2016年7月24日日曜日

福島原発事故が起きた翌々年、2013年08月16日から08月20日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事

2013年08月20日(火)
阿智胡地亭便りから  「#142 北九州の安曇族は信州穂高に住み着いた」
2008年6月15日ブログ掲載。6月20日メルマガ発信。

中学生になると社会科という科目があり、その中の地理の時間に日本各県の地名を地図で習う時間があった。長野県の地図の時に、上高地の箇所を見ると「島々」と言う地名があるのに気がついた。そこから目の範囲を広げていくと「海ノ口」や「有明」という地名もあった。

海のない山の中なのにどうして海に関係する地名があるのだろうと単純に不思議に思った。今思うとそれが地名と人の移動の関連に関心を持つきっかけだった。

今回知ったのだが上高地は元々は「神垣内」と書かれ、「穂高神社」の神域にあり、“綿津見神”も祭神の一つである穂高神社は大きな船の形をした山車が出る「お船祭り」で有名だ。
「失われた弥勒の手 安曇野伝説」松本猛・菊池恩恵/共著という本を読んだ。

共著者の一人、松本猛は画家の“いわさきちひろ”の息子で父親の里である安曇野で祖父母に育てられた。安曇野にある「ちひろ美術館」の館長でもある。

この本は日本列島に来た海洋民族(海人族)の一つであった「安曇族」の移住の歴史を探る事がテーマになっている。中国の江南の地から北九州に移住し、「志賀島(しかのしま)」を本拠地として栄え、対馬を交差点にして百済の国とも強い人的な交流があったという安曇族。彼らの一派が何故志賀島を出て信州の松本周辺にまで来て住み着いたのか?。

同じ海人族である「宗像族」はヤマト族に仕えて大和朝廷の九州海軍として生き延びたが、ヤマト族と抗争した「安曇族」は、戦いに敗れて各地に散ったと見る松本は、友人の菊池と共に韓国、対馬、北九州を歩いた。

新安曇族と称する松本にとってはルーツ探しの旅でもあった。この小説は学術書では書けない推理の部分を、安曇野の松川村にある観松院の弥勒菩薩を狂言回しに使って書いた面白い試みだ。

九州の玄界灘に臨む志賀島(しかのしま)にある「志賀海神社」の神主は代々阿曇姓の人が継いで本拠地を今も守っている。安曇川、渥美半島など安曇、阿曇、安津見、渥美、渥見などの文字がつく安曇族の後裔が住む土地は日本列島に数多い。神社へのお供え物には太古からの膨大な量の「鹿の角」が奉納されていて、海人族にとって釣り針に使った「鹿の角」は漁獲量の多寡という生存に直結する貴重な財産であったことが想像できる。

海彦・山彦の神話が記紀にあるが、日本列島に於ける海人系民族と山人系民族の抗争・交流を記録した史話と読めば、世界各地に移動、移住した人類共通のテーマでもある。そしてその具体例の一つが安曇族の北九州から信州への移動・定住の物語だろう。

残念ながら肝腎の移住の原因や定住に伴う歴史は、いまや残された神話から推測することしか出来ないが、毎年、安曇野の地では安曇族の後裔たちがお船祭りを続け、先祖に感謝し先祖の神を守っていることだけは確かなようだ。

出版社名 講談社
出版年月 2008年4月
ISBNコード 978-4-06-214645-6
(4-06-214645-2)
税込価格 1,890円
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電力業界の寄付、打ち切りの公算 青森25市町村、要望断念へ 東京新聞
2013年8月19日 18時41分

 核燃料サイクル施設の立地自治体から離れ、国の財政支援が受けられない青森県内25市町村向けに続いてきた電力業界の寄付金が、20年目の本年度限りで打ち切りになる公算が大きくなったことが19日、分かった。

 地元側は5年ごとに支援の延長を業界に要請してきたが、東日本大震災後の原発停止で電力各社の経営が悪化し、これ以上の支出を求めるのは難しいとの判断に傾いたため。寄付は累計約130億円に上り、「原子力マネー」依存との指摘もあった地域振興策を見直すきっかけになりそうだ。

 この寄付は電力10社でつくる電気事業連合会が、青森県の「むつ小川原地域・産業振興財団」に拠出。
(共同)

日本には、国民から金を集める収税と電気料金という独立した二つのシステムがあり、それぞれが別途に国民の懐から金を集めて、それを使ってきた。

収税された税金の使途は国会やメディアなどで国民のチエックを受けるが、電力業界が集めた膨大な電気料金というカネの使途は電力会社の恣意に委ねられている。

 その金の多くは地方市町村にまわり、核発電所に反対の住民の口封じに使われて、市町村の行政は優雅に運営されてきた。

ずっと投与され続けてきた薬を突然打ち切られる日が来るなんて、
関係市町村の首長さんや職員や住民たちは想像もしていなかったと思う。
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原発事故で「支援法放置」提訴へ 福島住民や自主避難の19人   共同通信
2013/08/20 10:40

 東京電力福島第1原発事故を受けた「子ども・被災者支援法」が成立してから1年以上たつのに国が支援の基本方針を打ち出さず、放置しているのは違法として、福島県の住民や県外への自主避難者ら計16世帯19人が国を相手取った訴訟を週内に東京地裁に起こすことが20日、関係者への取材で分かった。

 提訴するのは、福島市や福島県郡山市など国による避難指示区域外から北海道や京都府などに避難した12人と、避難していない福島県の住民ら7人。基本方針を策定しないことが違法であり、原告が支援法の対象となることの確認を求めた上で、1人当たり1円の損害賠償を請求する。
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【福島第1原発の現状】  東電計画ようやく認可  「本来の規制」へ  共同通信
2013/08/19 14:33

 東京電力が福島第1原発の安全対策や廃炉作業についてまとめた実施計画が、当初の予定よりも半年近く遅れて原子力規制委員会に認可された。規制委は 進捗 (しんちょく) 状況をチェックして計画の見直しを命じるなど監視の目を光らせる。

「本来の規制」(規制委の 更田豊志 (ふけた・とよし) 委員)がようやく始まった。

 第1原発は汚染水問題が深刻化。今後も放射性物質が拡散する恐れがあることから、規制委は昨年11月、改正原子炉等規制法に基づき、特別な管理下に置く「特定原子力施設」に指定した。

 同法では、規制委が対策を講じるよう指示した項目について実施計画の策定を義務づけている。

 東電は昨年12月、使用済み燃料プールの冷却が停止した場合の対応に加え、燃料取り出しの予定や、放射性廃棄物の発生量の試算と保管などに関してまとめた約2千ページの計画書を提出した。

 規制委は認可前も多くの対策を指示したが、法律上は「緊急事態の対応」だった。認可後は法的な効果が生じ、設備の検査や命令が可能になる。

 当初は2月下旬にも認可の予定だったが、ネズミが原因の停電や汚染水流出などトラブルが頻発。審査は大幅に遅れた。

 原子炉工学など専門家らで構成された検討会では「東電は何かが起きてから対処をしている」と、厳しい指摘が相次いだ。検討会は現場視察のほか、数時間に及ぶ会合を14回開いた。

 認可に際し、規制委は汚染水対策の強化など12の「留意事項」を東電に提示。検討会メンバーが「(認可後も)思考停止に陥らないように」とくぎを刺す場面もあった。

 計画への取り組みを現地でも確認する方針だが、 田中俊一 (たなか・しゅんいち) 委員長は「検査体制の強化や整備がトラブル防止や安全向上につながる」としている。
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戦場からの恋文   東京新聞 コラム
筆洗  2013年8月20日

終戦から三カ月たった一九四五年の十一月十八日、三十六歳の青山フユさんは日記に書いた。<疎開の荷物を運び出す…彼を待つ準備もうれしい>

▼しかし、その三日後、夫の戦死が知らされる。十一月三十日の日記は、こうしたためられた。<雨降る。終日家に立てこもり、彼との生活をなす。思えば涙のみ溢(あふ)れ一入(ひとしお)堪えがたし>

▼フユさんの手元には、夫の泉さんがフィリピン戦線から送り続けた約百四十通の手紙が残った。その手紙とフユさんの日記の一部を収めた『戦場からの恋文』(中日新聞社出版部)を読めば、あの時代を生きた一組の夫婦の息遣いが蘇(よみがえ)る

▼出征した四二年の暮れ、泉さんは手紙に書く。<内地から半分持って来たもの(愛情なんて言葉には当てはまらないほどの根強いもの)をじっと握りしめている事で、俺の毎日は幸福だと思っている。来るべき日の為(ため)にお互いをもっと強く鍛え上げようではないか>

▼手紙は翌年三月に届き、フユさんは日記に<彼からの便りを繰り返し見たりして楽しく過ごす。もっともっとよりよき生活を築く夢を描いて見る…そうありたくてならぬ>と書いた

▼泉さんの死は、四五年九月二十三日。終戦後も戦闘状態が続く中、病と飢えで命を落としたという。九十歳まで生きたフユさんは、戦場からの恋文の一字一句をノートに書き写し、心の支えにしたそうだ。
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被爆国の首相へ    長崎新聞コラム「水や空」
 (2013年8月19日)

9日の長崎平和祈念式典に出席した安倍晋三首相が被爆者代表の言葉に拍手を送らなかったことを、被爆地と被爆国政府の距離を象徴する場面だった、と翌日の論説に書いた。

そのことを残念に思う気持ちは、10日たった今も変わらないが、後で一つ気付いたことがある

▲被爆者の築城昭平さんは「平和への誓い」で、核兵器の非人道性を訴える共同声明への不参加を批判し、原発の再稼働や原子力技術輸出の動きに疑問を投げ掛けた上で、改憲にもくぎを刺した

▲拍手に包まれる会場で、首相は身の置き処(どころ)がない思いをしていたに違いない。ただ、手を叩(たた)かなかったのは、漫然と聞き流すことも耳を塞(ふさ)ぐこともせず、最後まで築城さんの言葉を聞いていた何よりの証拠でもある

▲イスラエル政府の元高官が広島、長崎の平和式典を「独善的でうんざり」などとネット上に書き込んでいたことが先週末、報じられた

▲まともな論評になど値しない、不見識極まりない暴言である。だが、一方で、世界にはこの種の無理解が根深く存在するのかもしれない、と思わずにいられない出来事だった

▲そんな無理解に立ち向かい、核兵器のない世界へ一歩ずつ近づくため、被爆国の政府には、しっかり役割を果たしてもらわねばならない。耳の痛い話も、じっと聞いていた首相である。被爆地との距離を縮めてくれる日も必ず来るはずだ、と信じて待ちたい。(智)

築城昭平さんの 「平和への誓い」全文は以下の通り


 今年もまた、暑い夏がやってきました。あの日のことは、私の脳裏から消えることはありません。当時、私は18歳、師範学校の2年生でした。毎日、動員学徒として三菱兵器住吉トンネル工場に通っていました。

1945年8月9日、夜勤を終え、爆心地から北1・8キロのところにある寮に戻ったのが午前7時ごろでした。主食のカボチャを食べた後、すぐに寝ました。

 バリバリバリという音で目が覚め、その瞬間、爆風で吹き飛ばされ、気がついた時には部屋の壁に打ちつけられていました。

隣に寝ていた友人は血だるまになっていました。私自身も左手首と左足が焼けただれ、飛び散ったガラスの破片で体中から血が流れ、赤鬼のような姿になっていましたが、はだしのまま20メートルほど先の防空 壕 (ごう) まで逃げました。

 防空壕の中はすでに人でいっぱいでした。その前には黒焦げになっている人、皮がペロリと垂れ下がっている人、鼻や耳がなくなっている人、息絶えたわが子を抱きしめ放心状態で座り込んでいる母親、全身焼けただれぼうぜんと立っている人々の姿がありました。まさに地獄絵図でした。

 やがて起こった火事に追われ、長与の臨時治療所にたどり着きました。その翌日から疎開先の自宅で療養しましたが、2カ月もの間、高熱と血便が続き、立つこともできず、脱毛と傷の痛みに悩まされました。

近くに避難をしている人が次々と亡くなっていく話を聞くと、次は私の番かと恐怖の中で死を覚悟したものでした。私はそのときまだ、放射能の怖さを知りませんでした。

 幸いにして、私はこうして生き延びることができました。今、強く願うことは、この大量破壊・大量殺人の核兵器を一日も早く、この地球上からなくすことです。

しかし、いまだに核実験が行われ、核兵器の開発は進んでいます。もし核兵器が使用されたら、放射能から身を守る方法はありません。人類は滅亡するでしょう。

 わが国は世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶の先頭に立つ義務があります。私たち被爆者も「長崎を最後の被爆地に」をスローガンに核兵器廃絶を訴え続けてきました。

それなのに、先に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会で「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に賛同署名をしませんでした。私たち長崎の被爆者は驚くというより、憤りを禁ずることができません。

