2017年1月10日火曜日

島原発事故が起きて4年経過した2015年12月11日から12月15日の「阿智胡地亭の非日乗」の記事   その2

2015年12月12日(土)
沖縄が背負わされた「不平等な歴史」は今に始まったわけではない、MAG2
戦前、戦後と沖縄が背負わされ続けた、不平等な歴史。沖縄の普天間基地問題は、国が沖縄を訴える裁判へと発展し、解決の糸口が未だに見えません。メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』では、沖縄が歩んできたこれまでの歴史を紐解くことにより、その問題の根本に迫っています。

沖縄が背負わされた不平等な歴史は今に始まったわけではない

沖縄と言えば、普天間基地を巡る対立は国が沖縄県を訴える異例の裁判に突入。先週行なわれた、翁長知事の意見陳述では、「日本に地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄県にのみ負担を強いる日米安保体制は正常と言えるのか。国民すべてに問いかけたい」という言葉は非常に重く感じる。今の基地の問題だけでなく、沖縄の歴史、日米地位協定などが絡んでいる。そこを全部含めて考えて欲しいというのが翁長知事の訴えというように思う。

そもそも沖縄は琉球王国の時代(江戸時代)に薩摩藩に侵攻され、その後、明治時代に時の政府が「沖縄県」とした(1879年)。沖縄ではこれを「2つの収奪」といわれている。こういう歴史がありながら、第二次大戦末期には日本国内唯一の国内戦の舞台となった。戦争での死者は敵味方関係なく、沖縄本島南部の平和記念講演の「平和の礎(いしじ)」に刻まれ、現在も刻まれる方の数は増加しており24万1336名となっている。

なぜ沖縄が焦点になるかというと、アメリカ軍にとって沖縄は東南アジアをにらむ上で地政学的に非常に良い場所であるためこの地を離したくないからだ。1951年のサンフランシスコ講和条約に基づきアメリカ軍専用基地が多数つくられた。そして1960年に日米地位協定が結ばれ、沖縄の苦悩がここから始まった。

住民たちは「アメリカ兵も人間だから誠意は通じる」と基地建設反対を座り込みで訴えたが、願いは聞き入れられず「土地収用令」によって軍用地を確保し、ブルトーザーで住宅をつぶした。

現在、沖縄県の面積の11%がアメリカ軍基地。沖縄県の面積は日本全土の6%程度であるにも関わらず、日本にあるアメリカ軍基地の74%が沖縄に集中している。沖縄の人口は142万人だが、アメリカ兵が2万5千人駐留。アジア太平洋地区に駐留するアメリカ兵は約10万人であることから、そのうちの4分の1が沖縄に集中し、沖縄は重い負担を負っていることがよくわかる。辺野古の問題はいろいろなものが帰結して現在に至っているのだ。

私は新聞記者時代に沖縄についても様々な取材をしてきたが、一番印象的だった沖縄の動きは、この頃。沖縄が日本に返還されたことを「沖縄復帰」(1972年)と呼ぶが、当時沖縄には「復帰協議会」があり、「即時無条件・全面返還」すなわち沖縄の基地を全て撤去して、核兵器も全部引き揚げようということが協議会含め沖縄の要求だった。

しかしながら日米両政府が発表したのは「核ぬき、本土なみ」。一見沖縄の要求が通ったように思われるが必ずしもそうではなく、沖縄に配備されていた核兵器は撤去するが、返還後の沖縄にも日米安保条約を適用。日米安保では、日本がアメリカに基地を提供することを取り決めしていたので、沖縄の米軍基地は引き続き存続される。その結果、沖縄に膨大な基地が残った。これに沖縄は怒り、東京の首相官邸で行なわれた沖縄返還調印式を沖縄代表は欠席。ここから沖縄と本土の間にはねじれができている。

その後「核ぬき、本土なみ」と言われたのだが、その核を巡って国会論争が起こる。当時社会党などが「核を搭載した原子力潜水艦は寄港」していると追及。政府は「核はない」と主張。野党は「ということは、米軍の潜水艦が太平洋を渡って来る時、洋上で別の船に移し替えているのか」と問うたが自民党は回答できず…結局日米間の食い違いで、アメリカは「核兵器の持ち込み」を核兵器の配置や貯蔵はないためトランジット(寄港)は含まれないということで、沖縄としては騙されたという思いを持った。

そういう意味では沖縄は常に本土との約束で騙されてきたという思いがある。それ以外にも沖縄の現状復帰の費用を日本が肩代わりしたということを西山事件(元毎日新聞の政治記者西山太吉氏)ですっぱ抜かれたこともあるし、日米地位協定の賠償金の問題で米軍機などの騒音被害をめぐり、基地周辺住民への損害賠償総額221億円に上る賠償金全額を日本側が負担しているという事実も明らかになっている。

他にも、在日米軍が使った有料道路や民間港湾・空港の使用料金を日本政府が負担しており、記録が残っている1990年から現在までの総額は約149億円という問題などさまざまな問題がある。

アメリカとの地位協定は同じくヨーロッパでも締結されており、他国の事例はどうかというとドイツでは明らかにドイツの利益を上回る場合には返還請求出来るようになっているし、イタリア北部にあるアメリカ軍の飛行場はイタリア軍が管理、1日の飛行回数とルートを規制し騒音対策を徹底している。これらのことから欧米に比べ、日米地位協定が不平等であることがわかる。

それらの事も含め翁長知事は日本は非常に沖縄の問題については不平等になっている。ここをもう少し考えてくれよと、基地を負担するだけでなく、そこを日本国民に訴えたいという事を翁長知事は言われたわけである。我々はここを重く受け止める必要があると思う。

今の沖縄が日本にとってどういう意味を持つのか、沖縄が独立して米軍がなくてもやっていけるのかという事を我々が日本全体として考えていくということをしないと本当に沖縄に寄り添ってものを考えているということにはならないように思う。

(TBSラジオ「日本全国8時です」12月8日音源の要約です)

引用元

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この国に戦前迫る 野坂昭如絶筆原稿 神戸新聞
12月11日神戸新聞 画面クリックで拡大
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アノニマス、安倍首相の個人サイトをサイバー攻撃か、ハフポスト
 犯行声明の内容は?
The Huffington Post | 執筆者: 安藤健二

2015年12月10日 16時59分 JST

菅義偉官房長官は12月10日午前の記者会見で、国際ハッカー集団「アノニマス」が安倍晋三首相の公式サイトをサイバー攻撃した可能性があることを明らかにした。安倍首相の公式サイトは、10日未明から閲覧できない状態になっていた。朝日新聞デジタルなどが報じた。

