がこの国の血肉」と化すことを願い、司法制度改革は、わが国において必要な一連の改革を憲法のよってたつ基本理念の一つである「法の支配」の下に有機的に結び合わせようとするものであり、この国のかたちの再構築に関する一連の諸革の「最終のかなめ」と位置づけられるべきものであると述べた。 また、意見書は、身体にたとえて、「政治部門が心臓と動脈に当たるとすれば、司法部門は静脈に当たる」といい、わが国では従前の静脈が過小でなかったかに根本的反省を加え、21世紀のあるべき国のかたちとして司法の規程及び機能を拡大強化し身体の調和と強健化をはからなければならないと述べて、新しい時代における司法の役割を宣明したのである。 私は、この意見書を読んだとき、司法の一翼で仕事をする者として、司法の新しい時代が来ると感情の昂(たか)ぶりを覚えたものであった。しかし、わが国司法の長い歴史の中で、司法がこれほど大きな役割をもつものとして期待を抱かれたことはない。何よりも、一片の報告書で国民の意職が変わるものでもない。しかし、司法に身をおいて仕事をしようとする以上、そこで仕事をする者がその実現に向けて人一倍努力をしなければならないと思ったのである。 審議会の佐藤会長は、司法が国民の期待に応えるためには、司法自身が変わらなければならないと述べた。そして、そのためには、三つのFが必要だといっている。 一つはFast、利用しやすい速い判断が求められること 二つはFair、公正で力強い頼り甲斐(がい)のあるものになること 三つはFamiliar、国民に身近でわかりやすいものになること そして、制度を生かすのは人である。それを生かすのにふさわしい人を養成しなければならないと考えたのである。そこで生まれたのは法科大学院なのである。 法曹にとって法律の専門知識は必要であることは言うまでもない。しかし、それは重要ではあるがその一つである。意見書は、21世紀の司法を担う法曹に必要な資質として、ほかに、「豊かな人間性や感受性、幅広い教養、柔軟な思考力、説得・交渉の能力」などをその基本的なものとして求められるとした上で、「社会や人間関係に対する洞察力、人権感覚、先端的法分野や外国法の知見、国際的視野と語学力」などが一層強く求められるようになると述べていることが極めて重要な点である。 これらの資質は司法試験という「点」ではテストされないものである。したがって、その相当部門を法科大学院で身につけ、少なくともその重要性を感得できるように制度設計が考えられたのである。 法科大学院では、司法試験科目以外の資質、能力をつけることができるようにカリキュラムを整備すると共に、法科大学院卒業者の相当部分が司法試験に合格できるような仕組みを想定したのである。しかし、現在のところ、残念ながら現実はそのようにはならず、司法試験科目の修得に大部分のエネルギーを投入せざるをえない状況にある。「点」で成果をあげることに集中せざるをえないのが現状である。テストで高いスコアをとった者が法曹として優秀だとみられがちになる。 しかし、私の修習生時代、私が指導を受けたある高名な裁判官が、議論においてすぐに判例はこうだ、学説はこうだというような者は伸びないという趣旨のことを言われたことがある。当時、私はそのことの意味をよく理解することができなかった。しかし、後にこの裁判官が、「裁判官について一番大切なのはバックボーンである」というテーマで法曹の資質についてこう述べておられるのを読んでその意味を理解したのである。「わたしの多年の経験、見聞によると、いわゆる優等生が必ずしも良い裁判官になれるとは限らない。なぜなら真の裁判は、優等生的な心理、態度では困難だからである。もう少し具体的にいうと、いわゆる優等生の中には――周囲のものからちやほやされるために知らず識(し)らずの間にそうなっているのであろうが――つい、いい気になるもの、いつでもどこでも他から良く思われたがるもの、小手先で要領よく問題を片づけようとするもの、あるいは頭でっかちになり、人間的謙虚さを失うものが往々にみられるが、こんな境地では到底良い裁判などできっこないからである。特にわたしが憂慮するのは、これらの人達は概して頭が良く、自信が強いだけに、裁判の基礎になるのが常に複雑微妙な人間の利害・心理のからむ事実であることを忘れると、安易に自己の尺度で他人のことをはかり、論理的に割り切ることのできない事実まで論理的に割り切り、判断をあやまる虞(おそ)れがあるという点である」 私は、司法試験という点だけで法曹有資格者を選抜しようとするとき、このような法曹としての資質を欠く人が多く出てくるという危惧が現実化することがさけられないと考えるのである。テストがあるとき、どうしてもそのテストの点数が高い者が優秀だと思われ、本人もその気になり、真に法曹として必要なことを見落としてしまうからである。 これは、裁判官によって大切なこととして話されたことであるが、全ての法曹にとってあてはまることであり、とりわけ弁護士になろうとする者にとってより重要なことではないかと考える。 私は、50年以上の実務家として経験をふりかえってみると、試験というのは、実務家としての資質をはかるごく一部のものにすぎないことをしばしば実感することがあるのである。 実務家は、様々な、教科書には書かれていない、今まで習っていない類の多くの課題に直面することになる。その際、その人の持つ多くの資質を総動員することが求められる。試験で試されたものはその一つであって、それがそのまま役にたつこともあるが決して多くはない。それを基礎として創意と工夫が求められるのである。いわばその人のもっている多くの引き出しの中から解決のための材料を探しだし、それを駆使しなければならないのである。 試験科目という引き出しの中には一杯詰まっているものがあっても、他の引き出しが空っぽであれば、決していい解決は生まれない。多くの引き出しをもつ、それは教養といってもよいかもしれないが、その広いしっかりした土台があって初めて斬新な考えも生まれてくるのである。 スティーブ・ジョブズ氏はアップルの製品は教養とテクノロジーの交差点から生まれたといっている。独創的な製品はテクノロジーの世界でもテクノロジーだけで生まれるものではなく、様々な引き出しを持っていてこそ生まれるものだということだ。法的解決も、法律という引き出しだけではいい解決はできないことが多いのである。 従来の試験という一点で法曹としての有資格者を選んできたのでは、21世紀の社会の期待に応えうるような法曹を育てることはできない、という考えから、これからの法曹は多くの引き出しを用意し、そこで必要なものを詰めこめることができるようにする必要があるという考えで設計されたのが法科大学院である。そのことを肝に銘じてほしい。 もっとも、法科大学院で、法曹として必要なことの全てを学ぶことができるわけではない。プロを志したものは生涯勉強である。 ただ、この二年、三年の間に法曹として大成するためには、多くの引き出しを持っていることが必要であり、そこに多くのものを詰める必要があることを知り、そのための端緒を摑(つか)んで欲しいのである。 実際には、法科大学院で用意している多くのカリキュラムの中で、司法試験科目以外のものについての学生諸君の関心は高くないようである。試験での選抜が厳しいという現実を前にすると、とにかく試験科目にエネルギーを集中したいという気持ちになることは理解できる。 