2011年04月07日(木)
一部引用・・ 電力関係・原発推進関係に携わっている人も多いから、 アイドルとしての立場の私は、賛成か反対かは あまり明確にしない方が、本当は良いのかも知れない。 ラブ&ピース がんばろう日本! みたいなことだけ言ってた方が、 アイドルとしては活動しやすいのかもしれない。 こういうこと書くと、ファン減るかもね。 でも、減ってもいいや。 私は中途半端なことは言いたくない。 人にどう言われようが、叩かれようが、 はっきりと、自分はこう思っているんだって 言うことを言いたい。 ☆ 全文はこちら . |
朝日新聞から引用・・ 生きていくあなたへ 中学を出るまでは福島県郡山市で育ちました。僕の情操を育ててくれた故郷です。仲良しの友達や恩師もいて、時折、わいわい酒を飲みます。 地震と津波があって、福島第一原発のことがあるから、いたたまれない気持ちでいっぱいでね。我慢強い人が多い福島ですけど、今度だけは、ね。東京電力や原発を進めてきた政治家たちに怒りの声を張り上げたい。 あの原発がつくる電力は地元で使うものではなく、首都圏のためでした。なのに受け入れてきた。安全と説かれてきましたが、今回のことはきちんと「想定」されてきたのでしょうか。 今、20キロ圏内の人は、行方の分からない家族を自ら捜しにいくこともできない。放射性物質に「汚染」されていると言う人がいる……。 もちろん、命をかけて現場で働いている方々には感謝しています。こんなことを言ったから事態が早く収まるわけもない。でも、故郷のことは今、ちょっと落ち着いて語れないんです。 (朝日新聞 2011年4月6日) 西田の発言を引用したエントリは「原発、「負の世界遺産」と「負の人材たち」、 そして、怒りを語ることの意味」。 一部引用・・ 静岡県御前崎市の浜岡原発は、いわゆる「東海大地震」の震源域の真上にある。この原発に対する津波防護策は、たった7メートルの砂丘でしかない。 今回の事故を受けて、浜岡原発を運転する中部電力は「12メートルの塀を新たに設置する」などと発表したけれど、繰り返すが、今回は最大で38メートルの津波が襲ったのだ。福島原発にも、推定で14メートルをはるかに超える津波が押し寄せた。7メートルの砂丘と12メートルの塀(堤防ではなく「塀」なのだ)で、どう防ぐというのか? その中部電力の発表を真に受けて、「浜岡原発は安全だ」という発言を繰り返すのが、静岡選出の自民党・片山さつき議員だ。12メートルの「塀」で、ほんとうに巨大津波が防げると思っているとしたら、この人の頭のネジは確実に外れている。これが政治家だ。 とにかく、東海地震が来る前に、せめて、浜岡原発は止めなければならない。 福島原発による連日の高濃度放射性物質の海洋への垂れ流しや、風での飛散。それらによる海産物や野菜の汚染、人体への影響。ことに乳幼児を含む子どもたち、妊娠中の若い母親たちの不安。 それらの報道を連日のように目にしながら、なおも浜岡原発を容認する人たち。「原発がなければどう生活するのか」などと開き直る人たちが多数なのか。もしそれがこの国の進み行きであるとするなら、僕は自分の国に絶望する…。 |
・JR東北線・福島―岩沼間再開 新幹線、12日福島に(13:33) ・体育館避難で悲劇も 津波、仙台の3小学校襲う(13:36) ・鉄スクラップの出口なし 車解体業者、製鉄所停止で苦境(13:33) ・ふんばる 3.11大震災/食料供給絶対止めぬ(09:30) ・3月新車販売58.6%減 東北震災で落ち込み最悪(06:10) ・仙台・青葉まつり中止 来月「残念だが復興優先」(06:10) ・車運搬船きょう仙台へ 販売店向け まずホンダ(06:10) ・県営工業用水道、月内全通 仙台港は中旬にも(06:10) ・腐敗水産物運び出し本格化 あすから海洋投棄 気仙沼(06:10) ・飼料品薄 畜産に打撃「餌を腹いっぱい食べさせたい」(06:10) ・仙台地下鉄、29日全面再開 台原―泉中央 工事1ヵ月短縮(06:10) ・宮城県、仮設建設業者を公募 供給力幅広く結集(06:10) 河北新報サイト |