NHKニュースによると、大量のデータを送りつけて通信量をあふれさせる「DDoS」攻撃と呼ばれる手口とみられ、安倍首相の事務所が状況の確認を進めている。アノニマスを名乗る人物が10日午前3時半ごろ、安倍首相あてのメッセージとして「捕鯨は文化的権利ではない!お前のWebサイトのサーバー、落としてやったぜ」とTwitteに投稿していた。

菅官房長官は午前の記者会見で「安倍総理大臣の個人ホームページの閲覧が非常にしづらい状態が発生して、現在も継続している。現時点においては、アノニマスからの攻撃と特定されていないが、声明が出ていることは報告を受けている。警察において捜査中ということで今後、捜査をしっかりと行って適切に対応していきたい」と述べたという。

引用元
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長年の不正見抜けなかった東芝の監査法人、業務停止の可能性も、ニューズウイーク
かつてオリンパス事件で業務改善命令を受けたこともある監査法人に対し厳しい処分か
2015年12月8日(火)08時25分

12月7日、東芝の不正会計問題で、証券取引等監視委員会が過去最高額の課徴金勧告を出したことで、焦点は東芝の監査を担当してきた新日本監査法人への金融庁の処分に移った。

 東芝<6502 .t="">の不正会計問題で、証券取引等監視委員会が過去最高額の課徴金勧告を出したことで、焦点は東芝の監査を担当してきた新日本監査法人への金融庁の処分に移った。

金融庁と同庁傘下の公認会計士・監査審査会が同法人の調査を進めているが、長年にわたって不正を見抜けなかった責任は重いとして、業務停止命令など厳しい処分が出る可能性もある。

新日本監査法人への厳しい視線

 証券監視委は7日、東芝に73億7350万円の課徴金を科すよう金融庁に勧告した。開示検査の事案では2008年のIHI<7013 .t="">への課徴金額約16億円が最高額だったが、東芝への課徴金額は4倍超に膨らんだ。不正会計の間、東芝が虚偽の財務情報に基づいて社債を大量発行していたことが大きな要因だ。

 ただ、日本を代表する名門企業の不正会計の責任を追及する声は、東芝の経営陣だけでなく、同社の監査を長年担当してきた新日本監査法人にも向かっている。

 「新日本監査法人は何をしていたのか。不正リスク対応基準を作ったのは、何のためだったのか」――。かつて金融庁の企業会計審議会で「不正リスク対応基準」の作成に携わった関係者の1人はこう嘆く。

 オリンパス<7733 .t="">の粉飾決算事件を契機として、2013年に策定された不正リスク対応基準は、企業経営者などの意図的な行為によって生じる財務諸表の重要な虚偽表示のリスクに対して、監査手続きがどうあるべきか定めたものだ。

 この基準には、会計監査人は「職業的専門家としての懐疑心」を保持し、リスクをかぎ取った場合には厳しく証拠を収集しなければならないと強調されている。

 会計の専門家は、新日本監査法人の担当者が「職業的懐疑心」をもって、東芝の監査にあたっていたのかどうかに着目している。

業務停止命令も視野

 金融庁と公認会計士・監査審査会は現在、急ピッチで検証作業にあたっている。関係筋によると、金融庁は年内をめどに、新日本監査法人と、同法人で東芝を担当していた業務執行社員への処分を決める方針だ。

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日本政府、バングラデシュ人22人を強制送還 、ロイター
Reuters | 執筆者: Thomas Wilson、Serajul Quadir、宮崎亜巳

2015年12月10日 17時52分 JST

12年前に来日した難民申請者も、

法務省入国管理局は11月25日、入国管理施設に収容されていたバングラデシュ人22人をチャーター機で祖国に強制送還した。その中に、ロイターが7月に報道したスペシャルリポートの中で取り上げた、冨士重工業<7270 .t="">系列メーカーで働いていた難民申請者のアブ・サイド・シェク氏も含まれており、現在同氏は、ダッカで家族と離れ、再逮捕の可能性に脅えながら生活していることが、ロイターの取材でわかった。

同氏は2003年に来日。難民認定申請をしたが不認定とされ、収容所から仮放免されている間、自動車の内装パーツの塗装作業に従事していた。仮放免中の労働は許可されていない。

その後は失職していたものの、2015年11月20日、仮放免を更新する手続きに行った東京入国管理局で拘束され、収容所に入れられた。24日に、難民不認定の判断に対する異議申し立てが却下されたことを知らされ、その翌日に強制送還された。

ダッカでの裁判の資料によると、同氏はバングラデシュで、当時の野党アワミ連盟の支持者として対政府抗議活動に参加し、2002年に起こった爆発事件に関係したとして訴追された。

バングラデシュでは、現在与党となっているアワミ連盟と、バングラデシュ民族主義党(BNP)の間で、政権をめぐり激しい対立が続いている。シェク氏への訴追は取り下げられているものの、本人が裁判所に行って判決を受けていないため、逮捕される可能性があるという。アワミ連盟は、シェク氏が党員だったことを認めている。

ロイターの電話取材に対し、同氏は4日、「家族と一緒にいることができない。再逮捕されることを恐れている」と話した。

法務省によるチャーター機での一斉送還は、2013年7月のフィリピン人74人、12月のタイ人46人、14年12月のスリランカ人26人・ベトナム人6人、に続き4回目。

2014年に日本政府は5500人超を送還した。その中にはシェク氏のように難民申請で不認定となった人も多く含まれているとみられる。

日本カトリック難民移住移動者委員会など4団体は4日、25日の強制送還に対し、「人権人道上の問題がある」として、抗議声明を発表した。声明では「今回の送還者のなかには、日本での長期滞在者、難民申請が認定されなかった庇護希望者などが含まれていた」とし「様々な理由で日本での滞在の継続を望む非正規滞在者に対して、合法化によって日本社会の一員として参加する機会を与えることは、多大な税金をかけて送還するよりも日本にとって望ましいはず」と指摘している。[東京/ダッカ 10日 ロイター]

引用元
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水木しげるさんの死~なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのかの巻、雨宮処凛
マガジン9
2015年12月09日 12:09 - 雨宮処凛

11月30日、漫画家の水木しげる氏が亡くなった。
 その訃報に触れた時、「ああ、やっぱり会えなかったか…」としみじみ思った。

 本当は、今年の1月、水木氏に取材をすることになっていた。取材内容は、水木氏の戦争体験。マネージャーの方を通して本人の快諾を頂き、日程も決まっていたものの、取材数日前、体調を崩されたとのことで話は流れてしまったのだ。

