2011年2月5日土曜日

「岱風句抄」その1 (全5)


祖父・岱風(たいふう)の句抄は7回忌にあたる昭和33年に発行されました。

 ある日、句抄を本棚から十数年ぶりに取り出すと、用紙と製本が経年劣化していて、ほどなく手にするだけでぼろぼろに砕けそうでした。そうなっては惜しいのでブログに掲載し、記録に残すことにしました。

自由律の俳句は季語にこだわらないので、いわゆる「俳句」ではないという考えもあるようです。私は祖父の俳句は身辺と自然と時代を詠った「人間の詩」として愛誦しています。

祖父の岱風は 代々の家業であった花火製造販売業をある事情で廃業し、しばらく足袋屋をしていたようです。その後、時代の変化に合わせて東京へ出て、洋服仕立ての技術を身につけて上諏訪に帰り、テーラーメードの「ハナビヤ洋服店」を開業しました。生涯、居職の洋服仕立て職人でもあった祖父は、いつも傍らに小さな手帳をおき、思いつくままに句を書きつけていたと聞きます。

時代の流れもあり、注文仕立ての「ハナビヤ洋服店」は30年ほど前に閉店しましたが、当時のハンガーは我が家で今も現役です。



   その1

春寒う市立てる町の人出哉

溝幾筋にして桃李園長閑

庭隅の残雪や松の葉のこぼれ

街道埃軽く吹き居り木の実植ゆ

紙鳶糸のもつれる夕雨落ちて

夕暮るゝ丘にさえずり移りせり


二タ股の川風にあほらるゝ蝶

蛙鳴くや末の児が夕餉をせまる

梅のさく家裏や乳穂の崩さるゝ

草の芽や雨晴れてしめやかの土

蟹這える穏やかな日ざしあしの芽に

庫裏裏の高縁にわらび干されたる

   (夕餉-ゆうげ:夕ごはん)
   (乳穂-にお:田んぼの稲刈りのあと、稲束を積んだ小山状のもの。
         それを「にお」という。漢字では「乳穂」「堆」「稲積」などを当てる。)

土橋の崩れざまそこらたんぽぽに

車きしりゆく炎天の橋哉

雲の峯国境を日照る河原白

温泉に遊ぶ袷着て寒う居たり

こうもりや闇がりの酒蔵小路

せき板にせみ鳴いて町の昼静か


蠅何疋か居る昼蚊帳淋し

通り雨やなすのへた切る板の間広う

畑下小さき墓場のいちご

馬のあらび夏草に鎌見失ひぬ

米磨ぎて水捨つるあふひの夕べ

砂に箒目のまさやかをなでしこの咲く


馬の目に冷ややかな朝の草刈れり

星祭草屋根の垂れ深う見る

張替えし障子の匂ひ虫鳴けり

夜干し網に時雨して月の明けとなり

牛乳箱の置かれありあられ降れる中

綿入れの垂みよう能楽に来て


枯芝の朝 勝ち鶏の 血の光る

かぶら切れば 板の間を 風の素通せり

松の内 霙交わり 暮ただよへり

山の高低に 我家ある 初御そら哉

憶ふ記や 殊更爪の 伸びしかに

   御大典奉祝

収穫を酌む 白酒黒酒 稲架は輝る晩稲
 
 
雨戸かろくたてり 雁の声きこゆ

久しく家人が見えず 銀杏大きし

炭あける音に和する 干菜の風ゆれ

雨ぷつぷつと打つ 真黒い春の水面

丘の菫 目の下の湖の真青な

柿の花 一番奥の座敷掃かるる


堂塔ひそとして蟻道づくる

湖がありて旱るぐるりの家々    

野天温泉の囲い白いあやめの月夜

花茄子溝に影し暮れんとす

土手の萱草の螽日暮れたり     

竹の落葉沈み居り柳はやつるる

   注) (旱:ひでり)(螽:イナゴ)

「岱風句抄」 その2




たんぽゝの実が舞って流れゆきけり


道が曲がっていて蝶が先に行く


雪除まだしてある梅めっきりふくらんだ


寒鮒を釣る舟に火が燃えしぶる


春の田から田へと水が落ちゐる


舟に女客も居て春浅い湖に雨す




雨の湖が黒ずんで暮れる岸の芽柳


草の実がこぼれ込む乾いている溝


傘干してある入口が長くて草の芽


明るく雨ふり花あふひきる


夜半の町冷え電燈の影を踏み行く


硝子窓に冬日一杯射し青い植木




土手の芦焼けて淡い霜ある


山小屋の人を送りて道の辺のりんどう


紫苑色濃く松の根張りのあたり


秋の日ぶだうとった処石ごろごろで休み


冬の日長芋掘って居るに声を掛けられ


大きな落ち葉踏んで行くに谷底明るく




冬田田なりに水はって畦青い草


庭から田続きで暖冬の湖水たたえて


岸の薄氷けふ風で船が少ない朝だ


凍道埃リ松の丸太生々しくて匂い


果物あり二月の入り日庭木透いて部屋に


土間固くて干鱈に目方書いている男




道の雪よく掃かれ女性で厚いコート


    新田先生転任


菜の花活けし教室の机にて別るゝ


  北勢


海辺月に暈あり油の匂ひ来る風


  宝生寺


御堂あけて春冷ゆる日風を感じ


  長谷寺


おろがみ春くれんとす観音の巨体


  法隆寺


行くに土塀の厚み夏となる陽射し


  注)(暈-かさ、おろがむ-拝む)




