2016年7月22日金曜日

福島原発事故が起きた翌々年、2013年08月06日から08月10日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事

2013年08月10日(土)
欧州の巨大製薬会社ノバルティスファーマ社 大学への寄付金で不正成果を隠す試み
5大学に11億円超を寄付 降圧剤の臨床研究問題

2013年8月9日 東京新聞 21時08分

 製薬会社ノバルティスファーマの降圧剤ディオバン(一般名・バルサルタン)を使った臨床研究のデータ操作問題で、厚生労働省は9日、実態調査と再発防止に向けた検討委員会の初会合を開催、臨床研究をした5大学の研究室にノ社が提供した奨学寄付金は、総額11億3290万円であることがノ社の資料で分かった。

 各研究室は寄付金を臨床研究に掛かる費用に充てていたとみられる。ノ社の元社員がデータ解析になどに関わっていたことも判明しており、医師が主導する臨床研究でありながら、製薬会社が費用や人員を丸抱えしていた可能性が高まった。
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生出演 泉田新潟県知事 「原発再稼働」へと進む中 (TVステーション)

生出演 泉田新潟県知事 「原発再稼働」へと進む中 投稿者 tvpickup
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「帰還困難」2万5282人 避難区域の再編完了受け政府集計  河北新報
2013年08月09日金曜日

 福島県川俣町の避難区域の再編が8日終わったことを受け、政府は福島第1原発事故で三つの区域に再編された県内11市町村の区域ごとの避難状況をまとめた。

 再編後の人口は表の通り。避難区域内の人口は8万3920人で、5年以上帰還が難しい帰還困難区域の人口は2万5282人。事故から2年5カ月たっても帰郷の見通しすら立たない人が全体の30%を占めた。

 福島第1原発が立地する大熊町は帰還困難区域内の人口が1万560人と最多で、次いで双葉町6270人、富岡町4650人と原発立地町が続いた。

 数年後の帰還を目指す居住制限区域は2万4620人(全体の29%)。早期の帰還を目指す避難指示解除準備区域は3万4000人(同41%)だった。

 福島県災害対策本部のまとめでは、原発事故に伴う避難者は1日現在、14万8617人。県内避難者は9万5204人、県外避難者は5万3277人、不明は136人となっている。この数字には区域再編の対象でない地域に住む県民の自主避難も含まれている。
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「放射線におびえる日々は平和と言えない」 福島原発事故伝える  東京新聞
2013年8月9日 夕刊

爆心地公園で犠牲者の冥福を祈る、福島県から選ばれた高校生平和大使の吉田有沙さん(中央)=9日午前、長崎市の平和公園で

「被災地の復興と平和への願いを世界に発信したい」。長崎市の市民団体が選ぶ「高校生平和大使」に、昨年に続いて東京電力福島第一原発事故で避難した高校生が選ばれた。復興が進まない悔しさを胸に、原爆の惨禍を乗り越えた長崎を訪れ、九日の平和祈念式典に出席した。

「放射線におびえる日々は平和と言えない」と訴える福島県立小高工高三年の吉田有沙(ありさ)さん(17)は、原発事故で同県浪江町の自宅が警戒区域になった。「事故直後は情報がなかった。とにかく『逃げてください』とだけ言われた」。避難した集落は町内で最も線量が高かったと後に知った。県内を転々とし、今年一月から南相馬市の借り上げ住宅で家族と暮らす。

 七月、二年四カ月ぶりに訪れた故郷の町は雑草が生い茂り、がれきが放置されていた。「町はあの日のままだった。帰りたいけど、帰れる状態じゃない」。荒れ果てた家を間近で見て、悲しみが込み上げてきた。

 保育士を目指す吉田さん。「放射線はいつ影響が出るか分からない。将来福島に子どもが戻ってくるだろうか」と不安も抱くが「過去にしてはいけない。忘れられつつある被災地の今を伝えたい」と前を向く。

 「高校生平和大使」には今年、「ユース(青年)非核特使」という新たな肩書が加わった。高校生平和大使は毎年、長崎市の市民団体が選出。今年は十二都道県の計二十人だが、被爆地の実態を世界に伝える若い世代の語り部として、政府が初選出した特使にも任命された。

 吉田さんら平和大使二十人は、二十日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問して核廃絶を求める署名を届け、平和への思いをスピーチする。
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核不使用声明 日本賛同せず 「なぜだ」鬼気迫る市長 東京新聞
2013年8月9日 夕刊

「長崎平和宣言」を読み上げる田上富久長崎市長=9日午前11時7分、長崎市の平和公園で(内山田正夫撮影)

 首相の目の前で、痛烈な政府批判を展開した。九日の長崎市の平和祈念式典で田上市長は、「核兵器の非人道性に関する共同声明」への不賛同やインドとの原子力協定を挙げ、国への疑念を表明。心中にはスイスで感じた政府へのいら立ちがあった。

■納得できない

「なぜ賛同できないのか。その理由をお聞かせいただきたい」

 四月二十四日、スイス・ジュネーブ。国連欧州本部の応接スペースで田上市長は天野万利(まり)・軍縮会議政府代表部大使に詰め寄った。この日、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会は共同声明を七十カ国超の賛同で採択したが、日本は賛同せず。田上市長と松井一実(かずみ)・広島市長を前に、大使はこう釈明した。

「『いかなる状況下でも核兵器を使用してはならない』という部分が、日本の安全保障政策と合致しない。全ての賛同国に理解を得るには時間切れだった」

「それは違う。いかなる状況でも核兵器を使用しないことが人類の利益であることは、被爆地としては当然だ。説明は納得できない」。即座に切り返した田上市長は、その後も三十分以上、政府の姿勢を問いただす。同席した市幹部は、普段は冷静でにこやかな市長の鬼気迫る表情に驚いた。

 田上市長はこの二日前、大使に声明への賛同の可能性を尋ねていた。昨年も同様の声明が提案されたが、日本政府には直前まで声がかからず「検討する時間がなかった」として賛同を見送ったためだ。今年は事前に説明を受けている。大使はこの時「まだ最終結論に至っていない」と述べたが、市長は「今回こそは」と期待していた。それだけに不賛同を知り「がっかりした。と同時に、問いたださなくてはと思った」と振り返る。

■一致した思い

 政府に真意を聞くため上京したが、徒労に終わった。長崎平和宣言の起草委員を長年務め、長崎の平和運動の理論的支柱でもある土山(つちやま)秀夫・元長崎大学長(88)は「外務省に『考え方の違いだ』と言われ、冷たくあしらわれたと感じたのだろう」と語る。

七月、土山氏は市長にこう進言した。「せっかく首相が長崎に来る。良い機会ですよ。被爆地の思いを聞き取ってもらいましょう」

平和宣言で「原点に返れ」と繰り返した田上市長。「被爆地は政府とともに行動したい。核兵器のない世界の模索こそ、被爆国が取るべきリーダーシップ。主体性を持ってほしい」との思いを込めた。土山氏は「これほど強いトーンで政府に注文を付けた宣言は初めて。被爆者と市長の思いが一致した結果だ」と強調した。
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オスプレイ追加配備:米軍「来週中に再開」   沖縄タイムス
2013年8月10日 01時16分

