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MRJに先行も…日本の報道がホンダジェットに冷たいワケ
2016年1月5日
初号機を引き渡したホンダジェット(C)日刊ゲンダイ
国産初のジェット旅客機、MRJが納入延期を発表した先月24日、ホンダは小型のビジネスジェット機「ホンダジェット」(写真)の初号機を顧客に引き渡したと発表した。開発着手から約30年を経て、ようやく納入にこぎ着けたのだが、日本のマスコミは冷たかった。
MRJが初の「国産」であるのに対して、ホンダジェットはホンダとホンダエアクラフトカンパニーが開発、ホンダエアクラフトカンパニーが製造と販売をするからである。
ホンダエアクラフトカンパニーはホンダの子会社だが、アメリカに本部を置く。だから、ホンダエアクラフトカンパニーが中心になって開発したホンダジェットは「国産」ではなく、「アメリカ産」ということだ。「国産」でないから、ドメスティックな日本のマスコミは騒がない。
とはいえ、MRJが「国産」かどうかだって疑わしいのだ。MRJが最大の特徴と強調している低燃費を実現しているエンジンは国産ではなく、アメリカの「プラット・アンド・ホイットニー(P&W社)」の製造である。
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2016年1月7日 |
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古舘伊知郎さん降板の本当の理由
テレビ朝日、報道ステーションのキャスター、古館伊知郎さん降板がニュースになりました。
昨日、朝日新聞論壇委員の井手英策さん(慶応大学教授(財政社会学))のご自宅に行く機会があり、古館さん降板の理由を伺いました。
報道ステーションでは朝日新聞論壇委員が入れ替わりで出演しています。
井手英策さんは、これを広めてほしいと、言ってらっしゃったので以下記述します。
古館さんは、官邸、主に菅官房長官の圧力によるものに耐え切れなったからだと。
報道ステーションが、今後、政権批判を出来なくなる可能性が非常に高くなります。
井手さんによると「ファシズム」です。
古館さんは井手さんの職場を訪れ「後を頼む」と。
今、井手さんのところには民主党や共産党から「どうしたら民主主義を取り戻せるか力を貸してほしい」と仕事が殺到しています。
また井手さんと仲の良い、総務省の平嶋彰英さんは事務次官の有力候補だったのですが、安倍政権になってから、総務省が成績表のようなものを導入しました。その結果、平嶋彰英さんは官邸の圧力により左遷されました。
安倍政権になってから、官邸が霞ヶ関に官庁の人事権を持ち、報道の自由を奪い異常な事態になっています。
もう今の自民党は「自由民主党」の名前にはふさわしくない、きつい書き方をすると、「ファシズム」であり、最悪な党だと私は考えています。
引用元。
関連するおもしろい記事。⇒学者の言葉、主婦の言葉(古舘伊知郎さん降板の記事で削除依頼がきた件) |
2016年1月7日 |
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大西宏 2016年01月05日 12:32BLOGOS
箱根駅伝は日本が抱える病の縮図?