☆日にち薬というやまと言葉がある。ある意味人間は時間の存在でもある。時間の経過と共に辛い記憶は薄れていく。人間は思う以上にタフにできている。しかし意識の外に消えたと思っていても、何かの拍子に体を揺すり続ける記憶が蘇える。一生持ち続けるしかないことが人間にはある。 「遅れて」やってくるPTSD-「心の傷は生涯癒えないことがある」 一部引用・・ みなさんは、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)をご存知でしょうか。「危うく死ぬ、または重症を負うような出来事」を経験した後に起こります。症状としては、強い不安や恐怖、イライラした気持ち、不眠、そして、震災直後の状況がその時の恐怖心とともに生々しく記憶の中で蘇る、フラッシュバックなどがあります。 なぜPTSDが問題かと言うと、震災のような重大な出来事の後、1カ月以上経過してから発症し、人によっては長期化することもあるからです。年単位で症状に苦しむ方もいらっしゃいます。 -「身体の傷は何カ月かで癒えるのに心の傷はどうして癒えないのか。四十年前の傷がなお血を流す」 (ポール・ヴァレリー) 以前にもご紹介した精神科医の中井久夫氏(阪神淡路大震災の当時の神戸大教授)は、その著書で、ポール・ヴァレリーの詩を引用して、次のように述べています。 「心の傷は生涯癒えないことがある」 全文はこちら |
4月5日、福島第1原発がある福島県双葉地方の首長らが菅首相と面談して要望をした後、日本記者クラブで記者会見した。画面が出てから会見開始までに一分ほど時間がかります。 |
内閣府原子力員会のHPはこちら 引用論文は平成16年3月8日(月)に開かれた「原子力委員会 長計についてご意見を聴く会(第6回)議事次第 」に掲載されている。 こちら ■原子力長期計画への意見要旨 長聴第6-2号 産経新聞論説顧問 飯田 浩史 ①原子力発電が発電エネルギーの主軸であるとの現長計の在り方は維持すべきである。 ②現在34%といわれている原子力のシェアは少なくとも40%程度まで引き上げるべきである(現在の年間発電総量は約1兆キロ㍗)。 ③地球温暖化防止推進大綱では原子力発電を3割程度増やすと明記している(基数では10~13基に当たる)が、新潟県巻町や石川県珠洲市などの新設断念を受けて先月半ばから始まった「大綱の見直し」作業では、「原子力の増新設計画は破綻した。原子力を当てにしない新大綱をつくるべき」との意見がでている。しかし、これは評論家的な意見で代替エネルギーをなににするかの提案がない。1基増やせば二酸化炭素の排出量を0.7%削減でき、逆に原発を減らせばその分排出が増える。これは昨年の東電不祥事による同社所有の原子力発電所17基がストップし代替に化石燃料発電で急場を凌いだために年間約2000万㌧の二酸化炭素の排出増となった(これにより東電の年間排出総量は約1億㌧になった)ことで立証された。 ④安全と信頼は違う。17基の再開に向けた健全性評価小委員会で、工学的、科学的な健全性は認められたが、地域住民の安心・信頼感は拭えないことを痛感した。それは東電のひび隠しを見逃した経産省の部局がなにをいっても信頼されないのは当然で、信用がない各省庁のなかで比較的国民の信頼がある環境省が「原子力発電は地球温暖化防止の決め手だ」と表明すれば納得する国民も多いのではないか。だが、肝心の同省は原子力発電には消極的である。長計の見直し作業には環境省も参加させ、地球温暖化防止の観点から意見をいわせるべき。日本の二酸化炭素の年間総排出量は12億5000万㌧、このうち4分の1が電力会社の化石燃料による発電施設からであることを考えればおのずからわかることだ。 ⑤核燃料サイクル政策はもっと早く完成させるべき。最終費用が19兆とかいわれるが、もしワンススルーだった場合に同じ期間に排出する使用済み燃料の処分にいくらかかるのか、どのような方法でどこに処分できるのか検証すべき。