2013年07月31日(水)
2006.11.23作成、メルマガ発信。 日本では母親が小さい時から子供にこう言う。 「目上の人や先輩に可愛がられるようにしなさいよ、生意気と思われないように、目立たないようにしなさいよ」と。 最近はそんなことはないかも知れないが、私の子供の頃の世間の母親は、我が母親を含めてそう言って子供に言い聞かせたのが普通のような気がする。 おそらく、この教えは徳川幕藩体制の江戸時代に生きた日本人から今に続く呪縛(ちょっと大げさ?)ではないだろうか。 つまりは、上に対して従順でいささかも批判や、まして反逆、体制転覆を計るような心根の人間は作らないという強い圧力だったのではないだろうか。 鎖国までして国民の行動の自由を制限し、我が一族の未来永劫の継続と安穏を図った徳川一族さんとその取り巻き連中は、今の北朝鮮の金体制と全く変わらない。 最近の民間企業で言えば、ダイエーや西武Gの晩年の中内さんや堤さんの支配体制下のやり方と同じだ。 ☆アメリカの女子ゴルフの世界で長年頑張ってきた「小林浩美プロ」の次のような言葉を読んで上のようなことを思った。 日本選手と体つきが変わらない韓国勢がメジャーを制しているが、という質問に対して、彼女はこう答えている。 「国民性や社会環境の違いもある。韓国人はしっかり自己主張するなど米国人と似た面がある。 日本人は基本的に自己主張ができない。日本が、出る杭は打たれる社会だからだ。自分が目立つと引くところがある。出るクイをどんどん伸ばす環境でないと世界での戦いは難しい」 |
うちの相方がワールドサッカーのテレビ中継を見ていて、「日本の選手のパス廻しは他の国より上手いね。でも、ゴールに向かって蹴れば!と思うときにもどうして他の人にボールをまわしてしまうの?」と聞いたのも、同じことを言ったのかも知れない。
「徳川家康の呪縛」はほぼ270年も続いたから、これを我々が脱するにはまだまだ時間がかかるかも。
しかし「シンジョウ」や「イチロー」や、「ヨーコ オノ」さん「山本容子」さんなどを筆頭とする女性軍の出現を見ると、さすがの呪縛もほどけてきたのかも知れない。
「徳川家康の呪縛」はほぼ270年も続いたから、これを我々が脱するにはまだまだ時間がかかるかも。
しかし「シンジョウ」や「イチロー」や、「ヨーコ オノ」さん「山本容子」さんなどを筆頭とする女性軍の出現を見ると、さすがの呪縛もほどけてきたのかも知れない。
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慈恵医大でもデータ操作 論文撤回へ、降圧剤臨床問題
2013年7月30日 23時03分
降圧剤ディオバンをめぐる問題で中間報告をまとめ、記者会見で謝罪する東京慈恵医大の橋本和弘調査委員長(左から2人目)ら=30日夕、東京都港区
(スイスに本社がある)ノバルティスファーマ(東京)の降圧剤ディオバン(一般名バルサルタン)を使った臨床研究の信頼性を検証していた東京慈恵医大の調査委員会は30日、血圧値のデータが操作されていたとする中間報告をまとめた。 研究責任者の望月正武客員教授は「重大な疑念を生じさせた」として英医学誌ランセットに掲載された論文の撤回を申し出るとのコメントを発表した。 京都府立医大の研究に続くデータ操作と論文撤回という重大事態で、日本の臨床研究に対する信頼失墜は深刻さを増した。 7月30日 19時24分 NHKNEWSweb 大手製薬会社「ノバルティスファーマ」の高血圧の薬の効果を調べた複数の大学の臨床研究にこの会社の社員が関与していた問題で、東京慈恵会医科大学の調査委員会は、30日、論文に記載された血圧のデータに人為的な操作が相当数、加えられていたという中間報告を発表しました。 この問題でデータの操作が指摘されたのは京都府立医科大学に続いて2件目です。 この問題は、ノバルティスファーマが販売する高血圧の治療薬「ディオバン」の効果を調べた複数の大学の臨床研究にこの会社の当時の社員が関与していたもので、このうち京都府立医科大学は、論文のデータには人為的な操作があり、ほかの薬より脳卒中や狭心症を減らせるとした臨床研究の結果には誤りがあった可能性が高いとする調査結果を発表しています。 30日、東京慈恵会医科大学の調査委員会が発表した中間報告によりますと大学の研究グループが行った臨床研究の論文には、患者の血圧のデータにカルテの記載と異なるものが相当数あり、人為的なデータの操作があったとしています。 これについて調査委員会は、データの操作は、大学の研究者が行ったものではなくデータの解析の段階で行われたとみられるとしています。 そのうえでデータの解析は、ノバルティスファーマの当時の社員に委ねられていたにもかかわらず、論文にはノバルティスファーマは関与していないと事実に反する記載があり、研究チームの教授の責任は重いとしています。