 米海兵隊が、米軍岩国基地(山口県岩国市)に一時駐機している新型輸送機MV22オスプレイ10機の普天間飛行場配備を来週中に再開する方針を日本政府に伝えたことが9日、分かった。沖縄での米軍ヘリコプター墜落事故を受けて移動を一時見合わせていた。政府関係者が明らかにした。

 米軍側の意向としては、12日にも再開する見通し。ただ移動が始まれば沖縄の反発は必至。日米両政府はオスプレイの運用に関しては慎重に対応する考えで、再開時期が先送りになる可能性もある。
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阿智胡地亭便りから 「鹿児島県議選違反・組織品質の劣化?裸の王様?」

2007年2月24日掲載。

このあいだ映画「それでもボクはやってない」を見たばかりなので、鹿児島県の県会議員選挙違反裁判の結果を読んで、やっぱりそう言うことはありえるだろうなと情けない気分になった。

報道は以下のとおり:

鹿児島県議選違反 12被告全員「無罪」、ずさん捜査“完敗”
2月24日8時0分配信 産経新聞

 「平成15年鹿児島県議選で公選法違反(買収)の罪に問われた元県議、中山信一被告(61)や妻のシゲ子被告(58)ら全12被告に鹿児島地裁は23日、無罪判決(求刑懲役1年10月~6月)を言い渡した。谷敏行裁判長は「客観的証拠は全くなく、買収資金の原資も解明されていない」と指摘、「被告らの自白は不自然、不合理で、犯罪の証明はない」として検察側の主張をすべて退けた。県警は違法な取り調べを民事提訴され、敗訴しており、今回の無罪とあわせて“全面敗北”する異例の事態となった。・・ 」

この一連の事の成り行きを知ると、悲憤慷慨するというよりは、「なんでそんなことが通用すると検察官は思うのだろうか」と言う単純な疑問がまず浮かぶ。

サラリーマンをした経験からすると、担当が仕事を進めるにはあるタイミングで必ず直属上司に報告し、説明し、了解をとった上で次のステップに行く。

ある意味、警察や検察は役所の中でも上意下達の厳しさではその最たるものだと思っているが、どこかの局面で「これは立件は無理かも」とか言う上司や横の同僚や仲間のチエック機能が働かなかったのだろうかとそれが不思議でしかたがない。
ひょっとしたら任官すると新人であろうがなんであろうが、その人が担当する事件は誰も意見をさしはさまないのだろうか、それとも上から今回は「ヤル」と方針がでたので従うしかなかったのか?

買収劇のシナリオをでっち上げた警察の人、それを被疑者とし、拘留した13人の村人を尋問し、そのうち7人に無理やりウンと言わせて認めさせ調書に署名させた検察の人。プロである彼らが途中から、村人たちが実は無罪だとわかってないはずはない・・と思う。

こんなアホらしいやり方やってられないと、口が裂けても周囲に言えない「ムラ社会の日本人集団」の典型が警察と検察?

いったん国家の傘下にある組織マシーンが動き出したら、白を黒にしようがもう止まらない・・ことの一例なのだろうか?

おそらく今回のケースは「2-6-2」のパレートの理論で言う下の2割にあたる品質の検察連中が起したことだろうが、最後まで でっち上げを主張するしかなく、方針を変更出来ないという仕組みが、もう現代について行っていないような気がする。

今回のケースも「官の無謬性」をただ形式的に守っているのがミエミエだけに、 被疑者だった中山さんとご家族のご苦労がどんなに大変だったかとお気の毒で仕方が無い。結果として「それでも私達はやってない」ということが証明されたのは、個としての中山一族とその知人達の強さと人間としての誇りがあったからだろう。

そしてある意味では日本の法曹界の健全さは維持されていることの証明でもあるのはホッとする。
(映画を見た人は知っているが、裁判長が変わるとコロッと判決が変わることもありえるので最後まで心配だっただろうと思う)

民間会社ではケースにもよるが、入社して5年ほどは先輩や上司にアホバカチョンと言われて鍛えられ、世間の要求レベルや仕事を覚えていく。

学校を出て22,23歳ですぐ学級担任になリ子供を教える教師の方々や、ひたすら勉強して司法試験を通り任官すればすぐ人を裁く位置につく法曹の方々は、ご自分が生きている時代や社会の風を肌で感じて欲しい。そして若いときから「1国1城の主」や「裸の王様」にならないようにして欲しい。

それにしても、今回の「谷敏行裁判長」の退官までの今後の階梯がどうなるのかを見て行きたい。もしかして最高裁の判事になろうなんていう上昇志向がある裁判官が、今回のような判決を下したとしたら素晴らしいですもんね。
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2013年08月09日(金)
米軍機の長崎原爆投下 昭和20年8月9日午前11時02分
(以下は2008年8月9日のエントリーの再掲載)

アメリカ軍の従軍カメラマンだったジョー・オダネルは長く自宅の屋根裏に封印したトランクを置いていた。ある契機により、彼はトランクを開いて、自分が撮影した原爆直後の長崎の爆心地とその周辺の日本人の写真を公表し始めた。彼はアメリカ国内で猛烈な批判を受けたが、それにめげずに各地で実態を話す事が自分に与えられた使命だとして行動した。

 すでに放送されましたが、昨年亡くなったジョー・オダネルの息子が彼の遺志をついで活動を続けています。その番組の概要をNHK福岡のサイトから引用します。

この写真を含めて彼が撮影した写真はFlickrに掲載されています。」

「今、1枚の写真が注目を集めている。63年前、被爆直後の長崎で撮影されたもので、亡くなった幼い弟を背負い火葬場の前に立つ「長崎の少年」と題された写真だ。

 写真家の名はジョー・オダネル。米海軍専属カメラマンとして原爆投下後の長崎・広島に入り、その破壊力や人体への影響などを記録するために7千コマの写真を撮影した人物だ。

 事実を告発しようと、軍に隠れもう1つの私用のカメラで400枚の写真を撮影した。その1枚が少年の写真だ。帰国後、爆心地で目撃した被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れようと全てのネガを自宅屋根裏に封印したが、晩年、自身も放射能の影響で余命幾ばくもないことを知り、原爆の悲劇の真実を訴え始めた。

 オダネルの死後も長男が引き継ぎ、父の写真をネットで世界に向けて発信し始めている。番組では、広島・長崎の体験を経た1人のアメリカ人写真家が、原爆の真実を伝えようと踏み切った思いを、残された写真や手記、音声テープからたどる。

 また、ウェブ上で写真の公開を始めた長男の活動と、全米各地から集まる賛否両論のメッセージから、今のアメリカが抱える原爆・戦争に対する心情を描く。」

TBSのサイト「原爆の夏 遠い日の少年」から:

<ジョー・オダネルのコメント>

佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。

 10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。

 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意思が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか?白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊をゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…。

3、ジョー・オダネルをもっと詳細に知りたい方はこちらへ。
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長崎 原爆投下68年 平和宣言で政府を批判   東京新聞
2013年8月9日

 長崎は九日、被爆から六十八年の原爆の日を迎えた。長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、田上富久(たうえとみひさ)市長は平和宣言で「日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求める」と述べ、核兵器廃絶に積極的な姿勢を示さない政府を批判した。