同時に同期間の発電総量のエネルギーにいくら費用がかかるのかも。現在各原子力発電所のサイトに約1万㌧の使用済み燃料が保管されているが、これもどう処分するのか。 ⑥燃料転換といっても化石燃料間では石炭を100とした場合石油は70、天然ガスは60で、二酸化炭素の削減にはあまり効果はない。フランスは発電エネルギーの78%を原発にたよっており、このお陰でEU全体では京都議定書の削減率は8%なのに、フランスはゼロ、逆に石炭発電が52%のドイツは21%の削減が義務付けられている。 ⑦原子力発電には絶対の安全性が求められている(物事に絶対はないが)。だが、世界で400基以上もある原発で1965年以降(はじめからの意)これまでに住民らの被爆被害は1件もない。ひるがえって同期間の航空機事故は50件で約7300人が犠牲になっている。もし…をいうなら航空機には乗れないことになるが、みなさんは平気でのっている。これを法律用語では「危険への接近」といい、事故にあっても賠償額は減らされても文句はいえないことになる。 |
☆「戦艦大和」を描いた文学作品では作家吉田満の代表作『戦艦大和ノ最期』がよく知られている。戦艦大和の出撃から沈没までをつづった記録ではあるがノンフィクションではなく、太平洋戦争(大東亜戦争)を題材とした戦記文学の1つである。機会があればご一読を勧めます。ある時期(と言うか現在まで続く)の日本列島人の集団における思考と行動が活写されています。 以下は戦艦大和サイトから一部引用・・ 昭和20年4月5日13:59発令(電令作第603号) 第1遊撃部隊「大和、信濃、第二水雷隊(矢矧及び駆逐艦6隻)」は海上特攻として8日藜明沖縄島に突入を目途とし急速出撃を準備すべし。 昭和20年4月5日15:00発令(電令作第607号) 1 帝国海軍部隊および第6航空軍は6日以降全力をあげて沖縄周辺敵艦船を攻撃せんとす。 2 陸軍第8飛行師団は協力攻撃を実施、第32軍は7日より総攻撃を開始し、敵上陸部隊の掃滅を企図す。 3 海上特攻隊は7日黎明時豊後水道出撃、8日黎明時沖縄西方海面に突入、敵水上艦艇ならびに輸送船団を攻撃撃滅すべし。 昭和20年4月6日連合艦隊指令長官訓示 帝国海軍部隊は陸軍と協力空海陸の全力をあげて沖縄島周辺の敵艦隊に対する総攻撃を決行せんとす。皇国の興廃はまさに此の一挙にあり。ここに海上特攻隊を編成壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国海軍力をこの一戦に結集し、光輝ある帝国海軍海上部隊の伝統を発揚するとともに、此の光栄を後に伝えんとするに外ならず。各隊はその特攻隊たると否とを問わず愈々殊死奮戦敵艦隊を随所に殲滅しもって皇国無窮の礎を確立すべし。 ◎戦艦「大和」は、艦隊決戦の切り札となるべく、昭和12年11月4日に呉海軍工廠において起工された。大和は対米英開戦直後の昭和16年12月16日に海軍に引き渡されて竣工、第一戦隊に編入された。昭和17年2月には、これまで12年間にわたり連合艦隊の旗艦を務めた「長門」から旗艦の地位を譲り受け山本五十六長官の将旗を掲げる事となった。 太平洋戦争が始まり、日本は破竹の進撃を続けたわけであるが、その間大和は瀬戸内海の柱島基地において訓練に励んでいた。その後太平洋戦争の天王山とも呼ばれるミッドウェイ海戦に参加した。昭和17年6月5日に海戦が始まったが、南雲艦隊は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻の航空母艦を失い、大敗北となった。その時大和は戦場から300海里も離れており、応援のすべもなく、柱島基地に帰投した。 昭和18年8月、戦場はソロモン海域に移り、大和も南方戦線の最大拠点であるトラック島に進出した。その後戦局は悪化していき、昭和18年2月に大和は旗艦の座を二号艦の「武蔵」に譲ることとなった。