しかし、新しい制度が何故法曹人口を拡大しなければならないと考えるようになったのかをよく考えて欲しい。それは、多くの法曹は弁護士になるのであるが、その弁護士は、従来とは異なるフィールドで、異なるスタイルで仕事をすることこそが期待されてこの制度が生まれたのだということを肝に銘じて欲しい。 従来のフィールドは、訴訟を中心とした紛争の事後的解決であった。そこでも、先の裁判官のお話にあったように、試験科目における点数の良さだけでは良い法曹にはなれないとされた。ところが、訴訟でも、最近は理系知識や経済、社会学の知識を必要とするケースが増えてきている。訴訟以外の新しいフィールドではそのことがもっと顕著になるのである。 例えば、今、社内弁護士を採用する企業が急激に増えつつある。その数は今日まだ1000人そこそこだが、まだ、法曹有資格者を採用している上場企業は三分の一程度だといわれており、今後大幅に増加していくと思われる。その仕事は、外部弁護士との連携であったり、社内の各部門との調整であったりするが、その中で必要となるのは、法律知識ではない。むしろ交渉力であり説得力であり、調整力でもある。その際、力になるのは幅広い教養であることが多い。 今や、企業活動は急速にグローバル化しており、中小企業でさえ、その仕事を海外に求めつつある。その際、求められるのは外国法の知見である。比較法の知識が独創的な見解を生むこともある。 今やあらゆる取引で知財法や租税法の知識が不可欠になっている。もとより、それらの分野を極めることは容易ではない。しかし、法科大学院でそれらの端緒を摑んでいるかどうかでちがいがでてくることがある。 自治体も、従来は上級の自治体や国に多くの解決策を求めてきた。しかし、今は自治体自体で考えることが求められている。住民との関係だけでなく、自治体内部、自治体間、国との関係など、従来必ずしも論じられてこなかったことについての知識が求められてきているのである。 このようにこれからの法曹に求められているニーズが多様になっているのに現在の法曹養成制度が十分に対応できていないという側面は否定できず、学校側としても一層の努力が必要である。しかし、学生諸君も従来の法曹が働いてこなかったフィールドにこそこれからの法曹のニーズがあることを認識し、そのことを意識して必要だと考えることを積極的に研鑽(けんさん)してほしい。 そこでは、先例が多くある従来のフィールドにおけると異なり正解が見えないことも多い。しかし、私は、法律家の仕事は世間で考えられているよりはるかにクリエイティブなものだと思っている。そして、それを発見することに学ぶ喜びが生まれるものだと思っている。 ところで、皆さんは実務家になるには判例を知ることが大事だということで勉強することになる。以前に比べて教科書における判例の占めるスペースも飛躍的に大きくなっている。私も判例を勉強することは大切だと思う。しかし、ジュリストの判例百選を読んで、判例はこうだという風に固定的に考えるような勉強はいかがと思う。 判例はあくまで具体的な紛争についての解決を示したものである。しかし、紛争の態様は多様である。先例とされる判例が前提とした事実を前提とした結論とそれを導いた論理にのみ目をうばわれて、その紛争に固有の大切な事実を見落とすことがあってはならない。また、その判例の出された時代的背景も無視できない。先にふれた、判例はこうだという人は伸びないという高名な裁判官の指摘は、その様な考えで解決を導こうとする人はその事件に個有の重要な事実を見落とすことがあることからの警告だったのだと思うのである。最高裁の判例集に、一、二審の判決が掲載されているのは、そこで争われるのがどういうことであり、それに対して最高裁がどういう判断をしたかを知ることがその判例の理解に大切だからである。 一つの判例の射程をどうみるか、見解のわかれるものも少なくない。それらを自分の頭で考え整理するような勉強をしてほしい。そのような思考のくり返しの中で、新しい問題に遭遇した時にヒントとなることも生まれると思うのである。 覚えた判例についての知識を吐き出して答案を作ればよいと考えるような勉強はして欲しくない。 これから二、三年間の勉強は厳しいものがある。しかも、首尾よく司法試験に合格しても、そこにバラ色の世界が待っているというわけでもない。その後も研鑽しなければならないことは山ほどある。しかし、それを一つずつのりこえる中で、法律実務家としての醍醐味(だいごみ)を味わえる日はきっとくると思う。 司法制度改革審議会が司法の役割を高く評価したものの、それから10年の間に、その役割の大きさが目に見えるようにはなっているとはいえない。 わが国国民は長い間統治客体であることに慣れ、国民主権が宣明されたにもかかわらず統治主体としての自覚を欠いたまま半世紀以上をすごしてきているのである。司法制度改革審議会意見書は統治客体であることから国民が脱却するためにも司法の役割の強化が必要だと述べた。裁判員制度が導入されたのもその一環である。しかし、国民の意識改革は一朝一夕に出来ることではない。 国民の司法教育が極めて不十分であったことも指摘され、学習指導要領も改められたが、それらの効果が出るのも時間がかかることである。 しかし、司法の役割とその強化の必要性を説き、そのために法曹養成制度を改革しようとしたことの正しさは疑わない。そのことについての正しさについての確信をもって、佐藤会長がいった三つのFを実現するために努力をすれば、その効果のあらわれる日は必ず来ると信じる。既に、不十分ながら、行政訴訟、とりわけ税務訴訟に一定の変化の兆しがみられる。また、極めて消極的であった大企業間の訴訟が増えつつある。弁護士の仕事の中で訴訟以外のものの占める比率が益々(ますます)大きくなりつつある。しかし、このような新しいフィールドでの仕事で社会の期待に応えるためには、従来問われていなかった資質がより強く求められるのである。大学もそのための努力をつづけなければならないのは勿論(もちろん)であるが、学生諸君もそのことに確信をもって精進して頂きたい。私は法科大学院制度を選んだことの正しさを疑わないが、そのことを証明してくれるのは皆さんの研鑽の仕方である。精進を期待している。 |
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ブログ「季々采々」から引用。 昭和41年度・・・国勢経済数値デ-タ |
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2015年05月19日(火)
