危機的状況の中の希望
村上龍
先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3~4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。
部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。
すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。
だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。
日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。
しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。
現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。
東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。
私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。
今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。
私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。
今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。
翻訳は「
タイムアウト東京」による。
March 16, 2011
Amid Shortages, a Surplus of Hope
By RYU MURAKAMI Yokohama, Japan
I SET out from my home in the port city of Yokohama early in the afternoon last Friday, and shortly before 3 p.m. I checked into my hotel in the Shinjuku neighborhood of Tokyo. I usually spend three or four days a week there to write, gather material and take care of other business.
The earthquake hit just as I entered my room. Thinking I might end up trapped beneath rubble, I grabbed a container of water, a carton of cookies and a bottle of brandy and dived beneath the sturdily built writing desk. Now that I think about it, I don’t suppose there would have been time to savor a last taste of brandy if the 30-story hotel had fallen down around me. But taking even this much of a countermeasure kept sheer panic at bay.
Before long an emergency announcement came over the P.A. system: “This hotel is constructed to be absolutely earthquake-proof. There is no danger of the building collapsing. Please do not attempt to leave the hotel.” This was repeated several times. At first I wondered if it was true. Wasn’t the management merely trying to keep people calm?
And it was then that, without really thinking about it, I adopted my fundamental stance toward this disaster: For the present, at least, I would trust the words of people and organizations with better information and more knowledge of the situation than I. I decided to believe the building wouldn’t fall. And it didn’t.
The Japanese are often said to abide faithfully by the rules of the “group” and to be adept at forming cooperative systems in the face of great adversity. That would be hard to deny today. Valiant rescue and relief efforts continue nonstop, and no looting has been reported.
Away from the eyes of the group, however, we also have a tendency to behave egoistically — almost as if in rebellion. And we are experiencing that too: Necessities like rice and water and bread have disappeared from supermarkets and convenience stores. Gas stations are out of fuel. There is panic buying and hoarding. Loyalty to the group is being tested.
At present, though, our greatest concern is the crisis at the nuclear reactors in Fukushima. There is a mass of confused and conflicting information. Some say the situation is worse than Three Mile Island, but not as bad as Chernobyl; others say that winds carrying radioactive iodine are headed for Tokyo, and that everyone should remain indoors and eat lots of kelp, which contains plenty of safe iodine, which helps prevent the absorbtion of the radioactive element. An American friend advised me to flee to western Japan.
Some people are leaving Tokyo, but most remain. “I have to work,” some say. “I have my friends here, and my pets.” Others reason, “Even if it becomes a Chernobyl-class catastrophe, Fukushima is 170 miles from Tokyo.”
My parents are in western Japan, in Kyushu, but I don’t plan to flee there. I want to remain here, side by side with my family and friends and all the victims of the disaster. I want to somehow lend them courage, just as they are lending courage to me.
And, for now, I want to continue the stance I took in my hotel room: I will trust the words of better-informed people and organizations, especially scientists, doctors and engineers whom I read online. Their opinions and judgments do not receive wide news coverage. But the information is objective and accurate, and I trust it more than anything else I hear.
Ten years ago I wrote a novel in which a middle-school student, delivering a speech before Parliament, says: “This country has everything. You can find whatever you want here. The only thing you can’t find is hope.”
One might say the opposite today: evacuation centers are facing serious shortages of food, water and medicine; there are shortages of goods and power in the Tokyo area as well. Our way of life is threatened, and the government and utility companies have not responded adequately.
But for all we’ve lost, hope is in fact one thing we Japanese have regained. The great earthquake and tsunami have robbed us of many lives and resources. But we who were so intoxicated with our own prosperity have once again planted the seed of hope. So I choose to believe.
