2013年07月05日(金)
( 2005.06.01作成、友人知人にメール送信したものです。) 先週、2泊3日のあいだ三重県四日市市の四日市弁に、たっぷり漬かってきました。 卒業した港中学校のクラス会が湯ノ山温泉であったので四日市へ行きました。 四日市市も最近の市町村合併の動きの中で、隣町の「楠町」と合併したそうで、その記念モニュメントでもあるのか、この4月半ばに「四日市市楠歴史民俗資料館」をオープンさせていました。 車で案内してくれた、今も高校の先生をしているNTさんも、新聞で知ったばかりで行ったことはなく、東洋紡の楠工場の近くにあるという記事の記憶を頼りに訪ねました。 彼女の奮闘で車はまだ木の香がぷんぷん匂う純日本家屋の資料館に無事に到着しました。 4,5人の見学者が初老の男性にパネルの説明を受けていたので、私は勝手に壁にかかっているパネルで、楠町の中世の歴史から読み始めました。読みだしてすぐ、おおげさではなく飛び上がるほどびっくりしました。 「楠城の初代城主は信濃の国諏訪の豪族、諏訪十郎貞信で・・・」と書いてあったのです。 正平24年(1369)に貞信が城主になってそれから3代続き、応永19年(1412)に楠 正威の楠一族に替わったと書いてあります。(聞いてナイヨ)と思いました。 ほぼ六百年前とは言いながら、ここ伊勢の国、楠にわが家のルーツである信濃の諏訪出身の城主がいたなんて知りませんでした。 前の組の説明が終わり、こちらに向き直った説明員(ボランテイアでやっていますとのことだった)に、私は親が信濃・諏訪の出なので、城主の初代が諏訪出身と知って驚いていますと言うと、彼もエエツ、それで今はどこに住んでいるのですかと、ちょっとビックリされてました。 後で考えれば見学者は各地から来るだろうから、驚くことはないのですが、私が感激していたのに影響されたのかも知れません。 庄屋をやっていたこの地区の岡田家の家屋敷が市に寄付されて、この資料館が建設されたことはさておき、私は長年の疑問が、この諏訪十郎貞信の名前のせいでまた頭の中に湧いてきました。 それは四日市言葉の語尾には、「~で」、「~でね」という言葉が多用される事なのですが、これは信州の諏訪地方も全く同じ言い方をするのです。 「明日も忙しいでね、帰る時間がおそなると思うで、晩御飯はいらんわさ。」と言うような具合です。(四日市弁) これは今でも結構日常的に普通に使われている言い方です。(と今回の四日市で改めて思いました。) 確か、名古屋地方ではこの言い方はあまり聞きません。(と思います) さて、600年前に諏訪からきた殿サンとその家来連中が喋っていた言葉が、その後もこの地に残ると言うことがありえるのでしょうか? それとも私が知らないだけでこの「~で」、「~でね」と言う言い方は三重県各地では普通の言い方で、諏訪とは全く関係ないのでしょうか? もう一つ、「それは違うに」の「に」と同じくらい、語尾に「それは違うわさ」と「さ」が多用されるのも名古屋弁と違うところだと思うのです。 若い連中がテレビの東京弁に影響されて日本各地で言う「~さ」ではなく、年配の我が同級生が今も自然に語尾に、「さ」をつけて話します。これも関東方言圏の信州では普通の言い方です。 兵庫県の出石の「出石蕎麦」のルーツは、江戸中期に信州上田藩の仙石政明が出石藩に国替えになり、そのとき上田の旧国許から蕎麦職人を連れてきたのが始まりで、平成の今も信州ソバ系の「出石ソバ」で残っていますが、食べ物でもない信州・諏訪の「物言い」が四日市に600年後の今も残るでしょうか? 旧市内の真ん中にある四日市の諏訪神社をインターネットで調べると、「鎌倉時代の建仁2(1202)年、信濃の諏訪大社より勧請した神社で、うんぬん」とあり、この城主とは直接の時代の関わりはないようです。 世間様に何のお役にも立たない極私的疑問をいつか晴らすべく、あちこち渉猟するヒマネタがまた出来ました。 ☆今回追記 ある時期の父親の勤務地だった四日市は、阿智胡地亭には地縁も血縁もない土地ですが、阿智胡地亭はたまたま当地で生まれました。 しかし偶然とはいえ、四日市には信濃の諏訪大社から勧請された諏訪神社があり、この神社をセンターにして四日市は江戸時代から市が立ち、町が栄えました。 そんな四日市の隣の町にある楠城の初代城主が、諏訪からきた武士だったと知ると、四日市が縁もゆかりもない土地とはとても思えなくなりました。 もう一つ諏訪大社がらみのエピソードでは、東京の江戸川区に住む身内がたまたまここに住もうと決めた平井にも、由緒ある諏訪神社があることに後で気が付いたそうです。 一家は初詣やお宮参りは諏訪神社に詣でています。 まるで諏訪の神様に呼ばれたように、平井で家を借りる契約をしたことになりました。 諏訪から出てきた諏訪大社の氏子一家がたまたま住む事になった他国の地に、既に諏訪神社がその土地で尊崇されていたのは、全くの偶然が続いたとはいえ、ありがたいような不思議な気がします。 諏訪の神様は日本全国に勧請されて分布していて、阿智胡地亭が現在住んでいる神戸にも諏訪神社があり、諏訪山という地名があります。 |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 古文書館(アーカイブス) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8434/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 古文書館(アーカイブス) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8434/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
自民、TBSの取材を拒否 報道内容に抗議 2013/07/04 23:28 【共同通信】 自民党は4日夜、TBSの報道内容が公平さを欠いているとして、党幹部に対する取材や幹部の番組出演を当面、拒否すると発表した。 6月の通常国会閉会に関する報道内容に問題があったとしている。参院選の選挙期間中に報道機関の取材を拒否するのは異例だ。 党総裁・幹事長室名の発表文によると、TBSの報道番組「NEWS23」は6月26日の放送で、国会会期末の与野党攻防の末に電気事業法改正案などが廃案となった経緯を報道した。 番組には「廃案の責任が全て与党側にあると視聴者に誤解させるような内容があった」と主張している。 ☆どうぞご勝手に拒否してください。 自民党にとっては、御用テレビ局にならないテレビ局があってはいけないのだろう。 憲法を変えて、自分たちが情報統制をしたい本性がこういうところにも出ているようだ。また戦前のような事前検閲制度が導入されるのかも。 |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビ・雑誌から / メディア / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8435/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 新聞・テレビ・雑誌から / メディア / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8435/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