28 わが国の安全文化はどんどん衰退していませんか シリーズ・「原発廃止か存続かを決める前に読むべき32の質問」第28回 安全文化の衰退は21世紀の初頭から顕著にはじまっています。 2003年8月29日のエクソンモービル名古屋油槽所火災(死傷者7名)、同9月3日の新日本製鉄名古屋製鉄所火災(死傷者15名)、同9月8日のブリヂストン栃木工場火災(建物約4000㎡他全焼)、同9月26日の出光興産北海道製油所(苫小牧市)タンク火災(44間にわたって炎上)、2012年9月29日の日本触媒姫路製造所タンク爆発と、重大なタンク火災事故が相次いで発生しました。 この一連の事故に関連して、全国のタンクのうち国が定める技術基準値に満たないものが実に64%に上ること、さらに基準に満たない施設であってもその改修は平成23年と平成27年まで猶予されることになっていたことが判明し、国はあわてて耐震化遡及適用の前倒しを検討し始めたことが報じられていました。 関電美浜原発事故での対応もそうですが、わが国では何か大きな事故災害が起きてはじめて対策が動きます。そういう「事後対応国家」としてのイメージを払拭することは相変わらず出来ないでいます。 日本の企業風土や社会風土は簡単に一朝一夕には変わらないとは思いますが、変わらなければならないのです。わが国では現場での実践経験よりも学歴・知識偏重の傾向が強く、政・官・産・学のトップは現場や修羅場の経験を経てこない、青白いエリートが多いのです。 一度その権力の座につくと、あまりにも居心地がよくて居座り続けます。そして次第に周囲には反駁する者はいなくなり、権威の象徴として奉られていくのです。 トップの安全文化への見識 わが国のトップの多くは、「安全」や「現場主義」を自らの責務として深く極めることなく、現場へ足を運ぶことを怠っています。その結果、「安全」や現場の実態からは物理的にも心理的にも遠く離れ、安全文化への見識や重大事態発生時の瞬時の的確な初動を欠くことになります。 今回の原発事故の初動について、その事故の真っ最中に、原発暴走中とは思えない幹部の緩慢な対応は、わが国の安全文化や危機管理の衰退を物語っています。 被曝隠しが横行 報道によると、今回の事故現場では、被曝線量を測る線量計(APD)をつけないで働かせた作業員が延べ3000人を超え、全体の四割にのぼるといいます。 緊急対応として作業班の代表者だけにAPDを装着させ、全員が同じ線量を浴びたとみなしていました。だが、作業員が代表者と離れて働いていた事例が判明し、正しい被曝記録が残っていない人が相当数いる可能性が出てきたのです。 安全管理責任者である東電は、これに対して、「代表者のAPDで作業員の線量は十分把握できていた。労働安全衛生法に基づく規則で認められている『測定器での測定が著しく困難な場合は計算で値を求められる』に該当し、法違反ではない」と説明しています。 しかしこの説明は明らかに間違っています。どうみても、「測定器での測定が著しく困難な場合」には該当しません。単に全員にAPDを持たしていなかったというだけなのです。わが国を代表する一流企業の言葉とはとても思えません。安全管理が真面目に行われていたと、誰が信じるでしょうか。 しかし実態はさらに深刻でした。「被爆隠し、原発下請け、もの言えぬ闇」なのです。 下請け作業員たちが、被曝線量を低く見せかけるよう、APDに鉛カバーをかぶせて働かされている実態が明らかにされました。発注者→元請け→下請け→孫請け等々、タテの重層請負関係の末端にいる作業員の立場は極めて弱く、理不尽な要求を受け入れざるを得ませんでした。 被曝隠しの裏にある構造的な背景が存在しているのです。 繰り返しになりますが、カナダの原発では、作業員は全員社内教育を受けた正社員でなければならず、それ以外の者は原発内で作業をすることは許されません。 カナダの人にとっては、東電のように放射能で汚染された水の中へ裸足(はだし)で入るなんて、想像もつかないでしょう。 わが国の安全文化の衰退に歯止めをかけることが出来ない行政当局も、この現実を真剣に受け止める必要があります。今回の事故に対する日本の対応については、世界が注視しているのです。 欧州の安全文化 わが国における「安全文化」は、欧州諸国のそれと大きく違っています。日本の政府首脳や社会、企業、組織のトップに立つリーダーと、欧州諸国のリーダーが持つ「安全文化」への見識が異なるのです。 欧州の安全文化は、関連する規則や基準の中味に重点が注がれています。我々が遂行したドーバー海峡トンネルプロジェクトでは、所定の時期に提出する「安全、衛生管理計画書」の内容の承認が、契約での毎月の出来高支払の要件となっていました。 つまりいくら工事が進んでも、安全と衛生管理が遂行されていなければ、代金を支払ってもらえないのです。この一件からも欧州では安全をいかに重視しているかを窺い知ることができるでしょう。 わが国では統計的な労働災害発生原因の約90%が、何らかの人の不安全行動に起因していると言われており、安全文化の基盤は、現場での安全の基本動作、四S(整理・整頓・清潔・清掃)、安全ルールの遵守など、現場で働く一人一人の安全意識、行動に関するヒューマン・ウエア(人間的要素)に拠っています。 一方、欧州では安全管理について、現場の危険な状態を「ワニ」に擬し、マンガで分かり易く三つのケースに分けた説明がなされています。 ケースA 危険な「ワニ」に人間が槍をかざして立ち向かって いる。(危険と闘いながら身の安全を確保している) ケースB 危険な「ワニ」を囲いの中へ閉じ込め、出てこられないようにしている。(危険な要因を閉じ込める対策をしているが、囲いを破ってワニが出てくる恐れがある。) ケースC 危険な「ワニ」を縛ってどこかへ運び出している。 (危険な要因を事前に完全に 取り除くことにより安全を確保する) 欧州における安全文化は言うまでもなくケースCで、関連する規則や基準により危険な要因を取り除くことを目指しています。 一方、わが国における安全文化は、前述のように現場での安全の基本動作、四S、安全ルール遵守など、ヒューマン・ウエアに大きく依存しており、ケースAもしくはケースBの段階に留まっているのです。 事故の教訓 日本では今回のような大事故が起きると、原発は危険だから撤退すべきとの論調が歓迎されます。撤退か否かは即決ではなく、安全と電力供給の両面から、国民的な幅でじっくりと議論して決められるべきことです。 しかし喫緊(きっきん)の課題は、今現に原発が動いている事実にどう対処するかということでしょう。この甚大な犠牲をどう生かしていけばいいのか。 その答えは明白です。今回の事故を教訓として、設備のハード面、ならびに重大な緊急事態発生時の対応についてのソフト面の両方について、真摯な反省に立った分析をし、指針を立てることです。これを今後に生かさなくてはならないのです。 またそれとは別の問題もあります。日本の企業文化では、明文化されたルールより、時によってはトップの意向が優先される場合が多いのです。門外漢に等しい社長や総理大臣が、思いつきの指示・命令を発します。 従って今回のような重大な原発緊急事態においては、トップの資質が極めて重要となります。社長や総理大臣でなくても、少なくとも現場所長や本社の原発担当役員には、原発は巨大なプラントだということをしっかりと認識し、トップとしてのあるべき資質と経験を備えてほしいものです。 著者略歴 仲 俊二郎 1941年生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、川崎重工業に入社。労務人事を経験した後、営業のプロジェクトマネジャーとして長年プラント輸出に従事。最後の仕事として二十世紀最大のプロジェクトといわれるドーバー海峡の海底トンネル掘削機を受注し、成功させる。 後年、米国系化学会社ハーキュリーズジャパンへ人事部長として転職。アメリカ式人事について本社でトレーニングを受ける。後に同社ジャパン代表取締役となる。退社後、経営コンサルタントとして日米企業に提言をするとともに、星光PMC(東証二部上場)監査役を歴任。