その間大和はトラック島と日本を何度か往復したが、出撃の機会は訪れなかった。昭和18年12月に大和は米潜水艦スケートの雷撃を受け、魚雷1本が右舷に命中、初めて損傷を被り、呉海軍工廠にて修理と共に高角砲、機銃の増設等の改装工事が行われた。 修理を終えた大和はリンガ泊地に進出し、米軍のサイパン侵攻に備えた。そして昭和19年6月11日から米機動部隊によるサイパン空襲が行われたことから救援に行き、昭和19年6月19日、マリアナ沖海戦となる。この時初めて大和の主砲は実戦で火を噴いたのである。目標は敵艦船ではなく、敵艦載機で27発(3斉射)を撃ったにすぎなかった。 その後大和は、昭和19年10月23日のレイテ沖海戦に参加した。24日大和はシブヤン海域において米艦載機の攻撃を受け、主砲31発を発射するが、爆弾一発が命中した。翌25日、サマール沖で偶然敵護衛空母艦隊に出くわし、敵空母に向かって3式通常弾24発、徹甲弾100発の主砲を発射し、敵空母に損傷を与えた。これが水上艦船に対する最初で最後の大和の主砲攻撃となった。この海戦において日本海軍は「武蔵」他多数の艦船を失い、連合艦隊は事実上壊滅した。 大和はその後日本に戻ったが、昭和20年4月1日に米軍が沖縄上陸した事から水上特攻部隊として出撃し、生還を望まない攻撃に出発した。大和は昭和20年4月6日に出撃したが、翌7日に米艦載機386機による波状攻撃を受け、爆弾6発、魚雷10本以上を受け、午後2時23分、九州坊ノ岬沖90海里の地点で2498名の乗組員と共に海底深く沈没したのである。この時の主砲は27発しか発射されなかった。 引用先 こちら。 戦艦大和艦歌(坂井保郎 詞) 遠すめらぎの 畏くも 肇めたまいし 大大和 永久に栄ゆる 日の本の 神武の正気 今ここに こりてぞ成れる 浮きつ城 しこの御楯と 畏みて たおれて止まぬ 尽忠の 大和ますらお 数二千 心を磨き わざを練り 断乎と守れ 太平洋 ああ悠久に 伝うべき 八紘為宇の 大理想 行くてをはばむ 敵あらば 無敵の巨砲 雷と吼え 撃ちてし止まん 大和砲 |
☆4月5日に読んだブログです。 ○「一日も早く」にとらわれない 香山リカ こちら ○被災地を物資を届けた国会議員レポート 山尾しおり こちら ○リスクヘッジについて 内田 樹 こちら ○農産物の風評被害 岡田克也 こちら ○良い官僚、悪い官僚 大西 宏 こちら |
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2011年04月05日(火)
この日、東電は「5.6号機のタービン建屋内の水位が上がり、ディーゼルエンジンの水没を防ぐため」、または「より高濃度の汚染水が溢れて漏出してしまうのを防ぐため」との理由から、比較的低濃度とされる地下の汚染水1万トン以上の海洋への放水を決定。夕方より実施した。なぜ今日なのか、という質問に明確な答えのないまま、回答は22時の会見へ持ち越された。 しかし、そこでの東電側の説明から、建屋内に染み出している汚染水で確認出来たのは1箇所のみ(2L/分弱)と判明。 他にも数ヶ所から漏れており徐々に水位が上がる恐れがあったため、と付け加えたものの、どれほど建屋内に漏れ、どれほど水位が上がっているか、など具体的な情報が曖昧なまま、汚染水1万トン以上を海に垂れ流すという、前代未聞の措置を取ったことが露呈した。 これに対しフリーの日隅記者、木野記者が、本当に放水が必要だったのか、を激しく追及。 さらに日隅記者、木野記者にフリーの上杉隆氏も加わり、放水を判断した責任者の名前、この会見時2階の本部にいる(この会見において責任者の名前を出さないという判断を下した)責任者の名前の開示を、これも再三に渡って求めるものの、最後まで責任者の名前を明かすことはなかった。 記者会見は↓ |