 その一方で、世界を 震撼 (しんかん) させた東京電力福島第1原子力発電所の事故で、新たに多くの放射線被ばく者がつくりだされ、平和的に利用されてきた原発が決して安全ではないことがあらためて示されました。それにもかかわらず、事故の収束もみえないのに原発再稼働の動きがあるとともに、原発を他国に輸出しようとしています。

 ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。

 そして今、平和憲法が変えられようとしています。わが国が再び戦争の時代へ逆戻りをしないように、二度とあのような悲惨な体験をすることがないように、被爆者のみなさん、戦争を体験した世代のみなさん、あなたの体験をまわりの人たちに伝えてください。

長崎では核兵器の廃絶と平和な世界の実現を願って活動を続けている高校生、若者がいます。彼らが集めた署名は100万筆になろうとしています。

 この高校生たちに励まされながら、私はこれからも被爆の実相を次の世代に伝えていきます。核兵器も戦争もない、平和な世界をつくることは、私たちすべての大人の責任です。

 ここに、私の願いと決意を述べて、平和への誓いといたします。

 平成25年8月9日
 被爆者代表 築城昭平
2013/08/19 13:25

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「ゲン」自由閲覧求めネット署名 1万人、松江市教委に提出へ    共同通信
2013/08/19 21:21

 松江市教育委員会が市立小中学校に「はだしのゲン」の閲覧制限を求めたことに対し、「自由に読めるように戻してほしい」と求める電子署名活動がインターネット上で始まり、19日夜までに約1万人分の署名が集まった。

 活動は署名サイト「change・org」で行われ、堺市北区の学童保育指導員樋口徹さん(55)が16日から署名を呼び掛けている。樋口さんは9月にも、集まった署名を松江市教委に提出する予定。

 樋口さんは、学童保育の平和教育にはだしのゲンを活用しており「6~9歳の子供も、作者の反戦のメッセージを受け止めている。残虐なシーンはあるが、子供はあまり問題視していない」と話している。

松江市、教育委員に諮らず決定 「はだしのゲン」閲覧制限

2013年8月20日 13時08分 東京新聞

 松江市教育委員会が市立小中学校に「はだしのゲン」の閲覧制限を求めた問題で、当時の教育長など市教委の事務局が、教育委員に諮らず独自の判断で、学校に閲覧制限を求めていたことが20日、分かった。

 市教委教育総務課は、閲覧制限要請は、教育委員の承認が必要な重要事項には当たらず、教育長の判断で決定できるとしているが、22日に教育委員が参加する教育委員会会議を開き、閲覧制限の是非について、あらためて協議する。

 市教委の古川康徳副教育長によると、昨年8月に市民から、学校の図書館から作品の撤去を求める陳情があり、当時の教育長と、副教育長2人、課長2人の計5人で対応を協議。
(共同)

宛先:松江市教育委員会
「生きろゲン!」松江市教育委員会は「はだしのゲン」を松江市内の小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい


こちら


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2013年08月19日(月)
阿智胡地亭便りから  「#138 震災で飼主を失くした犬が沢山いた」
2008.01.19作成、メルマガ発信。

震災はその土地に住む人間だけでなく、犬にも猫にもほかの全ての生き物の生活を変えます。

震災の翌年5月に新聞に犬のためのボランティア団体が解散するという記事が出ました。

飼主が避難するときに手離さざるをえなかったり、飼主が亡くなったりした犬を引取り、新しい飼主を見つける活動をしていた団体でした。

震災後15ヶ月が経過し、ほぼ目途がついたので活動を終了するけどまだ何頭か残っているので、飼主が現われて欲しいという記事でした。活動している場所がたまたま歩いていける範囲だったので相方が訪ねました。

会社に行く前に今日、犬を見てくると彼女から聞いていましたが、家に帰るとボサボサの毛の痩せこけた茶色のかなり大きな犬がいました。

話を聞くと、本部を訪ねたらその犬を一時預ってくれているお宅へ連れて行かれたそうです。その家では犬がドッグフードを食べないので持て余していて、もう返すからと言われて本部も困っていた犬だったそうです。

相方が犬を見るとその犬がすがるようにじっと見つめ返したそうです。その瞬間、相方はこの犬連れて帰りますと言っていました。

しかしウチには既に犬が一匹いると聞いた団体の責任者が、相性を試してからにしましょうと言いました。大喧嘩をして全く合わないケースもあると。

預っていた家の奥さんの運転で家まできた犬が車から降りて、前からいるタローが近づいてくるのを責任者や奥さんや相方は息を潜めて見守りました。

タローはじっと身じろぎもせずお座りしている犬の全身をぐるっと廻って時間をかけて匂いをかいだあと、吠えもせず静かに座りました。そのときみんなほっと安堵の息をついたそうです。相方はタローのチエックにじっと耐えている新参の犬がいじらしかったそうです。

奥さんはこれ結局食べてくれなかったんですよと言いながら、車に積んできたドッグフードの袋を犬と共に残してそそくさと帰って行きました。

責任者の話によると、この犬は阪神の青木駅の改札のところに何日もうずくまって、どこにも行こうとしないので困った駅員さんから電話があって引取ったのだそうです。

元の飼主が青木駅からどこか別の避難先へ移って、移動先ではもう犬は飼えない事情でもあったのか?いずれにせよこの駅でこの犬は飼主が戻るのをずっと待っていたのでしょう。

当時学校から帰った長女が(いまでも時々笑いながら話しますが)、家に帰ったら見知らぬ薄汚れた大きな犬がいてエッと思ったら、その犬が何ともやさしげな目でじ~っと娘を見つめたのだそうです。そのごあんなに優しい目は見たことないのにと言います。

犬もそのとき家のメンバーから認めてもらおうと必死だったんだねと言います。

飼ってからわかりましたが、なるほどドッグフードを食べません。皆で想像したのですが、家の中でお年寄りの飼主が食べる食事と同じものを貰っていたのではと。

犬だから食器に入れておいたらハラが減ったらかならず食べるよと私は言いましたが、口の中に押し込んでも食べようともせず、ドッグフードがそのまま口の中でふやけてしまうくらい頑固でした。

長い間ろくなものを食べていないらしく、骨はスカスカ、毛は硬くてバサバサで身体はタローより大きいのに抱くと半分ほどしか体重がありません。

病気になっては困るのでご飯をやるとしぶしぶ食べるのですが、シーチキンなど魚関連ををかけると口をつけず、ウインナとか洋風の味の濃いものを喜びます。

これも想像ですが、避難所などに配られる洋風弁当を食べてきたような感じです。

しかしそんなエサを続ける訳にはいかないのである時から、「ウチにいる積りだったら先輩のタローが食べているのと同じのを食べないとだめなのよ」と、相方が根気つよくパテイと名づけた犬に言い聞かせながらエサをやりました。

ちゃんとお座りも出来ないほど骨が弱っていたので、今思えば最初噛む力も弱かったのかも知れません。毛の艶も出てきた頃にようやくドッグフードをメインにして食べるようになり、家族全員が安堵しました。

茨城県藤代町生まれで神戸に移住した11歳のタローは、9歳年下ではあるけど生まれて初めてガールフレンド(獣医さんの推定ではパティは2歳)が出来て、弱り気味だった体調が元気になりました。タローはパテイをよく可愛がりました。そしてパテイはタローのことが大好きでした。

パティは1998年の12月に家族と共にタローを見送った後、1999年の3月に後輩に迎えたムーと共に、うちに来てから12年、14歳になった現在も元気に暮らしています。

注)パテイはその後、2010年2月1日に16歳で天寿を全うしました。
 
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全く着々とは進んでいない福島原発事故の廃炉   by 団藤保晴
2013年08月15日 14:38

 原子力規制委が14日に福島第一原発の廃炉計画を認可しました。汚染水問題で四苦八苦しているのにと概要を眺めたら、するべき宿題を山積みにして見せた絵に描いた餅でした。

田中俊一委員長が癇癪を起こして当然です。1~3号機で炉心溶融して何処に行ったのか知れない核燃料の所在を探し、安全に取り出すための技術開発をしなければなりません。東電が出来るはずもなく、旧原研のスタッフを引き継ぐ日本原子力研究開発機構がするしかないでしょう。

ところが、同機構所管官庁の文部科学省は高速炉もんじゅ運営に特化させる方向なのです。

 日経新聞の《規制委員長、もんじゅ切り離し要求 原子力機構改革 文科省案を批判》はこう報じました。

《田中俊一委員長は14日の記者会見で、文部科学省が示した日本原子力研究開発機構の組織改革案について「これでは安全研究が立ちゆかない」などと批判し、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の運営を原子力機構から切り離すことを求めた

。原子力機構は秋をメドに独自の改革案をまとめる方針だが、改革の行方は見通せなくなってきた》

 核燃料サイクルに肩入れしている日経だから、大きな状況をつかみ損ねています。『核燃料サイクルは新安全規制で事実上の凍結へ』で指摘しているように、原子力規制委は既に「核燃料サイクルは無理ですよ」と判断していると見るべきです。

溶融燃料の完全回収は不可能かも知れませんが、対外的にも取り組まざるをえない福島原発廃炉計画に研究資源を集中すべきなのです。

 廃炉計画要になっている溶融燃料を扱った「Ⅴ 燃料デブリの取出し・廃炉」にはこう書かれています。

「現時点において情報を入手できていないため,燃料デブリ等を取り出すための具体的な方策を確定することは難しい状況にある。

しかし,燃料デブリを冠水させた状態で取り出す方法が作業被ばく低減等の観点から最も確実な方法の1つであると考えていることから,まずは調査装置等を開発し,格納容器の水張りに向けた調査を行ない,止水に向けた具体的な方策を構築するものとする。

また,燃料デブリの取り出し技術の開発に向けて,開発した装置を用いて格納容器内の状況調査を実施する」

 状況調査の方法も既存の管を活用してやってみようとしている段階であり、調査してもは所在不明の燃料が出るのは避けらないでしょう。そもそも格納容器内に燃料は留まっていると東電は主張していますが、格納容器の底を突き破っている恐れも排除できません。

水素爆発を起こす前の事故初日から放射能「だだ漏れ」だった事態を第244回「福島第一原発は既に大きく壊れている可能性」に記録してあります。

高温高圧になった格納容器は1~3号機ともに損傷しており、全体に水を張れるように止水するために高い放射線量の下で補修作業をしなければなりません。やってみるしかないけれど、実現はどれも確約は出来ない厳しい道です。

引用元
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イギリスの国営放送が伝えるもう一つの日中の国民の付き合い
日本に定住し、共存する中国人=メディアが伝えない日常の姿―英メディア
Record China 8月16日(金)20時10分配信


2013年8月14日、対立ばかりがクローズアップされる日中関係。一方で、日本に定住し、日本人と共存する中国人は増え続けている。普段メディアで取り上げられることは少ない彼らの姿を英BBC中国語版が伝えた。

茨城県で農場を営む男性は、そこでホウレンソウをはじめとする農作物を栽培している。農場で唯一の日本人で、他は全員が中国からの研修生だ。過去10年間で多くの研修生たちがここで働いてきた。「彼らがいなければこの仕事で生き残ることはできなかった。日本の若者はもうこんな仕事をしようとしないからね」と語る。

「一昔前の日本人を思い出すね。中国人たちは今も助け合いの精神を持っている。今の日本人が失ってしまったものだ」

今も日本には少なくとも10万人の中国人「学生」たちが、農場や工場で働いている。

1990年には日本に居住する中国人は約15万人だったが、今では70万人を超えている。

記者が原宿で出会ったのはあるファッションモデルだ。山東省の小さな町に生まれ、10年前に大学教授として日本に赴任してきた父に連れられて来日した。

今では、中国語よりも日本語の方が得意になっている。時折中国語を話すのを聞いた友人たちは、「中国語が話せるんだ!」とびっくりするのだという。

彼女は「あるテレビ番組で中国の話をすることになったのですが、『中国人だったの?』と驚かれます。でも、みんな私の国籍にはあまり興味がないみたい」と語った。

不動産会社に勤務し、今年28歳になる男性は、中国人投資家による東京での不動産購入をサポートしている。彼のところには、毎週2~3組の中国人顧客が物件を見にやってくる。

「皆東京が大好きです。国際的大都市で、近代的、清潔で中国にも近い。不動産価格は北京や上海よりも安くなっています」

日中間の政治的動揺とは裏腹に、東京で不動産を購入する中国人の数は増え続けているという。

学生の林(リン)さんは日本人と結婚し、来日後は一度も中国に戻っていない。彼女は「本当は日本のことが好きな中国人は大勢いる。ここはとても安全で、空気も水も良い。食べ物に関しても、日本人は高い基準を保っている」と語った。日中関係が緊迫していた時期、家庭内はどうだったかという質問に対しては、「家でそんな話はしないですよ」と大笑いしていた。