主な著書に『大正製薬上原正吉とその妻小枝』『この国は俺が守る』『我れ百倍働けど悔いなし』(以上、栄光出版社)、『ドーバー海峡の朝霧』(ビジネス社)、ビジネス書『総外資時代キャリアパスの作り方』(光文社)、『アメリカ経営56のパワーシステム』(かんき出版)がある。 小石原 健介 1941年生まれ、 神戸商船大学機関学科卒業後、関西汽船外航船での4年間の海上勤務を経て 川崎重工業に入社。一貫してプラント建設に携わる。 関わった主なプロジェクトとしては、南アフリカISCOR製鉄所製鋼プロジェクト据付工事主任・保証技師、台湾CSC製鉄所製鋼プロジェクト建設所長、ドーバー海峡海底トンネル掘削機プロジェクト現地所長、関西国際空港プロジェクト建設所長等を経て、プロジェクトマネジメント社内研修講師を務める。 新しい日本型プロジェクトマネジメント知識能力体系(P2M)の制作と資格認定制度の創設に関わる。日本プロジェクトマネジメント協会(PMAJ)専任講師など歴任。PMAJ会員。 シリーズの第1回からの全掲載分:こちら。 |
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古谷経衡 | 評論家/著述家 2015年5月18日 4時57分 5月18日、大阪市を事実上消滅させて大阪都の設置の是非を問う所謂「大阪都構想」の住民投票が投開票され、ごく僅差ながら「都構想反対」が賛成を上回った。これにより大阪都構想は廃案となった。 私は、大阪を含め関西に十年弱暮らし、橋下徹氏が大阪府知事に初めて立候補した時(2008年)には彼に一票を入れた経験のある元大阪府民だが、現在は千葉県に住民票を移して久しいがため、結果廃案となったこの「都構想」については、今でも特段、明確に賛・否を表明しているわけではない。が、私はその賛・否の結果以上に、大阪市の区別投票結果の内訳の方が、気になったのである。 青が「賛成」、赤が「否定」である。投票総数で観ると、賛・否の差は総数でわずか1万票強足らずで大差ないが、地域別に見てみるとはっきりとその地域差に傾向があることがわかる。一目瞭然のように、大阪市北部は「賛」、大阪市南部は「否」と区分されている点だ。 大阪市北部は「キタ」で知られる繁華街・オフィス街の梅田や大阪駅、北新地、北浜、淀屋橋などを中心とした地帯で、大阪随一のビジネス街・官庁街(市役所・府庁在所)でもある。一方、大阪市南部は「ミナミ」で知られる歓楽街の難波、心斎橋、天王寺、新世界(通称)などを中心とした雑多な商業集積地帯である。一般的に、全国的な報道や映画、ドラマの中のイメージで登場する「大阪」とは、この「ミナミ」を中心とする大阪南部一帯である。 それは例えば『じゃりン子チエ』の舞台である大阪市西成区、『ミナミの帝王』の主な舞台である難波・天王寺一帯(勿論この作品にはキタも登場するが)、そしてかの有名な「道頓堀」「グリコの看板」「くいだおれ人形」「通天閣」は、全てこの「ミナミ」の情景である。 全国的なイメージの中の大阪は、実際には「ミナミ」を中心とする大阪市南部であって、「キタ」を中心とする大阪市北部は余り登場しない。そして、この両者、つまり大阪の北と南は、まるで「南北格差」の様に、街の情景が全く異なっている。このことを理解しなければ、「大阪」という日本第二位の(人口的には横浜に次ぐ第三位の)巨大都市の実相は見えてこない。 ・南北で全く違う大阪 続きを読む。 |
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衆議院本会議で新安保条約が、野党欠席のまま自民党の強行採決で可決された。 以後、国会は空白状態になり、安保反対運動はさらに激化。6月10日には米国大統領秘書官のハガチーが、羽田空港付近でデモ隊に囲まれヘリで脱出。 15日には全学連が国会突入をはかり警官隊と衝突し、東大文学部4年生の樺美智子さんが死亡。16日にはアイゼンハワー米大統領の訪日が中止となった。条約発効の23日に岸信介首相は辞意を表明し、翌月、岸内閣は総辞職した。 1960年05月20日 警官500人を導入し野党議員欠席のまま、自民党が新安保条約を単独可決 1960年5月20日 東京・国会・衆院本会議場 乱闘で壊された衆議院議長次室 1960年5月20日 東京・国会・衆議院 議場前に座り込み、導入された警官にゴボウ抜きされる社会党議員ら 1960年5月19日 東京・国会・衆議院 引用元。 ☆警察力を使ってまでやったところを見ると、新安保条約の締結は宗主国の絶対指令だったのだろう。 この騒乱にこりた宗主国の国務省日本班と外務省を筆頭とした高級官僚群や与党幹部議員などの買弁集団は、日常の情報操作の重要性に気づき、記者クラブを通じた大手メディア幹部の囲い込み、取り込みによりメディアコントロールに注力した。 そのワークの一つに日本はアメリカの属国ではなく一見あたかも独立国であるかのような空気を作ることに腐心したことがある。 その企みは見事に成功し、この新安保条約は国民のわずかな反対運動はあったものの、もくろみ通り期限が来た時自動延長になって現在の「日米地位協定」にまでつながっている。 |
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2015/05/19 06:50 【ワシントン共同】米国防総省のウォーレン報道部長は18日の記者会見で、ハワイで起きた海兵隊の新型輸送機MV22オスプレイの死亡事故に関し、空軍のCV22オスプレイを米軍横田基地(東京都福生市など)に配備する方針への影響は「ない」と明言した。 日本国内に配備しているオスプレイの運用計画についても「現時点で変更する予定はない」と述べ、安全確認のために飛行停止などの措置を取る必要はないとの認識を示した。事故当時、火災が発生したとする一方、火災が起きたのが事故の前なのか後なのかは不明だとした。 ☆日米地位協定により、日本側はアメリカの方針に口をはさむ事は出来ない。出来るのはお願いだけだ。 |
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2015年5月18日 13:16 政治 普天間移設問題・辺野古新基地 【東京】菅義偉官房長官は18日午前の記者会見で、辺野古新基地建設反対の県民大会で翁長雄志知事が「辺野古新基地の建設阻止が唯一の解決策」と主張したことに、「そこは逆だと思う」と述べ、辺野古移設が唯一の解決策とする政府見解をあらためて強調した。 また、普天間飛行場の危険性除去と固定化の回避、日米同盟の抑止力の維持のためには、辺野古移設が必要とし、「粘り強く説明させて頂きながら進めたい」と述べた。 県民大会に3万5千人が集まったことには「民間の方が主催したもので政府としてのコメントを控えたい」とした。 ☆日本の官房長官はこういう発言を続けることが宗主国に対するミッションだ。 |