2011年04月03日16時04分 原発事故について現下はまだ緊急事態であり、人災的要因などの追究は後日でもいいように思うのだが、さすがにこれはがっくりきたので記しておきたい。ようやく福島第一原発から半径20キロ以内大気中の放射線量の測定が開始になったことだ。しかも、米国からの要請なのである。 ニュース記事を拾っておこう。3日5時4分NHK「20キロ内でも放射線量測定」(参照)より。 福島第一原子力発電所の周辺での放射性物質の拡散状況について、政府と東京電力は、これまで調査を行っていなかった、原発から半径20キロ以内の地域についても、新たに大気中の放射線量の測定を始めました。 これまで公式には調査がなされていなかったというのが事実、というのを確認しておきたい。 なぜこれまで測定しなかったのか。 福島第一原子力発電所の周辺での放射性物質の拡散状況について、政府と東京電力は、これまで、原発の敷地内や、「避難指示」が出されている半径20キロより外側の地域で、大気中の放射線量の測定を行っていますが、半径20キロ以内では、ほとんどの住民が避難を終えていることや、測定には被ばくの危険性が高まることなどから、詳しい測定を行っていませんでした。 理由は2点とされている。 (1) すでに20km以内は住民が避難しているので測定する必要はない (2) 測定すると被曝の危険性が高まる。 理由になっていないと思われる。(1)については、一定期間の測定があれば、一時帰宅の可能性の検討できるし、該当環境の被害の累積的な状況がわかるはずだ。明らかに有益な情報となる。 被曝の危険性とする(2)だが、すでに原発現場で作業されている方との比較で考えても対応は可能であろうし、原発近くの線量が高いのであれば、例えば5km圏内は測定しないということでもよいだろう。 陰謀論的に考えたくはないが、これまで計測してこなかった理由は、緊急時ということは当然あるとしても、それ以外にも避けたい理由はあったのだろう。 ではなぜ実施されるようになったかというと米国からの要請である。 しかし、福島第一原発の対応を検討する日米協議の中で、アメリカ側は「放射性物質の拡散状況を調べるためには、調査が不十分だ」と指摘し、これを受けて、政府と東京電力は、原発から半径20キロ以内でも、およそ30の地点で、新たに大気中の放射線量の測定を始めました。 米国側からの要請がなければ、こうした政治決断ができなかったというのが、一番がっくりくるところだ。 新しく計測される結果も公表される見通しは低そうだ。 調査結果は公表されていませんが、これまでの測定では、原発の北西方向にある福島県浪江町の調査地点で、1時間当たり50マイクロシーベルトを超える、やや高い放射線量を計測した一方、原発の北の方向にある南相馬市の調査地点では、1時間当たり1マイクロシーベルトを下回ったということで、半径20キロ以内でも地域によってばらつきがあるということです。政府は、よりきめ細かいデータを把握し、アメリカ側と情報共有を進めるとともに、今後の対応策の判断材料に役立てたいとしています。 20km圏内の情報を開示するかについては、政府判断もあるだろう。逆にいえばそう問われるのがいやで計測しなかったのかもしれないと穿って考える余地を残してしまう。 米国がこのちょっかいを出した背景は、すでに米国エネルギー省(DOE)が米軍機や地上観測データから算出した福島第一原発周辺の放射線量の推定値を公表しており、セシウム137など今後累積していく放射性物質の問題を含めて、このまま日本側が沈黙し、米国側だけの情報となっては、日米共同作業および世界に向けての公報という点で問題があると判断したためだろう。日本政府はその判断ができそうにないと見切ったということでもある。 DOEの公開データは「The Situation in Japan」(参照)で誰でも閲覧できる。現状では29日更新された24日と26日のデータが公開されている。 DOEの地図には福島第一原発から同心円状の円が2つ描かれていているが、内側が13海里(約24km)、外側が25海里(約46.3km)ということで、大ざっぱに25km圏内と45km圏内と見てよいだろう。 