箱根駅伝は、ドラマティックな物語があり、人びとを魅了し、感動させてくれます。だからますます人気が高まってきています。それを反映するように、番組平均世帯視聴率(関東地区)も高く、今大会も往路28.0%、復路27.8%でした。スポーツの視聴率が概して低下してきた昨今では、珍しいことです。しかし、箱根駅伝で繰り広げられるドラマから視点を少し離してみると、また違った世界が見えてきます。
視聴率の推移を見ると、視聴率が25%を超えたのは、1992年の第68大会の復路で、翌年からはほぼ25%超えがほとんど続く人気を得ていますが、1991年までは、20%を超えるのも稀だという状況でした。
つまり、昔から箱根駅伝はそれなりに高い人気はあったけれど、バブルが崩壊し、日本経済が停滞し始めてからさらに人気が高まったことになります。しかし、箱根駅伝の人気の高まりとは裏腹に、1992年(平成4年)のバルセロナオリンピックで森下広一が2位で銀メダルをとったのを最後に、世界のマラソンの舞台で華々しい記録をつくってきた日本男子マラソンの黄金期は終わります。それ以降は世界のマラソンの高速化やハイレベル化についていけなくなってしまいました。
つまり日本の男子長距離は、マラソンという世界の檜舞台では通用しなくなり、逆に国内の駅伝人気が高まってきたことになります。
ところで、もしかすると箱根駅伝は全国大会だと思っている人がいらっしゃるかもしれませんが、関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催している大会で、なんと「箱根駅伝」は読売新聞東京本社の登録商標なのです。
だから関東の大学しか出場していません。それが全国放送され、あたかも国民的イベントのように読売新聞、日本テレビが演じてきたのです。
まあ、関東の地方イベントが、日本を代表するイベントになっているというのは、箱根駅伝にかぎらず、ビジネスの分野でもよくある話ですが。
しかし、にもかかわらず、箱根駅伝は全国区なのです。選手の出身校です。連覇を果たした青山学院の選手を見ると、なんと関東の高校出身者は一人もいません。
青山学院選手一覧|第92回箱根駅伝
第2位の東洋大学は、関東の高校出身者が、埼玉2名、栃木1名で10名中3名です。
東洋大学選手一覧|第92回箱根駅伝|
第3位の駒沢大学は、関東の高校出身者は 東京・駒大高の1名だけです。
駒沢大学選手一覧|第92回箱根駅伝|
つまり、走っている選手のほとんどが地方の高校出身者で、その意味では全国を代表する選手なのでしょう。日本の経済と同じです。地方から人材が流出し、東京一極に吸収されている日本と同じ姿です。そして世界の檜舞台で活躍する選手を輩出できなくなっているのです。因果関係はよくわかりませんが、東京の大学に選手を集めて、決して日本の男子長距離を強くすることに役立ってこなかったことだけは事実です。しかも、その構図の後押しをしてきたのが読売新聞グループです。
箱根駅伝の人気が高まってきたなかで、一部かもしれませんが、批判も起こるようになってきました。意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」じゃないかとか、襷をつなぐ行為が「連帯責任の権化みたいなスポーツだ」、「日本に過労死が多い理由が分かる」と言った批判です。ブロゴスのキャリコネの記事がそんな声を紹介しています。マスコミが感動を「切り取って伝える」ことへの警戒感も必要なのかもしれません。
意識朦朧の選手を大写しにする箱根駅伝に「お茶の間残酷ショー」との批判 「日本に過労死が多い理由が分かる」という声も
読売グループの日テレのカメラワークで、選手たちの繰り広げるドラマをさらに効果的にドラマ化して、選手たちにプレッシャーをかけ、また人気を煽って、ミスリードしている。しかも国内だけしか通じない、ガラパゴス化した国内だけの自己満足で終わってしまっているようにも見えてきます。
はたして箱根駅伝は日本の陸上にとって健全で、選手のレベル育成や向上にほんとうに役立っているのでしょうか。ぜひ日本の陸上界には世界の舞台で、ほんとうの成果を見せて欲しいものです。 |
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2016年01月06日(水) 磯山 友幸
「経済ニュースの裏側」
読売新聞が丸ごと消えたのと同じ
日本の新聞の凋落が止まらない。日本新聞協会が集計した2015年10月時点での新聞の総発行部数(一般紙とスポーツ紙の合計)は4424万部と1年前に比べて111万部も減少した。ピークは1997年の5376万部だったから、18年で950万部減ったことになる。日本最大の発行部数を誇る読売新聞が一紙丸ごと消えたのと同じ減少である。