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バイク集団の抗争で銃撃戦、9人死亡 米テキサス州 2015.05.18 Mon posted at 09:57 JST CNN 米テキサス州でバイク集団同士による銃撃戦が発生。少なくとも9人が死亡した=ウェーコ警察署提供 米テキサス州でバイク集団同士が銃撃戦 (CNN) 米テキサス州ウェーコで17日午前、バイク集団同士の抗争が銃撃戦に発展し、警察によると少なくとも9人が死亡した。 警察の調べによると、飲食店の店内や駐車場で乱闘があり、銃の撃ち合いに発展した。事件には少なくとも3集団の抗争が絡んでいた。 CNN系列局のKWTXによれば、店内にいた客や従業員は冷蔵庫の中に身を隠すなどして難を逃れた。現場からは100丁以上の武器が押収されており、警察は武器を所持していた人物を相次いで逮捕しているという。 この事件で8人が現場で死亡、1人は搬送先の病院で死亡が確認された。病院には18人が搬送された。死亡した1人がこの人数に含まれるのかどうかは不明。 現場にはトラブルを見越して事前に警官が配備されていたといい、「そのおかげで大勢の人命が救われた」と警察は強調している。警察官に負傷者は出ていない。 警察はまた、事件現場となった飲食店の経営者がかねてからバイク集団の取り締まりに非協力的だったとして不満をあらわにしている。 ☆日本の宗主国も国内はなかなか大変だ。なにしろ拳銃やライフルの販売をほぼ野放しにする国是の国だ。いずれはガンベルトをつけないと町を歩けなくなるのだろうか? 連邦保安官 バット・マスターソン、 ガンスモーク ローハイド 拳銃無宿 西部のパラディン シャイアン ララミー牧場 ボナンザ(カートライト兄弟) 幌馬車隊 ライフルマン ブロンコ マーベリック 保安官ワイアット・アープ バージニアン バークレー牧場 南部の反逆児 etcetc 昭和30年後半はテレビはアメリカの西部劇ドラマが花盛りだった。 アメリカは民間人だけではなく警察も・・ 米大統領 警察の過剰装備を禁止 5月19日 9時13分 NHKNEWSweb アメリカで警察官が捜査中に黒人の容疑者を死亡させたことに抗議するデモで、装甲車などが投入されたことに批判が高まっていることを受けて、オバマ大統領は全米の警察への過剰な装備の供与を禁止すると発表しました。 去年8月、中西部ミズーリ州ファーガソンで白人の警察官が黒人の少年を射殺したことに対して起きた抗議デモでは、警察が装甲車などを投入して対応したほか、先月、東部メリーランド州ボルティモアで警察に逮捕された黒人が死亡したことへの抗議行動でも、装甲車が出動しました。 アメリカではテロなどに対処するため、軍が使用していた装備品を全米の警察に供与する取り組みが進められていますが、このところ、警察が過剰な装備をして「軍隊化している」という批判が高まっています。 オバマ大統領は18日、訪問先の東部ニュージャージー州で演説し、「軍の装備品は警察が住民を守るためではなく、占領するためにいるという印象を住民に与え、地域社会との間に溝を作っている」と述べて、警察への過剰な装備の供与を禁止すると発表しました。 具体的には一部の装甲車や武装した航空機、それに大口径の銃のほか、迷彩服などの軍の装備品を警察に供与するのを禁止するとしています。 アメリカでは警察官が捜査中に黒人の容疑者を死亡させる問題が相次ぎ、警察改革を進めていて、オバマ政権としては警察への過剰な装備を見直すことで改革を加速させたい考えです。 |
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実現しなかった「読売新聞への独占提供 ピーター・エニス :東洋経済特約記者(在ニューヨーク) 2015年05月16日 5月6日、韓国ソウル鍾路区の日本大使館前で開かれた慰安婦問題の抗議集会(写真:Yonhap/アフロ) 5月5日、日本研究者187人が「日本の歴史家を支持する声明」(原題:Open Letter in Support of Historians in Japan)を発表した。米マサチューセッツ工科大学のジョン・ダワー教授やハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授、入江昭名誉教授をはじめとする著名な研究者らも署名したものだ。声明は、慎重な言い回しを使いながら、日本政府が慰安婦を含む戦争時の問題について、その解決のために「指導力を見せる」ことを促す内容になっている。 日本研究者たちは、なぜこのような声明を作成したのだろうか。作成において中心的な役割を演じたジョージタウン大学のジョルダン・サンド教授とコネティカット大学のアレクシス・ダデン教授に、声明作成のプロセス、公開後の反応などを聞いた。なお、インタビューの英語原文も掲載している。(編集部) 安倍首相を非難することが目的ではない ――お二人には「声明」の内容と発表の経緯について、そして発表後の数日間に表明されている、いくつかの批判についてもお話を伺いたいと思います。まずサンド教授に伺います。「ウォールストリートジャーナル」と「ファイナンシャルタイムズ」の両方が声明を安倍首相に対する非難(rebuke)とみなしています。非難との見方は声明の趣旨を正確に表し、あなた方の意図を捉えていますか。 サンド: 声明は日本にいる同僚、日本社会、メディアおよび政府に宛てたものです。私たちは、「慰安婦」問題に政府が対応することを期待する旨を表明しました。首相にできることは数多くあると思いますし、それは署名者の多くも同様だと思います。 しかし、私は首相を非難するために参加したのではありません。それは私たちの役割ではないと思います。声明を非難として解釈することが間違っているとは言いませんが、こちらの意図を正確に捉えたものではありません。 ダデン: そのとおりです。多くの記事の見出しに使われた「非難」という言葉が間違っているわけではないが、187人の歴史家や学者が参加したのはそのためではないのです。 声明は、一定のテーマに関する客観的・歴史研究がしづらくなりつつある日本の現在の状況に対する共同の意見でした。現在の状況は、数年前と比べても大きく異なっています。署名者の全員が日本研究を仕事の中心に据えています。この1~2年間に日本で何か新しいことが起こっているために、あれほど多様性に富む人々が、この傾向に対して共通の意見をまとめることが驚くほど容易にできたのです。 サンド: 声明は、非難というよりも励まし(encouragement)を意図したものだといえます。意見の表明であり、政府に対する要求のリストではありません。日本は民主主義社会で、安倍首相は選挙で選ばれたのですから、有権者に応えればいいはずです。安倍首相に「ああしろ、こうしろ」と指図をする考えはありません。 しかし、政府には、「慰安婦」問題を巡る日本の風潮に対して一定の責任があります。声明は、この憂慮すべき風潮に対する意見です。政府にはこの風潮を変える力があります。 →次ページ憂慮すべき風潮とは? |