被爆地・長崎の明確なメッセージは安倍政権下で活発化する改憲などの議論にも影響を与えそうだ。宣言は一方で、若い世代への体験継承を訴えた。

 田上市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性に関する声明に政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った。核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢で原点に反する」と糾弾した。

 インドとの原子力協定の交渉再開についても「NPTを形骸化することになる。核保有を目指す北朝鮮に正当化の口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げになる」と指摘した。式典にはインド政府の代表が初めて出席した。

 市長は核軍縮に取り組む方針をあらためて示したオバマ米大統領への支持も表明。世界の核弾頭の九割を持つ米ロ両国にさらなる削減を呼び掛けた。

 市民には、戦争放棄を明示した日本国憲法の前文を引用し「平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠」と訴え、若い世代に「あなたたちこそが未来」と語り掛けた。

 東京電力福島第一原発事故の被災地には「一日も早い復興を願い、応援する」と呼び掛け、具体的なエネルギー政策の提示を国に求めた昨年に引き続き、連帯の意思を示した。

 式典には過去最多に並ぶ四十四カ国が出席。原爆投下国の米国から昨年に続きルース駐日大使が参列した。各国代表や福島県川内村の猪狩貢(いがりみつぎ)副村長ら参列者約六千三百人は原爆投下時刻の午前十一時二分に黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。

 安倍晋三首相はあいさつで「確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に力を惜しまぬことを誓う」と述べた。

 被爆者代表の築城(ついき)昭平さん(86)は「平和への誓い」で「核兵器も戦争もない平和な世界をつくることは、全ての大人の責任だ」と訴えた。

 長崎市によると、この一年間に新たに死亡が確認された被爆者は三千四百四人に上り、原爆死没者名簿に記載された総数は十六万二千八十三人。長崎市内に住む被爆者は今年三月末時点で三万七千五百七十四人、平均年齢は七八・二歳となった。
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「負の歴史」教育必要 ストーン監督、 琉球新報
2013年8月9日

 【長崎で与那嶺路代】長崎市を訪問中のオリバー・ストーン監督は8日、日米の大学生との意見交換会や平和集会に出席した。ストーン氏は米国が戦争を続ける背景について「教科書に米国が戦争の勝者であると、まるでディズニー映画のように心地よく描かれているからだ」と述べ、負の側面が教えられていないことを批判した。

 日本に対しても「満州を侵攻した大きな軍事帝国だった。だが日本軍が侵略戦争で何をやったかについて、ほとんど教えられていない」と話し、米国と同様に歴史を直視していないと指摘した。

 ストーン氏はこの日、爆心地のほか、朝鮮人や中国人の慰霊碑なども訪れた。平和集会で同氏は「私が出会う日本人はみんな優しいのに、なぜ(当時)それほど朝鮮人や中国人に残酷になれたのか。日本人の気性が分からない。教えてほしい」と参加者に問い掛けた。

 会場からは戦時中の学校教育や、政治に関心を抱かせないような社会環境などに問題があるとの意見が出た。
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国の借金、初の1千兆円 財務省、6月末時点

 財務省は9日、国債と借入金、政府短期証券を合計した国(政府)の借金が、ことし6月末時点で1008兆6281億円となり、初めて1千兆円の大台を突破したと発表した。3月末時点と比べ、17兆270億円増えた。

 安倍政権発足後に決定した大型の緊急経済対策に加え、東日本大震災の被災地復興支援などで、国債の増発を続けたため借金の残高が大きく膨らんだ。

 財務省は、2013年度末に国の借金が1107兆円程度に達すると見込んでいる。

2013/08/09 15:04 【共同通信】
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2013年08月08日(木)
沖縄県民かく戦えり、県民に対して後世特別のご高配を賜らんことを

2011年6月23日に掲載した記事の再掲載。

沖縄で自決した沖縄特別根拠地隊司令官大田実中将の東京宛の最後の発信電報です。この電文もアメリカ軍に傍受され、英訳されたものがアメリカ政府の古文書館に保管されているそうです。

電文(1945年6月6日夜の大本営海軍次官宛ての電文-第062016番電-)

左ノ電文ヲ次官ニ御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既二通信力ナク 第32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)ザレドモ現状ヲ看過(かんか)スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆(ほとん)ド顧ルニ暇ナカリキ 然(しか)レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ 家屋ト財産ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚 砲爆撃下 ‥‥(不明) 風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ 而(しか)モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹飯(ほうはん)婦ハモトヨリ 砲弾運ビ、挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮(しょせん) 、敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙(どくが)ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門(ぐんえいもん)ニ捨ツル親アリ 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ 身寄無キ重傷者ヲ助ケテ‥‥(不明)真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳(は)セラレタルモノトハ思ワレズ更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ自給自足夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住民地区ヲ指定セラレ 輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終始一貫 勤労奉仕、物資節約ヲ強要セラレテ 御奉公ノ‥‥(不明)ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ‥‥(不明)コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島実情形‥‥(不明)一木一草焦土ト化セン 糧食6月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄縣民斯(か)ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

現代語訳

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告すべきことであるが、県にはすでに通信能力がなく、第32軍司令部、又通信できないため、本職、県知事の依頼を受けたものではないけれど、現状を見過ごすことができず、知事に代わって緊急御通知申し上げる。

沖縄本島が敵に攻略され始めて、陸海軍は防衛戦に専念せざるを得なく、県民に関してはほとんど顧みるにことができなかった。しかし、本職が知る範囲に於いては、県民は青壮年(せいそうねん=おおよそ16歳から50歳くらい)の全部が防衛のための召集に応募し、残された老幼婦女子は相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産の全部を失い、わずかに身を以って軍の作戦に差し支えない場所の小防空壕に避難、尚(なお)、砲爆撃下‥‥(判別不能)風雨に曝(さら)さらされながら乏しい生活に甘んじている。

而(しか)も若い婦人は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦のなかには、砲弾運び、挺身斬り込み隊すら申し出るものがある。

また敵が来れば老人子供は殺され、婦女子は後方に運び去られて毒牙にかかるといって、親子生き別れ、娘を軍営(ぐんえい=軍隊の駐屯地。兵営。陣営)の門のところに捨てる親もある。

看護婦に至っては軍移動に際し、衛生兵が出発したため身寄り無い重傷者を助けて‥‥(判別不能)(それは)真面目にして一時の感情に駆(か)られたものとは思われない。

さらに軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥(はる)かに遠隔地方の住民地区を指定されたため、輸送手段が無のことから、黙々として雨中を移動している。

これは、要するに陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫勤労奉仕、物資節約を強要せられたにもかかわらず、ただひたすら、日本人としてのご奉公の念を胸に抱いたまま遂に‥‥(判別不能)ことなくして本戦闘の末期と沖縄島は実情形‥‥(判別不能)一木一草焦土と化している。食糧は6月一杯しかもたない状況という。

沖縄県民はこのように戦った。

県民に対し後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。

(2010年5月9日に掲載したエントリー。再掲載します。)
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福島原発 最新状況  

詳細はこちら

海底くぼ地にセシウム高濃度地点 福島沖で調査


東京大生産技術研究所などは7日、東京電力福島第1原発の沖合などで行った海底土の放射線測定の結果、事故で放出されたとみられるセシウム137がくぼんだ地形に多く集まり、濃度が周辺より2~10倍以上高い地点が約40カ所観測されたと発表した。