(7月4日) 宇都宮東署の速度違反誤測定問題で、栃木、埼玉、茨城、千葉の4県の弁護士会は3日、誤測定のあったすべての日時・場所や再発防止策の実施内容などの情報開示を求める質問状を栃木県警と宇都宮地検にそれぞれ提出した。 同日、県庁記者クラブで会見した栃木県弁護士会の橋本賢二郎会長は「過去に例を見ない未曾有の冤罪事件。なぜ起きたのか、十分な説明がされていない」などと提出理由を述べた。 県警に対する質問は、被害回復の進捗状況や誤測定期間が約10カ月と長期間に及んだ理由など10項目、地検は起訴に至った経緯など12項目。今月末までの回答を求めている。 上級庁の警察庁と最高検に対しては、迅速で適切な回答を指導するよう文書で申し入れた。 埼玉県弁護士会の岩佐憲一弁護士は「捜査機関は虚偽の自白に気付かなかった過誤がある。真の救済は再審無罪だけではない」などと批判した。 |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビ・雑誌から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8436/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 新聞・テレビ・雑誌から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8436/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
(2013.7.5) 東京電力が福島第1原発事故による農林水産業や加工・流通業の風評被害の賠償対象地域を本県に拡大したことに伴い、岩手県は5日から13市町で、東電側による説明会と個別相談会を開く。 東電は損害賠償請求の時効について、東電が被害者側から請求書を受けた時点から、被害者側が東電の回答書を受けた時点までを時効期間と算入しないとしている。 被害者側が請求書を提出しなければ時効が進むため、県は関係者に説明会に出席し請求するよう呼び掛ける。 説明会の開催日と場所は次の通り。 ▽5日 久慈市役所▽9日 県北上合同庁舎▽10日 宮古市分庁舎▽11日 住田町役場農林会館▽12日 山田町中央公民館▽16日 岩泉町役場分庁舎▽19日 釜石市役所第4庁舎▽26日 遠野市役所▽29日 県奥州地区合同庁舎分庁舎▽31日 八幡平市西根地区市民センター▽8月2日 県花巻合同庁舎▽5日 盛岡市アイスアリーナ▽21日 県二戸合同庁舎 |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8437/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8437/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
プロ野球「統一球問題」、不祥事の本質は「環境変化への不適応」 日本野球機構(NPB)の統一球問題で、第三者委員会が設置され、6月28日に、第一回会合が開催された。9月末を目途に報告書を取りまとめるとのことだ。 組織の重大な不祥事が発生した際、内部調査だけではなく、第三者委員会が設置され調査が行われる場合が多い。その主たる目的が、利害関係のない第三者が調査を行うことで、調査の客観性を確保し、問題の真相を明らかにすることにあるのは言うまでもない。 しかし、第三者委員会の設置には、もう一つ重要な意義があることを忘れてはならない。それは、問題の本質を明らかにし、組織の在り方について抜本的な是正策を提案することだ。重大な不祥事が発生する背景には、必ずと言っていいほど、何らかの構造的な問題が存在する。 しかし、その構造に組み込まれている内部者は、もともと、その認識自体希薄である上、様々な利害が絡んでいるため、その構造的問題を原因として指摘することは極めて困難だ。 構造と無関係な第三者だからこそ、事実関係を徹底して明らかにし、構造的な問題を本質的な原因として指摘することが可能となる。そして、それこそが、不祥事を契機に組織の在り方を抜本的に変革することにもつながる。 続きはこちら |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8438/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8438/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
■[話題]ローラ「私にはパパしかいない…」知られざる辛苦の少女時代 18:52 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130702-00010001-jisin-ent 当時を知る年配女性はこう語る。「ご両親は共働きだったのでしょうか。ローラちゃんはまだ2歳ぐらいだった下の双子にご飯を食べさせてあげたりオムツも替えてあげたり、よく面倒を見ていました。派手な格好はしないし黒髪でね。挨拶もするし本当にいい子だなって思いましたよ」 彼女は地元のホームセンターでアルバイトし、家計を支えていた。そして高校生になるとモデル活動を始めたが、そこにも父への思いがあったようだ。前出のファッション関係者は「ローラは、モデルを始めるときに『お父さんを幸せにしてあげたいから!』と言っていたそうです。 当初は少ないギャラでしたが、ほとんどを父親に渡していました」と言う。そんな大好きな父親が国際手配された。彼女の心の傷はいかばかりだろうか。 やめ検弁護士の落合洋司さんのコメント ⇒犯罪を犯したとして指弾されている本人だけでなく、その家族、親類といった人々も、世間の冷たい目や声に苦しむもので、私自身、こういう仕事をしていると、そういった場面はかなり見てきているので、ローラさんは実にお気の毒だと感じています。この記事を読んで、その気持ちはさらに強くなりました。 