部数の減少はまさに「つるべ落とし」だ。2000年から2005年までの5年間の減少部数は114万部だったが、2005年から2010年の5年間では324万部、2010年から2015年の5年では508万部も減った。今年中に、ピークから1000万部減になるのは確実だが、下げ止まる気配はまったくみえない。
なぜ、新聞が読まれなくなったのか。改めて言うまでもないが、人々の情報の取り方に劇的な変化が起きたことが大きい。新聞の「紙」という優位性がインターネットの登場によって急速に失われていったのだ。
新聞がピークを付けた翌年の1998年に米グーグル設立され、2002年にはブログが急拡大、2006年ごろからツイッターやフェイスブックといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が急速に普及した。このころから新聞の発行部数の急落が始まったのは決して偶然ではない。
2010年以降、スマートフォンが普及し始めると、新聞の部数減少の傾向に拍車がかかった。ここで「紙」を上回る利便性を持った「ツール」が登場したとみていいだろう。ツールがどんどん進化し続ける中で、新聞の優位性はどんどん後退しているのだ。
「新聞を広げて読むと他のお客様のご迷惑になりますのでおやめください」
そんな車内アナウンスが行われるようになったのはいつごろからだろう。かつて、朝の通勤風景と言えば、新聞を読みながらというのが当たり前だったが、今では手のひらに乗る携帯電話より大きいものを拡げるのが「迷惑」というメンタリティに大きく変わった。ツールとして「邪魔」、「不便」と感じられているのだ。
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2016年1月6日 05:05
米海兵隊が2012年10月に普天間飛行場に配備した垂直離着陸輸送機MV22オスプレイについて、10万飛行時間当たりの重大(クラスA)事故の発生率が、配備された時点の1・93件から、15年12月時点で3・69件と約2倍に増加していることが分かった。
琉球新報の取材に米海兵隊が明らかにした。日本政府などは事故率について「一般に飛行時間の増加に伴い低減する」などと説明してきたが、実際は普天間への配備後3年が過ぎた段階でも上昇傾向となっている。
米海兵隊によると、今回明らかにした15年12月末の数値は、10米会計年度(09年10月~10年9月)以降、15年12月までの統計。オスプレイの総飛行時間は21万4千時間に達している。
航空機の事故発生率の数値は一般的に、開発や導入の初期段階に多く、改善を経た運用の安定に伴って減少し、機体の老朽化で再び増加に転じる「バスタブ型」を示すと言われている。
オスプレイの運用に関しては、11年2月、事故率を比較するための飛行時間の指標とされる10万時間を突破した。開発段階も含む1999~11米会計年度の10万時間当たりのクラスA事故発生率は3・99件だった。
普天間配備について米側が正式に公表した11年6月段階で、米側はオスプレイのクラスA事故率は10万飛行時間当たり1・28件で、当時の海兵隊平均の2・46件を大きく下回っているとして、「最も安全な航空機の一つ」などと強調していた。
日本政府が「最新の数値」として公表していた14年9月段階のクラスA事故率は2・12で、配備当初よりも増えていた。その後も14年10月にアラビア湾、15年5月にハワイ、15年12月にカリフォルニア沖でクラスA事故が発生し、15年末段階で10万飛行時間当たりのクラスA事故率は3・69件に達した。
米海兵隊は琉球新報の取材に「(実戦配備の)07年以降、MV22は極めて厳しい状況下で幅広い任務に投入されてきた」とした上で、オスプレイの事故率は「他の海兵隊航空機と比べても同程度だ」と強調した。(島袋良太) |
2016年1月7日 |
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沖縄と基地 /
新聞・テレビのネットサイトから |
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新聞・テレビのネットサイトから /
冗句・小話 |
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2016年01月06日(水)
本人は絶筆になるとは思っていなかったでしょう。 戦争で受けた家族との死別や別離、戦争のせいで起きた我が日常生活の崩壊。
「何故こんなことになった!2度と戦争を起してはいけない」という生涯の思いを最後まで書き続けたことになりました。
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2016年1月6日 |