海底の広い範囲で局所的に濃度の高い「ホットスポット」分布状況を調査したのは初めてで、濃度の高い地点の長さは数十メートル~数百メートルとさまざまだった。

東大生研のソーントン特任准教授(海洋知覚システム学)は「局所的に濃度の高い場所の分布状況が分かったので、魚介類へ…【続きを読む】08月07日 14:47
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原発汚染水で試験操業延期へ 福島・いわき市漁協

東京電力福島第1原発事故のため漁を自粛している福島県いわき市漁業協同組合が7日、会議を開き、9月開始を予定していた試験操業を延期する方針で一致した。 原発の汚染水の海洋流出が明らかになり、放射性物質への懸念が広がっているため。

近く開かれる理事会で正式決定する。 矢吹正一組合長は「消費者にお金を出して食べてもらうのだから(汚染水問題が収束し)胸を張って出荷できるまで延ばした方がいい」と話した。開始時期は、今後の放射性物質のモニタリング結果や原発の状況を見て検討するという。 当初の計画では、9月5日…【続きを読む】08月07日 13:53

【河北新報】
■福島第1 汚染水流出で規制委、異例の陣頭指揮

 福島第1原発の汚染水の海洋流出問題で、原子力規制委員会が異例の陣頭指揮を執っている。汚染水対策など廃炉作業の監督は本来、経済産業省の役割だが、海洋流出に対する動きは鈍い。規制委の突出ぶりは、事態の深刻さへの焦りと対応が後手に回る東京電力へのいら立ちの裏返しと言えそうだ。(東京支社・若林雅人)

 「規制機関が踏み出すべき領域かどうか疑問もあるが、リスクが高まっている」

 規制委が2日に開いた汚染水対策作業部会の初会合。座長役の更田豊志委員は開催理由をこう説明し、早速東電から聴取を始めた。東電が「調査する」「検討する」と答えた事項について「次回、耳をそろえて持ってきてほしい」と強い口調で要求した。………(8月7日)<記事全文>

【福島民友新聞】

■いわき沿岸の「シラス試験操業」延期 汚染水問題
 東京電力福島第1原発の地下汚染水が海に漏れ出した問題を受け、いわき地区機船船曳網連絡協議会は6日、いわき市で総会を開き、いわき沿岸部で9月開始を目指していたシラス漁の試験操業延期を決めた。

目標時期を1カ月先送りして10月開始を模索する。シラスの放射性物質検査で問題は出ていないが「現状では消費者の理解が得られない」と判断した。同じく9月開始を目指すいわき沖の底引き網漁にも影響する可能性がある。相馬双葉漁協は、実績のある相双沖での試験操業については独自に判断するとしている。………(8月6日)<記事全文>
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沖縄ヘリ墜落 米軍が現場飛行制限 東京新聞
2013年8月8日 朝刊

米軍基地キャンプ・ハンセン(沖縄県宜野座村など)での米空軍ヘリコプター墜落事故で、米軍が六日午前から、現場周辺の上空で報道ヘリなど民間機の飛行を制限していることが七日、国土交通省への取材で分かった。

 航空関係者によると、日航、全日空などの旅客機は対象外で、米軍には報道機関の取材を規制する狙いがあるとみられる。

 国交省によると現場は日本が航空管制を行う空域で、米軍から事前の連絡はなく、飛行制限に効力はない。同省の担当者は「正式な手続きが取られておらず遺憾だ。米軍に経緯を確認し今後の対応を検討する」としている。

 ただ、この空域の管制業務を担う国交省那覇空港事務所は、付近を飛行する航空機に対し、米軍が飛行制限していると伝えており、事実上、容認している状態だ。

 米軍は六日午前十時二十分以降、現場から半径約十一キロ、上空約三キロの空域で民間機の飛行を制限する通知文を関係機関に発出した。七日夕には、半径約五・五キロ、上空約六百メートルまで制限空域を縮小、十五日午後八時四十分まで制限するとした。

米軍が民間飛行制限 現場上空、法的根拠なし
2013年8月8日 琉球新報

 米軍がノータムで通知した飛行制限区域(クリックで拡大)

 宜野座村のキャンプ・ハンセンで起きた米空軍嘉手納基地所属のHH60ペイブホーク救難ヘリコプタ―墜落事故を受け、嘉手納基地が6日から「ノータム」と呼ばれる航空情報を出し、墜落現場上空の報道用ヘリを含む民間機の飛行を制限していることが7日、分かった。

上空の管制権を持つ国土交通省への事前連絡はなく、航空法に基づかないことから、同省航空局運用課は「法的根拠がなく、文書自体に効力はない」としている。制限は15日まで。

 県内の管制を担う那覇空港事務所は、現場付近を飛ぶ航空機に米軍による飛行制限を伝えており、根拠のない一方的な航空情報が、事実上容認されている実態も明らかになった。

 6日は事故現場から半径11キロ、高度3キロにわたり飛行制限された。同空域に出向いた報道機関のヘリ複数機が現場に近づけなかった。国交省管制課の担当者によると、那覇空港発着の民間旅客機航路には該当せず、支障は出ていない。

 嘉手納基地第18航空団報道部は7日夜、琉球新報の質問に対し「地域や日本国内レベルで連携し、日米両政府の手続きにのっとり発行された。航空機に危険を伝える国際民間航空機関基準も満たしている」と回答した。

 制限空域は7日夕、半径5・5キロ、上空600メートルまで縮小された。15日午後8時40分まで制限される。

 米軍が民間機の飛行制限をしたい場合は外務省に要請し、必要と判断されれば国交省が「ノータム」を出して航空各社などに周知する手順となっている。

 墜落現場の中部訓練場を含むキャンプ・ハンセン全域の高度600メートルまでは、日常的に民間機の飛行が制限されている。

<用語>航空情報(ノータム)
 安全運航のために出される情報。

国内では一般的に飛行場など運航関連施設で工事など業務様式の変更がある場合、国土交通省が民間航空会社など関係機関に通知する。緊急時には軍事演習など空中の危険に関する場合も通知する。米軍が

通知を出すことも可能だが、その際には国交省との調整が慣例となっている。
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全28高校が希望変更、県教委の日本史教科書介入受け/神奈川新聞
2013年8月6日

 実教出版の日本史教科書の使用を希望した県立高校に対し県教育委員会が再考を促した問題で、具志堅幸司教育委員長は6日、県教委の介入を受けた28校全てが当初希望とは別の教科書に変更したことを明らかにした。

高校教科書の選定に教育委員会が積極関与した異例の事態は、教育現場の意見を覆す結果となった。

 県教委は、同社の「高校日本史A・B」で、国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述されている点を問題視。希望した28校の校長に対して不採択になる可能性を示し、7月末までに希望を変更するよう求めていた。

 6日の教育委員会定例会後、具志堅教育委員長は「県教委の方針と異なる教科書が希望されず良かった。不採択となって混乱するよりはいい」と説明。「再考を求めたことは問題ない」とし、県教委の考えと違う希望を示した学校を指導することの正当性を強調した。