地図上色分けされた放射線量の単位、mR/hrは10マイクロシーベル/時である。北西方向40km圏内に黄色からオレンジ色の2mR/hrの領域があることが見て取れる。ミリシーベルト/年に換算すると(24時間×365日)、約175.2ミリシーベルト/年となる。なお、国際放射線防護委員会(ICRP)は緊急事態発生時の一時的な緩和基準として20ミリシーベルト/年を日本政府向けに声明を出している(参照)。 日本政府側からは原発周辺放射線量の情報は出てこない可能性が高いが、現状のDOE情報を見るかぎり、現状については居住については、問題がありそうだ。 原発の状況を見て、政府は今後も慎重な対応が必要になることは言うまでもないが、安定的に推移していけば、一時帰宅などの対応も求められることはあるだろう。 全文の引用先 こちら |
はじめに、原子力の平和利用を先頭だって進めて来た者として、今回の事故を極めて遺憾に思うと同時に国民に深く陳謝いたします。 私達は、事故の発生当初から速やかな事故の終息を願いつつ、事故の推移を固唾を呑んで見守ってきた。しかし、事態は次々と悪化し、今日に至るも事故を終息させる見通しが得られていない状況である。既に、各原子炉や使用済燃料プールの燃料の多くは、破損あるいは溶融し、燃料内の膨大な放射性物質は、圧力容器や格納容器内に拡散・分布し、その一部は環境に放出され、現在も放出され続けている。 特に懸念されることは、溶融炉心が時間とともに、圧力容器を溶かし、格納容器に移り、さらに格納容器の放射能の閉じ込め機能を破壊することや、圧力容器内で生成された大量の水素ガスの火災・爆発による格納容器の破壊などによる広範で深刻な放射能汚染の可能性を排除できないことである。 こうした深刻な事態を回避するためには、一刻も早く電源と冷却システムを回復させ、原子炉や使用済燃料プールを継続して冷却する機能を回復させることが唯一の方法である。現場は、このために必死の努力を継続しているものと承知しているが、極めて高い放射線量による過酷な環境が障害になって、復旧作業が遅れ、現場作業者の被ばく線量の増加をもたらしている。 こうした中で、度重なる水素爆発、使用済燃料プールの水位低下、相次ぐ火災、作業者の被ばく事故、極めて高い放射能レベルのもつ冷却水の大量の漏洩、放射能分析データの誤りなど、次々と様々な障害が起り、本格的な冷却システムの回復の見通しが立たない状況にある。 一方、環境に広く放出された放射能は、現時点で一般住民の健康に影響が及ぶレベルではないとは云え、既に国民生活や社会活動に大きな不安と影響を与えている。さらに、事故の終息については全く見通しがないとはいえ、住民避難に対する対策は極めて重要な課題であり、復帰も含めた放射線・放射能対策の検討も急ぐ必要がある。 福島原発事故は極めて深刻な状況にある。更なる大量の放射能放出があれば避難地域にとどまらず、さらに広範な地域での生活が困難になることも予測され、一東京電力だけの事故でなく、既に国家的な事件というべき事態に直面している。 当面なすべきことは、原子炉及び使用済核燃料プール内の燃料の冷却状況を安定させ、内部に蓄積されている大量の放射能を閉じ込めることであり、また、サイト内に漏出した放射能塵や高レベルの放射能水が環境に放散することを極力抑えることである。これを達成することは極めて困難な仕事であるが、これを達成できなければ事故の終息は覚束ない。 さらに、原子炉内の核燃料、放射能の後始末は、極めて困難で、かつ極めて長期の取組みとなることから、当面の危機を乗り越えた後は、継続的な放射能の漏洩を防ぐための密閉管理が必要となる。ただし、この場合でも、原子炉内からは放射線分解によって水素ガスが出続けるので、万が一にも水素爆発を起こさない手立てが必要である。 