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忘れられない人 /
今日の一言 |
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東京電力福島第1原発事故の避難区域を抱える福島県内の市町村がことし、避難指示解除のヤマ場を迎える。
今春の住民帰還を目指しているのが、南相馬市の小高区と原町区南部、川俣町山木屋地区、葛尾村の避難指示解除準備区域と居住制限区域。
ただ、除染や商業、医療、福祉施設の整備など課題が山積しており、解除が実現するかどうかは不透明だ。
避難区域を抱える11市町村のうち、避難指示が解除され、住民の帰還が始まったのは2014年4月の田村市都路地区東部、同年10月の川内村東部、15年9月の楢葉町。全域が解除されたのは田村市と楢葉町だけで、9市町村の住民計約7万400人が避難を続けている。
政府は帰還を促進しようと昨年6月、新たな福島復興指針を策定し、帰還困難区域を除いた避難指示解除準備、居住制限の両区域を17年3月までに解除する方針を打ち出した。
ことし春の帰還を視野に入れる南相馬市の小高区と原町区南部(対象計1万1702人)、川俣町山木屋地区(1193人)、葛尾村(1360人)で準備宿泊が昨年8月に始まり、ことし2月末まで3カ月間延長された。政府は今後、地元と解除時期などを協議するが、南相馬の宅地で除染が終わったのは6割にとどまり、川俣、葛尾は井戸や商業施設、診療所など生活に必要なインフラが十分に整っていない。
川内村東部の萩・貝ノ坂の2地区(53人)でも昨年11月に準備宿泊が始まり、村は本年中の帰還を目指す方針だ。
こうした自治体の後には、17年春を帰還目標に掲げる浪江町、富岡町、飯舘村が控える。飯舘は当初、ことし3月以降の解除を見込んでいたが、除染の完了時期がずれ込み、「17年3月までの解除」に変更した。
大熊町は18年度中を目標に復興拠点の大川原地区を住める環境に整備する計画。双葉町は解除のめどが立っていない。 |
2016年1月6日 |
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東日本大震災・原子力発電所 /
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きっかけは柏崎刈羽 列島改造と「迷惑料」
新潟県柏崎市長を長く務めた故小林治助氏の胸像
電力会社から電源開発促進税を徴収し、それを発電所周辺の自治体に配る電源3法交付金制度は1974年、首相田中角栄の決断で導入された。
地元・新潟の東京電力柏崎刈羽原発計画をはじめ、難航する原発立地の打開に加え、原発をテコに地方の貧困解消を図る「列島改造」の視点もあったとされる。
事故の危険に向き合う地元への「迷惑料」とも言えるシステムは絶大な効果を発揮。財政難の自治体が次々に原発を受け入れる構図ができあがった。
市長の執念
柏崎市長を長く務めた小林治助(故人)は71年、通産相だった田中に電源交付金制度の原型となる「発電税」創設を陳情した。その場面を、亡くなる2カ月前の79年6月に講演で紹介している。
100万キロワット出力の原発1基の総投資額を800億円とした場合、柏崎市に入る固定資産税は年間8500万円。これに対して、電気を使う都会の自治体には計23億円もの電気ガス税が入る―。小林は試算を示しながら「こんな不公平な、つじつまが合わない話がありますか」と立地自治体のための新税創設を訴えた。
田中「市長、大蔵省に行って、そのことを言ってこい」
小林「われわれが談判できるくらいなら、先生のところには来ない」
さすがの田中もこの時点では慎重だった。経済界も霞が関も強く反対することが目に見えていたからだ。
あきらめきれない小林は毎月のように上京し、田中に陳情を続けた。
73年3月には原発推進派の経済人を中心とする社団法人「原子力産業会議」で講演。「エネルギー政策は国策だ。(原発立地は)国の責任で遂行するという意志と実行がなければ混乱を招くのみだ」と発電税創設などを提言した。
小林の執念の背景には、柏崎刈羽をめぐる厳しい地元事情があった。
68年の立地調査と同時に始まった反対運動は70年安保闘争と連動して拡大。集会やデモ、反原発学習会が毎月のように開かれた。小林は反対派の膝詰め談判に何度も引っ張り出された。「発電税には、地元説得の有力な手段になるという考えもあった」と、小林の長男正明は語る。
角栄動く
73年10月の第4次中東戦争を契機に局面は転換する。石油ショックが国民生活を直撃し、過度に石油に依存する日本経済の弱点をさらけ出した。72年に首相に就任していた田中が動いた。
