祖父・岱風(たいふう)の句抄は7回忌にあたる昭和33年に発行されました。
ある日、句抄を本棚から十数年ぶりに取り出すと、用紙と製本が経年劣化していて、ほどなく手にするだけでぼろぼろに砕けそうでした。そうなっては惜しいのでブログに掲載し、記録に残すことにしました。
自由律の俳句は季語にこだわらないので、いわゆる「俳句」ではないという考えもあるようです。私は祖父の俳句は身辺と自然と時代を詠った「人間の詩」として愛誦しています。
祖父の岱風は 代々の家業であった花火製造販売業をある事情で廃業し、しばらく足袋屋をしていたようです。その後、時代の変化に合わせて東京へ出て、洋服仕立ての技術を身につけて上諏訪に帰り、テーラーメードの「ハナビヤ洋服店」を開業しました。生涯、居職の洋服仕立て職人でもあった祖父は、いつも傍らに小さな手帳をおき、思いつくままに句を書きつけていたと聞きます。
時代の流れもあり、注文仕立ての「ハナビヤ洋服店」は30年ほど前に閉店しましたが、当時のハンガーは我が家で今も現役です。
その1
春寒う市立てる町の人出哉
溝幾筋にして桃李園長閑
庭隅の残雪や松の葉のこぼれ
街道埃軽く吹き居り木の実植ゆ
紙鳶糸のもつれる夕雨落ちて
夕暮るゝ丘にさえずり移りせり
二タ股の川風にあほらるゝ蝶
蛙鳴くや末の児が夕餉をせまる
梅のさく家裏や乳穂の崩さるゝ
草の芽や雨晴れてしめやかの土
蟹這える穏やかな日ざしあしの芽に
庫裏裏の高縁にわらび干されたる
(夕餉-ゆうげ:夕ごはん)
(乳穂-にお:田んぼの稲刈りのあと、稲束を積んだ小山状のもの。
それを「にお」という。漢字では「乳穂」「堆」「稲積」などを当てる。)
土橋の崩れざまそこらたんぽぽに
車きしりゆく炎天の橋哉
雲の峯国境を日照る河原白
温泉に遊ぶ袷着て寒う居たり
こうもりや闇がりの酒蔵小路
せき板にせみ鳴いて町の昼静か
蠅何疋か居る昼蚊帳淋し
通り雨やなすのへた切る板の間広う
畑下小さき墓場のいちご
馬のあらび夏草に鎌見失ひぬ
米磨ぎて水捨つるあふひの夕べ
砂に箒目のまさやかをなでしこの咲く
馬の目に冷ややかな朝の草刈れり
星祭草屋根の垂れ深う見る
張替えし障子の匂ひ虫鳴けり
夜干し網に時雨して月の明けとなり
牛乳箱の置かれありあられ降れる中
綿入れの垂みよう能楽に来て
枯芝の朝 勝ち鶏の 血の光る
かぶら切れば 板の間を 風の素通せり
松の内 霙交わり 暮ただよへり
山の高低に 我家ある 初御そら哉
憶ふ記や 殊更爪の 伸びしかに
御大典奉祝
収穫を酌む 白酒黒酒 稲架は輝る晩稲
雨戸かろくたてり 雁の声きこゆ
久しく家人が見えず 銀杏大きし
炭あける音に和する 干菜の風ゆれ
雨ぷつぷつと打つ 真黒い春の水面
丘の菫 目の下の湖の真青な
柿の花 一番奥の座敷掃かるる
堂塔ひそとして蟻道づくる
湖がありて旱るぐるりの家々
野天温泉の囲い白いあやめの月夜
花茄子溝に影し暮れんとす
土手の萱草の螽日暮れたり
竹の落葉沈み居り柳はやつるる
注) (旱:ひでり)(螽:イナゴ)