高齢のため、大事をとりたいという旨の丁寧な連絡を頂き、残念だったが、出版の日も決まっていたので「水木氏への取材」は叶わぬ夢となってしまった。その本が、今年7月に出版した『14歳からの戦争のリアル』だ。本書には、実際に戦争を経験した人として、俳人の金子兜太さんと女優の赤木春恵さんにご登場頂いている。

 そんな水木氏の取材を巡るやり取りの中で、私の中に強く印象づけられた言葉がある。それは取材を快諾して頂いた際の、マネージャーさんからのメールの言葉。

 高齢のため、長時間の取材は受けられないなどのいくつかのことわりの言葉の後に、こんな文章が続いていた。

 「それと水木は『戦争反対』とは決して言いません。
 そのために、記事をうまくまとめられない記者さんも過去にはおられました」


 ラバウルの激戦地に送られ、左腕を失い、生死を彷徨うほどの経験をし、仲間も多く失った氏なのに、なぜ、「戦争反対」とは決して言わないのか。取材が叶った際には、そのことをこそ、聞きたいと思っていた。しかし、もう氏はこの世にいない。永遠に解けない謎だけが、私の中に残された。

 この国の多くの人が「水木漫画」の影響を受けてきたように、私も子どもの頃から彼の漫画のファンだった。のちに「ガロ」系漫画に猛烈にハマったのも、おそらく水木漫画という下地があったからだと思う。

 そんな氏の存在が私の中で決定的に変わったのは、ある本を読んでからだ。それは『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(梯久美子 角川書店)。戦争を体験した人々にインタビューをしている本書で、水木氏は今から7年前の08年、86歳で取材を受けている。

 氏の体験は、やはり壮絶だ。しかし、本人の語り口はあくまでも飄々としている。寝ることと食べることが最優先のライフスタイルを軍隊でも変えず、毎日遅刻して毎日殴られたこと。交代で不寝番をし、望遠鏡で海上を監視していたら、ついオウムに見とれてしまい、小屋に戻るのが遅れたこと。すると小屋が直撃弾を受けて、分隊は全滅したこと。また、仲間がどんどん「勇ましい戦死」とはほど遠い形で命を失っていったことも語られる。

 ある者は生きた魚を喉につまらせて死に、ある者はワニに食べられて死ぬ。それも、何人も。川に落ちた帽子を拾おうとして水に少し手を入れるなどした際に、あっという間に引っ張られるのだ。

ワニは上半身だけ食べて下半身は泥の中に埋めておく習性があるそうで、2、3日経つとゲートルをきちんと巻いて靴を履いたままの下半身が流れてくるのだという。

そんな描写が続いたかと思うと、現地の集落の人たちと仲良くなり、のんびり暮らす彼らの村に入り浸るようになった上、自分の畑まで作ってもらうというあり得ない展開になる。 

 戦争が終わった時、水木氏は現地の人々に「ここに残れ」と言われたという。「みんなとトモダチになったし、景色はきれいだし、のんびり暮らせるし。自分に合ったところだと思った」という氏は現地除隊を一時は真剣に考えた。

しかし、相談した「軍医殿」にとにかく一度日本に帰るよう説得される。もし、この時、水木氏が現地除隊していたら、『ゲゲゲの鬼太郎』などの名作が生まれることはなかったのだろう。

 そんな氏の不思議な戦争体験を知った私は、彼の戦争体験を綴った漫画を読み漁った。『総員玉砕せよ!』『敗走記』、イラストと文章からなる『水木しげるのラバウル戦記』などなど。

 「私はなんでこのような、つらいつとめをせにゃならぬ」。慰安婦が歌う「女郎の歌」を、最後の突撃の前に兵隊たちが歌う『総員玉砕せよ!』。

印象的なシーンはたくさんあるが、もっとも強烈に覚えているのは、敵に撃たれて負傷し、倒れた仲間の指を切るシーンだ。

 まだ生きているというのに、「遺骨を作るんだ」と上官に言われ、スコップの先で小指を切り落とす。土砂降りの雨の中、指を切られた兵隊は去っていく仲間の気配を感じ、「おめえたちゃあ行っちまうんか」と呟く。

 『水木しげるのラバウル戦記』には、氏が左腕を失った際の描写もある。寝ている時に敵機のマークが上空に見え、穴に避難しようとするものの間に合わない。そこに爆弾が落ち、左手に走った鈍痛。バケツ一杯あまりの出血をし、翌日、「七徳ナイフみたいなもの」で軍医が腕を切断。「モーローとしていて、痛くなかった」という。が、その後、マラリアが再発。以下、『水木しげるのラバウル戦記』からの引用だ。


 一日中寝ているしかなく、ぼんやりと考えごとばかりして暮らしていた。文明なんてなんだ、いじめられ、そして、何かあると天皇の命令だから死ねとくる。また、忙しいばかりで何もない。それにくらべて土人(著者注 現地人のこと)の生活は何とすばらしいものだろう。即ち、日本人には味わえないゆったりとした心があるのだ。

 いぜんとして乾パンもめしものどを通らず、熱も下がらないまま、ある夜、注射が突然こわくなり、じっとしていられなくなって軍医のところへ行こうとヨロヨロ歩きだした。

 あとでわかったことだが、少し狂ってきていたのだ。意識もあまりはっきりしていず、気がついた時は、豪雨で川みたいになった道をヨロヨロと歩いていた。熱い体に冷たい雨が、なんとなく心地よい。あたりは真っ暗。

 そのうちジャングルの中に入り、前にもうしろにも行けなくなった。動こうと思っても、指と首ぐらいしか動かない。「ああ、俺はこんなところで死ぬのか」と思ったまま、意識がなくなった。

 ガヤガヤという声がして、二、三人の戦友と軍医さんに手足を持って壕の中へ運ばれ、リンゲルという注射を打たれた。

 病気は一進一退で、寝たままだった。外では玉砕の歌が歌われ、死の気分が漂っている。いま生きたとしても、どうせ敵が上がってきて一年後には死ぬだろうというのが、そのころの兵隊の気持だった。前線は、はるか先の沖縄あたりになっているのだ。

 ジャングルに埋もれた、左手のない遺骨。一年後の自分の姿を想像したり、頭も少しおかしかったとみえて、軍医さんをなぐったりしたのもこのころだ。

 水木氏のこういった描写や漫画を読んでいると、「ああ、こんなふうに死んでいったんだろうな」という無数の死者の無念がひしひしと伝わってくる。東部ニューギニアだけでも、日本兵の死者は12万人を超えるという。

 この原稿を書くにあたり、水木氏の戦争漫画などを改めて読み返して、氏が「戦争反対」という言葉を決して言わない理由が、なんとなくだけど、わかった気がした。「戦争反対」という、ある意味でありきたりな言葉では、とても言い尽くせない思いがあったのではないだろうか。たった四文字の漢字になどとても託せないほどの、経験していない者には決してわからない気持ちが、氏にその言葉を吐かせなかったのではないだろうか。