その後、林さんは真剣な面持ちで「中国と日本が友人になれることを願っています。お隣さんだから、お互いを尊重するべき。一番良いのは平和的に共存すること」と語った。

茨城県の日本人男性は、研修生たちと大テーブルを囲み、日本の冷たいビールをさかなに彼らの作った中国料理を味わっていた。互いに日本と中国の方式で酒を勧めあう。

「日本人のことを恨んでいる中国人もいることは知っているよ。でも、彼らは故郷に帰ったときに、日本の本当の姿を友だちや家族に伝えることになる。小さな小さな文化交流だけど、すごく大事なことだと思う」と語った。(翻訳・編集/岡本悠馬)
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第9回日中共同世論調査  言論NPO
第9回日中共同世論調査から見えてくる日中関係

工藤泰志 2013年08月05日 21:20

一部引用・・

直接交流の不足と自国メディア報道への依存

さて毎回同じことを言っていますが、両国の国民の認識がどのように作られるか、ということをまず簡単に見ていきます。お互いの認識というのは2つあって、直接的な交流によって相手を知るという事と、交流のチャネルが少なければメディア報道をベースにした間接情報に依存せざるを得ない。

結論として日本人の14.7%は中国への渡航経験がありますが、中国人はわずか2.7%しか日本に渡航経験がある人がいません。

そして日本人の20.1%が、お互いにコミュニケーションできる中国人の友人や知り合いがいるという結果になっていますが、中国人はわずか3.3%しかいません。

そうすると、お互いがどのように日中関係や相手国の情報を認識するかというと、自国のニュースメディアに依存するしかない。

今回は日本人の90.5%、中国人も89.1%と大量の人がメディア情報に依存しています。ただし、中国は書籍、教科書やテレビドラマなども参考にしており、日本より少し多様な媒体から情報を得ているという結果です。

日中両国民の「相手国に対する印象」は過去最悪

まず今回私たちが非常に驚いたのが、2005年から調査を行ってきた中で、相手国に対する印象が過去最悪になったことです。

日本人は90.1%が中国に対して良くない印象を持っており、一方の中国人も日本に対して92.8%がマイナスのイメージを持っているという状況です。去年は、中国人で日本に悪い印象を持っていたのは64.5%ですから、30ポイント近く悪化したことになります。

日本も84.3%から90.1%に増加しています。この調査は2005年から行っていますが、日中関係が危機的状況だった時ですら、日本が37.9%、中国が62.9%ですから、今回の相手に対するイメージ悪化は非常に大きな事態だと思います。
続きはこちら

言論NPOとは? こちら
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終戦の日の産経「主張」がひどすぎる    深沢明人
一部運用・・

そして、筑波と松平の子の対処の違い、つまり筑波藤麿宮司がA級戦犯の合祀を宮司預かりとして保留しており、1978年の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳がひそかに合祀したことに触れているのだから、「合祀そのものを「不快」に感じておられた」としか考えようがない。

 「富田メモ」の報道後に公刊された『卜部亮吾侍従日記』にも2001年7月31日付で「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」との記述があることもこれを裏付けている。

 もともと、A級戦犯の合祀を昭和天皇が不快に感じて靖国に参拝しなくなったという説は、合祀の経緯や、侍従長を務めた入江相政の日記、徳川義寛の回想録に基づいて、かねてから主張されていたことである(例えば秦郁彦『現代史の対決』(文藝春秋、2003)所収の「靖国神社「鎮霊社」のミステリー」)。

それが「富田メモ」によって明確となり、さらに卜部日記により補強されたのだ。産経が言うように、断片情報の「メモからだけで」「断定」されているのではない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
産経が首相の靖国公式参拝を主張しようが、独自の改憲案を出そうが、大東亜戦争肯定史観に立とうが、それは自由だ。

 しかし、そうした主張を補強するために、事実を歪曲してはならない。
同紙で最近櫻井よしこも述べていたように、新聞は「公器」なのだから。政治団体の機関紙ではないのだ。

全文はこちら  
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平成25年長崎平和宣言
68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。

人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。

だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。

 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。

 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。

人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。

これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。

 NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
  非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

 核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

 2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。

今年6月にはベルリンで、「核兵器が存在する限り、私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

 しかし、世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。

「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。

 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。

 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

 地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

 長崎では、今年11月、「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。

 先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久
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2013年08月18日(日)
海外あちこち記から  「その32  インド/ボンベイ(ムンバイ)篇その3」
1983年5月入国、2002年作成、メルマガ発信。

ボンベイ(ムンバイ)によく行った昭和57、8年頃は中印紛争の余韻が残っている時期でした。中印紛争のあおりでボンベイ市内に数多くあったという中華料理店はみんな店を閉めてしまい、中華メシなら海外のどこに行っても食えるという安心感がこの都市では無くなっていました。

これで困ったのが日本からメーカーの人間を印度の商談に呼ぶ日本の商社です。日本メシ屋は当然ない、中華メシ屋もなくなった。ホテルの西洋料理屋では牛肉を使ったメニューはハムステーキくらい。メーカーの出張者に一日三食何を食べさせたらいいのか。

インド料理のスパイシーなおいしさに、その日からはまった私などは例外中の例外らしく、殆どの日本人はインド料理=カレー料理=辛い→とても口に合わない、というイメージが強く、はなから敬遠してしまいます。

実際は辛いといっても、辛さそれ自身は知れているし、辛いというのではなくスパイスの旨みであり、スパイスも種類が豊富で野菜の使用量も多く健康食の一つなのですが、日本人に長年CMなどで刷り込まれた<インド料理は、辛い料理>という既成観念は凄いものだと驚きます。

ボンベイのオベロイホテル滞在も何日か過ぎ、毎食、果物とパンとコーヒーだけしか口にしない人も出て来たある朝、東京から同行した某商社のHさんが「皆さん、今晩は楽しみにしてください。カツドンと味噌汁と漬物を食べてもらいます。」と言いました。

「おおーッ」と皆どよめきましたが雰囲気はどこでそんなもん食えるんやと半信半疑でした。その夜、機械担当駐在員の車でオフィスを出ました。

5人の我がメンバーは結局、駐在員の自宅のアパートに招待されたのです。

ダイニングキッチンのテーブルには既に日本の家庭料理の皿が沢山並んでおり、奥さんに挨拶して全員ニコニコ顔で、席につき次々おいしい日本食を堪能しました。
狭い台所の横のテーブルですから奥さんとインド人の料理人が大車輪でコロッケやポテトサラダなどを作っているのが見えます。

さすがに日本酒はなかったけど、インドでいいものが取れるジンやスコッチ類は飲み放題で久しぶりにゆっくりとした頃、家の中を見るとも無く見ると前に住んでいた南柏の3Kの社宅のアパートとよく似た間取りで、時々小学生くらいの娘さんが台所の隅を通ってトイレに行っているのが見えます。

大阪支店から数年前にボンベイ勤務になったと聞いていましたが、旦那も奥さんも大阪出身のジュンカン(純粋の関西弁を喋る人を表す言葉)で、ボンベイで聞く大阪弁は耳に心地よく響きました。

奥さんにも食卓の輪に入ってもらい、いろいろと話を伺いました。

料理をしているインド人は代々の機械担当駐在員で引き継いでいる料理人だそうです。

彼は、日本の家庭料理は何でも出来る。私よりレパートリーは凄いンですと笑っておられた。

彼の家はここから半日ほどバスで行く町で、半年に一度休みで帰るくらい。普段は住み込み。見た目50歳くらいの温和な白髪交じりの人で、恥ずかしそうに少し日本語をしゃべった。

買物などにもついてきてもらう。最初のうちはとても一人で買物は出来ない。おじょうさんは小学5年と中学一年の二人、確かアメリカンスクールへ通っていると言われたような記憶です。

二人は、はにかみながらも最初にきちんと挨拶してくれました。奥さんは「商社やからどこへ行け言われても、いかなあかんけどボンベイとは思いませんでした。まだしばらく帰してもらわれへんと思うから、もう少しここで頑張らんとネ、ハハハ」と笑って言われた。

こうして旦那の会社の仕事のためとは言いながら、夜、自宅を取引先のいろんな会社の人に提供して(担当者だから決して広いアパートではなかった)酔っ払って遅くまで帰らぬ客の為、子供さんも影響されながら頑張っておられる日本人商社マンの家族。

申し訳ないがお名前を忘れてしまったけど、こうするのは当然の事という感じで自然体で遇してくださった奥さんとあのご家族のことは忘れられません。

 後でHさんに聞くと、インドに住み着いていた華僑が中印戦争のせいでインドを出てしまって中華料理屋がなくなってから、ボンベイの駐在員の家族には悪いけど、ああして自宅接待を頼んでいると。

外人が住めるような住まいが少なく、家賃が恐ろしく高いので狭いアパートしか会社も借りてくれない。

コックと食事の材料費と酒代は当然会社持ちだが、奥さんと家族の貢献代は給料のうちと。

 機械担当は商談数が一番多く、納入業務も多くいろんなメーカーからいろんな人間がボンベイに来ます。エライさんからペイペイまで、ダイヤマークの各社のVIPも含めて。

ウ~ンできんこっちゃと正直思いました。あのクーラーも効きかねる暑さのボンベイの日本飯、感謝感激デアリマシタ。

ついでながら、いま、神戸の土地の人間に神戸に数おおいインド料理屋を紹介したり、(代々の神戸人は意外に保守的で、新しいものに手を出さない人も多い)正月の初詣の後はインドレストランで飯を食う事を習慣にしているウチは、やはりこのボンベイ出張がインド料理好きの初めの始めです。
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都議会議員の給料、すべて見せます!  おときた駿(東京都議会議員/北区選出)
一部引用・・

これは調べればわかることなので隠すまでもないのですが、
都議会議員の月額報酬は1,022,000円です。

これに期末手当(いわゆるボーナス)が年間約2ヶ月強分×2回支給されますので、
都議会議員の年収はおよそ1,660万(2013年現在)と言われています。

全文はこちら

ちなみに地方議員の給与は・・

高額上位は

  (1)神奈川県横浜市 97万円
(2)大阪府大阪市 96.9万円
(3)兵庫県神戸市 93万円
(4)京都府京都市 91.2万円
(5)愛知県名古屋市 89万円

 逆に低額上位は以下のようになっています。

(1)長野県谷平村 8.48万円
(2)沖縄県渡嘉敷村 9.4万円
(3)長野県売木村 9.7万円
(4)長野県王滝村 9.96万円

「世間では“高給取り”のイメージがある地方議員の報酬は、実際どれくらい?」引用元
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広島の生存被爆者82歳の証言
左半身ケロイド「平和宣言」に引用された82歳 「体力の限り伝える」
2013.8.6 12:49 (1/2ページ)

「原爆の日」の6日、広島市の平和記念式典で松井一実市長が読み上げた平和宣言に、後遺障害に苦しんだ人生体験が引用された。被爆者の元会社員、硯谷文昭(すずりや・ふみあき)さん(82)は山口県周南市の自宅で、「体力の続く限り、子供たちに語り伝えたい」と決意を語った。

 昭和20年8月6日、硯谷さんは広島県立工業学校(現県立広島工業高校)2年だった。その日、学徒動員先の工場が休みで、町内の勤労奉仕を任された。塩作りのため海水をくみ上げる作業。海岸で作業開始を待っていると、米爆撃機B29の爆音が聞こえた。見上げると、キラキラ光るものを投下したように見えた。当時、米軍が宣伝ビラをまくことが多かったので、「またか」と思って目を離した瞬間、閃光(せんこう)に包まれた。「熱い!」と感じたが、気付いたときはかなり吹き飛ばされ倒れていた。

 爆心地から1・8キロ。光や熱、放射線を直接、浴びた。むき出しだった腕や足には大やけどを負い、今も左半身にケロイドが残る。

続きはこちら
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原発ウォッチャー月例報告書別紙2013年7月分
福島原発行動隊HPに掲載されています。

こちら


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北海道民の被疑者が「なんやねん」と大阪弁を使うか?供述調書でのやりとりが面白い
30年前の供述調書は作文だった?