Ryu Murakami is the author of “Popular Hits of the Showa Era.” This article was translated by Ralph F. McCarthy from the Japanese
2011年3月18日 |
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福島原発、最悪「レベル7」も 米シンクタンク指摘
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福島原発事故の真相 ジャーナリスト 広瀬隆
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2011年3月16日 |
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66年前の3月17日、神戸市西部はアメリカ空軍による一般市民無差別大量殺戮の焼夷弾絨毯爆撃を受けました。何次にも亘って投下された焼夷弾の下には名もない多数の一般「くにたみ」がいました。画像は「神戸大空襲」のHPから引用。
アメリカ空軍からみた『神戸空襲の意味』
神戸は、日本で六番目の大都市、人口約100万人、日本の主要港である。造船所群は、船舶建造と船舶用エンジン製造能力の面で日本最大の集中地域。
神戸で、本州の西端からの山陽本線と大阪・東京への東海道本線とが連結している。
鉄鋼、鉄道車両、機械、ゴム、兵器などの基幹産業施設は、神戸の輸送活動と密接に関連して立地している。
神戸を通過する国道は、市中の密集区域を通過している。
攻撃目標として選定された地域は、1平方マイルあたりの人口密度が平均10万人以上、高度に密集した市の中心部である。
§「米軍資料による神戸大空襲」のHPはこちら
一部引用・・
1995年1月17日、神戸をマグニチュード7.3の都市直下型地震が襲った。阪神・淡路大震災と名付けられた大災害に見まわれたのである。しかし、神戸はその50年前の1945年、マリアナ基地からのB29部隊による激烈な爆撃を受け、一面の焼け野原となった。1945年の戦災と1995年の震災、いずれも、神戸市民にとっては、神戸の街を壊滅させた歴史に残る大事件であった。
震災復興の過程で、年配の市民は戦災と重ね合わせながら、「あの災害からも立ち直ったのだから」と想いをいだいたという。戦災とはどのようなものだったのか。神戸の市民にとって、一体どのような体験だったのか。戦後60年余を経て、戦災体験を持つ世代はだんだん少なくなってきている。現在平穏に暮らす街には、その悲劇の記憶の面影はない。そこで、あの大空襲を考える手がかりを提供するのがこのホームページ作成の目的である。
これまで市民は、受けた惨禍について、体験者の視点から戦災を語り継いできた。しかし、空襲をした側の資料は、市民は簡単にみることができない。そこで、大空襲の全体を明らかにする意味から、これに加え、今回アメリカ軍資料に基づき、神戸への爆撃の有様を把握できるようにした。いつ、どこから、何機の攻撃機が、どのような爆弾を、どれ位の量、投下したのか。当時、被害をうけた神戸市民が、知り得なかった情報である。航跡図の記録からは、マリアナ基地(サイパン、グアム、テニアン島の基地の総称)から、日本本土までまっすぐに伸びたルートの途中に、硫黄島があり、その硫黄島の攻防の時期によって、ルートを変更した様子がうかがえる。空海救助図に記されたルート途中の海軍艦艇や救援機の哨戒図は、出撃の度に、陸海両軍が協同して、爆撃機の遭難への備えをおこなっていることを示している。爆撃の結果は、想定された爆撃目標地域の被災面積であらわされている。 |
2011年3月16日 |
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■ 『from 911/USAレポート』 第503回
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「東日本大震災を見つめるアメリカ(その3)」
アメリカは週明けの月曜日を迎えました。これまでの各局も「ぶっ通し」の報道体制でしたが、各テレビ局のエース級のキャスターが日本に入り、現地からの報道を開始したために報道の視点がグッと近くなり、「人ごとではないが外国の惨事」というトーンから「現在進行形の<私たちの悲劇>」というニュアンスに変わっています。
一言で言えば、様々な意味で感情的になってきているように思います。
NBCは朝の『トゥディ』というニュース番組のメイン・キャスターの一人、アン・カリーをはじめとして4名以上の記者が入っていますが、中でもアン・カリーは甚大な津波被害を受けた南三陸町から生中継を行い、被害の状況を詳しく伝えていました。彼女は、海軍軍人のお父様に帯同して幼少期を佐世保で育っており、お母様が日本人の日系二世ですが、日本語でコミュニケーションしながら、それを極めて的確な表現で伝えていました。
それはNBCの『ナイトリー・ニュース』という夕方のニュースでしたが、キャスターのブライアン・ウィリアムスが「これだけの被害に見舞われても日本人が冷静だというのは驚き(サプライズ)ですよね」と呼びかけると、カリーは「私は日本で育ったので驚きません。でも、今回は、インタビューすると多くの人が微笑みながら応対してくれながら、目には涙を浮かべているんです。これは私には初めての経験です」と述べていました。その後のウィリアムスの表情は崩れそうでした。