家族とはいえ、独立した、それぞれの人格であり、家族だから、親類だからというだけで、嫌疑がかかっている人(そういう嫌疑ですらどこまで事件として成り立ち得るものなのかケースバイケースです)の周辺にいる人を白眼視し悪し様に言うのは、控えるべきでしょう。そのことを、上記の記事を読んで、改めて痛感しました。 引用元 |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 / 可視化・検察・警察 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8439/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 / 可視化・検察・警察 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8439/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
「姑息な姿、見るに堪えない」 復興予算流用に怒りのコメント続々 「血税」を財源とする復興予算が、被災地とは直接関係のない事業などに流用されていた実態を受け、政府に対する国民の不信感は急速に高まりつつある。6月28日に掲載した「復興予算流用また発覚 電力会社のコスト負担、電子書籍事業でも」の記事へは怒りのコメントが多く寄せられた。 [今年から『復興増税』を払っている、というより徴収されています。納得しがたい気持ちを、復興に使われるなら、とおさめました。これまでの流用にも憤りを覚えていましたが、まさか電力会社のコスト負担に使われているとは!たとえ何円の単位であっても、復興増税は出したくありません。(Sayuri Saitoさん)」 上記のようなコメントは多くの読者にとって共感できる内容だろう。「被災地のためになるのなら」と長年にわたる増税を受け入れた私たちにとって、政府のあまりにもずさんな予算の使い方はまるで「詐欺行為」のようだ。 続きはこちら |
2013年7月5日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8440/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8440/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年07月04日(木)
1978年5月入国。 2001年に書いて友人知人にメールマガジン発信したもの。 町がミシシッピー河口に位置するせいか、ニューオーリンズの市中はかなり湿度が高く、空港について冷房の効いた飛行機から機外に出ると、あっというまに眼鏡が白く曇り何もみえなくなりました。 湿度が高い上にホテルの冷房の具合も悪く、下着を洗濯して部屋に吊るしても殆ど乾かず、まいりました。 郊外に車で出ると木々のどの枝にも高温多湿のせいで地衣類が着き、長い毛をたらしていて何となく不気味でした。 昭和30年代の始め頃、この町に来たことがある亡父の土産の絵葉書を見て、気味が悪かったので覚えており、その実物を自分の目で見たとき、親子2代でニューオーリンズに来るなんてと不思議な気がしました。 「欲望という名の電車」という芝居の舞台となった町で、当時も路面電車が走っており、昔フランスの植民地だった頃のコロニアル形式の今はペンキも剥げかけた木造の家並みが、森の中にけだるく幽霊のように立っていました。繁栄時から時が経ち、時代に取り残された町がここにもありました。 あのじとっとした空気の中で北部のニューヨークと違って、何となく去勢されたような黒人が遠慮がちに町を歩いていました。 本屋でもプレイボーイなどの雑誌が置いてある一角にはロープが張ってあり黒人は入れないようにしてありました。白人女性のヌード写真は彼らには見せないということだったのでしょう。 先日テレビの深夜放送で、シドニーポワチエが主演した「夜の熱気の中で」という映画を20数年ぶりに懐かしく見ました。 南部の町に別件捜査に来たNYの黒人刑事が殺人事件に巻き込まれ、偏見の目の中で地元の署長にも反発されながら、事件を解決して去っていくという流れ者ヒーロー西部劇を当時の南部に置き換えた映画です。 つい終わりまで見てしまいながら、南部と北部での黒人系の人達の意識の差や白人系住民の彼らの扱いの差を、通り過ぎのよそ者ながら感じたことを、あのニューオリンズの出張の記憶と共に思い出しました。 頭では、差別はよくないと思っていても、夜NYで一人で飯を食いに行きホテルまで帰る道すがら、ビルの間で目だけが白く光って見える黒人にじっと見られた時の気味の悪さは、理屈ではなく体がすくみました。 アメリカという国は日本と違って大きな幅の人間を含んで成り立っているんだなと、その大変さをつくづく思います。 それと同時に、映画や小説に出てくる少数民族の扱いが変わって来ているように、少なくとも表向きは公平性を拡大していることにも凄い連中やなあとも思います。 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 古文書館(アーカイブス) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8422/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 古文書館(アーカイブス) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8422/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年7月3日 朝刊 【北京=新貝憲弘】中国政府は七月から法律で年老いた両親の扶養を義務づけた。 急速に進む高齢化や一人っ子政策などで独居老人が増えているためだが、「道徳の問題を法律で拘束するのは笑い話だ」などの批判もあり、法律の適用をめぐり議論を呼んでいる。 一日施行された改正「高齢者権益保障法」は、家族は高齢者の精神状態に関心を持たなければならないとし、高齢者に対して経済的な負担や生活上の世話などを義務付けた。 別居の場合は「常に」高齢者を見舞いに訪ねるよう求めている。 中国紙によると、施行を受けて江蘇省無錫市の裁判所は一日、疎遠になった娘夫婦に扶養を求めた七十七歳の女性の訴えを認め、経済的負担のほか二カ月に一度は母親を訪ねるよう判断を示した。 ただ専門家や弁護士からは、扶養義務の具体的な基準が定められていないことから「裁判官の裁量権が大きすぎる」との指摘や、「親子関係が不和の場合、子どもの見舞いが本当に親を慰めることになるのか」との批判も出ている。 ☆軍事費と国民監視の公安予算がうなぎ上りに増えている中国。 だから他国のような社会福祉にまわる金は乏しい。 人の個別の思いを法律の条文でしばれると考える中国の支配層。 共産党一党独裁が考えて、実行するのは、戦前の日本の挙国一致、大政翼賛会方式を真似て、金をかけずに民を操作するやり方かもしれない。 ちなみに、戦前の日本ではこんなスローガンのもとにくにたみは暮らしていました。 ・万世一系 億兆一心 (大正11年 内務省) ・胸に愛国 手にハンマー (昭和6年 講談社) ・権利は捨てても義務は捨てるな (昭和8年 用力社) ・守れ日の丸 汚すな歴史 九千万人 一列行進 出せ 三千年の底力 (以上 昭和10年 報知新聞社) ・銃執れ 鍬執れ ハンマー執れ (昭和12年 和歌山県) ・遂げよ聖戦 興せよ東亜 子よ孫よ 続けよ建てよ 新東亜 (以上 昭和14年 大阪朝日新聞社) ・聖戦へ 民一億の体当たり 聖戦だ 己殺して国生かせ (以上 昭和14年 読売新聞社) ・一億が みんな興亜へ散る覚悟 (昭和15年 京都府) ・血の犠牲 汗で応えて 頑張らう (昭和18年 大阪翼賛神戸支部) ・一億抜刀 米英打倒 (昭和18年 北海道新聞社) ・我が家から敵が討てるぞ経済戦(昭和18年 大日本婦人会) |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビ・雑誌から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8432/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 新聞・テレビ・雑誌から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8432/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年6月28日 【駒崎弘樹×加藤嘉一対談 「社会をどう変えるのか」】(前編) 日中関係、社会保障、高齢化、問題山積の日本社会 公益のために立ち上がる市民型ロビイストが必要だ 認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏(左)と国際コラムニストの加藤嘉一氏(右) Photo by Kazutoshi Sumitomo 病児保育問題、待機児童問題といった社会問題に果敢に取り組む認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏。 手つかずだった社会問題解決のために、IT起業家からコネ、カネ、経験も何も無い子育て分野で事業を興し、社会を変えるために日夜汗を流している。国際コラムニストの加藤嘉一氏も、同様にコネ、カネ、経験も何もない中国へ単身渡り、日米中関係をはじめとした国際政治の若手論客として日米中のメディアから注目を集めている。 米中という超大国の狭間で、どのような戦略のもと日本は生きていき、日本社会の発展に結びつけるのかをテーマとし、情報発信を続けている。 二人の根底にあるのは「社会をより良く、変えたい」という思い。その二人が、どうやったら日本はいまよりも、もっと良い社会になるのか、そのために何が必要なのかを語り合った。 続きはこちら。 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8430/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8430/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8423/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8423/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
神奈川参院選:アベノミクス効果 下町に届くか、商売人「10年後では遅い」/神奈川 2013年7月3日 安倍政権の成長戦略には10年後、20年後に目標設定した項目も多い。時の流れが速い今、実感がつかみにくい数字でもある。町に根付いた“商売人”たちにとって、不況にもまれた「10年」があり、先行きの見通せない「10年」がある。 横浜屈指の飲食街、野毛にある中華料理店「三陽ラーメン」。明るいうちから常連客が一人、また一人と吸い寄せられる。自営業、定年退社したばかりの男性、議員秘書を辞め、再就職先を探す人。名物店だけに、並ぶ顔ぶれは多彩だ。 1杯500円前後のサワー、1皿400円のギョーザ。誰もが財布のひもが固い。そんな中、最近は「アベノミクス」が格好の酒のつまみになっている。この夜、ひとしきり盛り上がったのは、「1人当たりの国民総所得(GNI)を10年後に150万円以上増やす」という目標だった。 「国民総所得って何なの?」から始まった議論は紆余(うよ)曲折を経て、「本当に150万円上がるのかは別にして、10年後では遅すぎる」という自営業の男性の訴えに、皆が激しくうなずく。 中長期的な目標が大事なことも分かるが、成果をすぐに実感したい。その思いは切実だ。 この10年余り、ITバブル崩壊(2001年)、リーマン・ショック(08年)と“事件”が起きるたび、大きな痛手を被ったのは規模の小さな企業。歴史的な円高もあって大手が生産拠点を海外に移し、倒産する中小が相次いだ。 「アベノミクスは重苦しかった町工場の雰囲気を一気に明るくし、長らく低迷していた日本経済に道筋を示した。それだけでも素晴らしい成果だ」。木型モデル加工ミナロ(横浜市金沢区)の緑川賢司社長(46)はそう強調する。が、実体経済が好転していると考える経営者は少ない。 横浜商工会議所が5月に実施した会員向けアンケートでは、「実体経済は依然として厳しい状況で、(14年4月の)消費税引き上げは先延ばしにするべき」との回答が6割を占めた。 活路を海外に求める中小も多い。有機物を分解する微生物薬剤を用いた排水処理を得意とする日之出産業(横浜市都筑区)。藤田香取締役は「国内だけで商売しているのでは、10年後はやっていけなくなる」。6月に横浜で開かれた第5回アフリカ開発会議の公式イベント「アフリカン・フェア」に出展、新たな取引先を開拓することができた。 「縁あって40年以上も野毛で商売させてもらった」。常連客の議論に耳を傾けていた三陽ラーメンの店主、竹内辰男さん(71)には、海外どころか野毛から離れる考えさえない。 この10年の来し方が脳裏をよぎる。04年には東急東横線の横浜-桜木町間が廃線になり、桜木町駅近くの野毛は大打撃を受けた。