前田恒彦 元大阪地特捜検事 村木冤罪事件で免職。

今年春ころから法曹関係者の間で拡散されている釧路地検ホームページのエッセイ。約30年前に北海道の検察庁で交わされた関西出身の検察官と北海道出身の検察事務官とのやり取り。

取調べ中、被疑者の供述調書を作成していた際、検察官が事務官に「なんやねんという感じで殴ったんです」と口述。筆記役の事務官はペンを置き、検察官に「北海道の人間は、なんやねんという言葉は使いませんよ」と発言。これに対し、検察官が事務官に「じゃあ、なんて表現したらいいですかね」と逆質問。今となってはこの事務官も「なんやねん」に代わる適切な北海道弁がすぐに出てきたかどうか記憶にないとのこと。

そもそも「なんて表現したらいいですかね」という検察官の質問は、事務官ではなく、被疑者に対して行うべきもの。それ以前に、検察官の出身地がどこであったとしても、取調べの中で出てきた被疑者の「ナマの供述」をきちんと調書に記載していさえすれば、絶対にあり得ないやり取りのはず。

また、事務官も、検察官の逆質問に対して「被疑者が言ったとおりの言葉を使えばいいじゃないですか」と断固答え、それが実現されていれば、「『なんやねん』に代わる適切な北海道弁…」といった言い回しを使うはずがない。

確かに昔話だし、最後には被疑者に内容を確認してもらって署名を得ているはず。しかし、供述調書が被疑者の「ナマの供述」をそのまま記載するものではなく、検察官・事務官による「言い換え」を含めて安易に「作文」がなされていたのではないかとの誤解や疑念を生じさせるエピソードだ。


既に相当拡散されているが、検察が問題の本質に気づいていないのか、いまだに改訂や削除がなされないままUPされ続けている。参考までにこちら


引用元
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「憲法が何であるかを理解しないまま議論が進められていることが問題

「憲法が
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医療費は宝の山だ   河野太郎
一部引用・・

自民党の無駄撲滅PTの医療チームが参議院選挙中を利用して、健保や国保にお願いしたアンケートが続々と返ってきている。

それをみると、多くの保険者は、医療費を削減するための対策を何もとっていない。

他方、いくつかの保険者はきちんとデータを取り、様々な対策をうって医療費削減を実現している。

保険者に、疾病ごとの医療費を尋ねてみると、きちんと分析しているところは疾病を細かく分類してデータを取っている。

大雑把な分類でしかデータをとっていない保険者は、たぶん何もしていない。

「その他消化器系の疾病」という項目の医療費が多いなどというデータをとってみても、対策など出てこない。

どんな疾病で医療費がかかっているのかをまず、把握するところから医療費削減のための対策が始まるはずだが、ほとんどの保険者にそれができていない。

ということは、医療費は、削減の宝庫である。

医療費は、結局、税金、保険料、窓口負担のどれかでカバーしなければならない。

2013年度の国民医療費41兆円は、窓口負担5兆円、保険料負担20兆円、税金(国と地方合計)16兆円で負担している。

こうしたことをしっかりと予算の策定の中で議論して、国民負担を減らしていくために何が必要かという議論に負担の主体である国民を巻き込んでいかなければならない。

全文はこちら
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太平洋戦争の戦争費用は現在価格で4000兆円.
太平洋戦争に投入された戦費は天文学的数字。
すべては日銀の国債引受で賄われた

2013年08月15日

 太平洋戦争の終結から68年が経過した。太平洋戦争の政治的、外交的な背景や経緯はこれまで幾度となく議論されてきたが、経済的な側面についてはあまり焦点が当たっていなかった。

 太平洋戦争にはどの程度の戦費が投入され、日本経済に与える影響はどのくらいあったのだろうか?日本の安全保障をめぐる環境が大きく変化している今、戦争の経済的な側面に関する知見がより重要になってきている。

 太平洋戦争(日中戦争を含む)に投入された戦費総額は当時の金額で約1900億円といわれている。

 日中戦争開戦当時の国家予算(一般会計)は27億円程度であり、戦費総額は国家予算の70倍を超えている。GDP(当時はGNP)比では8.5倍の規模であり、現在の状況に当てはめると4000兆円もの国費を投入した計算になる。

 もっともこの中には、占領地域に設立された日本の国策金融機関が現地通貨を直接発行して用立てた戦費が含まれている。アジア各国はこの影響でハイパーインフレになっており、実質ベースではもっと少なかった可能性もあるが、いずれにしても天文学な数字であることは間違いない。

 この金額を日清戦争や日露戦争と比較すると太平洋戦争の無謀さが分かる。日清戦争の戦費は約2億3000万円、日露戦争の戦費は約18億円であった。GNP比では、日清戦争が0.7倍、日露戦争は0.6倍である。大きな出費とはいえ、無理のない範囲で戦争を実施している。

 特に日露戦争の戦費については、ほぼ全額、当時の金融中心地であったロンドンで調達されている。今で言えばゴールドマン・サックスといった一流の投資銀行が日本の戦費引受のディールに参加しており、金融市場とのコミュニケーションは完璧であった。日露戦争に勝利できたのは、日本海海戦や奉天会戦の勝利に加え、こうした金融面のサポートがうまく機能したからである。

 これに対して太平洋戦争は国力の範囲を完全に逸脱している。日本の2倍以上の戦費を投入したにもかかわらず、GDPの3倍程度のインパクトしかなかった米国に対して勝ち目がないのはある意味で当然の結果であった。

 国内で調達された戦費のほとんどは日銀による国債の直接引き受けで賄われた。現在の量的緩和策を際限なく実施したようなものである。このため戦時中からインフレが進み物価の高騰が進んでいる。終戦を迎え、貨幣価値の消滅は準ハイパーインフレという形で顕在化したが、戦時中から比較すると消費者物価は100倍近くまで上昇した。

 皮肉なことに、このインフレの結果、国債で調達された戦費の実質的価値は大幅に減額された。最終的にはインフレという形で国民の資産をすべて犠牲にして戦費の帳尻が合ったことになる。

 米国は戦後、ベトナム戦争やイラク戦争という大きな戦争を遂行しているが、それぞれの戦費はGDP比で10分の1程度であり、経済的に大きなインパクトはない。

現代の戦争はハイテク化が進んでおり、経済力との相関性はますます高まっている。経済力のある国が、より有利に戦争を進められるという状況は今後さらに加速しそうである。

引用元
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元日赤従軍看護婦の証言   時事ドットコム
全文はこちら
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朝日新聞にえらそうな記者と橋下市長 珍しいことあらへんよ
今西憲之のブログから一部引用・・

朝日新聞の政治部には、多いか少いか知らんけど、こういう記者います。

かなり昔、こんなことありましたわ。

ある取材で自民党のえらいとされる、政治家のところいきました。
週刊誌の取材やから、えらいとされる政治家のスキャンダルもん。
えらいとされる政治家、嫌そうにしながらも、一応、取材にはそれなりに
答えてくれた。

すると何時間かして、
「キミは誰だ」
「何をしてくれたんだ」
といきなり知らん人から、電話。
「おたく、どちらさんですか」
というと、
「オレは、政治部の○○だ」
まったく知らん記者。その内容を聞いていると
朝日新聞の政治部記者のようや。

えらいとされる政治家について
「キミが話を聞けるような人物やない」
「とんでもない質問をしてくれた、メンツが丸つぶれだ」
「朝日新聞の信用が失墜する」
「記事をとめてやる」
「週刊朝日の編集長をクビにするぞ」
と言いたい放題。

オモロイんで途中から、録音とりはじめた。

ますます、ヒートアップして
「オレを誰だと思っている。政治部にずっといるんだぞ」
「○○先生の政策をオレが作ってやっている」
「オレは○○先生のブレーンだ」
と自慢話をする。そして
「だいたい、キミなんか、フリーの吹けば飛ぶような記者」
「記事は絶対に書かせない。○○先生を守らなきゃいけない」
と言い、
「オレの一声でお前なんか、つぶしてやる」
というところで言い疲れたのか、一呼吸。

そこで
「今の発言、録音しました。
ワシ、政治部の△△さん、よう知ってますねん。録音もって
相談にいきますわ」
とその政治部記者よりも、立場が上とされる政治部の人の名前をいうと
「いや、いや、それは…」
「ちょっと、待ってくださいよ」
とえらい態度がかわり。突然、電話が切れた。

これ、ほんまに珍しくないんです。
似たようなこと、何回もあった。

永田町を歩くと、いかに朝日新聞の政治部記者が
特別視されているか、ようわかる。
記者個人が特別やなくて、朝日新聞という組織の
持つ影響力が特別扱いされてんよ。
みんな勘違するねん。
それは、朝日新聞だけやなく、国営放送も同じ。



こないだも、ある市長さんが東京に来たんで、雑談していると
「朝日新聞の記者がいきなり来て…
あんなえらそうに言われると、なんだと思うよ」
とワシに怒っていたわ。


橋下市長が記者会見であそこまでいうんやから、
朝日新聞はきちんと調べたほうがええよ。これを機会に。
朝日新聞は、記者は中立であり、誠実にせなアカンって
記者行動基準?だったかで、広く言うてるねん。
そこに、反しているかもしれんねんから。
ワシも橋下市長の会見後、
「朝日新聞の記者って、そんな偉いんですか」
と取材先で聞かれたもんな。

引用元
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俺は朝日新聞の記者様だぞ!」 橋下徹 VS 朝日新聞政治部・磯貝記者
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イギリス人の階級意識についての一考察
2012年06月28日
イギリス人のかれの階級観に困惑しています
2012/6/28 18:24:21

イギリス人の彼がイギリスの階級制度について
語る時の態度に困惑してしまいます


階級はイギリスの社会と文化を形成する代表的要素の一つですから、ニュースでもコメディでも階級が話題になることは多いですが、質問者さんのボーイフレンドのように自分の友人等についてこうまであからさまな階級批評をするのはファーストハンドでは聞いたことがありません。

<彼が自分のイギリスのお友達や共通の知り合いのことを私に話す時に「あいつは家はミドルだけど、勉強して出世してアッパーになった」や「両親が貴族階級だけど息子は今はセールスマンになって階級が落ちた」だとか、とある結婚するカップルについて「彼女はアッパーで給料がとてもいい世界的企業に勤めているけど、旦那になる友人は労働者階級で…」などと私に悪びれも無く説明してきます。>

わたしの知る限りでは、貴族を含むアッパークラス(上流階級)は全国民のほんの一握りの人びとを指し、他の階級との入れ替わりはほとんどないはずです。貴族のおうちの場合、称号と家屋敷は通常は長男が相続しますから、次男以下の男子が職業を持って家を出るときに、いわゆるミドルクラスの仕事(医師とか学者とか法律家とか)に就いたり企業に就職することもあると思いますが、それでもその人がアッパークラス出身であることは変わりません(ミドルクラスになったとは言いません)。

その状態(ミドルクラスの仕事と生活)がその人の子や孫に受け継がれるころになって、やっと自他ともにミドルクラスと言われるようになるかどうかです。

ですから、ミドルクラス(アッパーミドル)の家の子どもが勉強して出世してもそれだけでアッパークラスにはなりませんし、貴族階級の家の子がセールスマンになっても「セールスマンになって労働者のような生活をする貴族の息子(アッパークラス)」であって、ミドルクラスになるわけでも労働者階級になるわけでもないです。

イギリスの階級間の違いはお金のあるなしよりも文化の違いが大きいと思います。上流には上流の、中流には中流の、労働者には労働者の生活と文化があり、それは一代で大きく変わるものではありません。

質問者さんのボーイフレンドの階級に対する考え方はほぼ経済中心のようで、読んでいて、アメリカ人の階級分類みたいだと思いました。

<ちなみに彼いわく、自分は上流階級の下の方に位置している、とのこと。大抵の友人もその辺りの階級の人が多いと言っています。>

このあたりでジェーン・オースティンの小説を思い出しました。オースティンの小説はリージェンシー時代の上流階級の話で、当時はまだミドルクラスがなかったので、「上流の下の方に位置している」娘たちが自分の生まれた家よりも上の家の息子と結婚しようと必死になったり、あるいは、上流じゃないけど裕福だしと妥協して事務弁護士や外科医と結婚する道を選んだりする様子が描かれています(事務弁護士より法廷弁護士のほうが地位が高く、外科医より内科医のほうが地位が上だった)。

階級や人種に対する強い偏見を持っていたり、またそれらの差別をあからさまに口にする人はミドルクラスには比較的少なく、労働者階級と上流階級の一部に見受けられる特徴です。

三つの階級で言うとミドルクラスの家庭がもっとも教育熱心であり(高い教育によって就ける職業に親が就いており、子どもにもそれを継承しようとするので)、きちんとした教育を受けた者は階級や人種に対する偏見を持たないか、仮に持っていても口にしませんから。上流階級の場合、ごく小さいころから寄宿学校にやられることが多いために純粋培養的にそこでのものの考え方に染まる傾向があるでしょうし、また家に財産があると高等教育の必要な職業に就く必要がないため、あまり勉強熱心でない子どもが育つ場合があります。

そんなわけで、いい意味で天真爛漫、びっくりするほど粗野な(ソフィスティケートされていない)発言をする人が上流階級には時々います。

たとえば、うちの息子の学校では対抗試合の相手としてイートンの評判がもっとも悪く、理由は、生徒たちが(試合に出る方も応援する方も)たいへん傲慢で口が悪いから。上流やアッパーミドルの家庭の坊ちゃんばかりですけど、自分たち以外はすべて「配管工の息子(実際にそのようにはやし立てる)」扱いだそうですよ。

