2016年7月23日土曜日

福島原発事故が起きた翌々年、2013年08月11日から08月15日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事

2013年08月15日(木)
元従軍看護婦の証言
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従軍看護婦の記録   テレビ朝日
2013年8月13日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日

報道ステーション (ニュース)

兵士の命を救うために命をかけて戦地に渡った「従軍看護婦」の戦火の中での看護活動で何があったのか、

当時16歳で関東軍の看護婦養成所に入隊した山崎涼子さんに話を聞いた。

山崎さんは満州の牡丹江へ配属され、火傷した人などの治療にあたったが、ウジだらけだったと話した。

日本は日本赤十字社だけで約3万1000人を派遣したが、現地で招集された人も多く、実際の正確な人数は分かっていない。1945年8月9日にソ連軍が参戦し、山崎さんは死の恐怖に怯えていたという。

1945年3月沖縄戦へ突入し、悲惨な戦いが始まった。元ひめゆり学徒隊の与那覇百子さんなど240人は看護要員として洞窟内に作られた病院に看護要員として配属された。運び込まれた日本兵のほとんどが手足を失い、重傷を負っていた。

傷口にはウジが湧いていたが、陸軍病院とは名ばかりに、ピンセットもなく、小枝を割り箸のように使い取り除き、元の包帯を巻き直すことしかできなかったと話した。また、爆弾が飛び交う中、食事の運搬も命懸けで行ったという。

アメリカ兵が攻めてくる中、重傷を負った兵を動かすことも出来ない状況でその兵に対して大きなドラム缶に青酸カリ入のミルクを作り配っていたと与那覇百子さんは話した。ひめゆり学徒隊は136人が死亡した。山崎涼子さんはソ連軍の侵攻で病院をが撤退することになった際に、歩けない負傷兵は足手まといだからとその注射器で青酸カリを注射したと話した。

元ひめゆり学徒隊の与那覇百子さんは激しい戦火をの中生き延びたが、ひめゆり学徒隊は136人が死亡した。与那覇さんはいる殺されるのか怯えていたが、そのうちに「生かされている」「生きたい」と感じるようになったと話した。

終戦後韓国での従軍看護婦の任務を終え暮らしていた村石正子さんの元に1枚の招集葉書が届いた。「福島県二日市に出頭せよ」という内容で、現地で乱暴を受け望まない妊娠をした女性の中絶手術を行う仕事だったという。

麻酔もない手術にも関わらず誰も泣き声一つたてなかった。命を救うという尊厳さえも奪った戦争の中、「それが戦争だよ」という言葉を言い聞かせたという。
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昭和20年8月16日の新聞報道、そして核と原子力の使い分け
2011年8月15日掲載。




画像はwebから借用

「言葉の言い換え」

確かに「敗戦記念日」とは、当事国としては言いにくいのはわかるが
終戦記念日」という言葉にもひっかかる。
「台風が去った」と同じように自然現象のように戦争が終わった?
日本語は事を起こした人たちに責任を取らせないやさしい言葉だ。

今は使われないが、子供の頃毎日のように聞いていた言葉に「シンチューグン」がある。いったん「シンチューグンがこう言っている」となれば、周囲の大人は皆、言う事を聞いていた。なかでも「シンチューグンのマッカーサーがこう言うてる」というのは黄門様の印籠と同じだった。

小学校の高学年になって「シンチューグン」が「進駐軍」であることを知った。中学生になって英語を習いだしたとき、「進駐軍」と訳された元の英語が「occupation forces」と知った。そのまま訳せば「占領軍」だった。

占領軍を進駐軍と言い換えるなんて、霞ヶ関には頭がいい知能指数の高い官僚がいるもんだと感歎する。

日本はアメリカ軍を主とした連合国軍に昭和26年まで6年間占領されていたのだった。

ところで、開始以来昨年まで、日本国が負担している在日米軍駐留経費は、基地周辺対策費と基地交付金を含めると12兆9,600億円だそうだが、英語でいう「Host Nation Support」を日本語では「思いやり予算」と言う。

当時も今も、意図的に国内向けに訳語を変えるというのは、敗戦国の政治家や高級官僚が持つ自己防衛だけの浅ましい心根のような気がする。

美しい国に住む、いつまでも、どこまでも勝利者に優しい「くにたみ」たち。
思いやり予算の原資を税金で払っている私もその「くにたみ」の一人です。

上記は2007.8.15掲載エントリーの再録。

以下は本日追加。

〇英語で核兵器はnuclear arms、原子力発電はnuclear power plantsと表記される。

しかし日本では、「nuclear」という英単語を原子力とに使い分けている。同じ外国語の単語を日本語では用途によって別々に使う。

 アメリカの指令を受けて、日本にnuclear power plantsを作る工作をした正力松太郎と官僚たちが頭を絞った結果だろう。確かに官僚には知能指数は高い連中が多い。その高さに見合って国民に対する責任感や使命感は低い。

言葉の持つ魔力には恐ろしいものがある。もしnuclear power plantsが、そのまま「核発電所」と和訳されていたら、福島県双葉町の住人も「核発電所」をわが町に誘致しようとはしなかったかもしれない。双葉町だけではなく全国の原子力発電所いや核発電所が立地している市町村はどこも誘致していないのでは。