汽車の煙が影し庭の水仙花もち


夕づく畦道牛が子牛が青草食べる


石炭掘ると云う山はふかい木の芽雑木


短い夏オーバーで足が早い道のペンペン草


窓の青桐芽が遅い太陽は上がり来


  四日市に遊ぶ


乗馬の一隊が川を渡り菜の花流れ




青空見えてこの日に栗の花咲き


       御陵


御前み民われらに畝傍山松みどりたち


  佐渡行


少しゆれて来た甲板で鰺の塩焼きをたべる


  真野御陵


若葉の中松の大木で地のしめりを歩く


  根本寺


根本寺へ参る竹薮の中をゆく竹の秋


  越後田圃


代田稲架木のかげ少し曇った夜明け


雪割草咲く学校で玄関で夏来たり




沢瀉の花の匂ひお羽黒蜻蛉生まれし日ざし


   谷浜


砂畑が暑い南瓜這って居るを横切る


木の中太い幹が立ちくさぎ花にほひ


思ひあり水引き咲いて裏口


高い柿の木柿が熟れ家各々の構


    沢瀉(おもだか)

「岱風句抄」 その3




めっきり冷えて来た揚げてある採集の蝶の額


残暑の土手が高い裸馬尾を振って居る


天葉ばかりの桑畑で紫蘇の実こぼるゝ


水が土に泌み入りコスモスの晴れ


足につめたくあるき新しきたゝみの匂ひ


沖に出る舟小さく見え洲の真菰枯れ




帰りこの道にしよう冬草青い土手


串の公魚かたち揃って干してある湖辺冬来たり


菜の株雨にぬれて畑に積まれあるまゝ


秋夜を戻りし音に馬屋に馬がいななき


人が居ない縁にある木の子の籠  


稲扱機ぐんぐんまはり一隊の小学生通る


    (公魚  わかさぎ)




大根引く土の色黒く風吹き


蓮枯れてお濠の橋長く見し風の日


池の水うすく張りつめ魚少し動いて見える


松の雪おほかた吹落とされ耐寒の一隊登山


雪の中藁乳穂突立ち藁乳穂の影


土を掘り土の匂ひ大根埋める穴


(乳穂:田んぼの稲刈りのあと、稲束を積んだ小山状のもの。

    それを「にお」という。漢字では「乳穂」「堆」「稲積」などを当てる。)
 