 また、県教委が再考を求めた際に外圧を受ける危険性を示唆するような発言があった、と一部の校長が批判していることに対し、志摩尚平教育参事監は「採択後に学校名が公表されるといろいろな影響があり、混乱が起きる可能性があると説明したつもりだった。適切ではなかったかもしれないが撤回はしない」との考えを示した。

 2014年度に使用する県立高校の教科書は、20日に開かれる臨時教育委員会で採択される予定。当初、実教出版の「日本史A・B」を希望していたある高校の社会科教諭(58)は、「希望再考は事実上の強制だった。もう一度学校に差し戻して希望を聞いてほしい」と怒りをあらわにしていた。

☆教科書採択  Wikipediaから部分引用

高等学校

高等学校における教科書採択では、義務教育諸学校と異なり、広域採択制に類するシステムはない。各学校ごとに教科書を採択している。また各年度ごとに採択がおこなわれる。
高等学校での法令上の教科書採択権者の定めは明記されていないが、文部科学省の解釈によると公立学校の場合は所管教育委員会に採択権があるとしている。

◎神奈川県の教育委員会委員です

委員長

具志堅  幸司
(ぐしけん こうじ)

平成23年10月22日~
平成27年10月21日

ロサンゼルスオリンピック体操金メダリスト
日本体育大学体育学部長

第一委員長職務代理者

 宮崎  緑(みやざき みどり )

平成21年10月16日~
平成25年10月15日

千葉商科大学教授・政策情報学部長
東京大学政策ビジョン研究センターアドバイザー

第二委員長職務代理者

高橋  勝
(たかはし まさる)

平成24年10月17日~
平成28年10月16日

横浜国立大学名誉教授
帝京大学大学院教授・大学院教職研究科長

委員

倉橋  泰
(くらはし ひろし)

平成22年10月14日~
平成26年10月13日

株式会社ぱど代表取締役社長

委員

河野 真理子
(こうの まりこ)

平成24年10月17日~
平成28年10月16日

株式会社キャリアン代表取締役
株式会社キャリアネットワーク会長

委員(教育長)

藤井  良一
(ふじい りょういち)

平成22年4月1日~
平成26年3月31日

前安全防災局長
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海底くぼ地に高濃度汚染集中 福島第一周辺 400キロ調査   東京新聞
2013年8月8日 朝刊

 東京大生産技術研究所などは7日、東京電力福島第一原発の沖合などで行った海底土の放射線測定の結果、事故で放出されたとみられるセシウム137の濃度が周辺より2~10倍以上高かった地点が約40カ所見つかり、大半がくぼ地だったと発表した。セシウムは土に吸着しやすく、海流に運ばれて集まったとみられる。

 海底の広い範囲で、局所的に濃度の高い「ホットスポット」の分布状況を調査したのは初めて。東大生研のソーントン特任准教授(海洋知覚システム学)は「局所的に濃度の高い場所の分布状況が分かったので、魚介類への影響調査や海底の除染につながることを期待したい」と話した。

 研究チームは昨年八月~今年七月、第一原発から二十キロ圏の海域ほか、宮城県の阿武隈川河口や仙台湾などで、船でえい航した装置を海底にはわせて放射線を測定した。

 総距離約四百キロにわたり、測定場所と水深、セシウム濃度を記録。高濃度汚染が確認されたくぼ地の長さは数十メートル~数百メートルとさまざまだった。

 原発から三キロ圏内では地形に関係なく、高濃度汚染が観測された地点が約十カ所見つかった。阿武隈川河口から東約二キロの沖合で周辺より濃度が高い範囲が二カ所確認された。

仙台湾では水深六〇メートルの測定エリアの平均濃度が海底土一キログラム当たり三〇ベクレルだったのに対し、水深一二〇メートルでは七四ベクレルと高かった。
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遮水壁 両刃の剣 建屋から逆流の恐れ 東京新聞
2013年8月8日 07時00分

 東京電力福島第一原発の汚染水対策で、政府が国費投入を検討している原子炉建屋周辺での遮水壁建設は、実は大きなリスクを抱えている。建屋地下にたまる高濃度汚染水と周辺の地下水との水位バランスが崩れ、汚染水が建屋外へ漏れ出しやすくなる。建設構想は原発事故直後にすでに浮上しながら、実現していなかった。 (清水祐樹)

 東電によると、建屋周囲の地下水位は海抜約四メートルで、建屋地下の高濃度汚染水を一メートル下の海抜三メートルに管理している。高低差を保てば、建屋外側の地下水圧が内側より高くなる。水は圧力が高い所から低い所へ流れるので、汚染水は外に出ないという理屈になる。

 だが、事故により損傷した建屋外壁のあちこちから、一日約四百トンの地下水が流れ込み、汚染水を増やしている。東電は敷地内にタンクを増設して保管しているが、自転車操業になっている。

 建屋周辺に遮水壁が完成すれば、確かに地下水の流入量は減り、汚染水の増加には歯止めをかけることはできる。しかし、遮水壁により周辺の地下水位が低下し、建屋内の汚染水位の方が高くなれば、今度は内外の水圧差が逆転し損傷場所から汚染水が逆流しかねない。汚染水を減らす切り札のはずの遮水壁が両刃(もろは)の剣となる形だ。

 六日の国会議員による会合でも東電は「建屋の陸側から地下水が来なくなると、建屋の汚染水が外に出てしまう」とし、今でも漏出リスクがあることを明かした。建屋内の水位を徐々に下げることなどを対策に挙げたが、それで防げるかどうかは明言しなかった。

 そもそも、国と東電は事故からわずか二カ月後の二〇一一年五月から遮水壁の建設を検討しながら、同年十月に見送りを決めていた。漏出リスクや費用、現場での作業の難しさが主な理由だった。国費投入が決まれば、費用については問題がなくなる。しかし、他の問題の解決策は具体化していない。

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2013年08月07日(水)
原爆は「絶対悪」 ヒロシマ被爆68年 核兵器廃絶、平和誓う   東京新聞
2013年8月6日 夕刊

被爆から68年の「原爆の日」を迎え、平和記念式典で空へ放たれるハト=6日午前8時23分、広島市中区の平和記念公園で(内山田正夫撮影)

 広島は6日、被爆から68年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。

松井一実(まついかずみ)市長は平和宣言で「原爆は非人道兵器の極みで『絶対悪』」と訴え、日本政府に「核廃絶を目指す国々との連携強化」を求めた。

また「信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきだ」と世界に呼び掛け、原爆犠牲者に哀悼の意を表した。

 エネルギー政策については、国民の暮らしと安全を最優先にした政策を早期に構築し、実行するよう求めるにとどまり、原発の是非には言及しなかった。東日本大震災の被災地へは「復興の困難を知る広島市民は被災者の思いに寄り添い、応援し続ける」とメッセージを送った。

 参列した安倍晋三首相はあいさつで「私たち日本人は唯一の戦争被爆国民。核兵器の非道を伝え続ける務めがある」と述べた上で、「非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を惜しまない」と誓った。