そして「原子力村」という用語も、使い分けなければ「核村」になって、さすがにいくら日本でもそんな村は存在できなかっただろうな。

言葉と情報でメシを喰っているはずの日本のマスコミも、何の疑問もなく、同じ「nuclear」という外国語を、お上の都合のいいように、あるいは、お上の意向に合わせて日本語の訳語を使い分けてきた。

なんも物を知らん無知蒙昧のくにたみには、お上(中央官僚)と新聞テレビの最強タッグチームは何をしてもいいんだという考え方の証明かもしれない。
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2013年08月14日(水)
阿智胡地亭便りから 「#126 裁判長の余計なお世話・ライブドアー粉飾裁判判決」
2007.03.19メルマガ発信。

3月16日に堀江貴文被告に対する裁判の判決が出ました。

報道によると{判決後、小坂裁判長は、ハンディキャップを背負った子供の母親から裁判所に届いた手紙を取り上げた。堀江前社長にあこがれ、働いてためた金でライブドア株を買い、今も大切に持っているという。

「裁判所は有罪判決を下したが、被告人の生き方すべてを否定したわけではない。この子供のように被告人に勇気づけられた多くの人たちに思いをいたして罪をつぐない、その能力を生かして再出発することを望みます」。裁判長はこう語りかけた。前社長は両手を前でくんだまま神妙な表情で聴き入り、最後に深々と一礼した。}

自分の現役営業時代の「現場」「現実」「現物」の三現主義に反し、裁判の傍聴にまだ一度も行かず、メデイアの報道からのみの印象からですが、

裁判長が高い位置にある裁判長席から被告にこういうふうに話しかけることが時たまあるようです。

私にはこのような判決後の裁判長の言葉が昔から不思議で仕方がない。判事から「人の生き方を教え諭されたくない」と被告は思っているだろうなといつも思ってきました。

法曹界というのもやはり歴史的・社会的な存在。日本の司法は、江戸幕府のお奉行様の時代の「お裁き」の思想を今も色濃く引いているのだろうか?と思ってしまいます。

 罪に応じた判決をその理由とともに述べて裁判官の判断を示すことで、裁判長の職務は完了している。
 
にもかかわらず彼らは必ず、その後でありがたい道徳的なお言葉や今後の人生の指針を指し示して下さる。

そんなある意味傲慢なことを、裁判長というのはよくやるなあとこれまでも思ってきたが、今回の報道でまたまた強くそう思いました。

おそらく制度上こういう発言をするようになっているのではなく、明治政府が作った裁判制度の時から存在する、慣習的なものなのではないでしょうか?

ルーツはお白州裁判制の江戸幕府に遡るような気がします。

それとも司法講習所で全員が「東映時代劇映画」を教科書にして勉強するのでしょうか?

 なんの権利があって公開の場で、一国家公務員がその彼の「私の価値観」を一国民に教え諭すことが出来るのだろう。

裁判官さん、あなた方はどなたも大岡越前守忠相でも遠山の金さんでもないんです。余分なことを言わずに言うべきことだけを言い、やるべきことを公明正大にやってくれたらそれでいいんです。 
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アメリカの戦力アウトソーシング戦略が進む
集団的自衛権、米国以外にも 有識者懇、対象国拡大提言へ
2013/08/13 20:04 【共同通信】 

安倍晋三首相が設置した有識者による「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元外務事務次官)が年内にまとめる報告書に、集団的自衛権を共に行使する対象国を米国以外に拡大する提言を盛り込むことが13日、分かった。

安全保障環境の複雑化に対応するとして、中東からの石油輸送のシーレーン(海上交通路)確保などを想定し、政府が幅広く選択できるようにすべきだと判断した。

 座長代理の北岡伸一国際大学長が共同通信に明らかにした。「密接な関係にある国が攻撃を受け、日本に重大な被害が及ぶとき」に集団的自衛権が行使できるとの趣旨の提言を検討しているとした。

安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会メンバー。

この人たちが“有識者”。

岩間陽子(政策研究大学院大学教授、国際安全保障学会理事)
岡崎久彦(元駐タイ大使、元外務省情報調査局長)
葛西敬之(東海旅客鉄道会長、元日本経済団体連合会副会長)
北岡伸一(座長代理、東京大学名誉教授、元国連大使)
坂元一哉(大阪大学教授、日本国際政治学会評議員)
佐瀬昌盛(防衛大学校名誉教授、元国際安全保障学会会長)
佐藤謙(元防衛事務次官、元都市基盤整備公団副総裁)
田中明彦(元東京大学副学長・教授、国際協力機構理事長)
中西寛(京都大学教授、日本国際政治学会理事)
西修(元駒澤大学法学研究所所長・教授、元比較憲法学会副理事長)
西元徹也(元防衛大臣補佐官、元統合幕僚会議議長)
村瀬信也(上智大学教授、ハーグ国際法アカデミー理事)
柳井俊二(座長、国際海洋法裁判所長、元外務事務次官)

「集団的自衛権」の名目と本音。

この手の記事につきものの「分かった」という書き方。

共同通信も政治部は、リーク記事で大本営の太鼓持ちをやらないと、おまんまの食い上げになるようだ。

 
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憲法改正は私の歴史的使命  安部首相
憲法解釈の見直し、答弁書で示唆 集団的自衛権で閣議決定
2013年8月13日 14時22分 東京新聞