「(石油の代替エネルギーで)いちばん早いのは原発だ。発電税をやらねばならない。重大な決意で促進したい」。田中は73年12月13日の参院審議で宣言した。すぐに通産省資源エネルギー庁幹部を呼び、74年度予算案への盛り込み作業を指示。大蔵省もねじ伏せた。突貫作業の末、74年1月閣議決定の税制改正要綱に電源3法交付金制度が盛り込まれた。
通産省出身で田中の秘書官を務めた小長啓一は「電源立地で目的税をつくり、電力料金に上乗せし受益者に負担させるのは、道路整備のためのガソリン税と同じ。田中さん以外にはない大きな発想だった」と振り返る。
同時に「まさに田中さんの国土開発だった」と、持論の日本列島改造論の具体化でもあったとの見方を示した。
柏崎市が受け取った交付金は78年の約4億4千万円を皮切りに、2010年までに計約484億円に上る。だが関係者には複雑な思いが残る。
交付金制度ができたのをいいことに、国が安全対策などで果たすべき責任をあいまいに済ましてきたと考えているからだ。
小林正明は「原発の嫌な部分を、自治体首長と電力会社に押し付ける形ができてしまった」と指摘する。
前市長西川正純も交付金制度の恩恵を認める一方で、迷走する核燃サイクル問題での国の対応などを挙げ、「その場限りの対症療法ばかり。しっかりした座標軸はあるのか」と批判した。(西野秀、敬称略)
=2011年11月30日
引用元。
太字、赤字は管理人。 |
2016年1月6日 |
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1月5日 6時28分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で発生した放射性物質を含む指定廃棄物の処分場は、地元の反対などで計画されている5つの県でいずれも建設のめどが立っていません。
先月には候補地の自治体すべてが現地調査を拒否する事態となり、処分場の建設は厳しさを増しています。
放射性物質を含む稲わらや焼却灰などの指定廃棄物について、環境省は、既存の処分場への受け入れが決まった福島以外では、廃棄物の量が多い5つの県で新たに1か所ずつ処分場を建設する計画で、これまでに宮城、栃木、千葉の3県で候補地を示しています。
このうち宮城県では、おととし、栗原市、大和町、加美町の3か所を示しましたが、加美町の強い抗議を受けて環境省は現地調査の実施を2年連続で断念しました。
また、栃木県では候補地の塩谷町が関東・東北豪雨で冠水し、候補地に適していないと訴えているほか、千葉県でも候補地となった東京電力の火力発電所がある千葉市が反対し、先月には3県の候補地の自治体すべてが現地調査の受け入れを拒否する事態となっています。
環境省は、建設に向けて地元の理解を得たいとしていますが、原発事故からまもなく5年となるなか、処分場の建設を巡る状況は一層、厳しさを増しています。 |
2016年1月6日 |
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東日本大震災・原子力発電所 /
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{左:img20160106093817893.jpg 幅:256px リンク:東京電力の広瀬直己社長は5日、県庁で泉田裕彦知事と1年ぶりに面会した。東電柏崎刈羽原発6、7号機に対する原子力規制委員会の審査が大詰めを迎えているが、両者は再稼働問題に一切言及しなかった。安全対策をアピールする広瀬社長と東電への批判を繰り返す泉田知事とで、議論は平行線のまま終わった。
今年は柏崎刈羽原発再稼働の是非について判断が求められる知事、柏崎市長、刈羽村長の各選挙が秋に予定されている。泉田知事は4選出馬について態度を明らかにしていないが、これまで再稼働に慎重な姿勢を示してきただけに、動向が注目されている。
この日、広瀬社長は「年始のあいさつ」として来県した。
面会で広瀬社長は、福島事故の反省から柏崎刈羽原発で安全対策を進め、事故対応の訓練に積極的に取り組んでいると説明。「6千回近く行っている。本社も巻き込み、拠点を結んだ訓練も四十数回やっている」と強調した。
これに対し知事は、東電が福島事故のメルトダウン(炉心溶融)公表を遅らせたとする従来の指摘を繰り返した上で「原子力発電所を運営する資格はない」などと述べ、東電の組織の在り方を痛烈に批判した。
さらに知事は、柏崎刈羽原発の安全性を議論する県技術委員会の質問に対し、東電の回答姿勢が消極的だと非難。
「福島の汚染水問題があり、賠償問題、資金調達問題があり、(電力)自由化への対応がある中で、原子力発電所のトップとして(全体が)十分見える体制になっていないのではないか」と疑問を呈した。 |
2016年1月6日 |
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津波試算出せないのか / 司法の場で判断