リーマン・ショックでさらに客足は遠のき、多くの小規模店がのれんを下ろした。 アベノミクス効果は、情緒あふれる下町にまで届くのか。「10年後は、野毛にもっと若者たちが訪れるようになってほしい」。雇用が生まれ、若者たちが懸命に働き、そして安心して飲める。そんな社会を実現することこそが、政治の務めなのではないか。 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビ・雑誌から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8424/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 新聞・テレビ・雑誌から / こんなことあんなこと |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8424/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年 07月03日 12時10分 東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物の最終処分場問題は、政権交代後も決着への道筋が見えていない。 民主党政権(当時)が昨年9月、一方的に建設候補地に挙げて混乱を招いた栃木県矢板市の現場には衆院選前、多くの国会議員が訪れ「失策」批判を繰り広げたが、4日公示される参院選を前にした今は「全く来なくなった」(地元住民)。解決困難な現場から政治家の足が遠のいている。 6月29日夜、矢板市の小学校体育館で開かれた市民グループ主催の反対集会。 自民党栃木県連会長の茂木敏充経済産業相がスクリーンに大写しされた。「政権交代して、なんとしても我々の手で解決策を見いだしていきたい」。昨年11月に現地を視察した時の記録映像だ 。集まった住民約120人は、問題の収束を約束した「証拠」を複雑な表情で見つめた。「『解決策』とまで言っていたのに……」。集会を企画した「矢板市民同盟会」幹部で市商工会副会長の東泉清寿さん(60)は、もどかしさに歯がみする。 同盟会は衆院選と前後して、市内で約8000人を動員して野外集会を開いたり、国会前でデモ行進したりするなど大がかりなイベントを仕掛けた。衆院選前の2カ月間では10人以上の国会議員が視察に訪れ、矢板市の状況に理解を示した。 そして今年2月に新政権が出した答えは「候補地選定作業のやり直し」。しかし、「発生県で処分」という基本方針は変わらなかった。 政権交代前は矢板市に同情的な意見が多かったが、今は風向きも変わり始めている。 栃木県の福田富一(とみかず)知事は、首長間の合意なしでも県内処理を受け入れる可能性に言及するようになり、県市長会の佐藤栄一会長(宇都宮市長)も知事の考えに賛同する。 「だんだんと反対運動の幅が狭められている感じがする」。同盟会の小野崎俊行会長(64)は戸惑う。だが、矢板市の遠藤忠市長は再び候補地になる不安から「基本方針を変えない限り、この問題を解決する道はない」と妥協を拒む。 同盟会への国会議員の視察は昨年12月の衆院選を最後に途絶え、同盟会メンバーの一人は「解決が困難とみるや、手のひらを返した行動に見える」。 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8426/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8426/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
柏崎原発監視「地域の会」 2013/07/03 22:30 東京電力柏崎刈羽原発を監視する住民組織「透明性を確保する地域の会」の定例会が3日、刈羽村の生涯学習センターラピカで開かれた。 同原発6、7号機の再稼働に向けた安全審査を8日の新基準施行後、原子力規制委員会に速やかに申請することを決めた東電に対し、委員からは「安全対策が基準に合っているか知りたい」「東電福島第1事故の対応が先のはずだ」などと賛否両論が出された。 会では東電が、2日に決めた安全審査への申請方針を説明。これに対し原発反対派の委員は「福島事故の後始末もできないのに、なぜ申請するのか。まず福島を事故前の状態にするのが義務だ」と指摘した。 一方、「申請した方がいい」とする委員は「規制委が技術的に当てはまるかどうか調べるだけでも有意義。出さなければ議論が進まない」と主張した。ほかの委員からは「あれだけの対策を取っているのだからいつか動かすと思っている」との意見も出た。 柏崎刈羽原発所長は「事故を起こした当事者として、これまで進めてきた安全対策が本当に十分かを確認していただきたい。理解をお願いしたい」と述べた。 過酷事故の際に原子炉格納容器の圧力を下げるため、放射性物質を減らした上で蒸気を外部に放出するフィルター付きベントについても発言が集中。「格納容器が破損する事態になるよりはあった方がいい」「建設時は放射性物質を敷地境界から外に出さない約束だったはず」などの意見が出た。 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8425/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8425/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
村上春樹 未公開インタビュー 「今回ばかりは、日本人は心の底から憤っていい」――。作家、村上春樹氏(64)が2011年11月、オーストリア人ジャーナリストに強い口調で原発事故を語った日本未公開インタビューの存在が明らかになった。 未曾有の原子力事故に対して誰も責任を取ろうとしない現状を指摘し、「日本の非核三原則も偽善だ」と非難する激しい内容だ。(ジャーナリスト・桐島瞬、翻訳・岩澤里美) 村上氏が初めて福島原発事故に対する意見を述べたのは2011年6月、スペインのカタルーニャ国際賞の授賞式だった。 「私たち日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求するべきだったのです」 内容の大半を東日本大震災と原発事故に費やし、国の原子力政策を正面から批判したバルセロナでのスピーチは話題となった。 続きはこちら |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8427/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8427/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013/6/20 19:35 非常時の蓄えとして、重宝がられる金。