 水木氏のインタビューをした梯氏は、『昭和二十年夏、僕は兵士だった』で以下のように書いている。

 インタビューの中で、水木氏は一度も、いわゆる正論を吐かなかった。あくまでも”駄目な二等兵”の視点から戦争を語り、見出しになるような決め台詞や恰好いい言葉はひとつも出てこない。

 おそらく氏は「美学」が嫌いなのだ。食べて、排泄して、寝る――戦記マンガの中で繰り返しそのことを描いたのも、戦場における「美学」の対抗軸としてではないだろうか。美学に酔って、人間を軽んじた軍人たちへの痛烈な批判がそこにはある。

 そんな水木氏は、『総員玉砕せよ!』のあとがきで、以下のように書いている。

 ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。

 戦死者たちの霊に突き動かされるようにして「戦争」を描いた漫画家が、戦後70年の冬、93年の生涯を終えた。

 水木氏の戦争漫画は、妖怪漫画とともに、長く読みつがれていくだろう。
 ああ、でも、一度お会いしたかった!

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2015年12月11日(金)
坐禅と遍路から観えた釈尊の教えと 釈尊が現代のわれわれに問いかけること #13
山内庸行 作成

参考情報篇 その3

3. 禅語に観る釈尊の気付き

石頭禅師:“長空、白雲の飛ぶを礙えず”

  人生の疑問への回答として禅語を一つ選ぶとすると、これが一番近い言葉のように感じています:

◎長空とは、雲でいかに覆われていても常に悠然と在る青空のこと!それはひと続きの大きな生命!ひと続きの大きな生命である青空の中で、人間も、犬も猫も花もビールスも山も岩も、宇宙に存在するもの全ては、一つの白雲として只生滅している。(生命の真実)

“何故生きるのか(存在するのか)?”の問いに、人間だけの答えなどある筈が無い。白雲(自分)の都合でどうにかなる青空(生命)では無い!

◎自分はそんな生命の当の本人!つまり自分が青空そのもの! (自分の真実)

白雲それぞれが、青空つまり当の本人!自分の人生は、自分が当の本人つまり青空として生きる以外にはない!出逢う人やことも全て、自分と言う青空に漂う白雲として邪魔にもせず、むしろ暖かく包み込みながら、過去や未来に邪魔されず今を今に生きること。

◎長空・白雲は、『ひと続きの大きな生命である青空に全てを委ねよ!そしてお前は、お前自身、自他比較を超えた青空たれ! (法帰依・自帰依)』と、“人は何故生きるのか?”の問いの本質的意味と同時に“生きる目的はあるのか?”の問いの探り処を端的に示してくれているようだ!

②  白隠禅師:衣(ころも)やうすき 食やとぼしき きりぎりす 聞きすてかねて もる涙かな

大悟の後、ある僧侶が読む法華経を聞きながら、庭でなくきりぎりすの羽音を聞いて、涙して読んだ歌ですが、口にするのも憚られますが、この歌こそが私の目指す心境でもあります。
 
自他の壁が無くなり、キリギリスにさえ我がことのように慈しみを持たれた白隠禅師のこの思いが、釈尊をして、40歳から死ぬまで 乞食生活をされながら、人々の救済に向かわせた思いであろうと思います。私の忌み嫌う“ご利益”であろうと、私が拘っている“己事究明”であろうと、それはあくまで入口に過ぎず、大切なのは、この白隠禅師の思いにどこまで迫れるかではないかと今思います。もちろん私には、想像すらできない心境ですが、目指すべき生き方との願望だけは持ち続けたいと思います。

③ 芭蕉の俳句に観る長空・白雲

   ・古池やかわず飛び込む水の音  

古池が長空、白雲はかわず。古池はいくらかわずが飛び込んできても泰然自若 何も気にしない。ただただ静かに在る。かわずの飛びこむ音は、大きければ大きい程、古池を邪魔するどころか、その泰然自若ぶりを、かえって際立たせる。私は、かわずであり、池である。

   ・静けさや岩にしみいるセミの声 

岩が長空、白雲はセミ。岩は、まわりでいくらセミが鳴いても泰然自若 何も気にしない。ただただ静かに在る。セミの声は、大きければ大きい程、岩の存在を邪魔するどころか、逆にその泰然自若ぶりを際立たせる。私は、セミであり、岩である。

④ 内山興正老師:詩を2つ

私は、書の得意な父に生前この2つの詩を筆で書いて貰い、表装して部屋に飾っています。子供達が結婚する時にも、祝いとしてそれぞれに渡しました。死ぬ時には、何故この詩を大事にしているのか、子どもたちにメッセージを遺したいと思っています:

◎生死

  手桶の水を汲むことによって、水が生じたのではない。天地一杯の水が、手桶に汲みとられたのだ。手桶の水を大地にまいてしまったからといって、水がなくなったわけではない。天地一杯の水が天地一杯にばら撒かれたのだ

    人は生まれることによって生命を生じたのではない。天地一杯の生命が、私という思い固めの中に汲みとられたのだ。

    人は死ぬことによって生命が無くなるのではない。天地一杯の生命が私という思い固めから、天地一
    杯の中にばら撒かれたのだ。

   ◎無題

    見渡す限り自己である自己が、見渡す限り自己である自己に安らう いのち落ち着きの深さ

    見渡す限り自己である自己が、見渡す限り自己である自己に進む いのち生きがいの深さ


⑤ 臨済禅師:“仏に遭うては、仏も殺せ”

学生時代に訳の分からないままこの言葉に何かしら奥深い禅宗の魅力を感じたものですが、この言葉は、釈尊の教えは、ただ言葉として理解していてはダメだ!そんな言葉の上で出逢う釈尊は殺して(手放して)あなた自身が、体験知を持ちなさい!自分の体験知とならない限り、いかなる示唆も、釈尊が月を指す指は見ていても、釈尊の指す月は見ていないのと同じ!と言っているように今は思います。

つまりは、リンゴの味は食べた人しか分からず、しかもその味はお互いに分かち合えないものであるように、“自分の人生問題は、たとえそれが釈尊の教えであっても他人の体験知で間に合う筈も無く、肝心の自分自身が、気付き、自分の体験知を持つ以外解決の道は無い。
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野坂昭如さん死去 追悼の声相次ぐ、NHKnewsweb
12月10日 16時05分

「火垂るの墓」で知られた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなりました。高畑勲監督や野末陳平さんなど野坂さんとゆかりのあった人たちから追悼の声が相次いでいます。