カリーが南三陸町に取材に入ったのは、キャノン・パーディさんという行方不明の米国人を探すためでした。彼女はALTとしてこの地の中学校で英語を教えており、任期を終わって一旦帰国したものの、教え子達の卒業式に是非参列したいと日本に戻って、南三陸に着いたその日に津波に襲われていたのです。通信手段のないまま、アメリカの家族は消息が確認できずにいたのですが、カリーはツイッターを駆使して彼女を避難所で探し出したのでした。番組の中では、衛星回線を使ってアメリカの家族と無事を喜び合うパーディさんのドラマが紹介されていました。
実はこうしたALTの被災者というのは何人もあるようで、各局が避難所などで取材をしていますが、「自分は一緒に被災した人たちの支援をしたい」と言うアメリカ人も多いようで、それに対して「本当は帰ってきて欲しいけど、きっとそう言うだろうと思っていました」という留守家族の声なども紹介されています。
CNNは人気キャスターのアンダーソン・クーパー、医療評論家で全米で最も有名な脳外科医であるサンディ・グプタ、そして社会派の記者ソリダート・オブライエンが主として宮城県から福島県を精力的に取材しています。クーパーも「大地震、大津波、原発事故と三重の大災害に見舞われながら、これだけ礼節が保たれ平静だという
のは驚嘆するしかないです」と述べ、特に「非常用給水に長蛇の列を作っていた人達が途中で水が無くなってしまって、今回はダメだとなった時にももらえなかった人が誰も叫んだり暴れたりしなかった」シーンは衝撃だったと言っていました。
募金活動も力が入ってきています。14日の晩のCNNにはアメリカ赤十字のゲイル・マクガワンCEOが小野洋子氏(ジョン・レノン夫人のヨーコ・オノ)と一緒に出演して、日本向けの募金を募ってました。小野洋子氏は「私は日本で戦災にあって、東京が焼け野原になったのを経験していますが、日本人は何もかもを失っても団結して苦難を乗り越える人々だと思います。でも、そのためには支援も必要です」と訴えていました。
こうした報道の結果、アメリカ人は、ある意味で、日本人の喪失感や苦闘を自分のことのように経験しようとし、経験しつつあるのですが、そうした感情的なリアクションは別の形でも出ています。それは原発問題に関する議論です。一言で言えば「これだけ用意周到でテクノロジーの進んだ日本でも問題が起きるのだから」という理屈
で、「アメリカの原発も総見直しが必要」というエモーションがじわじわと増大しているのです。
NBCのブライアン・ウィリアムスによれば日本は「ハイパー・プリペアード・カントリー」つまり「超用意周到な国」であるという表現を使い、今回の福島第一原子力発電所の事故に関しても極めて同情的でした。これほどの惨事にも関わらず、情報の錯綜に関する批判はあっても、事故を起こしたことへの批判はほとんどありません。
そうした認識が、逆に「日本でもこうなったのだから」原発一般が心配だというムードになっているのです。アメリカの月曜日は、日本への同情、賞賛、そして原発一般への不安感という「感情論」に覆われていたと言えるでしょう。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ) |
2011年3月16日 |
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今日の気になるネット情報 /
東日本大震災・原発 |
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Halimaoさん 「想定外」に関するメールありがとうございました。
1)いろんな大学や研究機関の御用学者がお役所に協力して、教授や学者の権威を利用し、大新聞やテレビを使って高速道路は全ての危険に対応できる安全設計になっていると言って来ました。
日本の構造設計はアメリカの高速道路の基準とは違ってもっと厳しいと。
阪神大震災で高速道路の高架が落ちた時、権威ある土木系の教授たちは、「今回は想定外の地震だった」と言いました。
これは設計者や学者からするとある意味当然のことです。
なぜなら、設計はすべてある想定の条件を前提にして行うからです。その条件とは異なる事態が生じたときは「想定外」です。
でも一般の我々はそういうふうには受けとめていません。エライ学者さんたちが大丈夫というのだから安心だと思ってきました。
そして中央官庁の官僚たちはそれを十分に利用します。
「原子力発電所を日本に造るに当たり、こういう地震を技術者に
想定させて設計したが、 これを越える規模の地震が起きたときは 重大な事故が起こりうる」と決して彼らは言いません。
東大の原子力専門の学者や先生方がこう言っているから大丈夫だと大手メディアに言わせてきました。
そう言わなければ、ただでさえ強い住民の反対を押し切って、日本で原子力発電所の建設はできないからです。
2)ところで、その結果として建設された原子力発電所は、大都市圏の近くには立地していません。
原子力発電所が官僚や東大の原子力学科の御用学者が言うように本当に安全なら、東京電力の原子力発電所は東京都庁やTDLのすぐ隣りに建設しても良かったと思います。
しかし官僚も学者も、地震国日本では想定レベル以上の地震が起こりうることを当然知っている。
沖縄にある米軍基地と同じでしょう。危険が生じる可能性がある施設や設備は、自分たちが暮らす都会地から遠いところに置く。
ある意味、自分を含めて都市圏の住人はその恩恵をこうむってきた。
そんなことは知らなかった?自分には関係ないと思っていた?