市場での流動性が高く、分散投資の効果が見込める。金融システムの「最後の砦」などともいわれる。そんな金への投資に、日本は消極的とされる。 株式市場が上向いてきたとはいえ、世界経済はまだまだ不安定。足もとの国際的な指標となる米ニューヨークの金相場は、ピーク時の1トロイオンス1600ドル超から300ドルほど下落。「投資しやすい環境」にあると思えるのだが、なぜ買わないのか。 続きはこちら ☆アメリカから頼まれて長期間毎年買い続けてきたアメリカ国債。 日本の意思なり、日本の都合で好きに売るなどという事は到底出来ないから、ある意味の上納金と言ってもいい。原資は全て日本列島に住む住人の税金だ。その額を知ると自分たちが従属国のくにたみであることを知る。 2013年2月の日本の米国債(短期債含む)保有残高は1兆971億ドル 1ドル100円で換算すると109兆7100億円。 これだけの日本の「くにたみ」の税金がアメリカの「くにたみ」の生活に貢献している。いや「くにたみ」というよりはアメリカの軍産複合体の存在に寄与しているという方が正確な言い方かも。 数値の引用元。(2013年2月の米国債の国別保有残高) |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 / こんなことあんなこと / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8428/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 / こんなことあんなこと / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8428/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年05月23日 13:13 5月22日の国会版社会保障制度改革国民会議では、最低賃金、基礎年金、生活保護の横の連携を取り上げた。 アドバイザーの日本総研上席主任研究員の西沢和彦さんが席上で指摘したように、自民党はこの三つを横串でみたことがない。 三つを比べれば、まず、自分で働いて稼ぐ最低賃金が一番高額で、次に自分が保険料を負担してきた基礎年金、そして最後が税金で負担する生活保護ということになるはずだ。 しかし、現実はそうなっていない。 まず、基礎年金は満額で月額65,541円。 しかし、平均支給額は、約5万5千円。 それに対して、厚労省によれば、単身高齢者の生活に必要な最低額は家賃と医療費を除いて80,140円。 単身高齢者の生活保護の生活扶助費は都内で80,820円。 20歳から40歳の単身者の生活扶助費は都内で84,990円。 それに住宅扶助が53,700円を上限として、家賃の実費が給付される。 さらにそれに加えて医療費(本人負担はない)が平均35,000円支払われている。(この医療費は生活保護の対象者を単純に平均した金額なのでかなり多めに出ている。) それに対して最低賃金は、厚労省の説明によれば、749円x173.8時間x0.849=110,520円。(0.849は社会保険料負担の調整) 厚労省の説明は、基礎年金はそれだけで老後の生活を全て支えるものではなく、老後に備えた個人の貯蓄や私的年金等の自助努力も必要だとする。 しかし、給与が高い正規雇用のサラリーマンには厚生年金が存在するのに対し、給与が低い非正規雇用には国民年金しかない。 最低賃金と基礎年金と生活保護を総合的にみて、調整する必要があるが、政府の国民会議ではどうもやっていないようだ。 国会版の国民会議で、横串の議論をきちんと提示したい。 引用元は「ごまめの歯ぎしり」 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8431/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8431/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年06月23日 デイリーノーボーダー 「一刻の猶予もならない問題だから、一日も早く多くの人に伝えたい!」と内部被ばくを考える市民研究会の川根眞也代表が訴えます! 福島第一原発の事故から2年以上がたつが、実は今も、原発からは大量の放射能が出続けていることをご存知だろうか。しかも川根さんの計測によると、今年はじめ、放射性セシウムの降下量が東京でも急激に増えていた…!一体何が起こっているのか? 動画と本文はこちら。 |
2013年7月4日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8429/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8429/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2013年07月03日(水)
2005.0 4.22 書下ろし、メルマガ発信。 4月17日に生涯一国語教師の“大村はま”さんが98歳で亡くなり、20日に作家の“丹羽文雄”さんが100歳で亡くなりました。 お二人ともに明治40年前後に生まれ、明治、大正、昭和、平成の四つの年号の時代を生きてこられたことになります。 私は当然ながら、お二人にお会いした事はないのですが、ささやかなご縁のせいで、小学生の頃から、お名前に親しみがあり、新聞やテレビなどで記事が出ると、かならず目を通してきました。 死んだ両親が生きていた頃と自分が生きている時代に共通した人が、もう100歳近くになって、こうして亡くなられていくのだという思いになりました。 (1)小説家の 丹羽文雄さんは、昭和30年前後の小、中学生の自分からすると、今の「渡辺淳一」さんのようなイメージで、子供が大人の前でこの人の名前を口にしてはいけないような雰囲気だった記憶があります。 当時、三重県四日市市に住んでいて、中日新聞の北勢版で「郷土出身文学者特集」かなんかの記事に、「丹羽文雄」が四日市出身だと書いてあり、あの有名な小説家が四日市出身なんだと子供心に親しみを持ちました。 そして中学生の自分が入学を目指して受験勉強していた四日市高校が旧制富田中学時代の彼の母校である事もその記事で知りました。 丹羽文雄は戦前と、戦後長くの華々しい作家活動と80数才以降のアルツハイマー病の対比がよく取り上げられます。 彼と奥さんの闘病のさまも、長女の本田桂子さんの両親の看病闘病記などで公になりましたが、本田桂子さんが3,4年前に心筋梗塞で68歳で突然なくなられた時は、看病疲れが原因ではないかと思いました。 