高畑勲監督「戦争による弱者の悲劇描ききった」

野坂昭如さんの直木賞受賞作で戦災孤児の悲劇を描いた「火垂るの墓」をアニメ映画化した高畑勲監督は次のようなコメントを発表しました。
「野坂昭如さんはきっといま、久々に肉体から解き放たれて楽天的になり、日本国中を、沖縄を、自由に羽ばたきながら飛び回り、日本を戦争の道へ引きずり込ませまいと頑張っている人々を、大声で歌って踊って、力強く励ましてくれているにちがいない、と私は思います。野坂昭如さんの『火垂るの墓』と『戦争童話集』は、戦争に巻き込まれた弱者の悲劇を描ききった不朽の名作です。私たちは『火垂るの墓』をアニメ映画化できてほんとうによかったと、野坂昭如さんに心から感謝しています。」

野末陳平さん「素顔は優しい紳士」

野坂さんと親交のあった元参議院議員で放送作家としても知られる野末陳平さんは「若い頃はよく一緒に仕事をし、彼の家に居候していたこともありました。互いに年をとって昔話をしたいと思っていたので残念でなりません。野坂さんは酒を飲むと大胆になりますが、酒を飲んでいない時は優しく、周囲にとても気を遣う紳士で、それが彼の本当の姿だったと思います」と話していました。

また、作家としての野坂さんについて野末さんは、「彼には時代を鋭く分析する独特の力があり、特に戦後を見る目がシャープでそれが作品に表れ、多くのファンを獲得していると思う。彼は亡くなっても今後も作品を通じて社会に影響を与えていくと思います」と話していました。

田原総一朗さん「秩序に縛られない生き方」

自身が司会を務めるテレビの討論番組に野坂さんをたびたび招いてきたジャーナリストの田原総一朗さんは「野坂さんは相手が政治家でも何でも言える自由さを持っていました。何かと空気を読まないと生きにくい日本にいながら、あえてみずから落ちこぼれて『おれは空気が読めないんだ』と言うことで、どんなことにもノーと言える秩序に縛られない生き方をした人でした。一つの時代が終わったと思います」と話していました。

矢崎泰久さん「平和への情念強く」

昭和40年の創刊直後からおよそ15年にわたり、野坂さんが連載記事を執筆した雑誌「話の特集」の元編集長で、50年来の親交があった作家の矢崎泰久さんは「最近も私が週刊誌に連載しているコーナーに、野坂さんの記事を定期的に載せているためおとといも原稿をファックスで受け取っていた。ことし肺炎で入院した時は心配したが、退院したあとは原稿を入れてくれていたため、大丈夫だと思っていたので、亡くなったと聞いてびっくりした」と話していました。

最近の様子については「安保法制には鋭い意見を持っていた。永六輔さんのラジオ番組で、六輔さんに宛てた手紙を書いてアナウンサーに代読してもらっていた。今の世の戦争に対する不安をしきりに訴えていた。力強いメッセージが伝わっていたと思う」と話していました。そのうえで「私と同世代だったが、飢えた子どもの顔を二度と見たくない気持ちや戦争体験を伝える最後の世代だと考えていたので、この国の平和をいちばん大事にしていたと思う。

国会議員になったり、いろいろなことをやったが、基本的には子どもへの愛情や、平和に対する情念みたいなものが強かった。非常に惜しい人が逝ってしまった」と話し惜しんでいました。

元編集者「脳梗塞で倒れこれまでよく戦った」

講談社の元編集者で、野坂さんとは50年近くのつきあいだという宮田昭宏さんは、10日午前中に野坂さんの自宅を訪れ、遺体と対面したということです。そのときの様子について宮田さんは「少し笑っているような、すごく楽なお顔をしていました。長年おつきあいをしてきましたが、初めて見るくらい安らかな感じでした。脳梗塞で倒れて以来、大変な思いをしながらこれまでよく戦ったなと思います。

思い残すことはないのではと思うほどの生き方でしたが、奥様は『こんなに早く亡くなるとは』と残念がっていました。独特のことばの使い方で読者のイメージをかき立てる力が非常に高く、作家として、今の日本が抱えているいろいろな問題をいち早く感じ取っていた人だったと思います」と話していました。

吉永小百合さん「非戦への思い受け止めたい」

野坂さんの沖縄戦をテーマにした戦争童話を朗読会で披露するなど、交流のあった俳優の吉永小百合さんは「ご快復を待っていましたのに叶わず、残念です。野坂さんの飛び抜けた行動力と非戦への思いを、今しっかりと受け止めたいです」とコメントしています。
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野坂昭如の懸念は戦災の実体験から来ている、2013年4月17日掲載
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野坂昭如が育った神戸 2009年2月22日掲載
 ぼくの育った神戸市東の外れ、この地域は、今、感傷的に、美しく思い返す、黄金時代のありきたりを超えて、住みやすい地域だった。15分歩けば、六甲山山麓に至り、10分で、文字通り白砂青松、泳ぐ者の影が海底にうつる清らかな海。山際の至るところに自噴の泉があり、当時の、市の東を限る石屋川の水は豊か。

この川上に水車小屋5軒、川床の石をはぐと、小さなカニがあわてて横走りに逃げ出す、山道を辿れば池、外国人の飼う毛の長い犬がよく泳いでいた。木々の葉末は、陽光、またその池の面照り返しを浴びいつもキラキラ光っていた。水から上った犬の、身震いして飛び散る水も光っていた。

山際に私鉄として、いちばんスピードの早い阪急電車、犬を連れて乗れた。時に犬だけ、御影から芦屋まで、無賃を申し訳なく思うのか、常にドアのそば。創設者小林一三は、しゃれた車両ながら、ブレーキの際、飛び散る鉄粉の汚れを考えて、車体はチョコレート色。ひきかえ、神戸市市電は、スマートな薄緑。

阪急の南に、省線、さらに阪神国道を走る単両の電車、海岸近くに阪神電鉄。南北2,3キロの間に4本が走る。六甲道駅から、灘を経て三宮駅、駅の西、南北に一直線の筋が、山際にある塔を持つホテルにちなみ、トアロードと呼ばれ、俳人西東三鬼が、奇妙な連中と過ごし、途中のレストラン「ハイウェイ」は谷崎の御贔屓西洋料理屋。

扇型の防波堤を持つ、神戸港は、ヨーロッパ航路の拠点港、三宮駅を南へ降りると百貨店そごう、その先きまっすぐな道の果てに、時計台を持つ税関が見える。神戸の子供は、埠頭、保税倉庫、上屋、税関の役割をよく心得、たいてい5色のテープの端を持ち、汽笛と共に、いつ動いたとも判らぬ巨大な船の、いつしか防波堤近くで、船体を横に向け、さらに、せまい堤と堤の間を抜けて、彼方へ消える、埠頭近くに、5色のテープが波につれ上下、しみじみ人の別れを経験した覚えがある。