事態をこれ以上悪化させずに、当面の難局を乗り切り、長期的に危機を増大させないためには、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、関係省庁に加えて、日本原子力研究開発機構、放射線医学総合研究所、産業界、大学等を結集し、我が国がもつ専門的英知と経験を組織的、機動的に活用しつつ、総合的かつ戦略的な取組みが必須である。 私達は、国を挙げた福島原発事故に対処する強力な体制を緊急に構築することを強く政府に求めるものである。 平成23年3月31日 青木 芳朗 元原子力安全委員 石野 栞 東京大学名誉教授 木村 逸郎 京都大学名誉教授 齋藤 伸三 元原子力委員長代理、元日本原子力学会会長 佐藤 一男 元原子力安全委員長 柴田 徳思 学術会議連携会員、基礎医学委員会 総合工学委員会 合同放射線の利用に伴う課題検討分科会委員長 住田 健二 元原子力安全委員会委員長代理、元日本原子力学会会長 関本 博 東京工業大学名誉教授 田中 俊一 前原子力委員会委員長代理、元日本原子力学会会長 長瀧 重信 元放射線影響研究所理事長 永宮 正治 学術会議会員、日本物理学会会長 成合 英樹 元日本原子力学会会長、前原子力安全基盤機構理事長 広瀬 崇子 前原子力委員、学術会議会員 松浦祥次郎 元原子力安全委員長 松原 純子 元原子力安全委員会委員長代理 諸葛 宗男 東京大学公共政策大学院特任教授 ☆佐藤優氏による解説はこちら。 |
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NHKのBSプレミアムでデジタル・リマスター版が午後10時から放映されます。 ~1954年 松竹大船制作~ 【監督】木下恵介 【出演】 高峰秀子 笠智衆 夏川静江 天本英世 明石潮 |
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☆アメリカの戦史家が書いたものにこうあるそうだ。(原典は未確認) 「アメリカ軍がかって戦った軍隊の中で、日本軍は最強だった。兵、下士官の練度、士気は高く精強な集団であった。だがアメリカ軍にとって幸せなことに、日本軍の士官・将官は最悪最弱な指揮者だった。彼らにあるのは精神論だけで戦略や戦術はなく、いたずらに兵や下士官を消耗させていくだけだった」と。 日清日露の戦争までは、将官士官に陸軍大学や海軍大学、士官学校卒業成績の順位が、卒業後も一生ついて回ることはなかった。 以下村上龍のメールマガジンから引用・・ ニューヨークタイムスへのエッセイの寄稿後に、内外のメディアからの取材・原稿依頼が増えました。ただ、「危機的状況の中の希望」と題されたそのエッセイで、伝えたいことはほぼ書き尽くしたので、他の依頼には応じていませんでした。先日、スカンジナビアのあるラジオ局から取材依頼を受けました。そのラジオジャーナリストは震災の翌日から現地入りし、本社との連絡のため2日間だけ東京に滞在しているが、またすぐに東北に戻るので、30分でいいからぜひ話を聞かせて欲しいとのことでした。 地震と津波の翌日から基本的に一人でずっと被災地にとどまって取材していると聞いて、わたしは意気に感じ、インタビューに応じることにしました。『カンブリア宮殿』の収録のあとで疲れていましたが、「福島の原発事故について政府や電力会社は嘘をついていると思うか」などという紋切り型の質問もなく、「この大惨事によって将来的に日本にはどんな変化があると思うか」というような良心的な質問ばかりで、わたしはインタビューそのものにも好感を持ちました。 「外国人、とくに欧州の人間や組織がいち早く東京、日本から避難していったことをどう思うか」と聞かれたので、「外国人がリスクを少しでも避けるのは当然で、自分も海外にいて同じ状況だったら同じことをする」と答えました。復興作業や福島の原発危機についても聞かれたので、「政府や電力会社経営陣の対応は不十分だが、医療チーム、自衛隊、警察と消防、行政、原発の作業員など、現場で働く人々のモチベーションは高く、非常に優秀で、やるべきことをやっている。リーダー層の能力の低さを前線・現場の一般人がカバーする、それは近代化から戦争、高度成長に至る、伝統的な特徴でもある」 そう答えました。 |