 また「今なお苦痛を忍んでいる方々に、一日でも早く原爆症認定が下りるよう最善を尽くす」と述べた。

 参列者は原爆が投下された午前八時十五分に約五万人が黙とうをささげた。「平和の鐘」を鳴らし、広島市内の小学生から選ばれた子ども代表が「平和への誓い」を読み上げた。

 国連のイェレミッチ総会議長もあいさつし、出席しなかった潘基文(バンキムン)事務総長のメッセージも代読された。

 今年は七十カ国と欧州連合(EU)の代表が出席。米国からは、今年離任するルース駐日大使や現代史に詳しい映画監督オリバー・ストーン氏が参列した。福島からは浪江町の馬場有(ばばたもつ)町長が参加。

 この一年間に亡くなったか、死亡が確認された原爆死没者は五千八百五十九人。被爆者健康手帳を持つ国内外の被爆者はことし三月末現在、二十万一千七百七十九人で、平均年齢は七八・八〇歳と高齢化が進んでいる。

<広島原爆> 1945年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイが人類史上初めてウラン型原子爆弾「リトルボーイ」を広島市に投下、上空約600メートルで爆発した。

爆風や火災で市中心部は壊滅し、当時の人口約35万人のうち、45年末までに約14万人が死亡したとされる。現在も多くの被爆者が、がんなど放射線の影響による健康被害に苦しんでいる。
2013年8月7日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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米「投下に正当性」は「うそ」 O・ストーン監督が来訪   東京新聞
2013年8月6日 朝刊

 アカデミー賞の受賞作品「プラトーン」などで知られ、米国の軍事展開を批判する米映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が、広島の原爆の日などに合わせて来日している。

十五日まで長崎、沖縄を回り、原爆や米軍基地問題について人々と対話する予定だ。原爆投下を「正当性がない」と指摘、「歴史を正しく記憶することが大切」と訴えている。

 「米国は日本がソ連に侵略されることを恐れていた。だから日本が降伏したがっているのを知りながら原爆を落とした」。広島市で市民団体のシンポジウムなどに参加したストーン氏は強調する。

 昨年、歴史学者でアメリカン大准教授のピーター・カズニック氏とテレビドキュメンタリー「もうひとつのアメリカ史」を制作、同名の本を出版した(日本語版は早川書房「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」)。公文書をひもとき、戦時中から今のオバマ政権まで続く覇権主義に疑問を投げかける内容だ。

 すべての元凶とみるのが日本への原爆投下。戦争を早く終わらせ、多大な犠牲を防ぐのに必要だったという米国の正当化理論に対し、ストーン氏は「私も長年、投下は正しかったと信じていたが、それは神話、うそだと分かった。今も子どもたちはうそを教えられている」と指摘する。

 さらに、米軍が沖縄をはじめ各国に軍事基地を展開していることを「非常に危ない」と懸念、「だから広島は象徴でなければならない」と訴える。

 安倍政権は「日米同盟強化」を理由に集団的自衛権の行使に布石を打ち、その先には改憲の議論が待ち構える。ストーン氏は日本の右傾化を「世界にとって危険なこと」とみる。

カズニック准教授も「憲法九条は日本にとって要。安倍政権が変えようとしていることは問題で、悲惨な結果を招くだろう」と強調した。
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山口代表 閣僚ら参拝見送りを NHKNEWSweb
8月6日 15時7分

公明党の山口代表は広島市で記者会見し、安倍内閣の閣僚や与党幹部が今月15日の「終戦の日」に靖国神社に参拝することについて、「外交上の問題を起こしてきた過去の経過があり、賢明な対応が求められる」と述べ、見送るのが望ましいという考えを示しました。

この中で山口代表は、安倍内閣の閣僚や与党幹部が「終戦の日」に靖国神社に参拝することについて、「日本側の政治家にはそれぞれ考え方や受け止め方があろうかと思うが、実際に参拝すれば外交上の問題を起こしてきた過去の経過があり、そうした事態を招かない賢明な対応が求められる」と述べ、見送るのが望ましいという考えを示しました。

そのうえで山口代表は、「特に関係改善が急がれる近隣諸国との関係ではより一層賢明な対応が求められるが、その点については、安倍総理大臣は重々ご承知のことと思う」と述べました。
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教科書再考問題 全28高校が希望変更 神奈川県教委「不当ではない」  東京新聞
2013年8月6日 夕刊

実教出版(東京)の高校日本史教科書の使用を希望した神奈川県立高校二十八校の校長に対し、県教育委員会が、この教科書の国旗国歌をめぐる記述を問題視して使用の再考を求めた問題で、全校が県教委の意向に合わせる形で他の教科書に変更したことが六日、分かった。県教委は二十日の会議で教科書を採択する予定。

 六日の県教委定例会終了後、具志堅幸司委員長が明らかにした。「県の方向と違う記述がされている本の希望がなくなって良かった。最終的に選ぶのは学校ではなく教委なので、不当とは思っていない」と語った。

 また、県教委が校長側に再考を促す際、「採択の結果発表で実教出版を希望していた学校が明らかになれば、さまざまな団体からの働き掛けで混乱する可能性がある」と伝えていたことが分かった。県教委は「脅したわけではない」としているが、今後調査する予定。

 実教出版の教科書「高校日本史A」と「高校日本史B」は、国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述している。

これに対し、県教委は「国旗掲揚と国歌斉唱は教職員の責務であり、強制には当たらない」として、この教科書の使用を希望した二十八校の校長に再考を求めていた。
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福岡県警、収賄容疑で警部補逮捕 個人情報見返りか 東京新聞
2013年8月6日 22時19分

 福岡県警は6日、個人情報を漏らした見返りに現金を受け取ったとして収賄の疑いで、県警公安3課係長の警部補千代原教文容疑者(51)=同県宗像市=を、贈賄の疑いで元信用調査会社代表取締役鳥羽和博容疑者(43)=福岡市中央区=をそれぞれ逮捕した。

 逮捕容疑は鳥羽容疑者から依頼された個人情報の調査結果を漏らす見返りに、今年1月下旬から5月下旬にかけて10回にわたり、計15万8千円を受け取った疑い。

 県警によると、両容疑者とも「間違いない」と容疑を認めている。
(共同)
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阿智胡地亭便りから  「# 129 憲法あれこれ スリーナインの話」
2007.05.25ブログ掲載.2007.06.12メルマガ発信。

1)「戦争」は国民の税金をもとに国家予算を使って国が行う行動ですから、どこの国にとってもその国の最大の「国家公共事業」といえます。

戦争になれば国は「超法規行政」で国民をコントロールすることは、今から62年以前の日本を見てもわかります。戦時下の法規による徴兵権で普通の日常生活から一般人を離して、精強な兵隊を作る必要がありますし、兵器増産の工場、作業者、資金を急激に増やす必要もあるからです。

そして大規模な国家的公共事業の恩恵を受ける企業や国民の数も膨大になります。無競争の指定業者に指名されれば産軍一体のメンバーとして我が世の春を謳歌できるかもしれません。

第2次世界大戦での日本の場合は、B29などの焼夷弾空襲と原爆、艦砲射撃で、それらの恩恵を受けた企業や国民を含めて、結局は大変な数の人達が父や夫や兄や弟の命、自分が住んでいた住まいをなくしました。