被災者の人たちは一切言っていませんが、放射能にさらされている彼らから見れば、経産省の官僚も東大の教授連も東京電力の役員も、今回の事故が起きてから、それらのエライさんや組織のことをネット上で怒りまくっている都市圏の住民も、「ちょぼちょぼの同罪」。そういう面があります。
遠く離れた孤島に住んで自給自足で生きない限り、人は今回のように気が付かないうちに他人の犠牲の上に生きている。なんか辛いものがありますが一面の現実です。
つまり、私が原子力安全・保安院や東京電力の現在の対応ぶりを口を極めて批判しても、被災地の方々からすれば、目くそが鼻くそを笑っている・・。そう見られて当然の現実もあります。
多くの人が今回のような事故を想定して、日本では原子力発電所は作ってはいけないと言ってきました。しかし現在、下のリストのような原子力発電所が日本にあります。
この時代に生きるということは、他人事というのはもう何もないのかも知れませんね。
【北海道】
・ 泊発電所
北海道電力
【青森県】
・ 大間原子力発電所(建設中:2012年3月運転開始予定)
電源開発
・ 東通原子力発電所
東北電力
・ 東通原子力発電所(計画中・着工前:2017年3月運転開始予定)
東京電力
・ 六ヶ所再処理工場
日本原燃
【宮城県】
・ 女川原子力発電所
東北電力
【福島県】
・ 福島第一原子力発電所
東京電力
・ 福島第二原子力発電所
東京電力
・ 浪江・小高原子力発電所(計画中・着工前:2020年度運転開始予定)
【新潟県】
・ 柏崎刈羽原子力発電所
東京電力
【茨城県】
・ 東海第二発電所
日本原子力発電
【静岡県】
・ 浜岡原子力発電所
中部電力
【石川県】
・ 志賀原子力発電所
北陸電力
【福井県】
・ もんじゅ
日本原子力研究開発機構
・ 敦賀発電所
日本原子力発電
・ 美浜発電所
関西電力
・ 大飯発電所
関西電力
・ 高浜発電所
関西電力
【島根県】
・ 島根原子力発電所
中国電力
【山口県】
・ 上関原子力発電所(計画中・着工前:2018年運転開始予定)
中国電力
【愛媛県】
・ 伊方発電所
四国電力
【佐賀県】
・ 玄海原子力発電所
九州電力
【鹿児島県】
・ 川内原子力発電所
九州電力
○ 原子力発電所の立地情報はこの サイトから引用しました。
日本の原子力発電所の沿革 wikipediaから引用
1945年8月、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。しかし1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発行したため、原子力研究は解禁されることとなった[1]。
日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[2]。
1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。
1956年6月に日本原子力研究所、現、独立行政法人日本原子力研究開発機構が特殊法人として設立され、研究所が茨城県東海村に設置された[6]。これ以降東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。
1957年11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された[7]。
日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている[8]。
日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。しかし経済性等の問題[9]によりガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉であった。
近年は老朽化で運転を終えた原子力発電所の処置の問題に加え、二酸化炭素排出削減策として既存原子力発電所の延命の方針が打ち出されており、2010年3月に営業運転期間が40年に達した敦賀発電所1号機をはじめ、長期運転を行う原子炉が増加する見込みである事から、これらの安全性の維持が課題となっている[10]。
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2011年3月16日 |
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いかにして日本の経済は復興するか
by Mohamed El-Erian(世界最大の債券ファンドPIMCOのCEO)
日本から届く悲惨極まりない報告の数々は、金曜日に日本で起こった破壊的な地震と津波が引き起こした悲劇の深刻さの、ほんの一部を見せているに過ぎない。
日本は直ちに膨大な人的被害に焦点を充てるという、当然の措置を取った。世界中の人々が多くの命が失われたことに深く胸を痛め、日本の復興の努力が実を結ぶようにと祈っているが、それと同時に日本経済のダメージの度合いや復興とリハビリ計画に注意が向けられ始めている。
原子炉にまつわるリスクも含め、未だ高度な不確実性は認められながらも、他国の経験を踏まえると、日本経済の見通しは以下の5点に集約されると考えられる。
日本の経済成長率は、復興活動による急激な上昇の前に、自然災害直後の余波からまずは低下するであろう。
サプライチェインに支障が生じ在庫が減少するために、物資不足と非常に低い水準からの急激なインフレが一時的に生じるであろう。
財政赤字と公的債務額は、歳入が失われることに加え、より重要な点として緊急財政支出が増えることで、相応に増加するであろう。
政策金利はゼロ水準に張り付いていることから、中央銀行は、追加的なクレジットと流動性ファシリティの用意を含め緩和的な金融政策を取るだろう。
そして最後に、日本国には、日本国民が海外で保有している分を含め、マネーの本国への帰還が起こるであろう。
日本は裕福な国であり、比較的低い金利で借金することも可能だ。それゆえ、この悲惨な自然災害から経済的に立ち直る能力を、日本は間違いなく有している。
さらに言えば、非常に良好な回復シナリオの下では、金曜日の恐ろしい衝撃は、政界内の協調をもたらし、過去20年に渡る失望的な経済パフォーマンスを覆すためのカタリストにすら成り得るだろう。事実、高レベルで持続性のある成長が長期に渡って継続することこそ、日本国の公的なダイナミクスに対処するために必要な鍵なのだ。
日本経済が素早く立ち直ってくれることを望んでいるのは日本人ばかりではない。世界のどの国もその気持ちは一緒だ。多くの国々が既に、機材、マネー、ボランティアといった形で多額の寄付を通じ復興に向けた支援を供出し始めている。
この国際リアクションは、人間が持つ最も崇高な感情のひとつ、エンパシー(他人の気持ちや感情を理解できること)に突き動かされている。とはいえ、そこには自己利益という要素も含まれている。日本は世界で最も大規模な経済のひとつだ。世界貿易や国境を越えた資金フローの場において、日本は重要な役割を果たしている。また多国間の政策審議では日本の声は影響力を持つ。
システム全体で重要度の高い日本という国が経済再生を果たすことには、世界は共通の関心がある。日本が良好な状態でいてくれることは、グローバル経済が力強い成長を遂げ、多くの職を生み出し生産性を高めることに繋がるからだ。そして、人間の最も根源的な部分において、私は、真に恐ろしい悲劇に襲われた日本のすべての人々の無事を願ってならない。
いまは大きな痛みに包まれ、不確実性にかく乱されている日本。しかし、この胸が張り裂かれるような悲劇も、まもなく、多くの奇蹟のような救出ストーリーと日本社会の完全再生にとって替わられますよう、お祈りしています。
翻訳はMurray Hill Journal( こちら )
原文
FT.comから引用:
How Japan’s economy will eventually rebound By Mohamed El-Erian
Published: March 14 2011 12:37 | Last updated: March 14 2011 12:37
Highly distressing eyewitness reports and deeply disturbing images shed only partial light on the magnitude of the tragedy inflicted on Japan by Friday’s devastating earthquake and destructive tsunami.