 政府は13日の持ち回り閣議で、集団的自衛権に関する憲法解釈について「有識者懇談会での議論を踏まえて対応をあらためて検討したい」との答弁書を決定した。

安倍晋三首相が、内閣法制局長官に集団的自衛権の行使容認に前向きな小松一郎氏を起用してから初めての見解で、憲法解釈の見直しを示唆した形だ。

 民主党の辻元清美氏の質問主意書に答えた。

 答弁書は「現時点で集団的自衛権に関する政府の憲法解釈は従来通りである」と説明。一方で「『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』で、集団的自衛権の問題を含めた憲法との関係の整理について検討が行われている」とした。

(共同)
☆現在の憲法は日米の軍産複合体には不都合な真実だ。
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パートや派遣社員が1881万人になった日本
非正規労働者、過去最多を更新 パートや派遣社員1881万人
2013/08/13 19:20 【共同通信】

 総務省が13日発表した労働力調査の詳細集計によると、パートや派遣社員など非正規労働者の数は、2013年4~6月期平均で前年同期比106万人増の1881万人となり、統計を取り始めた02年以降、過去最多を更新した。

 正規と非正規を合わせた雇用労働者(役員除く)の総数は5198万人で過去4番目の水準に増えたが、正社員雇用は53万人減っており、「雇用の質」が改善されない実態が浮き彫りになった。

非正規の仕事に就いた理由は、男性では「正規の職員・従業員の仕事がない」との回答が最も多い168万人で、「自分の都合のよい時間に働きたい」は111万人だった。
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大学に軍用ヘリが墜落して9年
沖国大ヘリ墜落9年で集会 普天間閉鎖求める 2013年8月13日 18時02分 沖縄タイムス

【宜野湾】米軍普天間飛行場を拠点に訓練していた大型ヘリが沖縄国際大学に墜落炎上してから9年を迎えた13日、同大はキャンパス内で「普天間基地から沖縄を考える集い」を開いた。

MV22オスプレイの追加配備やキャンプ・ハンセンへの米軍ヘリ墜落事故で県民の反発が強まる中、320人(主催者発表)が集まり、普天間飛行場の閉鎖・返還を求めた。

 大城保理事長・学長はハンセンでの墜落事故に触れた上で声明文を読み上げた。「オスプレイが市上空を飛行し続ける以上、事故は起こる。都市部のど真ん中に位置する普天間飛行場が持つ危険性は増大するばかりだ」と強い憤りを示した。
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2013年08月13日(火)
阿智胡地亭便りから 「# 132 堺屋太一がここまで書くほどに今の日本は・・」
2007.09.10メルマガ発信。

一年半の間、毎朝の楽しみだった堺屋太一の新聞小説「チンギス・ハン(日経朝刊掲載)」が終った。
この小説を書き上げて、彼は9月9日の同紙に「名君の許に賢臣あり」というエッセイを書いている。

エッセイの骨子はチンギスという人の窮地からの強靭な回復力と血族は勿論、モンゴルの他族や他人種など広範な人材の登用と育成をしたことだ。

「・・チンギス・ハン一人の力ではない。最初は家族の、次にはいろんな階層から出た友人知人の、そして最後にはユーラシアの各地から集まった家臣たちの努力や才覚に負うところが大きい。・・」「名君は賢臣をつくるのである。」

この小説が面白かったのは、チンギス・ハンを主人公にしてはいるが、わずか7、8百年で変るはずのない人間の感情のぶつかりあいや、組織の中の人間の意識と行動など現代人と同じ姿が向うに透けてみえたことだった。

彼はこのエッセイをこの文章で結ぶ。
「・・振り返って日本の現状を見ると、各分野とも突出した個性が少ない。特に政治や行政の分野では、失言失態で話題になる人材は多いが、明確なビジョンや鮮烈な手法で世を刮目(カツモク)させる人物は乏しい。

東京生まれ東京育ちの二世三世のお坊ちゃま方と、霞ヶ関の仲間内評価だけを気にする官僚とが、地域からも外国からも隔絶した小宇宙に固まっているからだ。

今日の日本は、あらゆる既成概念に捕らわれずに斬新な個性に大胆な実行を委せた
チンギス・ハンの時代とは正反対である。」

*堺屋太一はかって自ら霞ヶ関の東大出キャリア官僚でもあったし、その後も各地の万博プロデユーサーなどでキャリア連中との付き合いも長く内情に強い。
奈良県御所市名柄に本籍と実家がある堺屋太一。
筆名は先祖が大阪府堺市から谷町筋に移住した店の屋号から取ったという。

今回の「チンギス・ハン」は先祖代々根っからの町人である、本名「池口小太郎」さんが小説家としてまた一国民として国を憂えて書いた小説でもあった。

それにしても毎朝次の展開がどうなるのか、ワクワクしながら待つものがあった幸せな一年半だった。

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福島第一原発のスペースの限界が近づく  東電も国も事実上お手上げ!
【福島第1原発の現状】 汚染水保管、破綻の恐れ  タンク設置場所に限界も

汚染水を保管するタンクの増設エリア=6月、福島県大熊町の福島第1原発

 放射性物質に汚染された地下水が1日約300トン海に流出しているとの試算が出た福島第1原発で、東京電力は流出を防ぐ緊急対策として海側敷地で地下の汚染水のくみ上げを始めた。