もっとも、この一抹のわびしさは、そごうの手前、市電の曲がり角にある「ユーハイム」から、左へ入って百貨店大丸、境内に映画館や安直な食いもの屋が並ぶ生田神社へ、親の足が向けば、たちまち失せる。まっすぐ阪急の終点、駅ビルでもいい、ここの2階はゲームセンター、大阪の本店同様、名物カレーライス、映画館もあった。

元町通りの手前が大丸、西の終りに三越デパート、この間、6丁が神戸の繁華街元町、万国旗と、セーラー服の外人の似合う商店街、鈴蘭燈が名物。書店、古本屋の多い街並み、もちろん、ヨーロッパ直伝の洋品、当時でいう唐物屋、日本でいちばん早くアチラのファッション、と当時はいわない。

ただ洋服をテーラーと子供も呼んだ。猫の目の如く、女物がどうだったか知らない。生地すべて英国製。三越から省線を越えて、戦時下、もてはやされた湊川神社。この西に、少年と縁のない吉原、島原と並ぶ三大遊廓福原。さらに西が、大興行街「新開地」。

六甲道駅を東へ辿れば、御影、住吉、芦屋、この山際から国道まで、まず高級住宅地、特に阪急より上の住吉、阪急から国道までの芦屋は、到底、田園調布の比じゃない。1軒敷地300坪。

東西に走る4本の電車と、湊川、生田川、大石川、石屋川、住吉川、夙川と南北を流れるほゞ直線の川で、神戸市と、今でいう衛星都市は画然と分たれ、東の大川、武庫川で、神戸は限られる、向こう側は、大阪圏。

武庫川と、六甲山地、東の外れに宝塚、武庫川の海へ注ぐ少し西に、甲子園球場、オリンピック用プール、そして数十面のテニスコート、後、予科練の訓練場、滑走路になったらしい。阪神パーク。

小林一三の開いた宝塚は、本来は温泉。温泉の湯槽のフタの上で始まっったタカラヅカは、昭和に入って「少女歌劇」全国に知られ、大劇場完成、付帯して動物園、遊園地、川向こうに以前からの三業地。少し歩けば清荒神、年寄りはここへ詣で、女たち少女歌劇、子供は動物園遊園地、それぞれ楽しんで、夕刻、料理屋で御飯。ぼくの場合、宝塚、西宮北口、阪急六甲で帰宅するのだが、1時間かゝらなかった。

飼犬と電話と「女中」の数が世帯に比しいちばん多いのが芦屋市といわれていたが、新興住宅地、六甲道駅近辺にも、他にくらべ、この贅沢三点セットは珍しくなかった。

永手町から、昭和11年暮、省線南側中郷町へ引越し、設備の整った成徳小学校へぼくを通わせるため、北向きのやはり2軒長屋だったが、後の隣組20数軒でいうと、3軒に1軒電話と犬、女中は3軒に2軒。中郷町の犬たちは住いを有し、つながれていた。

ベルは以前のまま。雑種じゃなく、由緒正しい犬もいたはずだが、犬種を覚えていない。セーターに、ホームスパンのスカートの美少女が悠然と歩を進めるシェパードをつれて、よく夕刻近くを歩いていた。ベルを伴い、これにぶつかると立止って見送るしかないが、純血種を求める気持はまったくない。ベルは海を嫌った。

野坂昭如作・オンライン小説『いつもいろんな犬といっしょ』から部分引用。

2009年2月22日
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嘘がまかり通る国、日本 (ジョン・ダワーらの近刊についてのイアン・ブルマの書評
2012年11月19日のブログに掲載。

The New York Review of Books: "Expect to Be Lied to in Japan" by Ian Buruma (Japanese Translation)

 日本を覆う公式的な現実。嘘だと分かっていながらも、横並びを意識してそれに合わせなければならない。

それは第二次大戦前から連綿と続く日本の特質。主流メディアは公式的な現実を伝えてきた。福島原発以降、現実とのギャップは狭まるどころか逆に広がり、権力と体制に対する、人々の冷めた見方が広がっている。

野坂昭如が示すように、私たちは批判精神を持つことができるのか。

 ここで提起されている日本人の深層心理の問題は、「人間の幸せとは何か」を考えることなく「経済成長にとって効率のいい労働力の育成」を目的に、横並び重視の教育を施してきた学校教育や戦後日本のあり方とも重なって見える。

 子供も、大人も、他人の目を気にし、「人に負けたくない」「のけ者にされまい」「いじめに遭うまい」と全神経をすり減らしている。

自分の全存在を認めることができないから、自分を嫌いになる。まるでアレルギーを起こした免疫細胞が自分の体を攻撃するかのように。

これはアイデンティティーの問題、どこまでが自己で、どこからが非自己かという境界線がおかしくなっている。

 これはさらに、アダルト・チャイルド(オブ・アルコホリクス)の問題とも重なる。

アルコール依存症者の子供たちは、自分が望むようにではなく、周囲の状況に反応して行動する自分を作り上げる。

これは、アルコール依存症者のいる家庭だけに起こることではなく、社会もこうした思考・行動パターンを私たちに植え付ける。

 個人より団体を優先する日本社会が、強くこうした影響を及ぼすであろうことは想像に難くない。

「ありのままの自分」は心の奥深くに閉じ込めて、身を守る。

このような、自分主体ではなく他人や周囲を主体とすることで自分を守ろうとする生き方は、「共依存」と呼ばれる。

 つまり、戦前の日本から続く集団的「共依存」が人々の心を蝕み続け、その延長線上に今の日本があるのだということを、思わざるを得ない。翻訳・前文:酒井泰幸

一部引用・・

全国紙と呼ばれる大手新聞各社は、政治的論調にいくらか違いはあるが、一種の国民的合意を広めるのに役立っている。

この国民的合意は、同じ政府と企業からなる利益のネットワークよって形成され、大手報道機関も重要な役割を担っている。

これは国立の放送会社であるNHKにも当てはまる。NHKはしばしばBBCにたとえられるが、その強硬な独立主義はみじんも見られない。

いわゆる「記者クラブ制度」では、全国紙の専門記者たちが独占的に特定の政治家や政府機関から取材することが許される。

そこには、これらの有力な情報源がスクープや、非公認記事、専門調査記事によって裏切られることは決してないという前提がある。

記者クラブは、一種の服従ジャーナリズムを生みだした。それは、ニューヨーク9.11事件後の報道を思い出せば分かるように、より自由闊達な民主主義国においても珍しいことではないが、日本では制度化されている。大手新聞が報道の内容を競い合うことはない。