引用元
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2013年08月17日(土)
「死ぬ覚悟した」~福島原発の元運転員、初証言
東京電力福島第一原子力発電所事故当時、中央制御室(中央操作室=ちゅうそう)で事故対応にあたっていた元運転員(オペレーター)が事故当時の状況を語った。運転員としては初の証言となる。 今回インタビューに応えたのは、事故当時、福島第一原発発電所2号機の運転員だった井戸川隆太さん27歳。井戸川さんは双葉町出身で、中学卒業後に東京電力が運営する東電学園(東京)に入学。電気に関する専門知識を学び、18歳で地元・福島第一原子力発電所に配属された。以降、原子炉を運転する現場で下積みを重ね、25歳のときに運転員試験に合格。2号機の運転員(オペレーター)を担ってきた。 2011年3月11日は非番だったが、地震発生後すぐに、自宅から発電所に急行。津波が押し寄せていたため、しばらく重要免震棟で待機していたが、午後5時すぎに2号機の中央制御室に向かう。中央制御室は電気もなく真っ暗で、冷却のための注水ができないまま、室内の線量は徐々に高くなっていったという。 中央制御室は1号機と2号機の間にあり、同じ場所を共有している。11日の夜中にかけて、1号機側の線量が高くなってきたため、1号機の運転員らも2号機側に避難しながら、パラメーターを確認する時だけ、一瞬、1号機側に移動するという状況だった。井戸川さんは、11日の段階で、メルトダウンしているだろうと考えていたという。 井戸川さんは内部被ばく量を過少に評価されたと告発する。2011年4月に内部被ばく量を計測したにも関わらず、個人の公式記録に残すデータは、すでにヨウ素被曝の影響がなくなっていた7月のデータが採用されたという。東京電力が認めた井戸川さんの被曝線量は85ミリシーベルトだ。 井戸川さんは2012年1月に東京電力を退社した。会社の上層部の考え方についていけなかったためだという。政府による事故収束宣言が直接の引き金となった。1号機爆発、重要免震棟への退避、そして、東京電力を辞める決断をするまで、その一部始終を語った。 ゲスト:井戸川隆太さん(元福島第一原発発電所2号機の運転員) 聞き手:木野龍逸(ライター) 【YouTube】「死ぬ覚悟した」~福島原発の元運転員、初証言引用元
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沖縄での太平洋戦争に人道主義はなかった。
人道なんてなかった 沖縄戦を経験 伊禮進順さん(87)
2013年8月16日 東京新聞朝刊

「クラガー」と呼ばれる壕(ごう)の中で、増田記者(右)に当時のことを語る伊禮進順さん=沖縄県糸満市で

 六十八年前に米軍が上陸した沖縄県嘉手納(かでな)町の海辺に、若者たちの声が響く。日米の多くの兵士や住民の命を奪った沖縄戦の影はない。にぎやかな笑い声を背に、砂浜を立ち去ろうとした時、ごう音をとどろかせ、米軍機が真っ青な空を切り裂いた。

 一九四五(昭和二十)年五月十日ごろ、一等兵だった伊禮進順(いれいしんじゅん)さん(87)=糸満市=の所属する小隊は、西原町と与那原(よなばる)町の境界にある運玉森(うんたまむい)の丘に陣をはり、約二十メートルの距離で米軍と向かい合っていた。

 「陣地の死守が使命で、後退など考えもしなかった」。次々と手りゅう弾が投げ込まれ、近くで負傷兵がのたうち回る。着弾から爆発まで数秒。ひたすら、手りゅう弾を投げ返した。気づくと五十人の小隊は二人になっていた。

 伊禮さんは那覇市立商業学校(現県立那覇商業高)を卒業後、建設会社に就職。四四年十月に十九歳で徴兵された。半年後に沖縄本島に上陸した米軍は日本軍最後の防衛拠点だった運玉森を制圧し、首里(現那覇市)へと侵攻した。

   ■  ■

 味方である日本人同士でも、強者が弱者を切り捨てた。「毎日が死と隣り合わせ。人道なんてなかった」

 四五年六月半ば、日本軍の拠点があった与座(現糸満市)の洞窟(壕(ごう))に上官の声が響いた。「負傷兵は戦闘の邪魔だ。ここから出て行け」。

米軍は近くに迫っている。「死ねということか」。戦闘で足を負傷し、歩けなかった伊禮さんは、その夜、はって壕を出た。

 米軍の照明弾が一帯を照らし、銃弾が飛び交う。一晩かけたどり着いた野戦病院の壕では、死んだ兵士にウジが群がっていた。飲料水は岩にたまった雨水だけ。水面もウジが覆っている。「味やにおいの記憶はない。飲まないと死んでしまう。生きるためには何でもできた」

   ■  ■

 やがて、この壕も米軍に見つかる。足のけがも癒えていた伊禮さんは女性や少年ら住民四人を含む九人で、南の壕を目指した。山中で身を隠していたとき、この四人の住民が米軍車両に驚き、離れた場所から駆け寄ってきた。

「この連中といては、いつか米軍に見つかり、殺される」。伊禮さんら五人の兵は住民を見捨てることにした。軍刀で脅し「ついてきたらたたき切る」と怒鳴った。自分を見捨てた上官と同じことをしていた。四人は何も言わなかった。

 四人のその後は知らない。伊禮さんは九月十四日、米軍に投降した。「『おまえは人間じゃない』と言われるかもしれないが、仕方なかった。人間って、こんなもんです。自分が助かるためには、恥も何もなかった」。安易な同感など寄せ付けないとでも言うような厳しい口調に、私はしばらく次の言葉を出せなかった。

   ■  ■

 戦後、県職員となった伊禮さんは五人の子に恵まれた。七月半ば、戦時中に身を隠した壕を一緒に訪れた。足がすくんだ。「鼻を突くような死臭がよみがえってくる」と話す伊禮さんの額には汗が浮かぶ。沖縄の空気は開放的で明るいが、集落の片隅に残る壕や米軍機は、島の過去を私に突きつける。

 「沖縄は戦争でも、基地問題でも犠牲を強いられている。六十八年間、何も変わってない」。七月の参院選で改憲を掲げる自民党が圧勝した。「戦争ができる国になってしまうかどうかは、あなたたちにかかってるんですよ」。憲法九条を後世に引き継ぐ使命を託されたと思った。

 <沖縄戦> 米軍は3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島西海岸に上陸し、日本軍との間で、住民を巻き込んだ地上戦を繰り広げた。日本軍は本土決戦を遅らせるための持久作戦をとったが、6月下旬には壊滅状態となり組織的な戦闘は終結。

住民の集団自決などの悲劇も生まれた。沖縄戦の正式な降伏文書が交わされたのは9月7日。米兵を含む戦没者数は20万人以上に上り、うち沖縄県民は半数の約10万人だった(県推計)。
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イスラエル政府元高官、原爆式典を誹謗。
原爆式典「うんざり」 イスラエル元高官、ネットに 
2013年8月16日 13時02分 共同通信

 イスラエル政府の元高官が広島と長崎に投下された原爆について「日本による侵略行為の報い」とした上で、犠牲者らを悼む両市の平和式典は「独善的でうんざりだ」などとインターネット上に書き込んでいたことが16日までに分かった。日本の外務省などが明らかにした。

 この元高官は、近く首相府のインターネットを使った広報戦略の責任者に就任する予定だったダニエル・シーマン氏。イスラエル紙ハーレツ(電子版)によると、ネット交流サイト「フェイスブック」の自身のページに記していた。
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自民党内の現実派が首相に原発新設見送り要求
<原発>自民小委、新設見送り要求…首相に提言書提出へ
毎日新聞 8月16日(金)7時10分配信

 原発政策を巡り、自民党資源・エネルギー戦略調査会の福島原発事故究明に関する小委員会(村上誠一郎小委員長)が、使用済み核燃料の最終処分法が確立するまで原発の新規建設を見送ることや、原発の選別を求める提言書をまとめた。月内に安倍晋三首相に提出する方針。安倍政権の政策判断に一石を投じそうだ。

 同小委は東京電力福島第1原発事故を受けて設置された。提言書は汚染水の海への流出など後手に回る東電の事故対応への懸念からまとめられたもので、汚染水対策や将来的な原発政策などについて幅広く提案する内容。

 提言書は冒頭で、原発建屋内の調査が高い放射線量に阻まれ進んでいないなどとして、さらなる事故原因の解明を政府に要求。事故の直接の原因が津波とされているのに対し「原子力規制庁に商業用原発の専門家を参加させ、地震による影響を調査すべきだ」と指摘している。

 原発政策を巡っては新規建設の凍結のほか、再稼働に関しても津波対策の工事費などがかさむことで「経済的に見合わない原発は稼働を止めるべきだ」とし、より踏み込んで原発選別を求める。委員の一人は「使用済み核燃料の最終処分場がなく『トイレなきマンション』のままになっている状況では新規建設は国民への説明責任を果たせない」と指摘している。【小山由宇】

安倍首相サイドは黙殺するだろう・・・。自民党内も原発とTPPに関しては必ずしも一枚岩ではない。
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スノーデンがやったことの意味を日本の立ち位置で見る
2013年08月02日
スノーデン氏の事件は、他人事ではない=金平茂紀

 CIA(米中央情報局)およびNSA(米国家安全保障局)の元局員だったエドワード・スノーデン氏が、アメリカ政府が秘密裏に行っていた個人情報収集の実態を内部告発した出来事は、個人のプライバシー保護という基本権と、国家機関による実質無制限の治安維持活動との本質的関係を浮かび上がらせたという点で、きわめて重大な事件だ。

 考えてみるがいい。あなたが日々やりとりしている携帯電話の通話内容や、インターネットを通した電子メール、チャット、動画、写真、ファイル転送、ビデオ会議などが知らぬ間に第三者(今回の場合は治安機関)に傍受されていたとしたら。

 その昔、イギリスの作家ジョージ・オーウェルが描いた近未来小説『1984』(村上春樹の『1Q84』ではない!念のため)に描かれていた、国家による極限的な監視社会(モデルはスターリン時代のソ連だといわれている)が現代において現実の出来事として再現されたようなものだ。

小説の中のあの有名なスローガン「Big Brother Is Watching You」(偉大なる兄があなたを見守っている)は実在していたのだ。

 ところが日本の反応はどうだろうか。日本を含めた38カ国の友好国の大使館も盗聴されていたというのに。独仏はカンカンに怒った。

菅官房長官の「米国内の問題なので米国内で処理されることだ」には失笑を禁じえないが、マスメディアの報じ方も世界のメディアの論調と見事にズレていなかっただろうか? 

 もっぱらスノーデン氏の亡命受け入れ国がどこだとか、滞在先ロシアや香港とアメリカ政府との身柄引き渡しをめぐる駆け引きばかりに焦点が当てられて、この問題の本質を深く掘る姿勢が欠如していなかったか。

どうも「英雄か、裏切り者か」というような紋切り型報道が目立っていたような気がする。なぜ、そうなるのだろうか。自省を込めて考えてみる。

 一つにはメディア記者たちの立ち位置が、もっぱら「取り締まる側」「捜査する側」と同調する傾向がとみに強まっていることがある。

これ以上は詳述しない。さらには盗聴を含めた情報収集の実態に対する想像力が劣化しているということもある。精神の内面の自由は何ものにも侵されてはならない最低限の権利だ。そのことへ思いを致す想像力が鈍ってきてはいまいか。

 学者たちの間でも論議を呼んでいる「秘密保全法案」(秋の臨時国会に提出されるといわれている)や、すんなりと通ってしまった「マイ・ナンバー法」などと、スノーデン氏の出来事は深く結びついている。

ガーディアン(英)、ワシントン・ポスト(米)、サウスチャイナ・モーニング・ポスト(香港)という硬質の3紙が、内部告発の掲載先として選択された意味は、決して小さくはない。

(TVジャーナリスト)  引用元
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冤罪判決を多数出した刑事裁判官・飯田喜信が依願退官した。
Shoko Egawa
‏@amneris84

東電OL事件で一審無罪を覆す、東京高裁の有罪判決を書いた主任裁判官であり、東京高裁裁判長として陸山会事件で弁護側から新たに出された証拠を一切(石川氏が結婚したことを示す戸籍謄本以外)見ないで有罪判決を維持した飯田喜信裁判官が、8月2日付でひっそり依願退官。

2013.8.2付 最高裁人事

【最高裁人事】
冨田善範 知財高裁判事(部総括)(神戸地裁所長)
高野伸 神戸地裁所長(広島地裁所長)
大段亨 広島地裁所長(東京地裁判事兼東京簡裁司法行政事務掌理者)
阿部潤 東京地裁判事兼東京簡裁司法行政事務掌理者(東京地裁判事(部総括))
白石史子 東京地裁判:事(部総括)(千葉地裁判事(部総括))
岸日出夫 千葉地裁判事(部総括)(東京高裁判事)
大島隆明 東京高裁判事(部総括)(金沢地裁所長)
杉原則彦 金沢地裁所長(東京高裁判事)
飯田喜信 依願退官(東京高裁判事(部総括))
土肥章大 依願退官(知財高裁判事(部総括))