くみ上げた水は最終的には地上タンクに保管するが、タンクの設置場所には限界があり、汚染水の増加が続けば保管計画は破綻しかねない。

 原子炉の冷却に使った水が建屋地下にたまり、そこへ地下水や雨が流れ込んで放射性物質を含んだ汚染水となる。東電は、建屋内の汚染水を回収して塩分や放射性セシウムを取り除いた上で、一部を再び冷却に使用、残りを地上タンクで保管している。

 6日時点の地上タンクの総容量は約39万トンで、既に約33万トン入っている。現状で汚染水は毎日約400トンずつ増え、東電は2016年度までに約80万トンに容量を増やす計画だが、9日に始まった緊急対策で、タンクに保管する汚染水が増えることになった。

 1、2号機の海側でくみ上げた汚染水は、トレンチ(地下道)を通じて2号機タービン建屋に送る。その後はセシウムを除く処理を経て地上タンクで保管する。8月中旬には本格的なくみ上げが始まり、その量は1日約100トンに上る見通し。3、4号機の海側でも同様の計画があり、くみ上げた汚染水を保管するタンクがさらに必要になる。

 東電の 尾野昌之 (おの・まさゆき) 原子力・立地本部長代理は「すぐにタンクがなくなる状況ではない」と説明するが、4月には約6万トンの容量があった地下貯水槽が水漏れで使えなくなり、タンクの増設を前倒し。敷地内はタンクが林立し、新たな設置場所確保のために林を切り開く厳しい状態になっている。

(共同通信)

2013/08/12 12:18
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自国の近現代史を知らない国家・国民は消えていく
「歴史知らない人、多すぎる」 被爆地訪問のO・ストーン監督

記者会見で歴史を知る重要性を訴える米映画監督のオリバー・ストーン氏=12日午後、東京・有楽町の日本外国特派員協会

原爆の日に合わせて広島、長崎を訪問した米映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が終戦記念日を前に12日、都内の日本外国特派員協会で記者会見し、「歴史を知らない人が多すぎる」と日米両国での歴史教育の重要性を訴えた。

 米国で一般的な原爆投下を正当化する議論に異を唱える著書を出版したストーン氏は、原爆投下に至る戦争の歴史について「日本では知識層でも知らない人が驚くほど多く、米国では(広島、長崎にあるような)核兵器を扱う博物館がない」と現状を嘆いた。(共同)

2013/08/12 18:39 【共同通信】
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米軍の航空自衛隊下請け化訓練が着々と進んでいる。
空自、米爆撃機訓練に参加 「専守防衛」逸脱か
2013年8月13日 07時04分

 米空軍の演習「レッド・フラッグ・アラスカ(RFA)」で、航空自衛隊のF15戦闘機の編隊が米戦略爆撃機B52の爆撃援護訓練に参加していたことが分かった。航空幕僚監部(空幕)広報室は訓練の事実はないと否定しているが、空幕発行の部内誌に載った参加隊員の体験記から判明した。専門家らは、憲法で禁じられた集団的自衛権の行使を想定した訓練だと批判している。 

◆部内誌に体験記 12年7月号

 空自部隊は一九九六年度から米アラスカ州での米空軍演習に参加しており、F15戦闘機は二〇〇三年度から派遣されている。

 本紙が入手した空自の月刊部内誌「飛行と安全」一二年七月号には、同演習での攻勢対航空(敵航空基地攻撃)訓練中、空自F15編隊がB52による爆撃を想定し、「果敢に先陣を切って経路を啓開し、粘り強く戦闘を継続してB52を援護」したという隊員の体験記が掲載されていた。

 空幕広報室は本紙の取材に、同内容の訓練は事実ではないと否定。だが「他の参加国を含め任務遂行に支障を生じさせる恐れ」を理由に、詳しい内容については伏せている。

 日本は専守防衛の国是から戦略爆撃機を持たない。B52は航続力や搭載量に優れ、相手国中心部をじゅうたん爆撃するような任務に好適とされている。

 政府は従来、日本の防衛に当たる米艦艇を自衛隊が護衛することは、個別的自衛権の範囲内とする見解を示してきた。だが、戦略爆撃機の援護は国会で議論されていない。

 琉球大の我部政明教授(国際関係論)は「これは集団的自衛権行使を前提にした訓練と考えてよい。海自の米空母の護衛訓練は知っていたが、この空自の訓練内容には驚いた。そもそも日本の防衛に戦略爆撃機が必要なのか。専守防衛という枠を大きく超える可能性がある」と話す。一九八〇年の政府見解は、集団的自衛権の行使を前提とした自衛隊の訓練を認めていない。

 安倍政権は集団的自衛権の行使容認に前のめりだが、今月にも再開される首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で過去に検討された集団的自衛権行使の類型にも、戦略爆撃機の援護というケースは含まれていない。

<集団的自衛権> 自国と密接な関係にある国が攻撃された際、自国への攻撃と見なして反撃する権利。国連憲章51条では「個別的自衛権」とともに、主権国の「固有の権利」と規定している。政府は「集団的自衛権を有している」としつつも、憲法との兼ね合いで、その行使については「わが国を防衛するための必要最小限度の範囲を超えるもの」として禁じている。

(東京新聞)
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2013年08月12日(月)
阿智胡地亭便りから 「# 130 映画・夕凪の街 桜の国」
2007.08.09ブログアップ。2007.08.23メルマガ発信。

相方に誘われて「夕凪の街 桜の国」を見ました。

遠い昔の出来事ではなく、いまこの同じ時間を生きている人にも原爆のことはつながっている・・・そのことをこんなに自然に教えてくれる。

黒木和雄監督の映画「父と暮らせば」で印象が残る「うちは幸せになってはいけんのじゃ」という言葉がこの映画にも出てきてドキッとしました。

真の被害者が我が身を責め、ケロイドの残る身を人から異形の人と差別され、人の目の立たない裏通りで生をつなぎ、やがてこの世から姿を消していく。生きた証もなく。

それらのことを加害国に気を遣ってか、見てみない振りしてきた62年間。

映画が終わって、本屋で原作の漫画を買いました。
自分が知らないだけで世にスグレモノは仰山おられる・・
とまたまた思いました。

嬉しい?
十年たったけど
原爆を落とした人は私を見て
「やった!またひとり殺せた」
と ちゃんと思うてくれとる?