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『オランダ・ハーグより』特別編 2015年は第二次世界大戦から70年を経た節目の年である。 欧州の終戦は太平洋戦争より三ヶ月ほどはやい、5月であります。戦争は一律同日に終わったわけではなく、オランダの解放記念日は5日、フランスは8日、イギリスは戦勝記念日で、ロシア(当時はソヴィエトでありましたね)とおなじく9日という具合であります。 同じように戦争に巻き込まれながらも、終戦体験が異なることで、欧州の国々の記憶と感慨は微妙に違っている。その記憶・感慨は戦後の国づくりや地域協力のあり方にもインパクトを与えてきたようであります。 そこで今回の拙稿は、いつもでたっても過ぎ去ろうとしない過去を、彼らがそれぞれどのように見据えてきたのか、その検証を試みようという趣旨であります。もちろん、欧州すべてを網羅するのは不可能であるから、身近なところから論じましょう。 わたくしの住むオランダは、ドイツのポーランド侵攻の一週間後にドイツの侵略をうけ、ろくに抵抗する間もなく占領されてしまった。 それから5年間、彼らはナチス軍政のもとにあって、辛惨を舐めた。解放された日は5月5日なので、この日は5年に一度「国民の祭日」とされる。 今年は70年という節目の祭日であったが、前日4日は戦死者を弔う「メモリアルデイ」で、多くの家庭に半旗が掲げられていた。そして 翌日にはその旗がずりあがって、解放記念の旗日となった。 国のあちこちで式典がおこなわれたが、それらはどれも地味で、けっして国を挙げての大騒ぎでなかったところが興味深かった。 静かな祝典にはいろいろな理由が考えられるだろうが、戦時中のオランダ人がドイツ軍支配下でそれぞれに異なった対応をしたことがあるでしょう。 まず、占領と同時に政府はイギリスへ逃げ、王室はカナダへ避難した。 残されたひとびとは占領に対して三とおりの対応をした。第一はドイツ軍を無視し、いままでどおりにふつうの生活を営もうと努めたひとたち。 第二はドイツの勝利を信じ、積極的にドイツの手伝いをしたひとたち。同胞をドイツに通報したり、ユダヤ人の収容所への輸送に手を貸したり、ドイツ兵に媚を売って財を築いたもの、などなど、ナチスの手先となって働いたオランダ人は少なくなかったのであります。 そして第三は地下に潜ってファシズムへの抵抗を試みたひとびとであります。 さらに、オランダはインドネシアにもっていた植民地を日本軍に蹴散らされ、植民者たちも俘虜とされて終戦まで収容されたのである。 男性俘虜のなかにはビルマに連れていかれて鉄道建設に狩り出され、そこで命を落としたひとたちも多くいる。さらに、彼らの帰国はオランダにおいて政治的に複雑な波風を立てた。 俘虜生活から帰還したひとびとは、「わたしたちがドイツ占領下で苦しい生活をしていたとき、あなたがたは南国の太陽のもとでのうのうと暮らしていた」とあらぬ誤解に痛めつけられたのでした。 彼らがながいあいだ日本と日本人を許すことなくきつい思いを抱いたのはそういう事情も加わっていたのであります。 オランダの戦後復興は、そのような戦時の対応がすべてひっくり返ってしまった所からはじまったせいで、複雑な進展を遂げてきたと言える。 まず復讐がおこなわれ、ドイツに寄り添ったひとびとはリンチにあったり村八分にあったり、いたたまれなくなってドイツ側へ逃げたりした。 そういう無政府状態がやっと終わってから、国つくりがはじまったのであります。70年たった今でも、そういう家族の歴史が、彼らの生活に微妙な影を落としているのだ。 もっとも、無政府状態はヨーロッパ諸国のどこにも見られた景色であって、戦後すぐの欧州ではどこへ行っても瓦礫の中で復讐が行われていた。 あまりの残忍さに、アメリカは警察能力が復活するまでマーシャル・プランの実施を見合わせたくらいであったのであります。 西ヨーロッパのまん中にあって、戦時中に中立を維持した国はふたつある。ひとつはスイス。もうひとつはスペイン。 スイスについては中立を標榜しながら連合国枢軸国双方を手玉に取って利潤をあげたことは知られているが、スペインは中立のために国民がいらざる苦痛を経験することがなかった、それはフランコのおかげだと、そのことを喜ぶスペイン人はいまでも多いのであります。 国連時代、スペイン語の通訳をしていた同僚はフランコ派で、聞いて見ると、彼女のようにファシズムよりも共産主義のほうを嫌っていたスペイン人も多くいたのであります。 わたしたちはヘミングウェーとかロバート・キャパとかが市民戦争のときにカッコ良く共和政府側に志願したことで、ほとんど自動的にフランコを悪役呼ばわりしてきたけれど、他方で共和制(と言うも、じつはソヴィエトの支援をうけた左翼政権)を受け入れ難かったスペイン人も多くいたのであります。 フランシスコ・アヤラが書いた『タホ川』という短編があるが、この話は、共和国側の兵士の遺品を届けに来た主人公にむかって、遺族が「こんなものをもらって、あなたはわたしにどうしろとおっしゃるの?社会主義社の身分証を家においておけって仰るのね。おあいにくさま」と叫び返して終わるのであった。 (『フランシスコ・アヤラ『仔羊の頭』所有)。 そのフランコは、第二次世界大戦においては、連合国と取引をして、中立を維持した。なのでこの友人は、フランコのおかげで彼女の国は共産国の悲惨と暴力を経験せずにすんだのだ、とまで言う。 フランコの独裁制は、その弊害はちいさくはなかったけれど、ありがたいと思っているスペイン人も少なくないのであります。 ところで、わたくしは5月のはじめにイギリスにいたのであるが、かの地では7日に総選挙が行われました。結果はメディアの予想を裏切って、キャメロン氏率いる保守党が圧倒的勝利をとげた。 彼らの勝利を正確に予言・予知したのは、わたくしの知るかぎりでは学者でも評論家でもニュースキャスターでもなく、『 BetFair 』というノミ屋であった。こう言っちゃあなんですが、学者や評論家はなにを言ってもオカネを失うことはないからね、ノミ屋は巨額の賭け金がかかっているから予想は真剣で、その分信頼に足りるのであります 覚えておかれるとよろしい。 ついでですが、イギリスでは賭博の収益は無税であります。そのことも覚えておかれるとよろしいか。 議会を独占したキャメロン首相はさっそく組閣をはじめたが、もうこれまでのような連立の必要がないから足枷はありませんね。国家の安全に関して驚くべき早さでもって戦略を打ち出した。 彼らにとって目前の敵は、ISISをはじめとする原理主義的テロリストたち、そして極右のネオナチであるということです。彼らこそが自由と民主主義の敵なのだから、というのであります。 彼らのヴァリューは明快であります。わたくしが他国の首相であるキャメロン氏を誉めたたえる必要はないのだけれど、その姿勢は開戦当時のウィンストン・チャーチルの姿勢によく似ている。 今年の終戦式典において、ウィンストン・チャーチルの孫であるランドルフ・チャーチル氏が式辞を述べ、「あの戦争は自由と民主主義を守るための戦いであった。あれに勝利し、70年経った今、世界に民主主義と自由がひろまっているのをみたら、祖父はさぞかし満足していることだろう・・・」と言っていた。 ヨーロッパの価値観はじつに明快、デモクラシー、リバティーなのであります。すべては(平和も戦争も)そこからはじまるのだ。 それゆえに、日本とヨーロッパの戦争認識のおおきな違いは、彼ら(とくに英米)は「自由と民主主義のために戦い、勝った」と思っていることだと思います。 わたくしはかつて、ベルギーのフランダースで、第一次世界大戦の戦勝記念日の式典に参列したことがあるが、100歳にちかい老兵が「自由を守ることができてよかった」と言ったあと、「もういちど自由が脅かされるなら、わたしはまた武器を持って戦う」と言っていたのが印象的でありました。 価値観がはっきりした戦争はたしかに戦いやすいでしょう。 