「裁判官におけるキャリア形成と独立性について」  こちら

例え裁判官が任期途中で若年認知症になって職務を遂行しても、裁判官の独立性という制度の悪用が続くために、その副作用としてその人を任務から外す運用が非常に難しい。

飯田喜信さんの依願退職は全国紙のどこも報道しないが、彼の判決のあまりの非道さ?ひどさ?無能力さ、に司法ムラの自己防衛システムが作動し、最高裁首脳が彼を肩叩きしたのかもしれない。それにしても社会常識からあまりに離れたトンデモ裁判官がとりあえず1人消えた


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「日本のすべての水道を民営化します」 麻生副首相がアメリカで断言
「日本のすべての水道を民営化します」 ~マスコミが一切報じない我が愛すべき「麻生さん」の超弩級問題発言 (<IWJの視点>佐々木隼也の「斥候の眼」: IWJウィークリー13号より)

一部引用・・

◇政府が着々と進める水道事業の「完全民営化」◇

 麻生さんの講演は、以下のCSISの動画から全編観ることができる。問題の発言は、前半の堂々たる英語での講演が終わり、後半の質疑の中で麻生さんが語ったものだ。以下、その発言部分を掲載する。

 「例えばいま、世界中ほとんどの国ではプライベートの会社が水道を運営しているが、日本では自治省以外ではこの水道を扱うことはできません。

しかし水道の料金を回収する99.99%というようなシステムを持っている国は日本の水道会社以外にありませんけれども、この水道は全て国営もしくは市営・町営でできていて、こういったものをすべて、民営化します」

全文はこちら
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お上が国民を戦争に持っていく10のスローガン

戦争プロパガンダ10の法則

「われわれは戦争をしたくはない」

「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

「敵の指導者は悪魔のような人間だ」

「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」

「われわれも誤って犠牲をだすことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」

「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」

「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」

「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」

「われわれの大儀は神聖なものである」

「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」


戦争プロパガンダから学ぶ


2006年05月09日

カテゴリー: ■メディア・リテラシー

アンヌ・モレリ(ブッリュッセル自由大学教授)は、戦争があるたびに、まったく同じプロパガンダが繰り返され、世論が操作されてきたと述べている。

戦争が終わると、世論は騙されていたことに気付く。しかし、次の戦争がはじまると、また同じプロパガンダに騙されてしまう。今度こそ、プロパガンダは本物だと信じてしまうからだ。

ひとたび戦争が始まると、メディアは、批判能力を失う。

たとえ、「民主主義国家」でも、情報および映像の製作、放送に関しては画一化が著しく、政府の意図に反する映像、反対する意見はマスコミにもとりあげられない。
(中略)
現代の「洗脳」技術は、かつてゲッペルスが実現できなかった集団幻想よりもさらに遠くへわれわれを導こうとしている。あるユーモア作家がこう言っている。

「現代人は、かつてのように何でもかんでも信じてしまうわけではない。彼らは、テレビで見たことしか信じないのだ」

アンヌ・モレリ著『戦争プロパガンダ 10の法則』p182~183

アンヌ・モレリは、その著書で戦時におけるメディアがいかに狡猾に人々を戦争に導くかを述べている。戦争プロパガンダは10項目に集約できるという。この10項目は、1928年にアーサー・ポンソンビーによって書かれた『戦争の嘘』をもとにしているが、その分析が現代にもぴたりとあてはまっている。

戦争をはじめようとする国家元首は、まずこう呼びかける。「われわれは戦争を望んでいるわけではない」と。

「しかし敵側が一方的に望んだ」のだと続ける。そして、「敵の指導者は悪魔のような人間だ」と決めつけ、戦争突入へのためらいを押し切り、「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」のだと、正義の動機づけを行う。

第一次世界大戦、湾岸戦争、コソヴォ紛争、アフガニスタン戦争など具体的事例をあげ、そこでまったく同じプロパガンダのパターンが繰り返されていることを証明している。世界は毎回、ワンパターンの詐術にまんまと嵌められているということだ。

全文はこちら
 
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2013年08月16日(金)
思い出の写真 8月15日 神戸新聞読者投稿

画面クリックで拡大。
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南相馬市で働く医者の通信から。
Vol.194 内部被曝通信 福島・浜通りから~そこにある日常に目を向けて

南相馬市立総合病院
非常勤内科医 坪倉 正治

一部引用・・

福島県内でも、そうだと思うのですが、そこから離れるとさらに猛烈な「風化」を感じます。もちろん、来てくださった方々の中で、話を聞いて偏見が無くなったとおっしゃる方、生活スタイルが実際に変わった方、周りに現地の状況を伝えてくれる方も多くいらっしゃいます。

しかしながら、段々と参加してくれる方が少なくなりました。

とあるメディアの方からこんな話を聞いたことがあります。

放射線のことは、誰かが悪いという話か、誰かが頑張っているという話を作っても、現在の状況を伝え、あのとき何が起こったかというドキュメンタリーでも、放射線の科学的な話をしても、もはや視聴率が取れない。

巨大イカや動物の話の方が視聴率がいい。やるなら、震災後xxx年とか、そういった時期を狙って、そこで番組を作るしかない。

とある政治家の方からはこう言われました。

もう復興予算としてお金は山のようにつぎ込まれているよ。なのに何でまだ足らないとか言うの?「(私が)これこれの体制の整備を進めて欲しいとか、あれが足らない」と言っても何か出来ることはないよ。自分たちでやってもらわないと。

参加者の一人からは、こうでした。

普通に現地の状況についての話をしてくれてビックリした。もっと思想的な話や、イデオロギー的話ばかりなされるのかと思っていた。運動とか活動とかそんな形のものには関わりたくなく。だから、周囲の人を(お話会に)呼ばなかったんだ。

これらは、今も現地で毎日を懸命に暮らしていらっしゃる多くの方にとって、受け入れがたい話だと思います。もちろん、そうではない方も少なくない。ただ、このような状況があることも事実です。

汚染水が漏れたことは知っていても、東電がxxxということをしたということは知っていても、夏祭りや花火大会にこんなにたくさんの人が参加したり、じゃぶじゃぶ池で多くの子供たちが笑顔で遊んでいたり、多くの方が普通の日常を淡々と暮らしていることは、知られていないのです。

もちろん、何も問題がない訳ではないです。今の「普通」が遠くの人には余り伝わっていないのだろうな、と感じました。ただ、その普通が伝わって欲しいと思う人も少なくなってきているのでしょうか。それとも、そんなことは考えないぐらいに、既に普通なのでしょうか。わかりません。

全文はこちら
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ノバルティス疑惑 欧州の巨大製薬会社と厚労省の暗い関係。
ノバルティス疑惑、独禁法適用の可能性 厚労省にとって「最悪の事態」も

投稿日 2013年8月10日 郷原信郎(元特捜検事の弁護士)

今日の毎日新聞朝刊に掲載された【クローズアップ2013:バルサルタン臨床試験疑惑 元検事の郷原信郎弁護士の話】にも書いたように、ノバルティス・ファーマの降圧剤バルサルタンをめぐる臨床試験への同社の社員の関与、論文でのデータ操作等の問題について、「不公正な取引方法」を禁じる独禁法19条の「欺まん的顧客誘引」に該当する可能性がある。

この点については、検事時代の公取委出向の頃からの知り合いの公取委幹部にも感触を聞いてみたところ、「厚労省が薬事法できちんと対応しないようであれば、ウチが独禁法で出ていくこともあり得ますね」とヤル気を見せていた。

公取委には、過去にも厚労省の領域に独禁法で踏み込んだ実績がある。1996年に独禁法3条前段の「私的独占」を適用して排除措置命令を行った「財団法人日本医療食協会及び日清医療食品株式会社に対する件」だ。この件で、厚労省は、貴重な「天下りポスト」をいくつも失った。

今回は、医薬品業界という、厚労省が薬価決定を通して支配する、まさに厚労省の「本丸」の問題だ。厚労省にとって、公取委による独禁法の適用は、想像したくもない「悪夢」以外の何物でもないだろう。

独禁法19条で禁止する「不公正な取引方法」の具体的な禁止行為は公取委告示に委ねられており、公正な競争を阻害する行為に対して機動的に適用できる。

「欺まん的顧客誘引」に関しては、「自己の供給する商品又は役務の内容又は取引条件その他これらの取引に関する事項について、実際のもの又は競争者に係るものよりも著しく優良又は有利であると顧客に誤認させることにより、競争者の顧客を自己と取引するように不当に誘引すること」と定められている(告示8項)。

今回のノバルティスの問題では、降圧剤バルサルタンの心疾患等への効能を、多数の大学の研究者の論文によって根拠づける宣伝広告を行っていたが、データの不正操作等があったことが判明したことによって論文が撤回されたことで、心疾患等に対しての効能の根拠は失われた。

降圧剤が高血圧だけでなく心疾患等に対しても顕著な効能があるという広告宣伝は、現状では、明らかに「著しく優良であると誤認」させるものであり、それが、ノバルティスの事業活動の一環として行われたと認められれば、公取委が「欺まん的顧客誘引」に該当するとして、当該宣伝広告を排除する命令を出すことも可能だ。

この排除措置命令は、あくまで、「著しく優良であると誤認」させる広告宣伝が、医薬品事業者間の公正な競争を阻害するということで排除することが目的であり、その点についての故意は要件ではない。

ましてや、効能の根拠とされた論文が不正であったことを会社側が認識していたことも不要だ。そういう意味で、独禁法を適用しようと思えばハードルは低い。

公取委には、強制手続を含めた「正式審査」を行うことを決断し、立入検査を実施して会社から関係書類を提出させ、会社関係者の事情聴取等を通じて事実解明をしていくこともできる。

もちろん、厚労省の側が薬事法に基づいて十分な対応をするというのであれば、公取委が敢えて踏み込む必要はないであろう。

しかし、現在のところ、この問題についての厚労省の対応は「厚労大臣直轄の有識者の検討委員会」による調査・検討に委ねられているようだ。それが、事案の真相解明や薬事法適用による厳正な対応につながらないようであれば、独禁法の出番となる可能性も十分にある。

今朝の毎日新聞朝刊の記事によると、この検討委員会の委員には、以前よりノバルティス社によるプロモーション戦略に参画し、バルサルタンの臨床試験の経過や成果を大きく紹介していきた日経BP社の特命編集委員の宮田満氏が就任しており、他の委員から「委員会の信頼性が疑われかねない」と懸念する声が出ているとのことだ。

ネットで調べたところ、日経BP社とノバルティス社という企業間の関係だけではなく、宮田氏個人も、「ノバルティス バイオキャンプ2007国際大会」と題するノバルティス社主催のバイオ研究者の国際交流のための大イベントで審査員代表を務めるなど、同社との接点がある。個人的にも、同社のプロモーションにも深く関わっていた疑いがある。

このような人物が、ノバルティス社の疑惑を含む問題について調査・検討する委員会の委員として加わるのは典型的な「利益相反」である。

上記毎日新聞の記事で、日経BP側は「当社としても今回の問題について検証報道を続けており、就任に問題はないと認識している」とコメントしているが、検証報道を行っていても、それによって、日経BP社及び宮田氏個人とノバルティス社との関係から生じる「利益相反」が解消されるものではない。

このような委員の人選に何の問題意識も持たなかったとすれば、厚労省には、そもそも、ノバルティス社の問題も含めて、委員会の調査・検討を公正・厳正に行わせる意図がないのではないかと疑わざるを得ない。

厚労省がこうしたことを続けている限り、今回のノバルティスの降圧剤バルサルタンをめぐる疑惑の解明に真剣に取り組むことを期待するのは無理であろう。公取委がこの問題に独禁法で斬り込むという、厚労省にとって「最悪の事態」も起こりえないわけではない。

引用元
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デトロイト市の破綻は日本も他人ごとではない。 
大前研一 『 ニュースの視点 』
2013/8/16 #479から部分引用。

・・・・ちょうどヘンリー・フォード生誕150周年ということもあって、米国ではノスタルジックな雰囲気が強くなっています。

 今こそ、ヘンリー・フォードの時代に戻るべきじゃないか、
 という論調が強まっています。

 ヘンリー・フォードはT型フォードを大量生産し、同時に従業員に
 「高賃金」を支払うことを何回も演説したことで有名です。

 従業員が高い給料を手にすれば消費が拡大し、
 国全体が豊かになるという考えでした。

 当時においても、他の搾取的な資本主義者とは違う
 「経営者の鑑」だと言われていました。

 実際、米国の労働分配率を見ると、ヘンリー・フォードの時代から
 悪化の一途を辿っています。

 ヘンリー・フォードの時代には、資本家と労働者の分配率の差は
 今よりも小さかったのですが、両社の格差は段々拡大し、
 現在では資本家に傾いています。

 これは株式市場の優勢により、配当を行い、貯めた資産を海外に移す
 という流れがあり、労働者が重視されていないことが原因です。

 -------------------------------------------------------------
 ▼ デトロイト市の悲惨な状況は他人事ではない
 -------------------------------------------------------------