こんな言葉を考えつく作者の[こうの史代]さんとはどんな人でしょうか。
名前を見てふと、代々歴史を語り継ぐということからつけたペンネームかと思いました。
広島という所は凄い漫画家を生んだものですね。

前段と後段のそれぞれのヒロインを演じた麻生久美子、田中麗奈さん、それ以外の出演者も肩に力をいれず、淡々とありのままに映画の中で生きていました。

10数年前、わずか3年間とはいえ自分が住んだことがある広島の街の言葉がスクリーンに流れ、戦争当時と現代の広島の街並みが映る。漫画が原作の映画かと軽く見ていましたが、今や小説では描けないものを漫画家が表現してくれることがあると知りました。

誘ってくれなかったら見なかったかも知れないけど、今年これまでに見た映画の中ではBESTの映画でした。

8月6日が、今日9日が、それぞれ広島と長崎に62年前米国という国が、人類の上に史上初めて核兵器という大量無差別殺戮爆弾を落とした日です。

この映画は62年が経過したからこそ出来た映画だと思いました。
次の62年やそれ以上をこれから生きるであろう、今年地球上に生を受けた人類の赤ん坊を守るのは自分たちしかいない。映画を見終わった時そう思いました。
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原爆投下への抗議に関する一考察     半澤 健市
―「戦後レジーム」を忘れないために―

半澤健市 (元金融機関勤務)

《原爆投下に対する「帝国政府」の対米抗議》

 1945年8月6日の広島、同8月9日の長崎への原爆投下に対して、日本政府(「帝国政府」)は、8月10日に中立国スイス経由で米国政府へ抗議した。抗議の要旨は、「原子爆弾が国際法違反の兵器であり直ちに使用を中止せよ」というものである。

抗議の根拠は、日本も批准した1899年(1907年改定)のハーグ陸戦条約である。同条約第22条の「害敵手段の選択につき無制限の権利はないこと」、第23条第6項の「不必要な苦痛を与える兵器の禁止」に違反するというものである。

更に8月14日に発した「詔書」(「終戦の詔勅」)でも、昭和天皇は原爆を非人道兵器と認識している。「詔勅」に次の表現がある。

「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラスニ至ル」。残虐な兵器で罪のない人々殺戮しているというのである。ポツダム宣言受諾の瞬間まで、「大日本帝国」は、原爆の使用は国際法違反と認識していたのである。

しかし敗戦後、日本政府が原爆投下への対米抗議をしたことはない。それは政府答弁書で確認されている。

《訪米した昭和天皇は帰国後の会見で》

 1975年秋、昭和天皇夫妻は訪米した。注目すべきは、10月2日のフォード大統領の晩餐会と帰国後の10月31日記者会見での天皇の発言である。昭和天皇はフォードにこう言った。

この訪問で「次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国が、わが国の再建のために、温かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました」。

「私が深く悲しみとする」は、I deeply deploreと訳され、米国内で「ヒロヒトの謝罪」か否かという議論が起こった。

帰国後、皇居で日本人記者約50名による会見が行われた。多くの質問のなかで、The Times紙(「ロンドン・タイムズ」)の中村浩二記者が「天皇の戦争責任」について尋ねた。

「中国放送」(広島)の秋信利彦記者は「原爆投下への評価」を聞いた。この二つが核心を突いた質問であった。昭和天皇の答えを『朝日新聞』(1975年11月1日)の「両陛下公式会見の内容」記録から書き写しておく。

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原発事故「避難勧奨地点」指定の理不尽   東洋経済

あいまいな賠償の基準、住民同士は口もきかぬ状態に
岡田 広行 :東洋経済 記者

2013年08月11日

福島県伊達市霊山町の小国地区は、阿武隈山地の山あいに開けた農村地帯だ。住民は稲作や野菜作り、特産品「あんぽ柿」の栽培にたずさわり、長きにわたって平穏な暮らしが営まれてきた。

その山村に、原発事故による大量の放射性物質が降り注いだ。あんぽ柿からは基準値を上回る放射性セシウムが検出され、コメも作付制限を余儀なくされた。

そして、原発事故から2年半近くが過ぎようとする現在も、住民は平穏な生活を取り戻すことができないでいる。

こけから124万ベクレル、想像絶するホットスポット

季節外れの大雪に見舞われた今年4月22日。下小国の佐竹寛子さん(仮名、41)宅で市民グループによる放射能測定が行われた(写真)。参加メンバーはサーベイメーターで空中の放射線量を測るとともに、高い数字が見られた付近の土壌やこけを採取し、自らが運営する測定所にサンプルを持ち帰った。