Japan’s immediate focus is on the enormous human suffering, and rightly so. As people around the globe join Japan in being saddened by the loss of so many lives and in praying for the success of rescue efforts, attention also turns towards the extent of the damage to the economy and its reconstruction and rehabilitation plans.
While there is still considerable uncertainty, including on account of nuclear reactor risks, the experience of other countries suggests that the economic outlook will be dominated by five factors.
Japan’s economic growth rate will fall in the immediate aftermath of the natural disasters before rising sharply due to reconstruction activities.
Disruptions to supply chains and the loss of inventories will cause shortages and inflation to spike temporarily from very low levels.
The fiscal deficit and public debt will rise meaningfully due to lost revenues and, more importantly, emergency spending.
The central bank will ease monetary policy which, given policy interest rates floored at the zero bound, will involve the provision of extraordinary credit and liquidity facilities.
Last, the country will receive transfers from abroad, including the repatriation of funds held outside the country by Japanese residents.
Japan is a rich country that is also able to borrow at relatively low interest rates. As such, it definitely has the ability to rebound economically from these horrible natural disasters. Moreover, in a really good recovery scenario, Friday’s dreadful shock could even be a catalyst for internal political unity and for overcoming what has been two disappointing decades of economic performance. Indeed, a prolonged period of high and sustained growth is key to Japan’s handling of its domestic public dynamics.
The Japanese people are not alone in hoping for a rapid economic recovery. The rest of the world is with them. Governments and individuals in several countries are already mobilising to help Japan via large donations of equipment, money and volunteers.
This international reaction is driven by one of the noblest of all human feelings, that of empathy. Yet there is also an element of self interest. Japan is among the very largest economies in the world; it plays an important role in global trade and cross border financial flows; and its voice is influential in multilateral policy deliberations.
The world has a shared interest in the economic recovery of this systemically important country. The good health of Japan is central to a robust global economy that generates lots of jobs and enhances productivity. And, at the most basic human level, we wish for the well-being of all those in Japan who have been affected by a truly horrible tragedy.
May the heartbreaking human tragedies soon give way to many stories of miraculous rescues and the full recovery of a society that, today, is being subjected to enormous pain and disrupting uncertainties.