国同士でもやはり喧嘩はやる限りは勝たないといけません。
 
2)ところで、武器を使って平和を求めている中東のある国の、普通の市民、町民は、未だに平和な場所に住む事ができていません。かの国が戦争で平和を勝ち取ることを目指して成功する史上初の国になるとは、どうも思えません。

中印戦争を戦い、チベットを弾圧で占領した中国、ベトナム戦争でアメリカの要請を受け勇猛と恐れられた、青竜、白虎部隊などを送った韓国、アフガニスタン戦争のロシア、米英は一々上げきれませんが、これらの国以外にも多くの国がこの62年間、国家の名前で他国民を殺してきた歴史を持っています。

他国民をただの一人も敵国人として1945年以来62年間、戦争で殺戮していない大国は、この地球上に日本ただ一国しかありません。

このことを中国も韓国も何も触れずに、いまだに62年前のことだけを言い募るのは両国の支配階層に、なんらかの意図があるとしか思えません。

 大国から外注先に指名されて下請けで軍人・軍隊を日本列島から外に出すとすれば(韓国がベトナム戦線に軍を派遣したように)、先人の犠牲の上に作り上げた62年間の日本人の武器を用いない国の運営という、近代史に初めての人類の体験を自らすてることになります。

そして、日本が本当に独立国なら、政治家は自国民をゼネコンが下請けにやらせるような危険作業を請け負って、それらの現場に自国民を出すような真似はしないのではないでしょうか。

 太平洋戦争を外地、内地で戦って国のため親兄弟家族のために戦死した将兵、戦災死した無名の市民たちのお陰で、その後の62年の間、戦死者がいない国がこの地球上に唯一存在できていると思います。
 
3)現在の日本国憲法がどんな背景や状況で出来たかとか、自前ではない与えられた憲法とかは関係なく、その一点でこの憲法は人類の共通の資産価値がある憲法だと私は思っています。

ところで私はその憲法をまともに読んだ事がありませんでした。

いま日本国憲法を読もうと思えば、有り難いことにnetの検索で数秒で全文が現れます。本屋に買いに行ったり、子供の高校の教科書(捨ててしまってあるわけはありませんが)を探す必要はありません。便利な時代になりました。

どんな本でも一番後ろから開ける癖があって、netで日本国憲法を開けても第10章から読むと次のような内容でした。こんな条文があるのを初めて知りました。
 
第10章
 
第九十七条【基本的人権の本質】

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条【憲法の最高法規性、条約・国際法規の遵守】

 1 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 
 2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。


第九十九条【憲法尊重擁護の義務】

 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


9条と99条!

9と言う数字が3個出てきました。

守るべき日本国憲法の二つの条文にスリーナインを潜ませたなんて、当時の人たちもなかなかニクイことをやりますね。
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2013年08月06日(火)
阿智胡地亭便りから 「#131 “大臣”という言葉が生きている不思議な国」
2007.08.29ブログアップ。  2007.08.30メルマガ発信。

安倍首相の言動に正面から反論ないし批判をしてきた舛添さんを入閣させるなど、今回の内閣改造では、安倍さんは、というより保守本流の幹部集団は、これまで切ってきたハンドルの角度を少し戻す必要を感じたらしい。

どんなことがあっても、絶対に野党に政権を渡さないという意思表示でもあり、あるいはアメリカのシンクタンクの意見を入れたのかもしれない。

それはそれとして、この記事は「大臣」という言葉の話です。

新聞に踊る「大臣」と言う役職名をそのまま与えられて喜んでいる政治家が今回もまた不思議に思えてしかたがない。

大臣!!この言葉は古代や平安朝の時代、右大臣、左大臣など「主君に仕える人である臣の中の最高位」という意味の役職だった。

明治維新のあと、国を幕藩体制国家から天皇制国家に変えると薩長土肥の幹部が決めたとき、長年、歴史上も実際上も忘却されていたこの言葉が突如としてよみがえった。

昭和憲法が発布されるまでは、官庁や官吏は天皇制国家の官庁、官吏と位置づけされていたから、大臣という用語も特段の言語矛盾はなかった。

しかし今、この民主主義憲法下の時代に「大臣」という役職名を有り難がり、変えようともしない政治家を持ち、我々もクレームも出さないというのは、本当は我々は民主主義が嫌いな国民なのかも知れない?

この際と思って調べたら、欧州や英国で大臣を表す「Minister」は
(神の)僕(しもべ), 聖職者, (カトリックで)司祭, (プロテスタントで)牧師という意味もあるらしいし、アメリカでは大臣にあたる各省の長官は「Secretary」というらしい。つまりは国家の秘書なんですわ。

ところで中国と韓国では各省の大臣をなんと表しているかご存知ですか。

答え;部長。また省は部です。日本の外務省は中国では外交部。

両国ともに例えば「李外務大臣」と日本で新聞の活字になっていても、中国や韓国の新聞では「李外交部長」です。

明治時代の頭のいい支配層は、平安時代の朝廷(延喜式)における八省と称する中務、式部、治部、民部、刑部、大蔵、宮内省から「省」とそのヘッドである「大臣」という言葉を見つけてきた。

その言葉を未だに使用して、2000年代の今も変えようともしないうちら島国の住人は奇妙だ。

自分たち国民の方を向かず、国民からいくら批判を受けても殆どが説明責任を果たさない大臣たち。

自分はおとど(大臣)なので、天皇陛下からのご下問ではない国民ごときの質問に回答の必要はないと思っているせいかもしれない。
やはり「名は体を表す」ということなんかしらん。

(今は死語となったように思える明治時代の「末は博士か大臣か」のフレーズのうち、博士はもう当時ほどの価値はないが、某宗教団体から初めて大臣が出たとき、当時の会長が 「でえじんだ、でえじんだ、でえじんが出た出た」と、喜んで踊りまくったという伝説があるくらい、日本の政治家には大臣という呼称に憧れがあるようだ)
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「原爆が終戦早めたは神話」      中国新聞
'13/8/5

 米国が広島、長崎に原爆を投下した経緯を検証するドキュメンタリー作品を手掛けた米国人映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が4日、初めて広島市を訪れた。

原爆資料館(中区)を見学後、取材に応じ、「原爆が終戦を早め、それ以上の犠牲者を防いだ」とする米国内の論調について、「米国が創り上げた神話。全くのうそだ」と強調した。

 ストーン氏は原爆資料館で、被爆直後の写真や被爆者の遺品などを熱心に見入った。取材には「ぼろぼろの服などの展示が印象的だった」と述べた。アジア情勢にも言及し「中国を意識して、アジア諸国が軍事力を強化している」と危機感を表明。「だからこそ、広島は正しく記憶され続けなければいけない」と被爆地の役割に期待を寄せた。

 ストーン氏は、ベトナム戦争を描いた「プラトーン」などの作品で知られる。今回、ドキュメンタリー作品の脚本を共同執筆したアメリカン大のピーター・カズニック准教授と一緒に広島を訪れた。

 7日まで滞在し、中区の平和記念公園で開かれる平和記念式典(6日)に出席するほか、市民集会への参加や被爆者との交流などを予定している。長崎、東京、沖縄を訪れ、今月中旬に帰国する。