そして高精度のゲルマニウム半導体測定器で検査したところ、驚くべき値が出た。

軒下に付着していたこけから、1キログラム当たり124万ベクレルという、きわめて高レベルの放射性セシウムが検出されたのである。

物置きの雨どい下から採取した土壌サンプルも同17万ベクレルを超えていた。測定にかかわった「福島老朽原発を考える会」(フクロウの会)の青木一政さん自身が絶句するほどの高線量だった。

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2013年08月11日(日)
海外あちこち記から 「その31  オーストリア篇 」
1977年10月入国、2002年作成、メルマガ発信。

オーストリアのリンツに本社がある鉄鋼&エンジニアリング会社のフェストに設計責任者と二人で出張しました。韓国の製鉄会社のある設備案件に応札した結果、最終選考(ショートリスト)の数社に残ったので技術応札仕様書の説明を求められたのです。

 技術条件に関する交渉のとっかかりなので、本件のパートナーの商社の同行はなくメーカーの我々だけの出張でした。

リンツの空港で同行者のトランクがその日のうちに受取れず、調査を頼んで結局、翌日の便で途中経由したロンドンのヒースロー空港から到着しました。

遅れて着いたトランクはバールでこじ開けられ、中を荒らされ鍵も壊されていました。当時、日本からの手荷物がヒースローでの積み替え時に、軒並みこじ開けられ中の現金が抜かれていた頃でした。

日本のツアーの人たちがまだトランクの表に大きくローマ字で名前を書いたり、荷物の中に現金を入れていると思われていた昭和52、3年頃の話です。トランクの中身は技術資料だけで金目のものはなく、実害はなかったけど不愉快なことでした。

彼のトランクは買い替えたばかりの新品で、私のはもう何年も使い古し、宿泊したインドやインドネシアのホテルのベルボーイが宣伝の為に勝手に貼るホテルラベルがべたべた貼られた年代物だったのが、日本人の物とおもわれず、彼らの目をつける対象外になったのかもしれません。

打合わせが終って、リンツのホテルの近くの食堂で、夕食にウインナーシュニツエルを食べてうまかった話はだいぶ前に書いたことがありますが、この本場の子牛のカツレツはパリっと仕上がっていて本当にうまかったです。

 その後、日本のレストランでメニューにウインナーシュニツエルがあれば必ずオーダーしますが、同じ味に巡り合ったことがない。向こうでは普通の(おばんざい)でしょうから、何と言う事はない「土地の料理」がうまさにつながっているのかも知れません。

仕事が終ってウイーンに出ました。路面電車の走る薄暮の町を歩き、ここで中華メシでなくともと思ったが、英語が通じるかどうかわからん肩の凝るレストランを避けて、ヨーロッパのどこの国にもある支那飯屋に入りました。店の女の子は東洋人のバイトの子で、聞くと声楽の勉強で留学している日本人でした。

定番の焼き飯とヤキソバをオーダーし、結構本場の味付けのうまいものでした。ヨーロッパでも、どこも支那飯屋のコックは中国人のオヤジだからまず間違いはありません。

  余談ながら、このあいだ日経の夕刊の「旅は未知連れ」というコラムにウイーンの「スシ」店のことが出ていました。90年代に日本人の経営ではない「スシ」店が現れ、数年にして20を越す店がひしめくようになったとある。20数年前には、ウイーンの町には日本飯屋はあったかもしれないが、寿司屋はなかった。

ヘルシーがキーワードとは言えここまで世界を席巻するとは驚くが、これも寿司ロボット、回転すしベルトのハイテク装備の開発、輸出がバックにあってこそらしい。

北陸地方のみにいくつかあるこれらのメーカーは商売運営のソフト込みで世界に回転寿司ビジネスをいまだに売り込み中らしい。ロンドン、パリ、モスコーなど経営者は中国人か韓国人が殆どのようです。

ウイーンには当時の私の勤務先からJETROに出向していたTさんが駐在されていました。日本から連絡しお願いしていたこともあり、翌日の日曜日に車で市内を案内して頂いた。

 印象に残っているのは;

「ウイーンの森」の大木がどこまでも連なるその下の地面に雑草が全くといっていいほどないこと。ずうっと土が見えている。

緯度が高いので太陽光のエネルギーが日本なんかと比較にならないほど弱くて、夏でも雑草が生えないのではないかとの説明だった。一口に森といっても、全然違った。

 オモテは音楽の都ではあるが、実際は東西の情報戦の最前線であると聞いた事。ベルリンの壁が崩される日が来るなどと誰も想像だにしていなかった頃で、ここに住む西側、東側の各国の人間は表面の職業はいろいろだが、殆どCIAなど全世界の国のインテリジェンス関連の人間だと聞いた。

お上りさんとしては当然、映画「第三の男」で(オーソン・ウェルズ扮する)ハリーの愛人の女性がチターの演奏をバックにコツコツと歩み去った枯れ葉の積もった並木道にも連れて行ってもらったはずだが、こちらはあまり覚えていない。

 後はまあ、オーストリア帝国時代の宮殿や大聖堂などヨーロッパの一つの貴族文明の拠点を示す凄い建築物と庭園があったと思うが、8年間の貿易部所属時の海外出張で撮った写真類は、この20数年間段ボール箱に全て放り来んだままで整理してないので、全てはおぼろげな記憶であります。
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福島原発対策 国際海洋汚染の自覚を   東京新聞社説
2013年8月10日