☆ある意味一番重要な情報だと思うが、これを公開しない、あるいは公開出来ない日本政府には深い苦悩がある。 4月4日(月)14時30分配信 読売新聞 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。 ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。日本政府が公開しないことについて内外の専門家からは批判が上がっており、政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。 気象庁の予測は、国際原子力機関(IAEA)の要請に基づくもの。国境を越える放射性物質汚染が心配されるときに、各国の気象機関が協力して拡散予測を行う。 同庁では、東日本大震災当日の3月11日から毎日1~2回、拡散予測を計算している。具体的には、IAEAから送られてきた放射性物質の放出開始時間や継続期間、どれくらいの高さまで上ったかを、風向きや天候など同庁の観測データを加えた上で、スーパーコンピューターに入力し、放射性物質の飛ぶ方向や広がりを予測している。 ☆各国が公表している放射能拡散予測の中で英国の気象台の予測サイトは こちら。 ドイツのサイト フランスのサイト 注)初めて見ると驚くが、目視的効果を強めていることは頭に置いてください。射性物質予測、公表自粛を 気象学会要請に戸惑う会員2011年4月2日19時25分 asahi.com 福島第一原発の事故を受け、日本気象学会が会員の研究者らに、大気中に拡散する放射性物質の影響を予測した研究成果の公表を自粛するよう求める通知を出していたことが分かった。自由な研究活動や、重要な防災情報の発信を妨げる恐れがあり、波紋が広がっている。 文書は3月18日付で、学会ホームページに掲載した。新野宏理事長(東京大教授)名で「学会の関係者が不確実性を伴う情報を提供することは、徒(いたずら)に国の防災対策に関する情報を混乱させる」「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報に基づいて行動すること」などと書かれている。 新野さんによると、事故発生後、大気中の放射性物質の広がりをコンピューターで解析して予測しようとする動きが会員の間で広まったことを危惧し、文書を出した。 情報公開を抑える文書には不満も広まり、ネット上では「学者の言葉ではない」「時代錯誤」などとする批判が相次いだ。「研究をやめないといけないのか」など、会員からの問い合わせを受けた新野さんは「研究は大切だが、放射性物質の拡散に特化して作った予測方法ではない。社会的影響もあるので、政府が出すべきだと思う」と話す。 だが、今回の原発事故では、原子力安全委員会によるSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)の試算の発表は遅すぎた。震災発生から10日以上たった23日に発表したときには、国民に不安が広まっていた。 気象学会員でもある山形俊男東京大理学部長は「学問は自由なもの。文書を見たときは、少し怖い感じがした」と話す。「ただ、国民の不安をあおるのもよくない。英知を集めて研究し、政府に対しても適切に助言をするべきだ」 火山防災に携わってきた小山真人静岡大教授は、かつて雲仙岳の噴火で火砕流の危険を伝えることに失敗した経験をふまえ、「通知は『パニック神話』に侵されている。住民は複数の情報を得て、初めて安心したり、避難行動をしたりする。トップが情報統制を命じるのは、学会の自殺宣言に等しい」と話している。(鈴木彩子、木村俊介) 日本気象学会理事長の文書</太は>こちら |
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