【写真説明】原爆投下直後の広島の市街地を再現した模型を見るストーン氏=左から2人目(撮影・福井宏史)
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被爆の放送人、広島壊滅連絡 中国新聞
 1945年8月6日、広島壊滅の連絡に努めた広島中央放送局(現NHK広島放送局)の技手森川寛さん(1910~74年)が被爆直後からの行動を日記に表していた。

局内外の惨状やラジオ放送の復旧までも詳細に記す。研究者らは「これほどの記録が出てきたのは驚き」という。広島市西区に住む長男の森川高明さん(74)が保存している。公開を決め、日記を電子化して市の原爆資料館へ近く託す。

 森川さんは、広島高等工業(現広島大工学部)を卒業して入局した31年から「兎糞(とふん)録」と題した日記をつけ、46年までがそろっている。

 45年8月6日は鉛筆で約1340字に及ぶ。爆心地から北東約1キロの上流川町(中区幟町)にあった鉄筋2階建て放送局で被爆。火炎が迫る中、「調整室で各(放送局へ)連絡を呼べど応答なし」のため、市郊外の祇園町(安佐南区)にあった原放送所へ向かった。

 たどり着くと、「直ちに中波及(び)短波で大阪を呼ぶと共に大阪打合線(局間の放送打ち合わせ線)で呼ぶ。幸ひ岡山より応答あり。早速大体の様子を連絡して、大阪より短波放送を依頼して各局に各種指令を出すと共に救援を乞(こ)ふ」た。

 原放送所は翌7日朝から単独放送を開始し、高野源進知事の告諭内容を流した。

 被爆当日の記述は、妻子を疎開させていた河内村(佐伯区)に戻った7日夕以降に書いたとみられる。

 NHK放送博物館(東京)で保存されている広島中央放送局の「放送部事務日誌」は8月21日からで、同26日~9月9日間も記録は残っていない。

 日記によると、8月15日の「玉音放送」は「中継線の雑音で殆(ほとん)ど聴きとれなかった」が広島にも流れ、「今夕より本回線で放送」と、29日からは全国放送が良好に聴取できるようになったことも読み取れる。

 森川さんは、鹿児島や山口放送局長などを務め、63歳で死去した。

 元マツダ幹部でもある高明さんは、「黒い雨」に遭った自身の体験を含め英語で証言活動をしている。「日記は家族の私事も書かれているが、被爆直後も使命感を持って放送を続けようとした父たちの行動を伝え残したい」と公開を決めた。
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広島原爆の日、市長が平和宣言 平和記念式典 東京新聞
2013年8月5日 20時31分

 広島は6日、原爆投下から68年の「原爆の日」を迎える。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれる。

核兵器の非人道性を訴える国際世論の高まりに応え、松井一実市長は平和宣言で「廃絶に取り組むための原動力にならなければならない」と決意表明。

 宣言は、公募などで選ばれた5人の体験談を引用し、「心身の傷や差別を乗り越えた復興」を描く。「健康が欲しい。人並みの健康をください」と訴える当時14歳だった山口県周南市の硯谷文昭さん(82)らの手記を取り上げ、核兵器が「絶対悪」であると、あらためて強調する。
(共同)
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沖縄基地内で米軍ヘリ墜落炎上  【共同通信】
2013/08/06 00:09

沖縄で米軍ヘリ墜落炎上


 米軍基地キャンプ・ハンセン(沖縄県宜野座村など)敷地内の訓練地区で5日午後4時ごろ、米空軍嘉手納基地(嘉手納町など)に所属する訓練中のHH60救難ヘリコプターが墜落炎上した。

同基地が明らかにした。墜落現場は住宅地から約2キロ離れた基地内の山中。防衛省によると、乗り組んでいた4人のうち3人は脱出したが、1人は安否不明。一方、沖縄県警は、乗員は6人との情報もあるとしている。県民に負傷者はないという。

 米海兵隊は5日夜、予定していた普天間飛行場(宜野湾市)への新型輸送機MV22オスプレイ10機の岩国基地から普天間飛行場への移動を一時見合わせると発表した。

号外 米軍ヘリ墜落炎上 ハンセン内
沖縄タイムス

2013年8月5日 18時30分

 5日午後4時7分、県警に「宜野座村の松田あたりの山手から煙が上がっている」と110番通報があった。小野寺防衛相によると、午後4時ごろ、嘉手納基地の米空軍第1航空隊所属のHH60ブラックホーク1機が墜落したという。乗員4人中、3人の安全が確認された。残り1人については確認中。

 火災発生場所は宜野座村の米軍キャンプハンセン内で、墜落炎上したとみられる。

 宜野座村役場の職員によると現場は古知屋岳の山中という。

 基地内から黒煙が上がっているのが宜野座村松田のキャンプ・ハンセンのゲート102近くから確認された。午後4時半ごろ、米軍が消火活動の準備をしているのが確認された。

日米地位協定があるから墜落すれば米軍が全てを処理するので、日本人には関係がない事故だが、まずは市街地に落ちて日本人の死者が出なくて本当に良かった。
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神戸の海文堂書店、9月末閉店 創業100年目前 経営不振 神戸新聞
2013/8/5 15:12

来年の創業100年を前に、閉店が決まった海文堂書店=5日午前、神戸市中央区元町通3(撮影・中西幸大)

来年の創業100年を前に、閉店が決まった海文堂書店=5日午前、神戸市中央区元町通3(撮影・中西幸大)

 個性あふれる本選びで多くの読書家に愛されてきた神戸の老舗書店「海文堂書店」(神戸市中央区元町通3)が9月末で閉店することが5日、分かった。海事書にかけては日本一の品ぞろえを誇り、阪神・淡路大震災関連のコーナーを常設するなど、神戸らしい“町の本屋さん”。

しかし深刻な活字離れや大型店の出店などを受け、来年の創業100年を前にその歴史を閉じる。

 海文堂は1914(大正3)年、海や船舶・港湾など海事関連書の専門店として創業。70年代に品ぞろえを広げて総合書店となった。伝統の海事書に加え、児童書や人文・社会分野の本も充実。

さらに郷土関連書籍を集めた「神戸の本棚」を設けるほか、月刊通信「海会(カイエ)」や雑誌「ほんまに」の発行を通じ、長く神戸の活字文化の発信拠点だった。

 95年の阪神・淡路大震災では、発生から8日目に営業を再開。本や地図を求める市民が詰めかけた。そうした経験から2011年の東日本大震災後には、東北の版元による書籍を重点的に販売。神戸の書店ならではの支援は、全国的に注目を集めた。

 帆船の図柄のブックカバーは読書家らに愛され、05年には優れたデザインのカバーをたたえる「書皮大賞」を受けた。また10年12月からは店内に古書店4店を誘致し、「元町・古書波止場」を開設。新刊、古書にかかわらず、良い本を読者に届けるよう努めてきた。

 しかし1996年のピーク時に比べ、現在は6割程度にまで売り上げが減少。2000年以降はインターネット書店の台頭や周辺に大型店、新古書店の出店も相次ぎ、経営不振が深刻化していた。

 5日午前10時半の開店前に、岡田節夫社長が約10人の店員らに事情を説明。顧客らには9日以降、「海会」やホームページを通じ、閉店を伝える。書籍販売業は終了するが、東京での出版事業などは継続する。(平松正子)
 
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