何と恐ろしい話だろう。今この瞬間にも、放射能に汚染された地下水が海に流れ込んでいる。政府試算では、その量は一日三百トンにも上る。流出の元を誰かが断たねば、海洋汚染は広がるばかりだ。

 目の前の漁場を汚され、生活の糧を奪われ、なすすべもない漁師の心中は、察するに余りある。

 流出がこのまま続けば、英国の石油資本BPによる三年前のメキシコ湾原油流出事故を上回る、国際海洋汚染事件に発展する恐れもあるのではないか。

 九日の長崎平和宣言は「東京電力福島第一原発事故は、いまだ収束せず、放射能の被害は拡大しています」と訴えた。止められない汚染水は、被害拡大の象徴ではないか。

 恐れるべきは、この拡大の責任者が、国なのか東電なのか、はっきりしないことである。

 経済産業省は、1~4号機の周りにパイプを巡らせ、マイナス四〇度の冷却材を循環させて、凍土の壁で囲い込み、地下水の流入を食い止める計画に、国費を投入するという。

 トンネル工事に用いられる工法だが、これほど大規模な遮水工事に効果があるかどうかは未知数だ。事故直後から構想はありながら、実行に移されてはいなかった。冷却材を循環させ続けねばならず、電力も費用もかかる。恒久的な対策とは思われない。

 水の流れを、地中で完全に遮断するのは難しい。遮水工事を進めるのと同時に必要なのが、流出する地下水を減らす方法を見つけることだ。

 地下水の建屋への流入経路と、汚染水となって海へ広がる流出経路を突き止めて、完璧にふさいでしまうための調査こそ、必要なのではないか。

 建屋の周辺では、高い放射線量があらゆる作業を阻む、だとすれば、例えば日本のものづくり技術を総動員して、遠隔操作で探査や作業ができるロボットの開発を急ぐべきではないか。

 誰が費用を負担するかを議論しているような場合ではない。東電の負担なら電力料金に跳ね返る。国費なら税金だ。結局、負担するのは国民なのだ。

 その国民も、両者がそれぞれに全力を挙げ、一刻も早く汚染水の流出が止まり、廃炉への作業が安全に進むよう願っている。

国費をつぎ込む以上、研究や作業の進み具合を、周辺住民はもちろん、国民すべてに速やかに報告すべきは、言うまでもない。
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福島第一の汚染地下水、地中壁越え再び海に流出  読売新聞 
8月10日(土)19時41分配信

 東京電力福島第一原子力発電所で汚染された地下水が海に流出している問題で、東電は10日、汚染水をせきとめるため地中に作った壁の上から、地下水が海に流出していることを確認したと発表した。

 壁は、地表から約180センチの深さの地中が上端となっているが、壁に近い陸側で汚染水の水位を調べたところ、壁より約60センチ高いことが判明したという。

 東電は、汚染された地下水の海への流出を止めるため、7月から護岸に特殊な薬を入れ、地中に壁を作る工事を始めた。しかし工事の後、地下水の水位が上昇しており、壁を乗り越えて海に地下水が流出する可能性が指摘されていた。
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やはり後ろめたかったアメリカのトルーマン大統領ら   共同通信
「原爆の父」英博士が米国批判 放射線被害、過小評価と
2013/08/10 10:08

【ロンドン共同】英国の核開発を主導し「原爆の父」と呼ばれ、米国の原爆開発にも関与したウィリアム・ペニー博士(1991年死去)が日本への原爆投下から約4カ月後、「米国は放射線被害を(政治的な目的で)過小評価している」と強く批判していたことが10日までに、英公文書館に保管されていた文書で分かった。

博士は独自に「殺傷要因」を特定するため、英科学者を米国の核実験に派遣する必要性を訴えていた。

 米国は当時、放射線による悲惨な被害実態が世界に知られることを警戒、厳しい報道規制を敷いていた。

文書は、米国が最重要同盟国の英国に対しても核兵器の本質を隠していたことを示している。
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署の外だけでなく中でも罪人を作る日本警察の仕組み

「ウソでも実績を…」 交通反則金「割引」の元警察官が語る違反キップの“裏事情”

産経新聞 8月10日(土)16時4分配信

 交通取り締まりの際、反則金が安くなるよう実際の違反と異なる内容の反則切符を切ったとして、虚偽有印公文書作成などの罪に問われた元警視庁浅草署巡査部長の男性被告(51)の公判。警察官が「値引き」を繰り返した背景には、違反者にとって喜べないような話も含むさまざまな“裏事情”があったようだ。(時吉達也)

 警察関係者十数人が傍聴席から見つめる中、東京地裁で1日に開かれた初公判。冒頭で裁判長から職業を聞かれた被告は、「無職です!」と語気を強め、すでに辞職したことを明らかにした。

 検察側の冒頭陳述によると、被告は昭和59年に大学卒業後、警察官を拝命。平成23年以降、浅草署に勤務し交通取り締まりを担当していた。

 被告は2件の取り締まりで、虚偽の反則切符を作成したとして起訴された。1件目は平成23年12月。実際は「乗用車が赤色点滅信号のある交差点で一時停止をしなかった」という違反なのに、「原付きバイクが適切なレーンを走らず交差点を大回りした」という「右左折方法違反」の反則切符を作成した。本来なら反則金は7千円だが、3千円に減額された。