The writer is chief executive of Pimco
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2011年3月16日 |
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MITの研究者Josef Oehmenと元原子力技術者の大前研一の発言が引用されている。
池田信夫 「危機は避けられたか」 こちら |
2011年3月15日 |
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専門家の解説です。
「Vol.64 緊急被ばくの事態への対応は冷静に」
一部引用・・
3月11日の大地震により、福島県の東京電力福島原子力発電所で放射性物質の放出という深刻な事態が発生した。マグニチュード9.0という大地震と津波による悪夢のような大災害の現実に対して被害者の救出が全力で行われている。
一方、原発事故も大きく報じられているが、国民が放射線被ばくについて不安が強いという現実に対して上 昌広編集長の依頼で、13日14時現在までの情報をもとに放射線被ばくについての基本的な考え方を報告し、冷静な対応を期待したいと思う
全文はこちら |
2011年3月15日 |
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福島 3号機爆発で11人けが
3月14日 13時14分 NHKニュース
14日午前11時1分、東京電力福島第一原子力発電所の3号機で爆発が起きて煙が大量に上がり、原発の作業員と自衛隊の隊員のあわせて11人がけがをしたということです。経済産業省原子力安全・保安院では、12日の1号機に続いて水素爆発が起きたとみて、原発から半径20キロの中に残っているおよそ600人の住民に対して屋内退避を指示しました。これまでのところ、敷地周辺の放射線の値に異常な上昇はなく、原子炉を覆う格納容器の健全性は保たれているとみられています。
14日午前11時1分、福島第一原子力発電所の3号機から爆発音がして大量の煙が上がりました。これについて、経済産業省原子力安全・保安院では、水素爆発が起きたものとみています。東京電力によりますと、この爆発で東京電力の社員4人とや協力会社の従業員3人、それに自衛隊の隊員4人のあわせて11人がけがをしました。詳しいけがの程度などは分かっていません。福島第一原発から半径20キロには、病院や施設などにいる615人の住民が残っており、原子力安全・保安院は、屋外にいる人に対し、できるだけ早く建物の中に入るよう屋内退避を指示しました。このうちのおよそ100人は、20キロの外に避難するために施設を出たということで、残るおよそ500人についても、圏外に避難させるかどうか検討しています。
枝野官房長官は、記者会見で「3号機の格納容器は爆発のあとも内部の圧力が保たれているほか、施設周辺で観測された放射線の値も比較的低いことを考えると、爆発によって放射性物質が外部に大量に出ていることは考えにくく、格納容器の健全性は保たれている」と説明しました。水素爆発は12日、福島第一原発1号機でも起きて、建屋の上部が吹き飛びました。3号機でも原子炉の水位が下がり、燃料棒が露出したため、水蒸気と反応して水素が大量に発生したことが分かっており、水素爆発の起きることが心配されていました。
福島第一原発3号機で水素爆発 屋内待避呼びかけ
2011年3月14日13時22分 asahi.com
東日本大震災で被害を受けた東京電力の福島第一原子力発電所(福島県大熊町)の3号機で14日午前11時ごろ、大きな爆発が起きた。経済産業省原子力安全・保安院によると、水素爆発が起きたことを確認した。保安院は、原子炉が入っている圧力容器、それを覆う鋼鉄製の格納容器のいずれも、損傷した可能性は低いとみている。保安院は、20キロ圏内にいる住民に建物内に避難するよう要請した。東電によると、少なくとも11人が負傷しているという。
今回の爆発は、12日に1号機で建屋が吹き飛んだ爆発と同種とみられる。枝野幸男官房長官は14日午後0時40分からの記者会見で「格納容器の健全性は維持されていると思われる」とした上で、周辺の放射線量のデータに大きな変化は確認されておらず、「放射性物質が大量に飛び散っている可能性は低い」と述べた。
同原発で運転中だった1~3号機は地震後、原子炉を冷やす緊急炉心冷却システムが停止。3号機では、炉内の圧力や水位が不安定な状態が続き、燃料棒が一時露出するなどして爆発をしやすい水素が発生していたとみられる。13日午後からは、炉内に海水を注入して冷却を試みていたが、その最中に爆発は起きた。
12日に1号機で起きた爆発では、損壊は原子炉建屋にとどまり、格納容器と圧力容器に異常は確認されていない。保安院は、今回の爆発も原子炉建屋にとどまっているとみている。
保安院によると、20キロ圏には、少なくとも約600人の住民がいるとみており、屋内への避難を要請した。
東電によると、圧力容器、格納容器とも壊れていないことを確認しているという。周辺で中性子線は確認されていないとしている。
原子炉は、内側から圧力容器、格納容器、原子炉建屋の「壁」で守られている。ただ、圧力容器や、格納容器が壊れると、チェルノブイリ事故に匹敵する重大事故となる。
◎原子力資料広報室のサイト こちら
*「原子力資料広報室」はNPO法人。 |
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東日本大地震の被災状況を知るにつれ言葉がありません。
神も仏もないものか・・と思います。
そんな中、原子力関係官庁や電力会社の広報の劣悪さには心底驚きました。
彼らはこれまで庁内、社内にある記者クラブの記者だけを相手に文書を配布することだけが「広報」だったということのようです。
TVで見る彼らには、記者の向こうに需要者と「くにたみ」がいて、
そのエンドユーザーや顧客に知らせるという意識が全くない。
マイクの音声不良で何を喋っているのかわからないのに、出席している記者も弱弱しく聞こえませんと発言するが、全く無視。
記者クラブ制度を使って大手メディアを抱き込んでなあなあで来たことも一目瞭然だ。大手新聞やテレビの記者連からこれではわかりませんとクレームが出たこともないのだ。
計画停電の文書は汚いワープロで作成され、書かれている地区割り停電計画は地区が一部重複していて、肝腎の家庭の主婦や小商いの店主が知りたいことは一向にはっきりしない。
前日の21時すぎにそんな状態で、明朝6時20分から停電するという。
まさに「お役所仕事」!!の典型。
民間人に突如、明日は仕事を休め、学校にいくな!って指示するか?