 フォードと日本の不協和音という意味を考える時には、
 米国の自動車産業の「聖地」とも言える「デトロイト」という
 街のことを念頭に置いておく必要があると思います。

 フォードのアラン・ムラーリー最高経営責任者(CEO)は評判が良く、
 優秀な経営者です。

 そのムラーリー氏が考えていることの1つは、
 「デトロイトを守る」ということです。

 ゆえに、TPPに対する日本の農業のごとく、
 デトロイトを守るために「ハンディキャップ」を獲得しようと
 画策しているのだと思います。

 ご存知の通り、先日デトロイト市は財政破綻しました。

 その結果、今のデトロイト市はどうなっているか?というと、
 1日のうちに十数件の放火や犯罪がある状況です。

 街灯も40%しか行き届いておらず、ますます犯罪が増えるという
 悪循環に陥っています。

 米経済誌フォーブス電子版が今年2月に発表した「惨めな米都市番付」
 でも、暴力犯罪の多さや高い失業率、人口の減少や金融危機の
 影響などにより、デトロイトがワースト1位になっています。

 日本はこれを他人事だと思っている余裕はありません。

 代表的な例を言えば、夕張市です。

 今日、同市の人口は最盛期と比較すると、10分の1以下に減りました。

 夕張市だけでなく、一昔前には「3割自治」と言われた
 日本の地方財政はさらに悪化しており、国の補助がなければ
 「1割自治」のレベルに落ちているところもあります。

 このような地域では、当然のことながら人口は減っていきますし、
 サービスレベルも下がっていきます。

 日本全体の人口が減っていく中、地方のオフィス空室率は
 高まる一方です。

 おそらく、今のままでは存続できない市町村が
 多く出てくると思います。

 デトロイト市の事例が、まさに日本の地方都市の明日の姿に
 なってしまうかも知れません。

 ==========================================================
 この大前研一のメッセージは8月4日にBBT Chで放映された  
 大前研一ライブの内容を抜粋・編集し、本メールマガジン向けに
 再構成しております。
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アメリカは原爆投下をどう教えているのか?  山田 順

アメリカの歴史教科書を読んで考えたこと


一部引用・・

大統領の決断は正しかったのか?

娘が中学生のとき、「Social Studies」(社会科)の授業で使っていた教科書は「The American Nation」(Prentice Hall / Pearson)である。アメリカの教科書はみな分厚く、日本の教科書に比べたら3~4倍のボリュームがある。この教科書も1000ページぐらいあった。しかも、教科書は生徒に配布されるのではなく貸し出されるので、使い終わったら返さなくてはならない。

そこで、私は、現代史の部分をコピーして読んだ。私が驚いたのは、たとえば、次のような原爆投下の記述である。

まず、原爆投下までの経緯が書かれている。これは要約すると、ナチスドイツが降伏した後、アメリカ軍のリーダーたちは秋には日本に侵攻するという計画を立てていた。そのときは、軍には15万人から25万人の犠牲が出るだろうという。そして次に、以下のようなポツダム宣言の記述が始まる。

 《ポツダムのトルーマン大統領のもとに、本国から驚くべきニュースが飛び込みました。科学者たちが秘密の新兵器、原子爆弾の実験に成功したのです。この新兵器の威力はすさまじく、たった1個の爆弾で1つの都市を破壊できるものでした。

使用するにはあまりに危険と考える科学者もいました。連合国の指導者たちは、ポツダムから日本に対し、降伏しなければ「ただちに徹底的な破壊」が行われるだろうというメッセージを送りました。しかし、日本の指導者たちはポツダム宣言を無視したのです》(一部要訳、以下同)


こうして、原爆投下になる。

 《1945年8月6日、アメリカの爆撃機エノラ・ゲイが、日本の広島に原子爆弾を投下しました。爆発によって少なくとも7万人が死亡し、同じ数の人間が負傷しました。市の大部分は破壊されました。

1945年8月9日、アメリカは第2の原子爆弾を、長崎に投下しました。住民約4万人が一瞬にして死亡しました。その後、長崎でも広島でも、さらに多くの人々が、爆弾から放出された死に至る粒子、放射能によって亡くなったのです》

広島の廃墟と化した写真も掲載され、ここまでは事実をそのまま記述している。しかし、その後のレビュー欄に、「トルーマン大統領は、どういう理由で原子爆弾を使うことを決めたと思いますか?」という質問があって、それに私は驚いた。

 全文はこちら
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首相「不戦」なき式辞 改憲憂う戦没者遺族 東京新聞
2013年8月16日 07時10分

 十五日に開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で、安倍晋三首相の式辞から、近年の歴代首相が繰り返し表明していた「不戦の誓い」が消えた。戦争の多大な犠牲と引き換えに築かれた、平和主義の土台が揺らぐ。

政府は、集団的自衛権行使容認に向けた解釈改憲の動きを加速させる。六十八回目の終戦記念日に、戦争体験者や遺族は何を思う-。

 炎暑の中、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)では戦争を語り継ぐ集いが開かれていた。二瓶(にへい)治代さん(77)=東京都国立市=は「今、改憲や国防軍とか言っている政治家は、本当の戦争の姿を知らないからこそ、そんなことが軽々に言えるのだと思う」と目を潤ませた。

一九四五年三月の東京大空襲の時は八歳。家族五人で逃げた。途中で意識を失い目が覚めたときには折り重なる遺体の下だった。

安倍首相が全国戦没者追悼式で、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国に対する加害と反省に触れなかったことについて「なぜ、きちんと語れないのか。言葉が出ないほどショックです」と言う。

 終戦から時がたち、社会から戦争の記憶が薄らいでいく。大空襲で父を亡くした村田弥一(やいち)さん(77)=埼玉県狭山市=は「戦争で体験したつらさを、生きているうちに遺(のこ)したい。

死んでしまったら語れないから」とこの日、車いすに乗り、初めてセンターを訪れた。「改憲すれば今の安倍さんは何をやりだすか分からない」

 全国戦没者追悼式が開かれた日本武道館。鹿児島県垂水(たるみず)市の弓削光知(ゆげみつのり)さん(70)は、硫黄島で激戦の末に父親が戦死。

「父が生きていれば別の人生もあったと思う。私の年代では父を亡くした人がたくさんいる。同じ思いをする人が出るのは悲しい。自国を守る武力は必要だが、憲法は今のままでいい」

 せみ時雨(しぐれ)が響く東京・九段北の靖国神社。江東区の稲垣一雄さん(94)は毎年参拝し、戦友たちの冥福を祈る。尖閣諸島や竹島をめぐる中韓との関係悪化に「日本も外国から文句を言われない程度の備えは必要だ」と語る。一方で「戦後の平和は憲法九条のおかげ」との思いも強い。

 南方で父を亡くし、千代田区の千鳥ケ淵(ちどりがふち)戦没者墓苑を訪れた千葉県柏市の男性(74)は、韓国の議員らが靖国神社付近で安倍首相への抗議を行ったというニュースに胸を痛めた。

 鹿児島県出身。米軍の上陸を恐れた母からは「何を聞かれても『アイドントノウ(私は知らない)』と言え」と教わった。
今も米軍機の射撃の音が耳に残る。「戦後、日本が平和にやってきたことを近隣諸国にも評価してもらう必要がある。その原動力となった憲法九条は、戦後百年は保たせてほしい」
(東京新聞)
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敗戦に備えて皇族の血を絶やさぬ試みが日本海軍にあった
「五家荘に皇族匿え」 終戦直後、海軍極秘計画

2013年08月15日  熊本日日新聞

五家荘の二本杉峠にあった民宿の宿帳を持つ東山さん。左ページの右から8人が兵士らの名前だという=八代市

 太平洋戦争敗戦直後、皇室存続のために五家荘(旧泉村)へ皇族をかくまおうとする海軍の「皇統護持[こうとうごじ]作戦」という極秘の計画があった。

計画は実施されなかったが、同村の二本杉峠で飲食店を営む東山孝敏さん(58)は、海軍の隊員が調査のため村内に宿泊した際の宿帳を使って、観光客に“秘話”を語り継いでいる。

 防衛省の防衛研究所が保管する富岡定俊海軍少将の発言録によると、作戦は敗戦直後、富岡少将が発案し、当時の米内光政海軍大臣も承諾。「皇族の血統を保存する手を打っておかなければならない。最悪の場合、皇子または皇女を擁[よう]して、五家荘に落ち延びる計画であった」(富岡氏)と記されている。

 作戦には、長崎県の大村基地の海軍343航空隊(源田実司令=後に航空自衛隊幕僚長、参院議員)から約20人が参加。当時、現地調査に訪れた元隊員の加藤種男さん(90)=京都市=によると、終戦直後の8月下旬に8人が熊本入り。

現在の美里町を拠点に候補地を調べた。加藤さんは「五家荘は山深い場所だったが、最終的にかくまうには適さないという結論になった」と振り返る。

 調査中の8月26日、隊員らは目的を告げず、二本杉峠にあった民宿に宿泊。現在、民宿そのものは残っていないが、40数年前、民宿の経営を引き継いでいた東山さんの父親を、元隊員という人物が訪ねてきて、保管されていた宿帳が見つかったという。

 「店に来た観光客らに宿帳を見せて幻の計画を説明すると、「みんな『皇族を五家荘に? うそでしょ』と驚きます」と東山さん。

 玉名市出身のノンフィクション作家、中田整一さん(71)は「米国では当時、天皇の戦争責任を問うべきだという世論が強かった。海軍にも天皇制存続への危機感があったのだろう。県内に候補地があったというのは興味深い」と話している。
(井上直樹)
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在日アメリカ軍の縮小で困る日本の関係者は誰か
日本の権力構造と在日米軍

2012年2月22日   田中 宇

 沖縄に駐留する米軍海兵隊が、海兵隊普天間基地の名護市辺野古への移転を待たず、グアム島に移転していくことについて、日米政府が話し合いを始めている。 (US, Japan mull sending 4,700 Marines to Guam)

 米海兵隊が沖縄に駐留していることは、日米同盟の象徴だ。海兵隊は総兵力24万人(定員数)で、そのうち日本に駐留するのは定員数1万8千人(実数は1万2千人前後)にすぎず、海兵隊全体の中に占める割合は低い。

だが、米国外で海兵隊が常駐しているのは日本だけだ(海兵隊は3つの遠征旅団から構成され、第1が太平洋岸のカリフォルニア州、第2が大西洋岸のノースカロライナ州、第3が沖縄を拠点としている)。

沖縄駐留の海兵隊が減ることは、それ自体が在日米軍の縮小、希薄化である。

 米海兵隊が日本から撤退していく方向性は、1999年ごろに米政府が冷戦後の米軍の世界戦略の再編(米軍再編)を検討し始めた時からの、一貫した流れだ。1971年の沖縄の日本への返還当時から、米海兵隊の任務の中に、日本を防衛することは入っていない。

 沖縄に大量の米軍がいるが、沖縄上空の日本領空に外国の戦闘機が侵入してきた場合、最初に戦闘機を出して防空任務を担当するのは、米空軍でなく、那覇空港に駐留する日本の自衛隊だ。

沖縄返還と同時に那覇空港から米軍が出ていき、代わりに自衛隊が入ってきたが、この時に沖縄上空の防空任務は米軍から自衛隊に引き継がれた。これに象徴されるように、日本の防衛は、40年前から、米軍でなく自衛隊の任務だ(日本が外国軍から本格的に侵攻され、日本に駐留する米軍も外国軍から攻撃されれば、米軍は反撃するだろうが)。

 沖縄の米軍の任務は日本の防衛でなく、米国の世界戦略に沿った動きをすることだ。

朝鮮戦争、冷戦時のソ連との対峙、ベトナム戦争、アフガン・イラク戦争、イランへの威嚇、ソマリア沖の海賊退治などが、歴史的に沖縄米軍の任務だった。米軍は日本の防衛を任務としていないが、沖縄に米軍が駐留すること自体が、外国軍に日本を攻撃することを躊躇させ、間接的に日本の防衛に貢献しているから良いんだ、というのが米側の理屈だ。

在日米軍は日本の防衛を任務としないので、日本の都合に関係なく、米国の都合だけで増員したり撤退したりできる。冷戦が終わり、輸送機の性能も上がったので、米軍は部隊を米本土から遠い前方に置く必要がなくなった。不必要な前方展開をやめて米軍を効率化し、財政負担を軽減する「米軍再編」が99年ごろから検討された。だがその後、01年の911事件で「テロ戦争」が始まり、逆に米軍は急拡大した(911の発生を米当局が知りながら黙認した可能性があるが、その理由の一つは、米軍再編による防衛費の削減を、米軍関係者が嫌ったことだろう)。