そのかわり熱心に追求するのは、公式版の現実を忠実に反映させることである。

この理由の一つはまったく伝統的なものである。

日本の歴史では、中国や朝鮮半島と同様に、高級官僚、作家、教師といった知識階級は、しばしば権力の批判者ではなく召使いであったのだ。

 もちろん、日本の全ての新聞が主流派なのではない。異端者や、反対者、内部告発者は日本にもいる。

そのような人々は、中国とは異なり政治犯収容所に飲み込まれることはないが、別の方法で疎外される。

マクニールとバーミンガムは著書で、これがどのように機能するかを、様々な場面で指摘する。

福島原発事故のあいだ、NHKは毎日続く広範な放送の中に、けっして原子力批判者を入れなかった。

民間テレビ局のフジテレビでさえ、ある専門家が、全く正確にも、福島第一原発でメルトダウンの危険があることをうっかり漏らした後、彼を二度とスタジオに招くことはなかった。

 藤田祐幸(ふじた・ゆうこう)というこの専門家は、全て問題ないから民衆は安心すべきだという公式的な合意に、反旗を翻すという大罪を働いてしまったのだ。

すでに2011年の大惨事のずっと以前から、原子力の合意事項に批判的な学者たちは降格あるいは左遷されていた。

2002年から2006年までの間に、福島原発で深刻な保安上の危険があることは、従業員など何人かの人々によって実際に報告されていた。

バーミンガムとマクニールの言葉によれば、この内部告発者は「解雇を恐れて、東電と規制機関である原子力安全・保安院の両方を飛び越して訴えたが、情報は無視された。」

前福島県知事によれば、この情報提供者たちは「国賊」のように扱われたという。
全文はこちら
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放射性物質濃度が急上昇 第一原発4号機地下ダクト、福島民報
2015/12/10 09:52

 東京電力は9日、福島第一原発4号機の南側地下を通るダクトにたまった汚染水を調べた結果、放射性セシウム濃度が前回調査(昨年12月)の約4千倍になるなど、高濃度の放射性物質を検出したと発表した。

 東電は、周辺の地下水の放射性物質濃度に変化がないことなどから「外部への流出はない」としているが、原因は分かっていない。

 東電によると、今月3日に採取した汚染水を調べた結果、1リットル当たり39万ベクレルのセシウム137を検出した。昨年12月の調査では、同94ベクレルだった。ベータ線を出す放射性物質は同50万ベクレル、トリチウムは同6700ベクレルを検出した。

 ダクトは、地下に汚染水がたまる建屋とつながっていたが、東電は既にダクトと建屋の間で汚染水が行き来しないよう止水処理をしている。
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本当にいいのは20ヵ所に1ヵ所! 間違えない老人ホームの選び方、DOL

一部引用・・

――「看取りに対応します」と掲げているホームも増えていますが。

 そこに惑わされてはいけません。看取りを1件でもしたら、「やれます」と答えるホームが多い。年に1人では、やっているうちに入りません。3~4人でも少ないかもしれない。

また、ホーム側の体制だけでなく、老衰で静かに死なせてくれるような死生観を持つ、良質な訪問診療の医者と連携をしているかどうかも大切なポイントです。

 入居を希望する側も、自らの死生観を明らかにする必要がありますね。まずは、ホームへの入居のきっかけをどの段階にするのか。どこまでも家庭で、というのは現実問題として難しい。

老夫婦2人だけで暮らしていて、気がついたときには1人が倒れ、もう1人が栄養不良でうずくまっていた、というようなケースは後を絶ちません


 また、後見人を選ぶことも、元気なうちにやっておかなければなりません。最近、悪徳弁護士を後見人に選んでしまい、危うく認知症で精神病院に入れられそうになった方のご家族が相談に来られました。

全文を読む
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<難航 核のごみ>国民合意へ論議必要、河北新報
2015年12月11日金曜日

◎最終処分策を検証(下)対話

<討議前後調査>

 科学者団体の日本学術会議は今月2日、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分をめぐる民意について、新たな調査結果をまとめた。インターネットの会議システムを活用して全国の約100人を対象に実施した実験的な討論型世論調査の報告書だ。

 「核のごみの最終処分問題は、市民が現実的感覚で判断できる領域を超える。熟慮された社会的判断を構築し、科学技術をコントロールするために有効な調査となる」。主導した東京工業大大学院の坂野達郎教授は狙いをこう説明する。

 3月1日の調査には事前のネット募集に応じた20~60代が参加。6~8人のグループに分かれ、テレビ会議形式で70分ずつ2回にわたって討議した。参加者には(1)討議前(2)討議直前(最終処分に関する資料を読んだ後)(3)討議後-の3段階で同じ設問のアンケートを実施した。

<理解へ手応え>

 討議には、多様な意見を交わしながら参加者が考えを明確にする目的がある。考えをさらに深めてもらおうと、1回目の討議後に専門家7人とネット上で質疑応答する機会も設けた。
 その結果、学術会議が提案する「核のごみを暫定保管し、国民的議論をする」案に対する賛成割合はグラフのように討議後には10ポイント以上増えた。

 政府が目指す地層処分案も同様に3割台から4割台に増加。核のごみ受け入れ可能総量をあらかじめ決め、原発依存の低減につなげる「総量管理」を伴う暫定保管案は、討議前から80%超と最多の支持を集めたが、こちらも討議後は3ポイントほど増えた。

 ネット上での討議の質などを検証する必要はあるが、丁寧な対話が最終処分への理解を深めることが一定程度実証された。調査に携わった今田高俊東工大名誉教授は「各地で開催したり回数を重ねたりすることで、国民が納得できる解決策を探れるはずだ」と語る。

<一方通行形式>

 核のごみを地下300メートルより深い場所で地層処分する政策が固まった2000年以降、国や事業主体の原子力発電環境整備機構(NUMO)は国民の理解を得ようと、シンポジウムなどを各地で開催してきた。

ただ、内容は政策を説明し、限られた参加者から質問を受け付ける形式が多く、「一方通行」の感は否めない。

 「本来は『地層処分を現世代で行う』という政策の根本について、社会的合意をあらためて得る作業が必要。国は(その作業が)『走りながらできる』という判断になっている」。最終処分に関する国の有識者会合の委員も務める寿楽浩太東京電機大助教は指摘する。

 最終処分は安全確保が必要な期間が数万年に及ぶ。それ以前に処分地の選定や調査に20年以上、建設・操業から閉鎖まで50年以上が見込まれる。広い支持に基づく政策の安定性がなければ実現は困難だ。