また日銭稼ぎの商いで生きている人たちのことなんか無視もいいところのお役人様の発想だ。
現場で必死に活動や作業をしている官の現場の方々と比べ、オフィスで仕事をする一握りの役人さんや、お役所仕事丸出しの電力会社のエライさんたちのいい加減さが際立った昨夜だった。
これはまさに「人災」もいいところだ。
今回の原子力発電所の事故で、経済産業省の中に「原子力安全・保安院」という特別な組織があることを知った。
その長にいる責任者は私はまだテレビでも見かけないので、経産省のHPでどんな方がこの重要な職責を担っておられるのか、見ました。
トップページ > 経済産業省について > 幹部 > 原子力安全・保安院 >
原子力安全・保安院長 プロフィール
薦田 康久(こもだ やすひさ)
生年月日
昭和28年2月12日
学歴
昭和50年3月 東京大学工学部電気科卒業
主な職歴
昭和50年4月 通商産業省入省
平成元年7月 工業技術院総務部次世代産業技術開発官
平成4年6月 資源エネルギー庁公益事業部ガス保安課長
平成6年7月 エネルギー総合工学研究所副主席研究員海外電力調査会ワシントン事務所
平成8年9月 資源エネルギー庁公益事業部技術課長
平成9年7月 資源エネルギー庁公益事業部電力技術課長
平成11年7月 工業技術院総務部研究業務課長
平成13年1月 産業技術研究所研究業務室長兼独立行政法人設立準備本部長
平成13年4月 産業技術研究所経営部長
平成13年4月 産業技術研究所企画本部副本部長兼業務推進本部副本部長
平成14年7月 原子力安全・保安院審議官(核燃料サイクル担当)
平成16年6月 大臣官房地域経済産業審議官
平成17年9月 原子力安全・保安院審議官(原子力安全・核燃料サイクル担当)
平成19年7月 原子力安全・保安院長
最終更新日:2008年9月17日
われわれ「くにたみ」はこの人に放射能災害事故の今後を託すことになります。薦田さん本当に頼みます。
そして最高責任者として一度広報の場に出てきてください。 |
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英文による Live Blogは こちら
またDaily JCJのサイトによると、
日本を襲った東北、関東、太平洋大地震は世界中のメディアがトップニュースで伝えている。CNNはテレビ朝日の特別番組をそのまま流しながら、大阪支局のポーラ・ハンコック記者が速報を流し続けている。またBBCのワールドニュースもNHKの特番を流しながら東京支社のデイビッド・チェックマン記者が生放送を続けた。特に福島原発で冷却水システムが作動しないなどの状況を緊迫した面持ちで伝えている。 |
2011年3月13日 |
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昨日「福島第一原子力発電所の現状について」で池田信夫さんの現状分析を紹介したが、補足記事が出た。
一部引用・・
保安院が炉心溶融という重大事故を示す言葉を軽々しく使うのはよくない。炉心溶融というとチェルノブイリ事故を連想する人が多いと思うが、チェルノブイリは黒鉛炉という特殊な炉がずさんな運転で暴走したもので、軽水炉では起こりえない。今回は緊急停止して制御棒が入っているので核分裂は止まっており、炉心が溶けて冷却水と反応して爆発し、原子炉を破壊する最悪の事態は考えにくい。
ありうるのは、スリーマイルと同様に核燃料などの放射性物質が大気にさらされる事態で、事故が原子炉建屋だとすれば、建屋がないので汚染はもっと深刻である。ただ今のところ格納容器も原子炉も破損したという情報はないので、炉内の水蒸気を逃がして原子炉を守れば破損は防げる。これによって放射性物質が大気中に飛散するが、原子炉が崩壊すると最悪の事態になるので、住民を避難させた上で蒸気を逃がすしかないだろう。
全文はこちら |
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被害を受けた人たちから遠い場所にいる人間として、これから心に強く留めておこうと思った文章を読んだ。
「未曽有の災害の時に」
一部引用・・
・・以上三点、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」を、被災の現場から遠く離れているものとして心がけたいと思っている。
これが、被災者に対して確実かつすみやかな支援が届くために有用かつ必須のことと私は信じている。
かつて被災者であったときに私はそう感じた。
そのことをそのままに記すのである。
全文はこちら
こちらは「報道について」の重要な指摘です。
一部引用・・
しかし、ここでマスメディア関係者に考えてほしいことがある。いまは非常事態だ。1人の日本人として、現在の状況がはらむ内在的危険を理解して欲しい。戦後、日本の国家システムは近代主義に基づいて作られている。そこで中心となるのが個人主義と生命至上主義だ。個人の生命と職務の遂行が天秤にかかった場合、個人の生命の方が重い。従って、国家も民間企業も、職務の遂行のために命を捨てる命令を行うことはできないのである。
しかし、今回の東日本大震災による被害を極小にするために、文字通り命を賭して職務を遂行してもらわなくてはならない人々がいる。福島第一原発に関しては、東京電力の原子力専門家や経済産業省、原子力安全・保安院の文官、技官には無限責任(仕事のために命を差し出すこと)が日本国家と日本人同胞のために求められている。菅直人首相は民主的手続きに基づいて選ばれた日本の最高権力者である。ここで重要なのは菅直人という固有名詞ではなく日本国内閣総理大臣(首相)という役職だ。現行の法体系に不備があるならば、日本国家と日本人同胞を救うために首相は超法規的措置に踏み込む必要がある。
マスメディアが責任追及の姿勢をとると官僚と原子力専門家が萎縮する。そして、規則やマニュアルの範囲内でしか行動しなくなる。これらの規則やマニュアルは生命至上主義に基づいて作られているので、命を捨てる職務は想定されていない。規則やマニュアルの想定をはるかに超える事態が生じている。破滅的結果が生じることを防ぐためには官僚や東京電力関係者を萎縮させてはならない。マスメディア関係者は是非そのことを理解してほしい。国民、マスメディア、政府が一体となって危機を脱する方策を、誠実に探求することがいま求められている。
全文はこちら |
2011年3月13日 |
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◎経済産業省の原子力安全・保安院の記者会見の説明をテレビで見ていると、不安が増す。世界で三番目に起きてしまった「炉心溶融-メルトダウン」を収拾出来る能力を持つ技術者が本当に日本にいるのだろうか?