5日面会した東京電力の広瀬直己社長と泉田裕彦知事の議論は1年前と同じで、かみ合うことはなかった。
東電への不信感をあらわにする泉田知事に対し、原発の安全を優先していると強調する広瀬社長。約20分の面会で浮き彫りになったのは両者の溝の深さだ。
「福島事故の検証と総括をしていないから、津波試算すら出せないのではないか」
面会で泉田知事は用意した報道の写しを手に、広瀬社長に「(試算を)出したらどうか」と迫った。写しは、東電福島第1原発事故の避難者が損害賠償を求めた訴訟で、東電が裁判所から提出を促された津波高の試算を拒否したとするインターネット上のニュース記事。
東電側の不備を突くことで、福島事故の検証と総括がなければ再稼働議論はしないという、これまでの姿勢をアピールした形だ。
これに対し広瀬社長は表情を崩さず、「司法の場で判断していただく。今は安全最優先でやっていく。これについてはお答えしかねる」などと応じるにとどまった。
1年前の会談でも泉田知事は、紙に記した東電に対する疑問点を読み上げ、けん制した。今年の面会では再稼働への直接の言及はなかったものの、再稼働問題を背景にした綱引きが繰り返された格好だ。
面会後、広瀬社長は柏崎刈羽原発の再稼働について「県の事前了解がなければ(再稼働は)ないだろうということ」としつつ、「知事を含め、県民の理解を深めていくことはそんなに簡単ではないと思っている」との認識を示した。
【社会】 2016/01/06 08:53 |
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東日本大震災・原子力発電所 /
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2016年1月6日 06時17分
【ワシントン共同】オバマ米大統領は5日、インターネットを通じた銃売買にも身元調査を義務づけるなど大統領権限に基づく広範な銃規制強化に踏み切った。
ホワイトハウスで演説し、時折涙を流しながら子どもたちが銃乱射事件の犠牲となっている現実を指摘、国民に支持を訴えた。
銃対策を残り任期1年の最重要課題の一つに位置付け、正面突破を図る姿勢を鮮明にした。規制強化に抵抗してきた議会多数派の共和党との激突は必至だ。
オバマ氏はバイデン副大統領や銃乱射事件の遺族らを伴い約40分にわたり演説した。 |
2016年1月6日 |
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2016年1月4日 17時32分
【ワシントン共同】米国などから日本に研究用に提供されたが、核安全保障のため返却が決まったプルトニウム331キロの受け入れに向け、米エネルギー省は4日までに、南部サウスカロライナ州にある国立の核施設で受け入れが可能とする環境アセスメントの結果をまとめた。
このプルトニウムは、高濃度で軍事利用に適した「兵器級」が大半を占める。日本政府関係者によると、日本から3月末までに搬出され、船で輸送される見通し。3月にワシントンで開催する第4回核安全保障サミットの前後に移送に着手し、サミットの成果として強調する狙いがあるとみられる。 |
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マスコミはなぜその肝心“金目”を突かないのか?=高野孟
2015年7月31日
一部引用・・
マスコミが経産省のデタラメを拡散「原子力ルネッサンス」の幻影
背景には、この頃、米ブッシュ大統領が就任早々の01年5月に打ち出した「国家エネルギー政策」をきっかけに、世界的な「原子力ルネッサンス」が始まるという、今になってみれば幻想としか言いようのない期待が特に日本で異様なほど盛り上がっていたことがある。
ブッシュは、スリーマイル事故以来、停滞が続いていた米国の原子力をエネルギーの「主要な構成要素」と積極的に位置づけ、原子力産業を税制優遇や融資保証でテコ入れするという方向が盛られていた。
とは言え、後に次第に明らかになり、また議会や規制当局、環境団体との長いせめぎ合いの末にようやく05年に至って成立したこの政策のための法案を見ればますます明らかなように、これは40年の認可年限を60年まで延長するとか、定格外出力を認めるとか、どちらかと言えば既存の原発を再活用することに主眼があって、新増設をバンバンやろうなどということにはならなかった。
ところが発表当時、日本のマスコミは揃って「米、原発推進に転換/石油・ガスも増産/民主など反発『環境破壊招く』」(朝日01年5月17日付夕刊)、「米、原発推進へ転換/天然ガス、アラスカ採掘解禁」(日経同夕刊)と、大々的に報道し、さらに「画期的な大転換」「アメリカは再処理再開へ」「プルサーマルもやるに違いない」「世界的な脱原発の流れはこれでストップする」等々と、あることないことを憶測混じりで解説した。