彼女はアルコール中毒にもなりそれを克服したこともカミングアウトされています。両親の老齢化に伴い過酷な状況を必死で支えておられたようです。 原稿用紙に丹羽文雄、丹羽文雄、丹羽文雄、丹羽文雄、・・と名前だけしか書けなくなったという挿話をテレビの特別番組で知った時は、人間の脳の活動が病んだとき「その人」と言うのはどうなるんだろうと思いました。 本人は預かり知らない世界に入りながらも、その状態で生存していくと言うのは、哺乳類の中では“ホモサピエンス”という一種類が初めて体験する世界です。 そして自分もその世界に入りだしているかも知れない。 私にとっては丹羽文雄さんはただの昔の小説家ではなく、3ヶ月在籍した四日市高校の大先輩であり、一人の長生きをする人間としても気になる存在の人でした。 分野が違うので比較にはなりませんが、夏目漱石は49歳で生を終え、丹羽文雄は自分が丹羽文雄と知らずに100歳で亡くなりました。 (2) 大村はまさんは、横浜出身の国語教師で生涯子供に接した人生を送りました。 大村さんが1928年に東京女子大を出て、国語教師として赴任したのは上諏訪にあった旧制諏訪高女(現二葉高校)でした。 戦後学制が新制になった後は、東京の多くの新制公立中学で国語教師を勤められました。1980年に現役教師を引かれるまで直接教えた生徒数は5000人ほどだそうです。 戦後、大村はま先生の「教え方」が新聞で取り上げられることが多くなった頃、母がその記事を読みながら、私の女学校のクラスはこの先生が教師として持った、初めてのクラスだったのと嬉しそうに話しました。 そのときが(大村はま)という人の存在を知った始めでした。 つい最近NHKで大村はまさんの一生をドキュメンタリー化した番組を見たばかりでした。 勁くてやさしい眼をした人だと思いました。本当の僧はこんな顔なんだろうと思いました。 教室で教えることと自分の人生が一体化した人生の人でした。戦後の彼女の授業の特徴は自分で考えさせ、考える力をつけることのようでした。自分が中学生時代にも公立中学にはそんな教師が沢山いました。 母が「私の先生」とご自慢だった母と、10歳違いの大村先生が生きておられる間は、亡くなった母もまだ先生の生徒で生きているような気がしていましたが、訃報を聞いてなんとなくガッカリしました。 先生が書かれて、母が買っていた本を本棚で探して再読しようと思います。 ☆☆大村はま先生 の言葉の中から。 【優劣のかなたに】 しかし,劣等だとか,優等だとかいう世界の向こうの世界へ子どもを連れていくことはしなければならない。 教室で座りながら,できない,つらいなどと思わせる,片っぽうは反対に得意になっているとか。 これも人間を育てる世界らしからぬ世界で,そういうところに子どもを置いてはだめです。 ……ただ教室のなかで優劣の向こうへ生徒をもっていくことだけは,これはしなくてはいけないことでしょう。 教室のなかで,それぞれ学習に打ち込んでいて,それぞれ成長していて,だれができ,どの子ができないなどと思っているすきまがないようにしなければならないと思います。 ……できるとかできないとかということを忘れて,全力をふるって,うちこんでやっていく。 一生懸命やっていく,その向こうで,その気持ちのなかで,できる子ども,できない子があっても,そんなことに関係のない世界をつくっていくことができないか。 ……おもしろい授業を力いっぱいさせて,生徒に自分が劣っていることを忘れて打ち込ませるところまではもっていかなくてはと思っています。 みんな一生懸命になっているとき,そんなことが気にならなくなってしまうのですね。 そういうところを目ざして,いろんな工夫をしてきました。 大村はま著「大村はま国語教室11 国語教室の実際」(筑摩書房) ☆☆「大村はま先生について」 by鳴門教育大学付属図書館 こちら |
2013年7月3日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 古文書館(アーカイブス) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8411/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 古文書館(アーカイブス) |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8411/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
“フクシマ”の真実を伝える場に――福島に原発情報センター開館 2013 年 7 月 2 日 地元の高校生なども参加したセンター開館のテープカット。(撮影/豊田直巳) 福島県白河市のアウシュヴィッツ平和博物館に五月一九日、市民の手による「原発災害情報センター」がオープンした。同館はアウシュヴィッツに収容された犠牲者の遺品や記録写真を常設展示しているが、東日本大震災以後は、原発関連の討論会や写真展も開催。 その過程で「原発事故を後世に語り継ぐ」「ヒロシマ、ナガサキそしてフクシマの真実を伝える情報を提供」するため、同センター設立への協力を全国に呼びかけてきた。 目標額一億円のうち、まだ四〇〇〇万円しか集まっていないというが、壁塗りなどの建築作業の一部を市民ボランティアが担い、この日のオープンにこぎつけた。 オープンに合わせて同センターでは、立命館大学国際平和ミュージアムの提供を受け、「放射能と人類の未来」展が始まった。ホールに入ると、日本ビジュアルジャーナリスト協会などの協力により、世界の子どもたちの笑顔の写真パネルが来場者を迎える。 記念式典では同博物館理事長の塚田一敏さんが、センター敷地の一部の放射能汚染を自ら除染したことを語った。また、足尾銅山鉱毒事件で知られる田中正造が鉱毒と闘ったことを紹介しつつ「真理を追求し、真実の光で、ものごとを正確に判断してほしい」と原発震災情報の収集と公開を目指すセンターの意義を訴えた。 来賓の佐藤栄佐久・前福島県知事は「アウシュヴィッツに学んだドイツは原発を止めたのに、なぜ、日本は事故後もトルコに原発を売り込むのか、ドイツから見ると理解できなかった」と指摘。 脱原発を決めたドイツに学ぶべきとして、「(アウシュヴィッツを作ったヒトラーの情報統制の反省から)ドイツでは一つの情報に偏らないように、たとえば放送法は各州によって異なる」と、日本の中央集権的な情報管理の問題点を挙げ、市民の立場から情報を発信しようとするこのセンターの門出を祝った。 (豊田直巳・フォトジャーナリスト、6月7日号)引用元。 |