原子力安全保安院、東京電力、原子炉設備メーカーのどこかにいて欲しいが事故経験者は誰もいない。
おそらくチームが組まれて稼働しているのだろう。
誰がチームリーダーで、責任を持ってまとめている組織はどこ?
メディアはそのあたりも取材をして報道し、安心させてほしい。
もし日本に最適な専門家がいないなら世界に声をかけて技術者を集めてほしい。
スリーマイル島原子力発電所事故やチェルノブイリ原子力発電所事故のようなことにならないように総力を上げて欲しい。
◎明日から東京電力は「輪番停電」をするらしいが、以下さきほど知人に送ったメールの一部。
「現実的には海外の救援隊も含めて、これからは孤立して救援を待つ人の救助、病人と負傷者の手当て看護に加えて膨大な溺死死体の収容と身元特定がメインになり、それは一刻の猶予も出来ないと思います。
それとは別に「東電」が明日からの「輪番停電」を言い出していますが、病院、在宅病人への配慮以外にも各家庭の冷蔵庫の冷凍冷蔵食品、スーパー、コンビニ、飲食店の冷蔵庫、冷凍庫の食品へのダメージをどうするのか心配です。
たとえ3時間と言え、食品の劣化から大量廃棄と、大変な負の連鎖が生じるのではないかと。
電力不足だから停電しか方法がないと言われればそれまでですが、東電の幹部は日常生活全般への影響をどう考えているのかが現在の報道の限りでは見えなくて歯がゆいです。」
毎日JP webより
.東日本大震災:東電、「輪番停電」実施へ 戦後混乱期以来
2011年3月13日 11時00分
東京電力は、東日本大震災で発電所の停止が相次ぎ、電力供給が大幅に落ち込むことから、14日以降、地域ごとに3時間ずつ電力供給を止める「輪番停電」を実施する。電力需要の少ない休日の13日は、通常通り供給できたが、企業活動の本格化する週明け14日は、供給不足が避けられないと判断した。国内の輪番停電は、戦後の混乱期以来。東電は「最低でも1週間は続く」としている。
14日は、既に停止している原子力、火力発電所に加え、夜間電力でくみ上げた水で発電する「揚水式」水力発電所用の水を使い果たすとみられる。その結果、供給能力が13日より500万キロワット少ない3100万キロワットに減少する。これに対し、電力需要は、平日で企業活動が活発化することにより、最大4100万キロワットに達しそうで、1000万キロワットの供給不足となる見通しという。
そのため、契約者約2800万件を約150万件(約500万キロワット相当)の供給区域に分け、事前連絡した上で2区域ずつ輪番停電することで埋め合わせる。病気療養者がいて、医療用機器を常用している世帯などには、発電機を貸し出すことも検討する。
輪番停電は家庭、工場、オフィスの区別なく実施する。対象から、病院や公共施設などを除くことは「技術的に困難」(東電)なため、自家発電などで対応する必要が出てくる。鉄道は、複数の供給区域にまたがって走っているため、電力供給がとだえることはないとみられる。
輪番停電は、電力会社の経営危機で供給不足に陥った米カリフォルニア州が01年に実施。信号機の停止で交通事故が多発したり、工場が操業停止に追い込まれるなど大きな影響があった。【大久保渉】 |
2011年3月13日 |
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日本の原子力発電の歴史で初めて、民間人に被ばく者が出た。
何とか健康被害以下の被ばくにとどまって欲しい。
NHKニュース web版
福島 双葉町で患者3人被ばく
3月12日 22時47分
福島県は、福島第一原子力発電所のおよそ3キロ北にある双葉町での病院で、患者や職員90人のうち患者3人を抽出して検査したところ、3人全員が被ばくしたと発表しました。
福島県は、「この3人の被ばくは、放射性物質を洗い落とす除染が必要なレベルだが、3人の体調には異常はない」としています。福島県によりますと、福島第一原子力発電所から半径10キロ以内の避難指示の範囲に位置する、双葉町にある双葉厚生病院にいた寝たきりの患者や職員90人のうち、患者3人を抽出して被ばくの検査をしました。
その結果、患者3人全員が被ばくしていて、3人は放射性物質を洗い落とす「除染」が必要なレベルでしたが、福島県は「3人の体調には異常はない」としています。
福島県によりますと、病院にいた90人は、12日午後3時半ごろ、福島第一原発の1号機で爆発が起こったときに、高校のグラウンドで自衛隊のヘリコプターによって運ばれるのを待っていたということです。 |
2011年3月12日 |
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