 もう1件は今年2月。交差点で左折専用レーンを直進した原付きバイクの男性を、やはり右左折方法違反で処理した。このケースでは反則金は5千円だが、3千円に減額された。2月の処理で運転手から「反則金の安い方で処理するといわれた」と浅草署に申し出があり、犯行が発覚した。

 職場を追われる危険を冒してまで、反則金の「割引」を繰り返した理由は何だったのか。6月の逮捕当時、被告は「偽造は記憶にない」と容疑を否認したが、その後の警視庁の調べで、過去5年間に虚偽の反則切符を30件交付していたことが判明。

「より軽い違反にした方が素直に取り締まりに応じてくれると思った」と供述を変遷させていた。

 一方、公判の罪状認否では、起訴内容を認めた上で「虚偽の切符を交付したのは事実だが、運転手に哀願されてやったということを認めてほしい」と強調。違反処理上の都合ではなく、あくまでも運転手側への配慮だったとする主張に転じた。

 確かに1件目の事件では、初心者マークだった男性運転手への同情が働いていたようだ。証拠調べでは「家が近所だという話になり、『しょうがないから安くしてやるよ』と言われた」とする男性運転手の供述調書が読み上げられた。

 被告は弁護人の質問に対し、免許取得から1年以内の運転初心者が一定の違反を犯すと再講習が課せられる点に言及し「哀願され、講習はかわいそうだと思った」と振り返った。
 一方、2件目の事件からは、被告側の事情が働いていたことも明らかになった。検察側は冒頭陳述で、職務質問での検挙実績を上げていなかったことを犯行の直前に上司に叱責されていた、と指摘。それを挽回する目的で交通ルールの複雑な交差点に立ち、違反の取り締まりを狙ったと主張した。弁護側の質問に対し、被告も事実を認めた。 

弁護人「実績を上げるために取り締まりに出たんですか」

 被告「『自転車盗の検挙もないのか、反則切符の検挙もないのか』といわれて…。嘘をついてでも実績を残したい、1本でも反則切符を切りたいという思いでした

 弁護人「上司との関係が良くなかった?」

 被告「『上から目線』の人で、仲は良くなかったです」

 被告は続けて、交通取り締まりの運用について、こう述べた。「原付きバイクが左折専用レーンを直進する行為は、実務上は反則切符を切らず、注意にとどめていた」。

 ここで、ある疑念がわいた。被告がいう通り、原付きバイクの左折レーン直進では反則切符を切らないという運用が警察でなされているのなら、被告がこの違反を「右左折方法違反」で処理したことは、運転者にとっては通常なら払う必要のない反則金を払わされていることになるのではないか。しかも、被告にとっては検挙実績も上げられるではないか-。

 被告の法廷供述を聞けば聞くほどこうした疑念がわいてきたが、被告はこれを否定、次のように述べた。

 被告「違反内容は別のものでも切符を交付することで、運転手に交通違反を実感させ、反省を深めてもらいたかった」

 一方、検察側は犯行に至った「第三の理由」として、2件の反則に適用された「右左折方法違反」以外での書類の書き方を被告がよく理解していなかったと指摘、追及した。

検察官「『はじめから右左折方法違反で切符を切ればいいと考えていた』と供述したとする調書に署名していますよね」

 被告「勝手にそう作成したんじゃないですか? 私は一貫して『哀願されてやった』と言っている」

 元同僚らの前で「能力不足」と指摘されたかのような主張に腹を立てたのか、検察官に対するいらだちをあらわにしていく被告。検察官は被告に「処分を軽くするよう求められても実際の違反で処理すべきだった」という現在の認識を確認し、さらに質問を続けたが、被告は憤りを爆発させた。

 検察官「それなのに、どうして違反内容を軽くしたんですか」

 被告「先ほどから言っている通り、哀願されたから…」

 検察官「そうではなくて-」

 被告「話を最後まで聞いてくれませんか!」

 裁判長から「じゃあ好きに話していいから、感情的にならないで」といさめられる被告。「話を中断しないでほしい」と不満を漏らしつつ、過去に切符を切った約120件のうち、30件以外は通常の手続きで行っていることを強調した。

 かみ合わないやり取りが続いた被告人質問の最後に、裁判長が改めて尋ねた。

 裁判長「実績を上げるよう叱咤されたというが、捏造がばれればより厳しい処分を受けることが分かっていたわけですよね。危険を冒してまで繰り返した理由が分からないんですが…」

 被告「いつか捕まるとは思っていた。ビクビクしながらやっていました」

 それならなぜ…。疑問は最後まで解けず、裁判長は首をかしげつつ検察官に論告求刑を促した。
 検察側は「警察官の職務執行に対する信用を揺るがした悪質な犯行で、『実績を上げたい』という動機に酌量の余地はない」として懲役1年6月を求刑。

弁護側は「被告本人は犯行で利益を得ておらず、警官を辞めたことから再犯可能性もない」として執行猶予付き判決を求めた。判決は9月3日に言い渡される。

 「今後反則切符の内容が精査され、厳しくみられるようになる。都民や上司の目が厳しくなるのが申し訳ない」。被告が法廷で述べた反省の弁は、元同僚の警察官に向けたものだった。


しかも、「いいかげんなキップを切れなくなり、仕事がやりづらくなって申し訳ない」という言葉とほぼ同義のものだった。不適正な取り締まりを繰り返したことについての都民への謝罪は、最後までなかった。
 
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