2013年7月3日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8418/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 今日の気になるネット情報 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8418/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
凛の会事件 Wikipediaから部分引用 「障害者郵便制度悪用事件」も参照 村木厚子は社会・援護局障害保健福祉部企画課長時代に、自称障害者団体「凛(りん)の会」に偽の障害者団体証明書を発行し、不正に郵便料金を安くダイレクトメールを発送させたとして、2009年6月、大阪地方検察庁特別捜査部長の大坪弘道や同特捜部副部長の佐賀元明の捜査方針のもと、虚偽公文書作成・同行使の容疑で、同特捜部主任検事の前田恒彦により逮捕された。 逮捕時に舛添要一厚生労働大臣は「大変有能な局長で省内の期待を集めていた。同じように働く女性にとっても希望の星だった」と、容疑者となった村木に、賛辞ともとれる異例のコメントを発表した。[4] しかし同年7月、大阪地検は虚偽有印公文書作成・同行使罪で、村木を大阪地方裁判所に起訴した。 弘中惇一郎弁護士及び夫が同席した保釈後の記者会見では、容疑事実を強く否定し、改めて無罪を主張した[5]。 2010年9月10日、大阪地裁は無罪の判決を言い渡した。長妻昭・厚生労働大臣(当時)は「それなりのポストにお戻り頂く」と、無罪確定の場合は局長級で復職させる旨を言及した。 その後、2010年9月21日に大阪地検が上訴権を放棄したため、下級審での無罪判決が確定判決となった[6]。 その同じ日に朝日新聞は、本事件を担当した大阪地検特捜部主任検事・前田恒彦が証拠改ざんを行っていたことを朝刊でスクープし、同日夜、前田は証拠隠滅の容疑で逮捕された。 その後、同年10月1日には、前田の上司であった大阪地検特捜部長・大坪弘道、同特捜部副部長・佐賀元明(いずれも当時の役職)が、彼らの部下である主任検事の前田が故意に証拠の改ざんを行ったことを知りながら、これを隠したとして犯人蔵匿の容疑で逮捕された。 この事件において、村木の逮捕に深く関わった検事3人の職務遂行が犯罪の疑いをかけられ、逆に容疑者として逮捕されるという極めて異例の事態となった。詳細は大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を参照のこと。 7月1日付神戸新聞。 ☆私は土佐の「はちきん」の一人やけんねエ、机叩いて大声上げられて脅されても、やってないことはやったとはよう言わんのよ。 土佐女をなめたらあかんぜよ!、とは言わなかったとは思うが、彼女は6か月にも及ぶ拘禁と取調室で対峙した検事との孤独な戦いを耐え抜いた。もし辛さに堪えかねて、検事の言いなりの調書にサインしていたら・・・。 殆どの冤罪は検事が作った巧妙な自白調書に署名することから始まるが、心理学者によると、一般人が現在の事実上無期限に近い拘留期間の孤独状況の中で、取調べに耐えるのは、まず不可能だと。 この心身の拘束状態から出してもらえるなら、サインでもなんでも、やってなくてもやりましたという所まで追い詰められるという。 しかし、村木さんは検事の誘導尋問に抵抗し、拘束状況を耐えに耐えた。 このたおやかなおなごはんの中にある個の剛毅さと自立心、そして強烈な自尊心。 勉強だけで青春時代を送り、司法試験に合格して検事に任官した、世間知らず、人間知らず、の高いIQの持ち主の検事たちには、村木さんの持つ人間性を読み解く力はなかった。 |
2013年7月3日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8412/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 新聞・テレビ・雑誌から |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8412/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
街の“回復”と進まない除染
2013年07月02日(Tue) 一部引用・・ 原発事故から避難生活を送っていたみなさんを2011年夏から2012年初頭にかけて訪ねて歩き、本欄で報告を書いたことをご記憶いただいていると思う。6月下旬、その人々を再訪して歩いた。 福島第一原子力発電所事故直後、私が取材に来たのが原発から北の太平洋岸の街、福島県南相馬市だった。「原発から20キロ」「30キロ」という官僚が地図の上に引いたラインで市域が分断され、食料やガソリン供給など生活基盤が麻痺していたのを聞いたからだ。 復旧したあとも、深刻な放射能汚染が残った。南相馬市の現地取材が一段落したあと、市外の山形県や群馬県に避難して暮らす人たちを訪ねた。意志に反して見知らぬ土地に住まわせられるストレス。 原発事故被害者への偏見。先の見えない不安。焦燥感。金銭的な限界。子供の心配。そんな彼らの抱える苦しみを、本欄で報告してきた。拙著『原発難民』(PHP新書)にもまとめた。 その避難者たちを再訪しようと思い立った。原発事故から27カ月である。あの人たちはいま一体、どうしているのだろう。 ノートの片隅にメモした携帯電話の番号やメルアドを手がかりに連絡を取ってみると、6人のうち2人が南相馬市に帰り、2人が依然山形県で生活していた。残る2人は「元の避難先よりは近いが、南相馬市からは離れた」場所で生活を再開していた。 ほぼ2年ぶりだった。会ってみると、誰もがすっきりしない顔をしていた。「地元」である南相馬市や近辺に帰ることができて、さぞやほっとしておられるのではないか。しかし、期待は外れた。 下がったとはいえ、線量は事故前には戻らない。除染も予想したほどは進んでいなかった。 「避難を続けるお金がない」「子供や妻が持たない」「もうどうしようもない」「先が見えない」「現実的に考えると他に選択肢がない」。 そんな「あきらめ」「力尽きた」という感じの言葉を何度も聞いた。 どんな事情があるのだろう。「原発難民」をもう一度訪ねて回った。 子どもの4割が戻ってきていない 続きはこちら
2013年7月3日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 | トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/8415/ ※ブログ管理者が承認するまで表示されません
|
0 件のコメント:
コメントを投稿