 911後、米軍は急拡大したものの、戦争はイラクもアフガンも失敗し、撤退を余儀なくされている。おまけにリーマンショックで米金融界も破綻に瀕し、米国の政府予算や経済的余力を、金融界と軍関係者(軍産複合体)が奪い合っている。再選のため経済再建を優先するオバマ政権は、防衛費の削減と米軍の縮小を押し進め、10年ぶりに米軍再編の政策が戻ってきた。

 米陸軍は、欧州(独伊)に駐留する部隊を半減させる予定だ。欧州は、EU統合の一環で欧州統合軍を創設する方向で、米軍の助けを借りなくても防衛できる方向だ。米軍部隊を海外から米本土の基地に戻せば、基地周辺の経済が活性化し、不況が続く米国の景気回復にも貢献できる。 (Defense Cuts Sap Obama's Asia Pivot)

 同様に海兵隊も、長期的に、米本土にある2つの遠征旅団だけで十分やっていける。米軍は、米政府の財政再建策に協力し、現在24万人いる海兵隊員(現役+予備役)を、5年間で2万人弱を減らして22万人台にする計画だ。2万人弱の減員が、3つの海兵隊旅団のうちどこで行われるか発表されていないが、沖縄の第3旅団を中心に減らすのでないかという見方が出ている。 (Rethinking Okinawa military relocation)

▼日本の政治自立を骨抜きにして権力保持した官僚機構

 常識的に考えれば、在日米軍は日本を守らないのだし、米軍再編で海兵隊が日本から撤退するなら、どうぞご自由にというのが日本の姿勢になる。しかし、現実は全く違う。日本政府は、海兵隊に1日でも長く日本にいてほしいと考えている。それについて説明するには、終戦以来の日本の権力構造を分析する必要がある。

 1945年の終戦後の日本は、占領者である米当局(GHQ)が政策を決め、それに沿って日本の官僚機構が行政を行う体制になった。終戦まで力を持っていた軍部や政界は終戦とともに権力を失い、米当局の下に日本官僚機構がつく指揮系統だけが、日本の権力となった。米当局は、しだいに日本を国家として再自立させていこうとしたが、これは、民主主義の原則に沿って、日本の国会や政界(政党)が官僚から権力を奪うことを意味していた。官僚は、米当局が模索する日本の政治的自立を換骨奪胎する戦略を採った。

 GHQは終戦直後、自治体や自治警察を各県に作るなど、日本を強い地方分権体制にしようとした。軍部や政界だけでなく、東京の官僚機構をも解体し、日本の権力機構を地方に分散させ中央集権化を防ぐことで、日本の国際再台頭を防止したかったのだろう。だが、官僚機構がGHQの地方分権策の実質化をのらくらと遅らせている間に、朝鮮戦争が1950年に起こって冷戦体制が東アジアに波及した。米国が日本に求めるものは、国際再台頭の抑止でなく、冷戦体制下で米国の忠実な部下となることになった。日本の中央集権は温存され、地方自治体は東京の官僚(旧自治省など)に支配された。

 朝鮮戦争とともに米国は、冷戦勝利を最重視するアジア戦略に転換し、米当局の意志を日本官僚機構が実行する占領型の体制を再び重視するようになった。朝鮮戦争が続いている間に、日本の再自立を形だけ実行して冷戦体制の中に日本を組み込むサンフランシスコ講和条約が締結された。53年に朝鮮戦争が暫定終結した後、55年の保守合同で自民党が作られ、実質的な権力を握る官僚機構が担ぐ御神輿の上に、官僚の言いなりの自民党が永久与党として乗る、戦後日本の権力構造ができあがった。日本政府の各省の権力は、大臣(政治家)でなく事務次官(官僚のトップ)にあり、日本政府の実質的な意志決定機関は、閣議でなく事務次官会議だった。

 事務次官会議は、09年に官僚から政界への権力奪還を狙って就任した鳩山政権によって廃止されたが、野田政権になって、震災復興支援の名目で「各府省連絡会議」として復活した。大震災が政治的に利用されていることが透けて見える。官僚機構の傘下にあるマスコミが「次は首都圏直下型地震が起きる」と騒ぎ、テレビの出演者が「大震災の教訓を末永く語り継がねばなりません」と深刻そうに言う理由も見えてくる。大震災前のマスコミでは、大地震を予測する報道がタブーだったが、今は逆に、大震災が確実に起きると喧伝されている。朝鮮戦争で焼け太った日本の官僚機構は、今また大震災で焼け太りだ。

▼ベトナム戦争後の米軍撤退を引き留めた日本

 話を歴史に戻す。朝鮮戦争で確立した東アジアの冷戦体制は、1960年代末のベトナム戦争の失敗によって崩れ出した。ベトナム戦争で財政力と国際信用を消耗した米政府は、アジアからの軍事撤退を検討した。

 米国は第二次大戦後の世界体制として当初、国連の安保理常任理事国に象徴される多極均衡体制を構築したが、それに反対する勢力(軍事産業や英国)が結託してソ連との敵対を扇動し、多極均衡をぶち壊して冷戦体制を作った。約20年後、ベトナム戦争の失敗と、反戦運動や反米感情の世界的な盛り上がりを機に、米国の中枢で多極派が盛り返し、米国の中枢で多極派と冷戦派の暗闘がひどくなった。

 69年に就任したニクソン政権が、多極型世界の復活をめざす政策を行った。中国との関係正常化、ドル崩壊の是認(金ドル交換停止)などのほか、沖縄の日本への返還が行われ、在日米軍の撤収と、日本の軍事的自立が模索された。しかし、日本の権力を握る官僚機構にとって、米軍の撤収や日本の自立は、政界に権力を奪われることにつながるので、何としても避けねばならなかった。

 そこで日本政府は米政府に、米軍が日本から全撤退するのでなく、返還後も沖縄にだけ米軍が残ることにしてくれるなら、本土から沖縄に米軍が移転する費用を大幅に水増しして日本が米国に支払うとともに、その後の米軍の沖縄駐留費のかなりの部分を実質的に日本が負担してあげます、と提案した。米側は、日本が金を出してくれるなら沖縄に米軍を駐留したいということになった。

 沖縄返還が決まる直前の69年秋の日米交渉で、本土から沖縄への米軍の移転費と、5年分の駐留費の支援として、日本政府が合計2億ドルを米政府に支払うことが決まった。このうち移転に使われたのは4割ほどで、残りは日本が米軍駐留費を肩代わりする費用だった。5年の期間がすぎた後の1978年からは「思いやり予算」として米軍駐留費を日本が肩代わりする体制が恒久化した。 (在日米軍基地の再編:1970年前後)

 米国中枢で冷戦派(軍産複合体)と多極派の暗闘が激しくなる中で、日本の官僚機構は冷戦派と結託し、米軍駐留費のかなりの部分を負担して米国側を買収し、日本から米軍を全撤退させようとする多極派の方針をくじき、日米同盟(対米従属)の根幹に位置する米軍の日本駐留を維持することに成功した。日本側でも政界の田中角栄首相らは、ニクソン政権の多極派に頼まれて中国との関係を政治主導で強化しかけたが、米国の冷戦派はロッキード事件に田中を巻き込んで失脚させた。日本の官僚支配は維持された。(田中金脈を攻撃する文章を書いて立花隆が英雄になった件の本質も見えてくる)

 ベトナム反戦運動で高まった日本国内の反米感情を緩和するため、反基地運動が大きな騒ぎになりやすい首都圏から米軍基地を一掃する計画が挙行され、米空軍は厚木基地から出ていき、横田基地から沖縄の嘉手納に移った。本土復帰と抱き合わせにするどさくさ紛れで、沖縄に基地の増加を認めさせた。横須賀の米海軍も佐世保に移り、米軍は首都圏の基地のほとんどから撤収することになっていたが、自衛隊が横須賀軍港を使い切れないなどという理由をつけて、日本側が米海軍第7艦隊を横須賀に戻してもらった。日本政府は、反基地運動を沈静化したい一方で、米軍が日本から撤退する方向が顕在化せぬよう、米軍が出ていった後の基地を「自衛隊と米軍の共同利用」という形にした。これは、米軍が使いたければいつでも日本本土の基地を使えるという意味でもあった。

▼支配の実態がなく被支配体制だけの日本

 日本では、米国が沖縄への米軍駐留継続や、日本に対する支配続行を強く望んだ結果、沖縄だけ米軍基地が残ることになったと考える歴史観が席巻している。しかし、第一次大戦からの米国の世界戦略の歴史を俯瞰すると、米国が日本を支配し続けたいと考えるのは無理がある。

 米国の世界戦略は「1大陸1大国」「5大国制度のもとでの国家間民主主義」的な多極型均衡体制への希求と、ユーラシア包囲網的な米英中心体制を求める力とが相克しており、1970年前後や現在(2005年ごろ以降)に起きていることは、多極型への希求(裏から世界を多極化しておいて、あとからそれを容認する)が強くなっている。米中関係改善と沖縄返還が行われた70年前後、米国は日本から米軍を全撤退するつもりだったと考えるのが自然だ。

 また、日本の官僚機構が対米従属に固執し続けている戦後史をふまえると、米国は沖縄返還とともに日本から米軍を全撤退しようとしたが、日本が米国を買収して思いとどまらせ、米軍は沖縄だけに恒久駐留を続けることになったと考えるのが妥当だ。日本人は「米国は日本を支配し続けたいのだ」と考えがちだが、これは、官僚機構が自分たちの策略を人々に悟らせないために歪曲された考え方だ。官僚機構の傘下にある学界やマスコミの人々の多くが、歪曲された考えを無自覚のうちに信奉している。

 米政府は、日本を支配したいと考えていない(日本市場で米企業を儲けさせたいとは考えているだろうが)。日本の権力機構が、支配された体制下でしか権力を維持できない(さもないと政界に権力を奪われる「民主化」が起きてしまう)。そのため日本では、支配者の実態を欠いた「被支配体制」だけが、戦後60年間ずっと演出されている。

 米国防総省は2004年まで、米国の同盟諸国が、自国での米国の駐留費のうち何割を負担したかを発表していた。04年に、日本政府は在日米軍駐留費のうち74・5%を負担していた。これはダントツで世界最高の負担率だ。第2位のサウジアラビアの負担率は64・8%だった(その他アラブ産油諸国の負担率も同水準)。 (Allied Contributions to the Common Defense 2004)

 サウジなどアラブ産油国は、自前の軍隊を持つと、軍部が反王政の民意を受けて王政転覆のクーデターを起こしかねないので、王室が軍隊を持ちたがらず、石油ガス収入の一部を払って米軍に駐留してもらい、防衛力としている。石油成金の独裁で臆病なサウジの王室より、立派な自衛隊と世界第5位の防衛費を持った日本の方が、米軍駐留費の負担率が10%も大きいのは異常なことだ。日本の官僚機構が米軍を買収して駐留させていることが見て取れる。

 05年以降、国防総省がこの統計を発表しなくなったのは、日本政府が米政府に発表しないでくれと頼んだからかもしれない。グアム移転費という新たな名目を含む思いやり予算の総額は、04年から昨年まで、ずっと6500億-7000億円で推移しており、買収体質は今も全く変わっていない。 (Allied Contributions to the Common Defense)

 すでに述べたことだが、24万人の米海兵隊のうち22万人以上が米国の東西海岸部を拠点としている。定員1・8万人、実数1・2万人以下の、比較的小さい第3海兵遠征旅団だけが、唯一の海外常駐海兵隊として日本(沖縄)に駐留している。なぜ世界の中で日本だけに米海兵隊が海外駐留しているのかという疑問も「思いやり予算の見返りに駐留している」と考えれば合点がいく。沖縄の海兵隊は、日本の官僚機構が「被支配」を演出するための道具立てとして、思いやり予算で雇われて駐留している。

 その海兵隊が、辺野古建設とグアム移転の費用支払いという、現行の日本からの買収体制を無視して、グアムや米本土への撤退を始めることになった。日本の官僚機構にとっては、ベトナム戦争後以来40年ぶりの、米軍撤収・対米従属体制瓦解の大危機である。ここまで書いてかなり長くなったので、現行の危機についての説明は次回に回すことにする。
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日本で一番印象に残るのは、米国の権力のすさまじさ
ストーン氏「米国の属国、残念」 沖縄訪問し感想述べる

2013/08/15 10:54 【共同通信】

13日から沖縄県を訪れ、米軍基地周辺などを巡った米映画監督のオリバー・ストーン氏が15日、那覇市で記者会見し「日本が米国の属国のように付き従っている姿は、非常に残念だ」と視察の感想を述べた。

 ストーン氏は「一番印象に残ったのは、米国の権力のすさまじさだ」と米軍基地の現状について批判的に述べた上で、基地問題などで地域の緊張が高まっていると指摘。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の県内移設に反対している名護市の稲嶺進市長らを「厳しい中を闘っている」とたたえた。

 ストーン氏は沖縄滞在中、2004年に米軍ヘリコプターが墜落した沖縄国際大(宜野湾市)などを訪れた。
2013年8月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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