英米は出兵するときに、かならずリバティ、デモクラシーをスローガンにして軍をおくる。だが、それは政府のかけ声であり、戦争がはじまると、やはり国民は巻き込まれたくないと思い、さらにじぶんだけでも生きのびようとする。 そのために、だれもが生きる術を考えて対応をする。権力にすり寄るとか、抵抗するとか、無関心を決め込もうとするとか・・・、 すなわち、わたくしたちはだれもオランダ人のような対応をするのではないか。 映画監督伊丹万作の書いたものに、こんなものがあります: 「戦争がはじまってから国民はただ自国の勝つことしか望みはしなかった。国が破れることはじぶんも家族も死に絶えることだと思ったからである。 戦後になって、多くの国民がじぶんたちはだまされていたと言いはじめた。反面、じつはおれがだましたんだというものはひとりもいなかった。 ・・・ だが、ほんとうはだましていたひとのほうがだまされていたひとの数よりずっと多かったのではないか。 新聞報道、ラジオ、町会、隣組、警防団、婦人会・・・はみんな熱心にだます側に協力していたのではなかったか。 戦争を通じてだれが一番直接にわれわれを圧迫し続けたかと言うと、だれもの記憶に甦ってくるのは、近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり。郊外の百姓の顔であり、区役所、郵便局、交通機関の小役人や雇員や労働者、学校の先生といった日常生活を営む上で否が応でも接触しなければならない身近なひとびとであったのだ・・・。 村上編集長の書いたものにも、日本が勝ちまくっていた頃、・・・毎日のように提灯行列をしていた日本人は、戦後になると「そのことはみんなで決めたんだから、わたしひとりを責められても困る・・・」と言いはじめたという趣旨の文があった(『地上げ屋』「村上龍文学的エッセイ集」所有)。おなじことだと、わたくしは思う。 日本は自由のために戦ったわけでもなく、世界の民主化を標榜したわけでもなく、ましてや、自由主義・民主主義をひろめるために中国大陸・アジアへでていったわけではない(石油が足りないという即物的な理由で戦争をはじめたのではなかったっけ)。 さらに悪いことに負けてしまったので、アメリカからもらった自由がどういうものであるか、なかなか理解しにくいのだと思います。マッカーサーは「日本を極東のスイスにする」と言いましたが、そのスイスだってハプスブルグ家と戦って独立と自由を達成したわけで、そのように血を流して勝ち得たものは、血を流すことなく天から降ってきた自由とは違うのではないかと思います。 そのことはいま自由や人権を論じるときに、わたくしたちの抱えるハンディキャップでありましょう。 わたくしが今年のはじめに書いた『わたしはシャルリ、きみは?』という一文をみなさんは覚えておられようか?(忘れちゃった?)あれをある大学の先生が憲法の教材に使ってくださったことがありました。そして、生徒さんたちの感想を送ってくださったのですが、それを読むと、自由の捉え方が千差万別で興味深かったのですが、わたくしたちが自由や人権を論じるとき、だったらチャーチルや老兵士のように、自由 を守るために戦いを辞さないか、血を流す覚悟はあるかと問うならば、どんな答えが返ってくるだろう。 戦後を見て思うのは、日本だけではなく、戦勝した、あるいは解放された彼の地においても、70年前のあの戦争が未消化のままであることであります。 それはだれもが被害者であってじぶんは加害者だとは言わないからで、だが、戦争においては、だれもがどこかで加害者になるしかないのではないか。 それはけっして気分のいいものではない。だから加害者にならないために、戦争はおこしたくない、関わりたくない、なぞとわたくしなんかは思うのであるが、そういう厭戦論もあっていいのではないかと思ってしまうのであります。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 春(はる) 具(えれ) 1948年東京生まれ。自由学園、獨協大学、国際基督教大学院、ニューヨーク大学法学院をへて、国際連合(ニューヨーク、ジュネーヴ)にて人事行政、安全保障理事会:賠償委員会法務官を歴任。2000年よりオランダ・ハーグの化学兵器禁止機関にて訓練人材開発部長・人事部長。2010年退官。現在はオランダ在住。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2015年5月15日発行 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ JMM [Japan Mail Media] No.845 Extra- Edition http://ryumurakami.com/jmm/ |
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2015年5月18日 大阪市を廃止し、五つの特別区を新設する「大阪都構想」は17日の住民投票の結果、反対多数となり、都構想は否決された。橋下徹市長率いる大阪維新の会発足から5年におよぶ論争に終止符が打たれたとはいえ、大阪市の現状に不安を抱く声は少なくない。地域の将来に関心が高まった今こそ、都構想反対を訴えた野党各党は大阪の都市像を示す必要があり、橋下維新にも次世代を見据えた大局観が求められる。 反対確実の一報を受ける自民党市議団の柳本顕幹事長=17日午後、自民党府連 橋下氏は、二重行政の無駄を解消し、捻出した財源を医療、福祉、教育の住民サービスや成長戦略に充てることが必要だと都構想の原点を力説。その姿に、変革を求める市民が賛同し、4月の統一地方選は維新が府・市両議会の第1党を維持した。 これに対し、府内の自民、民主、公明、共産の各党は住民投票を通して「反維新・反都構想」で共闘し、告示期間中の反対運動は頂点に達していた。 大阪市内を二分した論争の末、有権者は最終的に都構想に「NO」を突き付けたわけだが、反対票を投じた有権者の間には「今のままで良いわけではない」(住之江区の40歳女性)と現状に危機感を抱く声があった。 さらに、報道各社の世論調査で反対が優勢と報じられた最終盤には、維新主催の説明会参加者から、都構想が否決された場合に市の将来を心配する声が上がったのも事実だ。こうした声に野党各党は耳を傾ける必要がある。 反対派の先頭に立っていた自民党府連は都構想の“対案”として「大阪戦略調整会議」の設置を通して二重行政の解消と広域行政の一元化を提示しているが、関係条例案の成立は不透明なままだ。民主、公明、共産各党との調整が求められる。さらに、橋下氏をはじめ維新側の出方も焦点になろう。 今回の住民投票は20歳以上の市民が有権者として投票し、賛否を決めたわけだが、「僕らの世代が一番影響を受ける」とは維新の説明会に参加していた東住吉区の男性(18)の声である。次世代のためにも、大阪の在るべき姿を追求する歩みを止めてはならない。 |
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2015年05月18日(月)