 
雪が荒れて来た桑株積んである畠隅


   悼 木染月氏


低い山まだら雪確然穂高の白雪


征く家の日の丸の旗桐の実しっかり


初空雲が流れ信濃山々据わり


水ひかりわさび畑のをばさんわさびをくれる


浮島の水涸れ橋を渡り諏訪大社春宮




日陰たけむら小雪し吉良良周の墓


国債を買ひ芋植ゑる畝が長い


栗咲いたその下の竿へ干した白い服


木立の道乾き下るに日ぐらしがなく


女かうして糸をつむぐ牡丹活けてあり


七夕の色紙がちる地がくらくなる




防火水桶に溢れかたはら露草が咲く


兄弟出征の家棗枝垂れてゐる


秋菜引くこちらへ向いた牛の顔


巌に立ちし霧流れ込む赤松林


古葉重なり栗のつぶつぶをひろって


穂草あるまゝに銃後母の住居




栗の笑んでいる高い木何本か青空


夏夜道へ出てくるひげ剃った男


雨をほしがる話おいらん草動かない花


土手高い空高いひヾく脱穀機 


防空桶を置くまひる虫鳴く


行きぬく気持ち枯草の色青い草の色




あかず小柿をとる子等に風吹き


つるもどきからみ冬山深くて筒鳥


ゆるいづぼんをはき立ってゐる葱畑


木の根っ子雪残り全体平凡な庭


早春川幅を感じ舟へ砂揚げる男


たらの芽を摘む吾思ふ今けふの日

「岱風句抄」 その4




日々針を持ちミシンをまわし梅咲けり


炭を焼きそこの残雪をこりこりたべる男


山独活を取るこゝから残雪の山を見る


畑あり にちにち乾く 朴の花咲き


初夏旅から戻り灯が奥深くわが家


芝焼ける土手幅大きな牛が居る




桐の木高くて花咲き屋敷の石が丸い


げんげ咲く田を鋤いて居る牛が小さい


ゑんどうさやもち傘さして取る少女


青田十分水あり男畦をまっすぐに行く


風あり茂りの葭から見える男の貌


真菰刈る人にお羽黒とんぼはなれず




庭から田甫へゆく鬼灯のひとむら


蕎麦刈りをさめ路の畠のごろ石


戦たけなわ桐の裸木実をつけ


焚火の跡ありてまだ草青い農具置場


山田日かげり空稲架に牛鳴いて居る


卓が丸い柚子味噌に朝めしをいたヾく


 *鬼灯(ほおずき)




戦勝ちぬくぞ行く道の青い冬草


氷張りきった湖かへり見る広さを感じ


木を倒し雪の中笹が青い


藪に根雪あり馬から炭俵をおろす


煙が窓から出る氷柱がさがり


人不在座敷の一炉夏めき




人が帽子をかぶり梅の実しっかり生っている


尾根は霧流れ松山の小山日が射し


紫苑の花方丈様法衣で出でます


子どもらがあきらかな顔栗を焼く


帰還庭の柿落葉を踏む男


敵機を恐れず我らが空の星光る




敵機残骸ある枯草の中青い草あり


更に張る心 朝に寒水を飲む


風吹きゴマの実筒が立つ一枚の畑


籾俵をおろす人が手が大きい


春の日石の据り各々句帖を持ちて


漁師舟に火を焚く春のみずうみ明ける






女魚を量つて太い柳の木あり


人にはなれて穂麦畑に立ちしいちにん


炎天水をたたえて湖のかたち


街に住み家に一本唐辛子の花


雲浮びゆく木槿垣花が残り


湖の水の湖の彼方から雪が降る



乾いた凍道をゆく一本の木の影


浅春時に物交所を覗き古陶に立つ


二月薪乏しきを知り割っている


剪定する風あり白い帽子脱ぐ木の中


笊の寒鮒息して居る暗い台所にありて


田の株見える程の雪にて雀の飛んで


  笊ーざる

「岱風句抄」 その5


柿がいろづき地味な着物の人がゆく

柳の葉のちるところ籾舟が着いた

ちゃぶ台大きくて寺の座敷秋立つ

雪が荒れてくる青空四囲が雪の山脈

早春茶を呑んでいて静かなる山に対す

    古稀賀莚 七十年を顧みて

畠はこべが青しわが身のまわり

      慈雲寺

夕立一過 松が雲を呼ぶかのおもい

    
    一碧楼師句碑除幕式 二句

水平らかの句碑なり こゝ野菊の丘

先生すたすた来るおもい 木の柿色づき

    耶馬溪羅漢寺  二句

鶯鳴いて居て落ちそうな岩がうしろ

山みづ百丈の岩を伝って落ちる青い冬草

    香椎宮  二句

春のうすら雪にこぼれて居る椎の実

帽子ふかくかぶり並木椎の木

 
      悼   泊 雨川

水は流れゆく百日草つぎつぎと咲く

おとろえのからだを立って見る地に雪の下の花 

道のべあかざほほけたり足よわりたり

        妻と共に病む

蝿を追ってやる枕並びていてもどかしく

まだおとろえぬ気魄紫陽花色替えて咲く

          絶句

秋めく布団にいて世の中へ感謝している 



   岱風翁   追悼句  

青い柿の一つが落ち晩が来た              鵞水城

ミシン今は主なくして残暑厳しく             不雪郎

しのび来し秋とつれ立ち岱風仏              沢 瀉

下駄のゆるい緒が行くとなくこほろぎ草に啼く      黙 天

八剣社の残暑群ら雀鳴きやめた             松 平

この句岱風さん水鉢苔深く唐沢の秋           羽 人

ひとり露草をふまず無の空へくる秋           博 敏

雨待ちて雨降り葱枯るる日                柿葉村

八ヶ岳に秋きし細い杖ついて立ちしか          満寿雄

百日草今日もその形夕べとなる              青 樹

ものもの音なし冷えて秋の湖星が流れる         霞

雪に消えて一人立つ地の冷えて鳴く虫          まなぶ

雨雲月をおおい冷気われを抱く              正比古

御霊送る二百十日の念仏会                蔓 橋

五十年の友逝きにけり秋の空               机 遊

二百十日その日岱風のぼり逝く              浪 舟

生活世を逝く世に野花実の尽きず             二 松

庵の月遺稿を修す人ありて                 雪 人

夕日かげし鴨跖草ぬれ咲くを見て佇つ          和 美

秋めくみづうみの青さひろさ岱風さんいない       蒲公英

   鴨跖草(おうせきそう)ーツユクサ

あとがき



奥付け
色紙