高血圧薬のディオバンはこうした臨床研究の結果を薬の販売促進などに使っていて、年間1000億円以上を売り上げる商品になっていました。
☆阿智胡地亭はもう3年近く「ディオバン」を毎朝飲んでいる。 血圧を下げるという効能では一定の評価を受けているのに、他の効能もあるかのように工作して、他社のバルサルタン製品との差別化をしようとしたようだ。(看てもらっている先生から聞いた話) やらんでもええことして、アホなやっちゃ。 薬品業界にデータ操作を不思議としない体質があるとは思いたくないが、日本の大学がいい加減なもんやと世界中に思われるような事態がまだまだ続きそうだ。
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2013年7月30日 東京新聞朝刊
鈴木喜代治さんが残したメモから。原爆投下から間もない一九四五年秋に、広島市内を撮影した記録映画の撮影メモが見つかった。 放射能汚染の不安がある中で、カメラマンが冷静に撮影データを記していた。専門家は「撮影隊の動向や、各場面の撮影時期などを特定できる」と、メモの価値に関心を示している。 (藤浪繁雄) メモは、原爆の記録映画「広島・長崎における原子爆弾の影響」を製作した日本映画社のカメラマン鈴木喜代治(きよじ)さんが作成。 作品は約二十年にわたり米軍が接収するなど「幻のフィルム」と呼ばれた。孫の能勢広さん(44)=相模原市南区=が最近自宅で見つけた。 当時、東京にいた四十五歳の鈴木さんは、広島に入る直前の同年九月十八日から、手のひらサイズのメモに記録し始めた。メモや広島平和記念資料館(広島市中区)によると、撮影隊は五班あり、鈴木さんがいた生物班が最も早く現地入りし、九月二十四日~十月二日に撮影した。 生物班は日本人の学者に同行し、植生の状況を調べる様子を撮影したほか、放射能の影響を建造物などから調べる物理班にも加わった。 二十六ページのメモには映画の主な場面をスケッチし、日付やカメラの絞りの数値なども記録した。 爆心地近くの護国神社付近で測定機を使い、放射線量を調査する場面では「爆心の附近(ふきん)の目標を印象づけるため」と記述。 荒野と化した市街地に残る鳥居を写し込むように撮った狙いも書き残した。熱線の影響を受けた葉の変色を白黒フィルムでもはっきり見せようと、「不鮮明につき二通り撮影ス」と、こだわりも随所にみせている。 生物班は十月上旬、長崎に移動したが、鈴木さんは腎臓を患い、広島赤十字病院に約二十日間入院。その後の撮影には参加しなかった。メモは十月二十九日まであり、別の紙には療養中、「次から次へ自分を、追い越して行くものがある」などと長崎に行けない焦りもつづった。 鈴木さんは戦後、科学教育関連の映像を中心に撮影。八九年、八十八歳で亡くなった。 この作品に詳しい広島平和記念資料館学芸員の落葉裕信さんは「生物班の動向に加え、物理班も含めた撮影の様子が分かる」と価値を指摘。孫の能勢さんは「常識では考えられないような惨状の広島で、データを未来に残そうという使命を持ち、懸命に撮影したのだろう。 (原発事故で)放射能の問題を抱える今もこの映画は貴重だと思う」と話している。 <「広島・長崎における原子爆弾の影響」> 日本映画社が学術調査団に同行し、1945年9月から広島と長崎で原爆の実態や被害の様子を撮影した記録映画。長崎での撮影中、GHQに中止を命じられ、米軍管理下で製作を再開。翌年完成した作品は米国に接収された。 67年に複製が返還され、2010年には完全版のDVDが発売された。問い合わせはクエスト=電03(6380)3031。
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