特集ワイド:「忘災」の原発列島 再稼働は未来へ無責任 城南信金トップ退く、吉原毅理事長に聞く 毎日新聞 2015年05月14日 東京夕刊 沈着冷静というイメージなのだが、脱原発の話になると熱くなる。そんな金融機関のトップが来月、経営の第一線から退く。城南信用金庫(本店・東京都品川区)の吉原毅理事長(60)。原発推進派のやり口にトコトン異を唱えてきた胸の内は今−−。【江畑佳明】 ◇再生エネと両立あり得ない やはり、この人は怒っていた。「再生可能エネルギーの推進は何のためか。それをすっかり忘れていませんか、と申し上げたかったんです」 「原発即時ゼロ」を掲げる金融界の旗手は本店の応接室で、椅子から身を乗り出すようにして一気に語り始めた。 まず、怒りの矛先を経済産業省が4月28日に公表した2030年の電源構成案に向けた。太陽光や風力などの再生エネは22〜24%。欧州や米国で主流の40〜50%程度と比べると、日本の及び腰が際立つ。その一方で、経産省は原子力比率を20〜22%と設定したのだ。 「脱原発」を訴えるのに自身の机を離れることをいとわない。構成案の発表日もそうだった。衆議院第1議員会館で開かれた「再生エネ30%以上」を目指す市民団体の集会に顔を出し、居並ぶ国会議員にこうくぎを刺した。「再生エネを進める本来の目的は原発ゼロにするためなのです。原発との両立はあり得ません」。相手の肩書などでためらったりはしない。あくまでも直球勝負を貫く。 応接室で向き合った吉原さんがさらに構成案への批判を強める。「原子力比率20〜22%は、実質的には原発を推進することです」 経産省の電源構成案には、原発依存を続けたいという政府の本音が透けて見える。どういうことなのか。 東日本大震災後、政府は原発の稼働期間の上限を40年とする原則を定めた。順守すれば30年までに原子力比率は15%程度に低下する。つまり、20%台に乗せるには「老朽原発の稼働期間の延長か、建て替え・新増設」で補う−−。 「結局、『原子力比率20〜22%を達成するため』という大義名分で新設などに手をつけるのでは。国家の滅亡につながりかねない福島原発事故が起きたのに、今後も原発を存続させるのは極めて異常事態ですよ」 怒りが収まらない理由はまだある。鹿児島地裁が4月22日、九州電力川内原発1、2号機の再稼働差し止め仮処分の申し立てを却下したことだ。同地裁は「(原発の立地や運転の要件を定めた国の新規制基準は)最新の科学的知見に照らし不合理な点は認められない」と指摘した。 吉原さんは「国策に追従し原発リスクを極めて低く見た『初めに結論ありき』の決定です」と切り捨てる。というのも、鹿児島地裁決定の8日前、福井地裁が関西電力高浜原発3、4号機について「想定を超える地震が来ないというのは根拠が乏しい楽観的見通しに過ぎない」「新規制基準は緩やかで合理性を欠き、安全性が確保されていない」などとして、再稼働を認めない仮処分を決定したからだ。「鹿児島地裁の決定は、福井地裁の提示した論点に正面から答えていません。論理を提示するという裁判所の役割を放棄したに等しいですよ」 ◇拝金主義、日本は病んでいる 震災以降、リーダーシップを取り、さまざまな脱原発策や被災地支援に取り組んできた。内定取り消しとなった被災地の大学生を採用。義援金として3億円を被災地に拠出した。本店や店舗の電力供給元を東京電力から、ガスで発電している新規の電力小売会社へ切り替え、保有していた東京電力の株式も売却した。顧客向けには省エネの設備投資をすると金利を優遇する商品を販売した。経済界の大半は原発再稼働なのに、これほど「原発即時ゼロ」にこだわるのはなぜだろうか。 「信用金庫の原点に返るべきだ」。10年11月、理事長に就任して以来、「あるべき姿」を徹底してきたから、という。 「目先の利潤追求が信金の目的ではありません。経済的に強い者がさらに強くなり、弱い人たちが苦しいままという『お金のもたらす弊害』を是正して、困っている人たちを助ける『社会貢献企業』こそあるべき姿です。この原点を忠実に実行しようとするならば、脱原発を進め、原発事故で困っている人々を支援するという選択肢しかない」。原発は「信用金庫の原点」の対極に存在する、というのだ。 戦後日本は、良識や道徳といった共通の価値観が薄れ、経済的な損得が主流の論理になってしまった、と嘆く。 「もうかることの何が悪いんだ、と。原発も同じ。原発を推進すればその経済的利益が大きいからいいじゃないか、コストも安いと計算されているからいいじゃないか……すべて目先のお金が重視されている。これは今の日本が抱える病気です」 拝金主義がはびこった結果、もうひとつ日本人が見失ったものがあると考えている。「未来への責任感」だ。 1年ほど前のこと。原発推進派のある官僚と話した。「使用済み核燃料は何万年も保管せねばならず、将来へのツケが大きすぎる」と問いただしたところ、次の言葉が返ってきた。「いつまで生きるつもりですか? あなたも10年、20年もしたら死ぬでしょう。何万年というそんな先のことを心配してどうするんです?」。国の行政を担う官僚の無責任さに仰天した。 「脱原発」の熱意が結びつけたのか。同じく脱原発を訴える小泉純一郎元首相を昨年7月、同信金のシンクタンク「城南総合研究所」の名誉所長に迎え入れた。小泉氏は「勉強会や講演会を通じ、脱原発の国民運動を地道に続けたい」と話しているという。 吉原さんも思いは同じだ。拝金主義、未来への無責任……そんな現状を少しずつでも変えていきたい。脱原発に向けて幾つもの壁が立ちはだかるが、一つの光明を見いだした。それは前出の福井地裁の再稼働差し止め決定だ。「原発の危険性について事実を論理的に積み重ねた極めて論理的で常識的な判断だった。拝金主義に対抗できる論理だ」 理事長就任後、取締役の60歳定年制を導入した。特定の経営者による信金の私物化を避けるのが狙いだ。自らは相談役に退く。ただ、脱原発の旗振り役としての存在感が大きいだけに「院政を敷くのではないか」との批判がつきまとう。吉原さんは「そう(院政に)なりかねないから気をつけないといけない」と自戒するように語った。 取材を終え、本店のロビーを通ると、点灯した蛍光灯は半分程度だと気がついた。原発事故から4年2カ月がたった今も徹底した節電を実施している。消えた蛍光灯にも「決して原発事故を忘れてはならない」という吉原さんのメッセージが込められている。 ============== ■人物略歴 ◇よしわら・つよし 1955年東京都生まれ。77年、慶応大経済学部卒業後、入職。常務理事、副理事長などを経て現職。著書に「信用金庫の力」「原発ゼロで日本経済は再生する」など。城南信用金庫は都内と神奈川県の一部に85店舗を持つ業界2位の大手。 |
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朝日新聞と朝日放送の出口調査によると、実は年代別では、70歳以上のお年寄り以外は全ての年代で、都構想「賛成」が「反対」を上回っていました。特に「賛成」した人が多かったのは20代(61%)と30代(65%)で、次いで40代(59%)、50代(54%)、60代(52%)でした。 70歳以上が「反対」61%で賛成を上回ったことが、僅差での否決につながりました。 ☆20代、30代はともかく現状を変えたい。 70歳以上は今の状態を享受したおしてあの世へ行きたいということらしい。 ↑クリック。訪問者のクリックによるアクセスランキングに参加中。 |
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