 寿楽氏は「根本の合意が不十分だと、『なぜ地層処分なのか』といった疑問の声が止まらず、仮に候補地が選定されても『ちゃぶ台返し』が起こりうる。根本の議論を丁寧に、時間と手間を惜しまず進めるべきだ」と主張する。

[討論型世論調査]無作為で選ばれた参加者同士の討議を経て、討議前後の意見の変化をアンケートで比較する世論調査。通常の世論調査よりも熟慮された民意を明らかにし、政策に反映させる狙いがある。民主党政権下の2012年には、将来の原発の在り方などエネルギー政策の策定時に実施された。

<難航 核のごみ>国が主導 漂う不透明感

◎最終処分政策を検証(上)方針転換



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米中が深いところで付き合っていることを、何も知らない日本は危うい」,IWJ
「沈みゆくアメリカにしがみつくのは最悪の選択」──中国研究者の矢吹晋氏が岩上安身のインタビューで警告 「アメリカは中国とうまくやっていく」

 「沈みゆくアメリカと、成長する中国の狭間にいる日本。両国とうまく付き合うしか道はない。アメリカにしがみつくのは最悪の選択だ。米中が深いところで付き合っていることを、何も知らない日本は危うい」──。

 『チャイメリカ―米中結託と日本の進路』『尖閣問題の核心~日中関係はどうなる』などの著書があり、前回の岩上安身によるインタビューでは、「中国を仮想敵国にする安保法制は、とんでもない時代錯誤」と一刀両断にした、横浜市立大学名誉教授の矢吹晋氏。2015年9月9日、再度、岩上安身のインタビューに応じて、中国とアメリカを取り巻く現実を、さらに詳細に説明していった。

 矢吹氏は、前回の続編として、中国バブル崩壊、北朝鮮と中国、ロシアの関係、韓国と中国の接近などについて解説。アベノミクスを本当に成功させたいのなら、中国との経済関係をよくするしかないとし、「先日の中国の株価暴落が、世界経済に影響したことを見ればわかるはず。国民の生活を守るなら、つまらない挑発は止めて、中国とまともな対話をすべきだ」と、安倍政権の外交姿勢を批判した。

 また、日本のメディアの中国報道は偏っていると述べ、「日本はバブル以降、まったく成長できず、中国に追い越された嫉妬がある。安倍首相が中国を敵視するので、ネガティブ面だけを誇張して、政治と結びつけている。真実を分析しない」と苦言を呈した。

 さらに、中国バブル崩壊の事情や、中国とロシア、ウクライナの関係、中国と北朝鮮と韓国の間の事情など、歴史的背景も含めて縦横無尽に語っていった。

 最後に矢吹氏は安保法制について、「日本の力は、アメリカには何の役にも立たない。アメリカは、さっさと中国と調整してうまくやっていく。アメリカがAIIBに入るなと各国に釘を刺した時、日本以外、どの国も従わなかった。それが現実だ」とし、中国を封じ込めることはできないのだから、そんな法律を作っても実行できるのか疑問だと語った。

全文とインタビュー動画
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原発と国家 第3部 「電力改革の攻防」  ②進まなかった規制官庁独立
消された独立規制機関、全力で阻止と放言

「独立した原発の安全審査機関の設立など全力で阻止する」。電力会社出身の国会議員の秘書が、原子力政策に関わる官僚の目の前でこう言い放った。民主党政権が誕生した後のことだ。

 民主党は「原子力の安全規制を担当する原子力安全・保安院は、原子力推進の経済産業省から分離・独立させる」との施策を打ち出していた。それを阻むというのが電力業界の強い意志だった

 この官僚は「全力」の中身は聞かなかったが、容易に想像がついた。民主党は電力関係の労組から、選挙などでさまざまな支援を受けている。「業界の政治力が発動された」と受け止めた

捨てられたアイデア


 保安院は2001年1月の中央省庁再編で、通商産業省(当時)が、科学技術庁(同)の原子力安全局を取り込む形で新設された。

 当時、同局を中心に独立機関をつくり、米国の原子力規制委員会(NRC)のような強い権限を持たせるアイデアがあったが、原発推進の足かせになると受け止めた通産省は猛反発。保安院設立構想を打ち出した。

 科技庁は独立機関案に乗り気だった。だが―。

 1990年代後半に科技庁原子力安全局長だった池田要(いけだ・かなめ)は「当時科技庁の発言力は低下していた」と証言する。所管する動力炉・核燃料開発事業団(動燃、当時)が95年に高速増殖炉原型炉「もんじゅ」で、97年には再処理工場(茨城県東海村)で事故を起こすなど、不祥事が続いたためだ。

警察と泥棒

 通産省は「国の組織すら満足に監督できない役所に何ができる」と攻め立て、逆に原安局をもぎ取りにかかった。

 池田は「独立組織設立という主張を押し通せなかった。再編を進めた橋本龍太郎首相(当時)も『科技庁には任せられない』と思っていたのでは」と悔しげに振り返る。

 ある官僚は「業界にまったくシンパシーを持たない規制官庁を電力業界は望んでいなかった」と指摘。

「お巡りさんと泥棒が一緒にいる状態がいいんじゃないか」とは、〝原子力村〟と呼ばれる原子力推進派の官僚の言葉だ。

 福島第1原発事故の後、ある経産省OBは「そんな規制体制の下、犠牲になったのがまともな安全審査だった」と語る。

人材不足

 規制と推進の同居は国際社会には不評だ。原発事故を調査した国際原子力機関(IAEA)は11年6月、「原発の規制官庁は独立性を保つべきだ」と注文をつけた。政府もようやく重い腰を上げたが、課題も多い。

 元原子力委員長で東京工業大名誉教授の藤家洋一(ふじいえ・よういち)は「十分な規制を行うのには専門知識が必要。独立していれば良いというものではない」と指摘。業界とパイプを持ち、知識を共有できる経産省内に規制組織を置くことにもメリットがあるとの主張は根強い。

 規制官庁の技術水準の低下への懸念も大きい。

 米NRCには、原子力潜水艦を運用する海軍という「技術者の供給元」がある。一方の日本。原発メーカーOBは「かつては電力やメーカーの技術者を大量に引っ張ってきたが、今は業界側にも人の余力はない。電力会社の協力がなければ、原発の検査でどこを見ればよいのかすら分からないのが実態だ」と明かす。

 ある官僚は「ひたすら原発の検査だけをやる官庁に誰が行くのかね。優秀な人材が集まるはずがない」と、早くも冷ややかだ。(文中敬称略)(浅見英一、鎮目宰司)
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