図に乗った原子力ムラは「ブッシュ大統領が、原子力の推進とプルサーマルの検討を明言しました!原子力・プルサーマル重要です。安全です」というビラを印刷して原発立地の町村に捲いたりして大はしゃぎを演じた。
米欧のメディアではどこもこんな過大な扱いをしておらず、明らかに経産省の記者クラブを起点とした情報操作の結果だった。また国際エネルギー機関も「2040年までに原発の発電量は60%増える」などと煽り立てた。
それで国民が欺されるのは仕方がないとして、原子力のプロの佐々木までが鵜呑みにしてしまっては話にならない。
WHは、05年の国家エネルギー政策法案がどうなるか期待を込めて見つめてきて、それが決して原発ルネッサンスなどもたらさないことを悟って絶望したからこそ、泣く泣く身売りを決めたに違いない。本当にルネッサンスが来るなら身売りなどする訳がない。
冷静に考えれば子どもでも分かることが、なぜ東芝には分からなかったのか。はしゃいでいたのか、動転していたのか、謎である。
「東芝は元気、原発の失敗は問題ない」を印象づけた粉飾決算
まずはWHを通じて米国内に東芝のABWRを売ろうということで、その東芝にとって海外案件第1号として、米NINA社が進めるサウス・テキサス・プロジェクトの3、4号機の設計・調達・建設までの一括受注に09年に成功した。
しかし折からのシェールガス・ブームの高まりもあって採算性に疑念が生じていたところへ3・11が起きて、当局による規制強化、米国内大手電力の追加出資打切り、NINA社の資産評価切り下げなどが相次いで、プロジェクト自体が立ち行かなくなってきた。
諦めるわけに行かない東芝は、新たな出資者の募集に駆け回り、その原発の周辺に電力需要があるのだということを説得するために周辺の液化天然ガスやシェールガス基地のテコいれにまで手を出すという阿修羅のごとき働きをしたが、結局、NINA社の資産評価切り下げを受けて14年3月決算にその1件だけで310億円、原子力事業全体ではそれを含めて600億円の評価損を計上した。
それは表沙汰にせざるを得なかったが、そんな原子力でのちょっとした失敗があっても東芝自体は元気旺盛だということを示したかったのだろう、この決算は「一見すると好調そのもの」で前期比47%の増益という驚異的な伸び。「しかも事前の会社側の予想数字2900億円とピタリと一致しており、何ら問題がないように見える」と、当時、何も知らされていないダイヤモンド誌の記者は書いている(14年5月9日号)。
そりゃあそうでしょう、「何ら問題がないように見える」ようにするために粉飾して、どうせ数字を改竄するならピタリと予想数字と同じにする方が思い切りがいいと判断したのだろうから。
この東芝騒動の最中に、原発超大国の国営原子炉メーカーのアレバが事実上経営破綻し、それを織り込んでフランス政府は7月22日、現在は75%を占める原発依存度を2025年までに50%に引き下げ再生可能エネに置き換える法案を成立させた。
日本がまだ原子力ルネッサンスの破れた夢にしがみついて泥沼のドタバタ劇を演じている間に、少なくとも先進国世界は急速かつ断固として脱原発に向かっていく。
※高野孟氏のメルマガ元原稿では、このほか、東芝と経団連、「原子力ムラ」の関係についても解説しています。構成上の都合により本記事では割愛いたしました(MONEY VOICE編集部)
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2016年1月6日 05:01
【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設計画をめぐり、年末年始に一時帰任していた警視庁の機動隊が6日にも、米軍キャンプ・シュワブゲート前の警備に当たるため再度沖縄入りすることが県警関係者の話で分かった。7日にもゲート前の警備に就くという。
大浦湾の海上では5日、大型クレーン船1隻が沖合に移動し、掘削棒の周辺で作業員の姿が確認された。年末年始に中断していた海底掘削作業を再開したとみられる。ゲート前では、ことしから毎週水曜日だけでなく木曜日も抗議行動を強化することを確認した。
5日は都内ナンバーの警視庁の車両3台が、昨年の宿泊先だった名護市のリゾートホテルに入った。一部は先発隊として既に沖縄入りし、大部分は6日に沖縄入りするとみられる。
警視庁機動隊は、県警の応援要請を受けて昨年11月4日からシュワブゲート前の警備に当たった。年末年始は東京都内での警備のため、一時帰任していた。 |
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